あの頃からずっと
「りく!こっちこっち!早く!」
少女が繰り返し手招きをしている。
ジリジリと暑い夏の日。
草を掻き分け、僕はやっとの思いで少女へと追いついた。
「ちょっと待ってよ……」
待っていた少女に強く腕を引かれ、更に前へと進む。
少女の手を引く勢いに足がもつれても、少女は歩みを止めない。
「伝……足が……ちょっと待ってよ」
「りくの足に合わせてたらいつまで経ってもつかないの!」
「じゃあ伝が1人で行けばいいんじゃ……」
ポカッ
そんな擬音が響くように、少女に頭を軽く小突かれた。
「いたい……」
「りくが見たいっていうから連れてきてあげたんでしょ!」
「それは伝が1人で行くとお母さんに怒られるからって言うから、仕方なく……」
ポカッポカッ
殴る回数が2回に増えた。
「いたいよ……」
「見たいの?見たくないの!?」
「それは……見たいけど……」
「じゃあ文句言わずに着いてきて」
少女は歩みを再開する。
坂を登り、その間に僕は何度か石にも蹴つまづいた。
それでも少女は歩みを止めなかった。
「伝……へぶっ」
足を擦りむいた僕が文句を言おうと、顔を上げると歩みを止めた少女の背中にぶつかった。
「いたい……」
「ほら、見て!」
少女の指さす方向に目をやる。
そこには水平線が太陽の光を受け、キラキラと輝いていた。
崖の上から見るそれは、近くで海を見た時とは比べ物にならないほど美しく思えた。
「ね?頑張って歩いた甲斐があったでしょ?」
自慢気な少女に目を向けると、少女の瞳も光を受けて輝いているように見えた。
髪の毛も汗をかいているせいか、キラキラと光っている。
「……うん」
「ほらね、言った通り!」
僕が頷くと、少女は勝ち誇ったようにニコッと笑った。
海を見れて、なのか、それとも……僕はどちらに対して頷いたのかよく分からなくなっていた。
「ほら、じゃあもっとギリギリまで行こ」
少女に再び手を引かれ、前へと歩き出す。
頑張って歩いたせいなのか、心音が大きく響いて耳まで伝わってくる。
―そうか、この頃から僕は少女を、伝のことを
ジリリリリリリ
風景に似つかわしくないベルの音が鳴り響く。
これはそうだ、目覚ましの音だ。
すなわちこの美しい光景は全て……
「りく?いつまで寝てんの?さっさと起きて」
目覚ましの次に聞こえてきた声に、目を覚ます。
「おはよ……」
「あんたの目覚ましほんとうるさすぎ、しかもさっきから声掛けてるのに全然起きないし」
「ごめん、なんか昔の夢見ててさ」
「昔の?」
「うん。伝と一緒に崖から海を見た時の夢」
「ああ、あれはたしかに綺麗だったなぁ」
「また行こうよ」
「あの時は私に手を引かれてただけなのに、場所分かるの?」
「それは伝が案内してくれるってことで」
「しょうがないわねぇ……」
そう言いつつも、伝はなんだか嬉しそうな感じがした。
「ていうかこんな話してる場合じゃないでしょ!学校!」
「そうだった、ありがとう起こしてくれて」
「目覚ましがうるさいから仕方なくよ」
「そうだね」
僕はベットから身を起こし、パジャマから制服に着替える。
「ちょ、ちょっと!いきなり着替えないでよ」
「えー?もういい加減慣れてよ。見るの初めてじゃないんだし」
「変な誤解を生むような言い方しないで!」
「だって、事実だし……」
「いいから、私が見てない内にさっさと着替える!」
「はいはい」
着替えを終え、鏡で簡単に身だしなみを整える。
「寝癖。後で顔洗う時に直しなさいね」
「はーい」
「忘れ物ない?」
「ないよ、多分」
「もう、しっかりしてよ……」
「伝、お母さんみたいだね」
「りくがいつまで経ってもだらしないからでしょ!」
こんな朝のやり取りが、幼い頃から毎日続いている。
それはとても有難くて、幸せで、僕は伝とここまでずっと一緒にいられることが嬉しかった。
「伝」
「なに?」
「ありがと、そばに居てくれて」
「な、なによ、急に……」
「いや、嬉しいなと思ってさ」
「まあ、それはその……私もだけど」
「これからも側にいてね」
「……当たり前でしょ」
「うん、そっか」
そう。これからも僕らはずっと一緒にいられる。
強固な絆で離れることはないのだ。
「文字通りの一心同体、だもんね」
僕は脈打つ心臓付近をそっと撫でた。
元気でいられていることを確かめるように、毎日、毎日こうしている。
―伝に心臓をもらった、あの日からずっと。