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初恋のひと



 暗路突入から六日、ようやく目的地直前にまで辿り着いた。手元のランプだけを頼りに進んできた彼らの疲労は、すでに限界に達していた。


「あと7キロです。何とか踏ん張って下さい」


 ヘルメットをかぶった副班長が地図を広げる。四十年以上前の暗路を記録したそれは、よほどの玄人でなければ解読できないレベルにまで傷んでいた。

 獅吼聯隊しほうれんたい特殊工作部隊第三班。彼らに与えられた任務は、トーキョー郊外にある武器工場からの輸送線確保である。かつての〈十一人の指導者〉が作った極秘連絡線を再び蘇らせるのだ。


「すみません……班長。僕、めちゃくちゃ重いですよね」


「問題ない。そもそもあれは俺の判断ミスだった」


 班長の分厚い背中におぶわれたカザハヤ新入隊員が、情けない声で謝罪する。


「お前は俺達を救ったんだ」


「そう、でしょうか」


 三日前、慎重に慎重を重ねたはずだった彼らは、二人の一級真民の強襲を受けた。暴風雨のような戦闘力を誇る一級真民との直接戦闘。実戦部隊ではない彼らにとって、それは勝ち目の薄い絶望的な闘いだった。だが、


「カザハヤ君が彼らを退けてくれたんですよ。君が居なければ、我々は全滅していました」


 一年前に入隊したばかりのこの新人が、なんと襲撃者を撃退したのだ。奇跡的にこちらの死者はゼロ。四名の班員は今もその歩を進めている。


「誇れ。お前は仲間を守った」


「……はい」


 新入隊員のカザハヤにとって、ぶっきら棒で厳つい顔つきの班長は非常に近寄り難い存在だった。だが、この作戦を通してその印象は大きく変わった。彼の本当の姿は、仲間想いの働き者、常に最前線で身体を張る頼れる熱血漢だったのだ。

 実際、彼は重さ10キロの大剣を装備するカザハヤを、たった一人で背負ってくれていた。それも丸々三日間だ。滴り落ちた汗が班長の右眼の眼帯を湿らせている。


「それで班長、どうします? このままだと目的地到着は深夜になってしまいます。現状を鑑みると、かなり危険では?」


「いや、このまま強行する。予定より一日半も遅れてる。合流予定の三人を待たせているんだ。これ以上の遅れは作戦の失敗に繋がる」


 真人と闘う最大勢力である獅吼聯隊も、徐々にその力を失いつつある。真人に唯一勝利した奴隷解放戦。その主力を担った当時は一万人に近い同士がいたが、今となっては五千を切ってしまった。武器も、食糧も、仲間も、人間には何もかもが足りていない。だからこそ、時間と言う対等資源を損なうわけにはいかなかった。班長と副班長が目を合わせ、カザハヤも力強く頷いた。その時、


「アホかてめーら!!」


 班長とカザハヤの後頭部を、シノクラ衛生兵がぶん殴った。


「んが!」


「ぐ!?」


 カザハヤのおでこが班長の後頭部に叩きつけられる。二人して舌を噛んだ。


「カザハヤは両手にI度、足にII度の火傷! 班長は第一から第三の肋骨にヒビ! 内臓損傷! なんべん言ったらわかんだよ! 今は安静!! 大人しく寝てろ!!」


「いや、だが作戦が……! 俺達には時間が無いんだ!!」


「ンなもん衛生兵のアタシが知るか! ……あぁ? それともなにか? ただでさえ足りない鎮痛剤や包帯、消毒液を無駄に使えって言うわけか? 火傷はともかく、自然治癒で何とかなる肋骨までアタシが世話しなきゃならんのか?」


「いや、それは、その……しかし」


「るせー! ゴタゴタ言ってねぇーで黙って寝てろアホンダラ!!」


「……」


 シノクラ衛生兵の激怒は一回り歳上の班長すら沈黙させた。カザハヤを地面にそっと寝かせた班長は、静かに彼女から距離を取った。それを見た副班長は必死に笑いを堪えている。シノクラが持ち前の三白眼でジロリと副班長を睨みつける。


「ンだよ」


「いや、うちの班長を黙らせられるのなんて、古今東西見渡しても君だけだと思いまして」


「ケッ。くだんねーこと言ってねーで、てめーもさっさと横になれ。結構な怪我してんだから」


「はいはい」


 後進育成を目指して工作班に移った班長は、現在三十八歳。今でもバリバリの武闘派だ。副班長は班長より少し歳下で、妻子持ちの三十四歳だ。通信士として班と本隊を繋ぐと言う重要な役割を担う。そして、紅一点のシノクラ衛生兵、二十歳。そこに新入隊員のカザハヤを加えた四名が、第三班のメンバーだった。


「ほら、脚出せ。包帯取り替えっから」


「は、はい」


 シノクラはまず、一番の重傷者であるカザハヤの治療に取り掛かる。脚に巻いていた包帯をゆっくりと外し、患部に火傷用の軟膏を丁寧に塗りこんだ。それが終わると新しい包帯を巻くべく、医療キットを漁る。


「くそ。新しいのはこれで最後か」


「あの、それじゃあ僕、自分で洗いますよ。ほら、あそこ。水が流れてますし」


 彼らが進んでいる暗路は、トーキョー地下第八層から十層ほどの深度にある。この辺りにはかつての上水道がいくつも残っており、至るところから水が漏れ出してきている。だが、


「ダメだ。火傷で弱くなった患部に雨水で洗った包帯なんか巻けば、すぐに黒化して腐る」


 この星の水には大量のウイルスが潜んでいる。そいつらは皮膚からも体内に侵入し、細胞を腐らせる。「水で洗えば綺麗になる」という現象はすでに過去のもの。この世界における水は人体に悪影響を及ぼす危険なものだった。


「チッ。少し悪くなってるな」


 シノクラは小さく舌打ちする。こんなことなら、もっと早くから行軍を止めておくべきだった。敵から離れるためとは言え、衛生兵としての判断を見誤った。


「……シノクラさんは」


「あぁ?」


「あ、えっとぉ」


「なんだよ、ハッキリしねぇな」


 シノクラと言うこの女性、目元涼やかでさっぱりした美人なのだが、とにかく口が悪い。その舌鋒は極めて鋭く、周囲から鬼軍曹の異名で恐れられていた。かく云うカザハヤも、緊張で内心ビクビクであった。


「医療技術のある人って、深都でも凄く重宝されますよね。それなのに、どうして獅吼聯隊に?」


 年長組も向こうでこの会話を聞いている。シノクラは後頭部をかいた後、嫌そうに答えた。


「金だよ。ココは特殊技能持ちには金払いが良いからな。それが深都で働くよりも多かったってだけの話だ。ホラ、逆足出せ」


「お金、ですか」


 獅吼聯隊の基本理念は「真人の殲滅」である。人間を穢人と蔑み、奴隷として虐げる悪鬼羅刹に鉄槌を。ここには、真人に親を殺された者、家族を連れ去られた者、友を嬲られた者、自身を傷つけられた者など、とにかく真人に恨みを持つ者が多く在籍している。

 自分のような思いをする者をこれ以上増やしたくない。彼ら獅吼聯隊はそのために戦っている。たとえ自らの血肉を引き裂かれても、その歩みを止めないのが彼らの誇りだ。だが、シノクラにはそれが無い。


「あたしにはあんたらと違って大層な事情も決意もない。卑しくも金のためだけにここにいる。軽蔑するならしろよ」


 目的意識の温度差。それがシノクラが常に感じている後ろめたさの正体だ。隊員と距離を作るような乱雑な口調は、自らを恥じる心から生まれたものだった。だが、カザハヤは少し俯いたシノクラに言う。


「僕は、そんなこと思いませんけど」


「あ? んだって?」


「卑しいなんて、思ってません。だって、僕らの怪我を治療してくれるの、全部シノクラさんじゃないですか。僕らを助けてくれるのって、いつもシノクラさんじゃないですか。だから、僕はそんなこと思いません。ただただ尊敬してます」


 シノクラは驚いたように目を開くと、


「……うっせ」


 ボソリと呟き、リュックから出した毛布に包まって隅っこで眠ってしまった。必然的に、今日はここでキャンプすることになった。

 丁寧に巻かれた白い包帯が、カザハヤの傷口を守ってくれていた。




















 ーーマジか。


 それが飛鷹の率直な感想だった。恨みも恐怖も、負の感情が生まれる隙すらない純粋な驚嘆。450メートルから赤子を投げ落とす。彼には思い付くことすら不可能な行為だったから、それ以外の反応ができなかった。

 鼓膜が気圧の変化に襲われておかしくなる。自由落下があと数秒続けば、飛鷹は死ぬ。

 13か月の幸せは、一瞬だった。そして唐突に気が付いた。賢吾と鈴本の愛情は飛鷹ではなく、「優秀な息子」に向けられたものだった。誰でも良かったのだ。別に飛鷹である必要はなかった。すでに鈴本は一瞥もくれずに居なくなっている。


 ーー僕は結局、こんなものなんだ。


 声を荒げて泣き出したいほどの悔しさが沸いてくる。晴らしようのない昏い自己に抱かれて死んでいく。そう思った矢先、


「おっ! とっと!」


 誰かに抱き留められた。都庁の屋上に着地したその人物は、胸の中の飛鷹を覗き込む。


「うわ、大葉さん。その子もしかして上から降ってきました?」


「あぁ、そうだよ」


「うっそマジかよ……。この真上っつーと、天の層(エリア・ヘヴン)っすか。奴らとんでもねーことしますね」


「……もう、あそこには人なんてものは居ないのかもしれないね」


 若い男の声と、老婆の声。だが、声の生気が強いのはむしろ老婆の方だった。450メートルの高さから落ちてきた飛鷹をキャッチしたのは彼女である。


「それで、どうするんです、その子」


「あ? そんなのあたしが育てるに決まってるさね」


「え、いや、真人ですよね?」


「それが何だって言うんだい。いつも言ってるだろ。人は助け合うから人なんだ。それだけは忘れちゃいけないよ」


「はぁ……」


 男は呆れたように息を吐く。


「それにほら。この子を見なよ。あんな高さから落ちてきたってのに、涙一つ浮かべちゃいない。炎えるような瞳が綺麗じゃないか。この子は男前になるよ」


「そりゃそうでしょうに」


「さぁて。まずは名前を決めなきゃいけないね。そうだね、んー。よし。隼士はやとだ。あんたは隼士だ」


 有を、飛鷹を、隼士を老婆が抱き上げる。その両腕は縄文杉の幹に負けないほど逞しかった。垂れ目で鉤鼻、しわくちゃの顔をもっとしわくちゃにして、老婆が卵黄のように破顔する。


「あんたは私の息子だ。大事な大事な、私の隼士だ」


 この瞬間から、飛鷹は飛鷹でなくなった。惜しみ無い愛情に包まれたその子の名前は、隼士。

 ただひたすらに、この人のために生きていこう。隼士はそう覚悟を決めた。















 カザハヤは手足の疼きで目を覚ました。睡眠薬が切れたのか、それとも薬では抑えられないほどの痛みなのか。頭痛も感じながら身体を起こすと、向こうでシノクラが包帯を洗っていた。


「む。どうした。眠れねーのか」


「あ、いえ……はい。そうです」


「そうか」


「あの、その……それってシノクラさんの飲み水では?」


 小さな桶に溜められた僅かな水。部隊から一人500mlだけ与えられた、貴重な麗水。桶の隣には彼女の水筒が置かれていた。


「そんな使い方を、してたんですか」


「衛生兵だからな。班員の健康を守るのがあたしの仕事だ」


「でも、それじゃあ……」


 人は水を飲まなければ生きていけない。それがウイルス感染を爆発的に拡大させた理由だった。作り置かれていた飲み物さえも早々に汚染され、生物は毒水をすするしかなくなった。


「良いんだよ。どうやらあたしは黒化し難い体質らしいからな。この歳になってどこもおかしくなってないのがその証拠だ」


 班長は真人から受けた傷にウイルスが入り込み、右眼を失った。大きな眼帯で隠れたその下は更なる侵食が進んでおり、じきに脳細胞に届く。副班長が常にヘルメットを手放さないのは、黒化でドス黒くなった頭皮を隠すためだ。彼の髪は6歳の時に全て抜け落ちたらしい。だが、家族を不安にさせないために常にヘルメットを被っている。


「でも、いつ黒化が始まるかなんて……!」


「しつけーなぁ」


 シノクラは苦笑した。

 

「別に、仕事しないと金が入らねーからやってるだけだ。家族の分もあたしが稼がなきゃな」


「……」


「ンな顔すんなよ。ほら、傷むとこ診せてみ」


 シノクラ衛生兵は、言っていることとやっていることが吊りあっていない。確かに、彼女の仕事は班員の治療だ。だが、それは自分の飲み水を捨ててまで行うことだろうか。そんなことをしている女性が、果たしてこの地下社会に何人いるだろうか。


「僕、何が何でもこの作戦を成功させます」


「お、おう。どうした急に」


「そしたら、その……えっと……。し、シノクラさんに、告白します!」


「は、は……はぁ!?」


「ずっと、憧れてたんです! 憎まれ口ばっかりだけど、凄く仲間想いのところとか、ご飯の食べ方が綺麗なところとか!」


「い、いや、お、おお落ち着けよ! あれか? 火傷の熱が頭に回ったのか!?」


「いいえ素面です!」


 前のめりになるカザハヤの顔面を、シノクラが靴裏を押しつけて止めた。彼女が意地になって身に付けている白衣でタンクトップの胸元を隠す。


「おまっ、おまっ! こ、告白するって、すでに告白してるようなもんじゃねーか!」


「告白することを告白してるだけです!」


「何が違うんだよ!」


 シノクラにとっては同じでも、カザハヤにとっては大きな違いだった。まぁ、その違いは本人にしかわからないものなのだが。すると、


「くっ! ふは、ははは」


 遠くから誰かの笑い声が聞こえてきた。どうにも抑えられない、そう言う笑い声。腹を抱えて身をよじっているのは副班長だった。


「ちょ! あんた起きてたのか!」


「い、いや失敬。なに、途中からだから」


 シノクラの頬が真っ赤になる。彼女の言う通り、火傷の熱でテンションがおかしくなっていたカザハヤも、途端に恥ずかしくなってきた。その場限りの雰囲気で、自分は何を。身を縮めて俯く。


「それで? 早く断らなくて良いのかい? いつもは誰に告白されてもにべもなくあしらっているじゃないか」


「な、いや! おま、えぇ!?」


 シノクラが更に慌てる。意外に勘の良いカザハヤがパッと顔を上げたその時、


「シノクラさっぅが!?」


 シノクラの肘が入った。


「あ、うわ、すまん! おい、カザハヤ! おい! おーい!」


 キュゥ、と短く言って後ろ向きに倒れたカザハヤを、シノクラが必死で抱き抱える。それを見た副班長は遠慮を忘れて爆笑し、シノクラに石を投げられた。

 若者の甘酸っぱいやり取りを微笑ましい気持ちで聞いていた班長は、再び目を瞑った。明日の作戦の成功を、その熱い胸板に固く誓ったのだ。


 翌日、普段の五倍は機嫌の悪いシノクラを先頭に、第三班は進んでいた。恥ずかしさで死にそうになっているカザハヤは班長におぶわれるのを全力で遠慮し、最後尾にいた。


「ここですね」


 副班長が指差す先は、ドーム型の広場だった。高さ4メートル、直径は15メートルほどの空間。暗路の壁の中に隠されていた通路の先にあったそこは、かつての資材置き場をそのままの姿で残していた。幾つかの電灯がまだ息をしていて、微かに明るい。


「そのようだな」


 ここから数キロ北に掘ったところに、獅吼聯隊の武器工場がある。あとはその通路さえ開通してしまえば、工場と深都を安全に繋ぐ連絡線の完成だ。作戦は成功したと言っていい。だが、


「合流予定の三人がいないな」


「ですね。ちょっと本部と連絡取ってみます」


「あぁ」


 先行していた三人がいない。副班長が背中の通信機を下ろし、素早く組み立てる。


「一体どうしたんでしょうね」


「……あぁ?」


「いえ、何でもないデス」


 カザハヤ撃沈。すると、ボドボトっと、何かが三つ、班長の目の前に落ちてきた。カザハヤとシノクラが音の方向に目をやった時、副班長が通信妨害に気付いた。

 三つの何かを見て停止する班長。


「うぇ?」


 漏れた声に、今度はカザハヤと副班長が振り返った。そこには、首筋を黒いナイフで突き抉られたシノクラがいた。

 その背後に、赤いローブの男が潜んでいた。


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