歪な世界
ボールペンと同じ太さの針が、抵抗できない少女の眼球に近づいていく。この瞬間、しようじは器具によって瞬きを禁じられた
「や……いや……!」
「回転」
針が回転を始めた。少女の眼球に、近づいていく。近づいていく。針と眼球の距離が1ミリ以下になった。クチュ、と言う音が聞こえてきた瞬間、
「ぶはぁ!!」
隼士は大声を上げて飛び起きた。気色の悪い汗が全身から滝のように吹き出してきている。自分のこめかみに心臓があると錯覚するほどの動悸と眩暈。
どうやら、自分はあの手術室から解放されたらしい。
今のは、同調だった。隼士には初めての経験ではなかったから、すぐにわかった。だが、その鮮明度がまるで違った。実際に自分が手術台に縛りつけられているような感覚だった。
「……」
隼士は、眠る少女を見つめる。あれは、怖いとか辛いとかの段階を完全に超越している。一体、どれほどの時間をあの場所で過ごしたのか。本当に自分が体験したわけでもないのに、隼士がまともな状態に心を落ち着けるまで、じっくり三十分はかかった。
「やっぱりか……」
勘は当たっていた。この少女は、小宇宙を開発するための生贄だったのだ。
ようやく、指の震えが収まってきた。少女は安らかな寝顔で眠っている。悪夢を見ているわけでは無さそうだ。そのことが、妙に隼士の胸を疼かせた。
「なん、ですか。それは……」
皇は言葉にしようのない震えに襲われた。あの武器を見るだけで、何か悍しいものに纏わり付かれたような気分になる。
「【呪贄機装】
隼士は無表情に答えた。
「本当の名前はもっと神々しい、と言うより仰々しいんだが、持ち主にこっちの呼び方をしろと言われた」
隼士の左腕は完全に動かなくなった。回復までにはかなりの時間がかかるだろう。この場においてはただの重石だ。
「それに、俺もそう呼ぶべきだと、最近の経験で思い知ったから」
「……いきなりお喋りになりましたね。撹乱のつもりですか」
「ん? いいや? 持ち主に言われてるんだ。こいつを使う時は、全部説明しろって。だから使いたくなかったんだけど」
思わず、皇が一歩退く。隼士は笑った。笑って一歩踏み込む。
「これは、あなたが保護しようとしてたガキの未来なんだ」
「……は?」
「小宇宙。大宇宙と対比される、いわゆる人間の脳味噌だ」
74年前、ウイルスは水素に乗って宇宙からやってきた。この星の生命体に寄生し、大量絶滅の原因となった。だが、真民はワクチンによってウイルスの細胞侵食を防ぐことに成功した。結果として、ウイルスは彼らの脳に寄生、共生し、真民に生命体としての進化を促した。強力な肉体や特異な外見、何より、聖と言う能力を得るに至ったのだ。
「小宇宙は大宇宙と同調している。つまり、宇宙が膨張するエネルギーとされている『ダークマター』を脳内で受け取ることができるようになるわけだ」
ただ、この場合の小宇宙は本来の概念である人間とは微妙に異なる。人の中に宇宙があるのではなく、大宇宙との同調。ミクロコスモとは、人間と大宇宙の関係性をもじった造語なのだ。
「上では小宇宙を発現、拡張しやすい子供を捕まえて、ひたすら人体実験を繰り返している。その目的は、無尽蔵のエネルギーの獲得だ。そして、これがその完成形の一つ。銘は《躙龍剣アンドロメダ》」
隼士が剣を振るった瞬間、細い刀身がスゥッと生えてきた。だが、それはの《躙龍剣アンドロメダ》真の刃ではない。
隼士はその剣先をコンクリートに突き刺す。すると、突如として大量の水が鍔から射出され、刀身に超超高速で巻き付き始めた。その勢いはウォータージェットよりも遥かに速く、そして規格外に巨大だった。
この瞬間、《躙龍剣アンドロメダ》はこの星のあらゆる物質を切断する最強の剣になった。大量の水とその放射を生む巨大エネルギーは、全て大宇宙から受け取っている。つまり、無尽蔵。この剣の斬れ味が鈍ることは決して無い。
「星祖どもはこんなものを八十八器造るつもりらしい。まだ十器にも到達してないのにな。ま、その辺は俺にはどうでも良いんだ」
隼士が剣を片手で振り回す。硬いコンクリートの地面が豆腐のように切れた。
「ここであなたを殺せるなら、それで良い」
爆発的に殺気が燃え上がる。隼士は再び這うような低い姿勢。右肘を突き出し、剣の切っ先を自分の左後方に向ける独特な構え。
だが、皇は目前の暗殺者は今にも攻撃してきそうなのに、まだ冷静さを取り戻せていなかった。
人体実験? 子供を生贄? 小宇宙に人間に大宇宙?
わけがわからない。隼士は撹乱のつもりではないと言ったが、結果的に皇を混乱に陥れた。当然、隼士はその隙に乗じる。
「う!?」
舞い散る花弁を可能な限り躱しながら、隼士は駆ける。その速度に衰えはない。むしろどんどん疾くなっているようだった。ナイフとは全く異なる得物を持つことで、彼のポテンシャルがさらに引き上げられた。
龍を裂くような逆袈裟の斬撃。皇はサーベルで受けようとして、即座に思い至る。この水流の刀身は、物理で止められるものではない。サーベルを引き、顎を逸らしてギリギリで回避した。ネクタイが弾け飛ぶ。敵の振りが大きい。一気に踏み込んで突く。ことはできなかった。大きく剣を振り切ったはずの隼士が、一瞬で逆手に持ち替え、振り下ろしてきたのだ。
「くっ!」
瞬間移動で緊急回避。あの剣だけは絶対に受けてはいけない。それにしても、順手逆手に持ち替える闘い方はそのままなのか。
「さっき、あなた言ってたよな。俺は能力を二つ持ってるって」
間合いを詰めてくる。一立方メートルにつき十枚以上の花弁が舞っているのに、とうとうほとんど当たらなくなってきた。
「でも、実は二つじゃないんだ」
背後から聞こえてきた声に振り向くと、もうそこに隼士はいなかった。右から必殺の剣閃が襲い来る。なんとか分身が受け止めてくれたが、分身を構成する全ての花弁が斬り刻まれた。あの剣は常に高速回転をしているのだ。
「正確に言うと」
遠くで隼士が剣を肩に載せていた。水流が解除されている。その辺りの調整も自由自在らしい。
「俺は二つの聖と一つの闇を持ってるんだ」
隼士はトントンと、その場で軽快にステップを踏んでいる。
あと数秒間だけ耐えれば、【無幻霊蘭桜・七景】の第四の能力が発動する。皇はその可能性に己の命運全てを賭けた。
これは、六年前のこと。
皇の兄が死んだ。地人に中継基地を襲われたらしい。まともに闘った跡が見られなかったのは、抵抗をしなかったのか、それとも抵抗する暇もなかったのか。
どちらにせよ、皇さくらの兄が、皇ゆずきが死んだことには変わりない。その活動が周囲の真人にとって理解不能だったとは言え、名門皇家の長男の死亡は、天の層を凍り付かせた。
兄の死を知ったその時、皇の奥底から沸き出してきたのは、
「はは」
乾いた笑いだった。引き攣ったみたいな笑声が、何故か最初に零れてきたのだ。
死んだ。死んだ。兄さんが死んだ。哀しいはずなのに。目からは涙が溢れているのに。悲しみに暮れている両親を憐む気持ちはあるのに。
何故かその時、唇が笑みを形作ったのだ。
死亡した皇ゆずきと言う男は、誰よりも優秀だった。軍学校の成績は座学も実技も常に一番。顔が良くて、声が綺麗で、背が高くて、異性からとても人気があり、同性からは慕われていた。人を束ねるカリスマがあって、それでいて偉ぶっていない。努力家で、誰にでも分け隔てなく優しい。両親の自慢の息子だった。
だか、皇にとってこの兄は、コンプレックス以外の何物でもなかった。
当時の皇は、背が低くて、小太りだった。ニキビ面で、髪がパサついていて、成績も悪く、運動も苦手だった。何より辛かったのは、そんな自分を、誰も見てくれなかったことだ。両親は兄ばかりに声をかけ、教師や教官もいつも兄の話をしていた。まるで、不出来で不細工な妹の存在が無いかのように。比べられて蔑まれるなら、まだ良かった。いないものとされる辛さは、思春期の皇を酷く苛め抜いていたのだ。
だが、今日、その元凶が、いなくなった。共生しようと歩み寄っていた相手に殺されたのだ。これほど無様なことはない。笑うなと言う方が無理だろう。皇は一人でクスクス笑って、人前では辛そうな顔をしていた。それで誤魔化せるくらいに、皇は注目されていなかったと言うことだ。
だが、そんな呑気な気持ちが長く続くはずもなかった。周囲が、皇さくらの存在に気付いたからだ。
ーーなんだ、あの無能な妹は。
ーー由緒ある皇家の名に泥を塗っている。
ーー聞けば、まだ聖も自覚していないそうじゃないか。
ーー神は無情だな。どうしてあの兄が死に、あんな妹が生きているのだ。
そいつらは口々に言った。あの妹が、死ねば良かったのに、と。
そしてとうとう、両親からその言葉を聞かされた時、皇は自室から出ることができなくなった。
兄がどこまで考えていたのかはわからない。もしかしたら、何も考えてなかったか、そもそも彼も妹を認識していなかったかもしれない。だがそれでも、結果的に、兄は妹を守っていた。陽の光を一身に受けることで、背中に隠れる妹を庇っていたのだ。
「ふざけるな」
ある日、自室に引き篭もっていた皇は、唐突にこう叫んだ。理由は不明。ただ、言いようのない怒りが沸き上がってきて、それをそのまま口にしたのだ。
ーー鬼籍に入った男にいつまでもしがみついているだけのお前達に、私を攻撃する資格などない。
やってやると、皇は心に決めた。兄がいなくなったのなら、その代わりを私がしてやる。今度は馬鹿みたいに私を追い掛け回せばいい。
その後の彼女の活躍は、偉大な兄に劣らぬ見事なものだった。外見を磨き、勉学に励み、血の滲むような鍛錬で、あらゆる分野で同級生達を薙ぎ倒した。
周りがくるりと手の平を返したのは言うまでもない。皇は下心で寄ってくる老若男女を切り捨てるようにあしらいながら、日々を過ごし、そしてとうとう《銀翼の閃隊》への入隊が決まった。
「やぁ。初めまして。聞いてるよ。君、凄いんだってね」
初めて会った時、群青はニヤニヤしていた。
「お兄さんの後を追って、代わりになって、とうとう追いついた。じゃあ、ここからはどうするの? ここからはシナリオが無い。全て君のオリジナルだ。」
「兄の後を継ぎます」
「どうして? 何のために?」
「私が、私であることを証明するために。兄と同じ道を選び、更にその先を見つけてみせます」
「ふーん。君のお兄さんが諦めた道だ。かなーりキツいと思うよ。大丈夫?」
「はい」
兄が夢見た世界とは、真人と地人が共存し、支え合う世界。この星に日本人を取り戻すのだ。
「真人も地人も、同じ価値を持った一つの命です。皆んなが笑顔で、慈しみあえるような世界にしたいですから」
貶したり、蔑んだりするのではなく、認め合い、愛し合いたい。人としての理性と情を持って、誰かと繋がりたい。
誰よりも孤独を経験したからこそわかる辛さ。尊厳を与えられないことの苦しみ。かつての自分のように喘いでいる人達を、一人でも多く救いたい。
それが、皇さくらが辿り着いた「夢」だった。皇の答えを聞いた群青は、今度は声を上げて笑った。
「ふは! ははは! なんだ。どれだけ卑屈な子かと思ってたけど、全然違うね」
「違う、とは?」
「甘ちゃんってことさ」
群青は右手を差し出してきた。消えない傷だらけのそれを、皇は熱い思いで握った。
「最初から才能があったお兄さんと、歯を食いしばって到達した君とじゃ価値が違う。僕は君を、とても好ましく思うよ」
その言葉を聞いた時、皇は初めて、本当の自分を誰かに肯定された気がした。そして、本当の意味で兄の死を悼むことができた。
「……ありがとう、ございます」
無性に溢れてくる涙を拭きながら、皇は何度も頷いた。群青がその頭を撫でる。
「ゆるーくね。頑張っていこう」
あの日からずっと、群青と二人三脚で頑張ってきた。だが、もうあの人はいない。
自分の道を切り開く術は、自分の中から探し出すしかないのだ。
ーー負けられない。
皇の決意が、第四の能力発動までの時間を、数十秒も短縮させた。
皇の雰囲気が変わったことを、隼士は敏感に察知した。一気に説明を終わらせる。
「一つ目の聖は、あなたの言う通り。もう一つの方も、だいたいのことは合ってる」
左腕をゆっくりと上に向け、その手首を、《躙龍剣アンドロメダ》で斬りつけた。少なくない血が飛び散る。
「ただ、一つ、重要なことをわかっていない。俺の第二の聖は、自分の血の円がゲートになる。だが、その濃度はどんなに薄くても構わない。繋がってさえいればいい。つまり」
《躙龍剣アンドロメダ》に、隼士の血液が混ざった。これで、この剣は隼士の血になったのだ。
そして、ポンと言う音ともに、一部の水流を切り離した。ぐるぐると回る水の円が、血のゲートが空中に出来上がった。
「こうすることで、どこにでもゲートを作ることができる」
それからも、隼士は次々に水流を切り離していく。回転する水流は、空中に留まって落ちることがない。様々な向きや角度、大きさをした円が、ありとあらゆる場所に貼り付けられていく。
「あと三秒後、百を越えるゲートがこの場を埋め尽くす」
桜吹雪の中に、半透明の円が浮かぶ。
それは、闘う者と殺す者が作り出した歪な世界だ。




