奥の手
これは、皇が群青達の死に様を直視する数十分前の話である。
負傷した十数人の隊員とともに回復に専念していた皇だったが、追跡部隊のことが気になって仕方がなかった。いや、正確には、何故あの老婆が少女を拐ったのか、そして、あの少女はどうして皇達に牙を向いたのかと言うことだ。
この部隊の隊長である皇に課せられた任務は、あの少女の保護だ。保護とは、弱き者を救うためのもののはずだ。
だが、あの少女は逃げた。老婆に連れ去られた時も、抵抗をしている様子もなかった。自分達の任務には、もしかすると別の秘密事項があったのかもしれない。一度そう言う思考に陥ってしまうと、あとは坂道を転がるように悪い妄想ばかり膨らんだ。
ーーあの二人と、話をしなければ。
この想いが、皇を突き動かした。鳩尾にくらった一撃は全く癒えていない。一級真民である彼女の回復力を持ってしても、動けるようになるまで三十分近くを要した。
負傷者を残して一人で追跡隊に合流すると言う決断は、隊長としては正しくないだろう。だが、動けるのなら、立ち止まっていたくない。
皇は群青から渡されたGPSを使って四層を走った。追跡隊があの二人を発見するより先に、自分が追跡隊に追い付かなくてはならない。そう思っていた矢先だった。
「っ!?」
視界の角に割り込んできたそれらは、皇の手先を震えさせた。
「え……?」
死体だった。十歳にも満たない子供。三人。だが、それらは生前の姿を殆ど残していなかった。
三人とも胸から下腹部にかけてぱっくりと割られ、その中にはあるべき内臓が一つもなかった。刃物ではなく、爪で無理やりこじ開けられたらしい皮膚は、赤黒い。骨や腸がベトベトと辺りに散らばり、よくわからない蟲が這いずっている。生きたまま解体されたのであろう。手脚を縛る紐はそのままだった。
冷たく張り付いた凄絶な表情は、皇の脳をガツンと殴りつけた。哀れだとか許せないとか思う前に、まず気持ち悪くなって、吐いた。まだ残る鳩尾の痛みよりも、胃液で焼けた喉の方がよほど辛かった。
「なんて、ことを……」
せめて、埋葬してあげなくては。そう思うのに、再び死体に目を向ける勇気がない。目が泳ぐ。そのおかげか、そのせいか、皇は死体の手がある物を握っているのを見つけた。その瞬間、
「あ……」
群青のあの言葉が、ゆっくりと、歪んだ音で、皇の全身を駆け巡った。
ーーあんまり、ああ言うことしないほうが良いと思うよ。
それは、ベリーだった。保存食のベリー。高級品。少し前、皇が子供達に渡したものだった。
あの子らのためにならない。その意味を、皇は曲解していた。あの言葉は、もっと単純な、より直接的な言葉だったのだ。
何がどうなって、この子達が殺されたのかはわからない。だが、想像はできた。普通ならあり得ない高級食材を持っていたから、目立った。目立ったから、狙われた。
この惨状の原因を作ったのは、皇自身だった。皇は、人間の内臓がそこそこの値で売り買いされていることを知らなかったのだ。
知らなかったから? その言い訳がこの子供達に通用すると思うか?
凄まじい剣戟の音が空間を揺らしていた。地下空間は、音がよく響く。
ーーあの〈攻種〉を追うべきか!?
心の迷いは剣の刃先を鈍らせる。どんなにトリッキーな瞬間移動をしても、どんなに効果的な分身を作っても、隼士の首は遠かった。
だが、隼士の刃もまた、皇に届いていない。一人を殺すのに一分以上もかかったのなんて、一体いつぶりのことか。
厄介。あまりに厄介。そして、相性が悪い。群青と言い、皇と言い、この二連戦はかなりキツいものだった。
ーーチッ。神経が焼け始めたな。
隼士の闇による負荷は、普通の地人の二倍以上だ。その主だった負荷は「記憶を失う」だが、能力を連続発動し続けると脳の神経が熱を持ち始める。この状態に陥ると、思考はもちろん、肉体の動きも鈍くなっていく。
「知っていますよ」
分身を盾にして作った一瞬の隙に、大汗を拭った皇が言う。
「あなたのその聖は、文献に登録されています。一級真民、風早家に伝わるものですね」
戦闘中は表情を変えないことを心情にしている隼士が、少し眉を動かした。
「右手に持っているものを、左手に持っているように見せる。或いはその逆。正式な名称はありませんでしたが、記述そのものは多かった」
登録された能力を閲覧できる真人は限られている。手の内を知られると言うことはそれだけ危険だからだ。そしてそれは、真人が真人に攻撃しないための抑止力として扱われている。
名門である皇家は、もちろん閲覧を許可されている。皇が文献のページをめくったのは《銀翼の閃隊》に入隊したその当日のことである。
そして、その時知ったことだが、この聖は一部界隈では非常に有名なものだったらしい。
大規模破壊や広範囲影響力を持つものと比べると地味で細やか。物語に出てくる魔法のような聖がもてはやされる真民世界では、まるで注目されないもの。
だが、その能力を持った戦士は、戦場の、特に白兵戦に於いて鬼神の如き働きをしたと言う。事実、あの能力が不気味で皇は積極的な攻勢に出れていない。また、
「もう一つの能力は、はっきりとはわかりませんが、その両手の平の円から物を出し入れできるようです」
もし右手と左手にそれぞれ持っているものを入れ替えられるのなら、その自由度はさらに広がる。相手がどの武器を手にしているのかわからない。目に見えているものが本物かどうかもわからない。銃とナイフを使い分けるのも、能力の特性を引き上げるためだろう。
二つの能力を持つ者。二重能力者。すでに何例かは報告されている。だが果たして、これほどまでに相性の良い能力を持つ者が存在するだろうか。
「っ!?」
わざわざ言葉にしてまで能力を看破したことを伝えたのに、男は止まらなかった。普通、自分の能力が見抜かれたなら多少は攻め手が鈍るはずなのに。
隼士のナイフが手の中で回転する。手首を内側に曲げ、手のひらを隠した瞬間、
「くっ!?」
その五指の間に投げナイフが挟まれていた。三本。それぞれが僅かにタイミングをズラして投擲される。皇はサーベルで弾いたが、ナイフは予測していたよりも遥かに重かった。おそらく1キロはある。この男はそんなものを軽々と連続で投擲してくるのだ。
当然、予想外だったナイフの重さは手に残る。その若干のズレが皇の二合目を遅らせ、隼士にとっての好機となった。
ーーこれで終わりだ。
皇にナイフを突き立てるふりをして、反転。
「っな!?」
その先には、本物の皇がいた。下から抉り込むように振られたサーベルを左のナイフで受ける。皇の身体が大きく開いた。そこに50AE弾を確実に撃ち込む。
が、また逃げられた。大きく離れた位置で片膝を付いている。明らかに疲労困憊。狙い目だ。だが、隼士はそれがブラフだと言うことに気付いている。再び反転。赤いコートが花弁をかき分けて広がる。
二人の皇のどちらが本物で、どちらが分身なのか。その見分け方は、すでに掴んだ。何故なら、それが大葉に教わったことだったからだ。
ーーなに? 能力の見破り方? そんなの知ってどうするんだい。
かつての大葉は、せがむ隼士に首を傾げた。そんなこと、あんたが考えなくていいんだよ、と。今日は何して遊ぼうとか、どんな発見をしようとか、そう言うことにワクワクしてれば良いのさ、と。だが、隼士は大葉のズボンを離さなかった。
ーーもし、もしもだよ。僕が誰かと闘わなくちゃいけなくなった時、どうすれば良いのか知りたいんだ。
ーーあたしがそんな酷い状況を見過ごすと思うかい?
ーーでも、それじゃあ、僕はいつまで経っても一人で生きていけないよ。そうならない可能性じゃなくて、そうなるかもしれない可能性について考えたいんだ。
この発言は、隼士が六歳の時のものである。この頃の大葉は、本気で隼士が不世出の天才だと思っていた。若干の親バカはまじっているが、事実、六歳の子供がこんなことを言えば、そう思ってしまうのは仕方がないだろう。本当は隼士の精神年齢、実年齢が十代半ばに達していることは、流石の大葉でも気付けなかったのだ。
まるで政治家みたいだね。大葉はそう前置きしたあと、顎に手を当ててこう言った。
ーーよく観察することさね。
ーー観察? じっくり見るってこと?
ーー少し、違う。それは地形とか建物とか、動かないもののことさ。あたしの言う「観察」はね、「違い」を見つけることだ。
時間の経過による違い、空間的な高低差による違い、二つ以上のものを比べての違い。
聖だ闇だなどと大層な呼び名をつけられてはいるが、実際はここ数十年にポッと出てきた技能に過ぎない。まだ不完全なのだ。必ずどこかに綻びがある。そして、それは「違い」に現れる。だから、観察するのだ。
隼士は、大葉が自分にしてくれた全てのことを、覚えていたかった。だから、全て記録している。いつのまにか忘れていても、また思い出せるように。そして、忘れないでいられたことは、全て実践し、鍛え、練り上げてきた。
ーー分身は人形の域を出ていない。生物ではない。だから、瞬きをしない、唾を飲み込まない、呼吸をしない。
分身と本物の違いを探し続けて掴んだことだった。こと戦闘において、隼士の観察力から逃れられる秘密など、有りはしない。そして、瞬間移動は連続して行えない。
完全に皇の懐に潜り込んだ。能力発動の際、必ず敵の死角に回り込むクセも見抜いている。隼士の直前の動きは、自分が次に攻撃しやすい場所に誘導するための擬似餌だった。
皇の分身が今更になって突っ込んでくる。隼士は無視。本体を叩きさえすれば、分身も消える、もしくは弱体化すると見込んでの判断。隼士の左手の門が光る。
「これは……!」
現れたのは、鎖分銅。皇のサーベルを潜り抜け、その利き手に巻き付く。隼士が全腕力を込めて引っ張る。皇は完全にバランスを崩し、待ち構えるナイフに左胸から突っ込むことになった。
「ぐ、この……!」
「……!」
なんと、様は左腕を畳み、直にナイフを受け止めた。尺骨と橈骨の間に刃が挟まったのを確認。肘を戻して強引にへし折る。これには流石の隼士も驚かされた。皇は刀身が腕に残ったまま、右足を踏み込み、右手を引っ張られる力もプラスした飛び膝。隼士の整った下顎を粉粉にする勢いで強襲する。ジ、と言う音で隼士の左頬が焦げた。何とか首を振って躱したのだ。皇はそのまま背中を蹴って空中で一回転。鎖で繋がった隼士を遠心力を使って投げ飛ばし、そのまま地面に叩きつける、直前で隼士が鎖を離した。
再び両者に距離が生まれる。
「ツゥ!」
ナイフを抜く。骨も筋肉も大きく傷んだ。左腕はもうほとんど使い物にならない。邪魔な袖をちぎり、隊服のポケットから取り出した止血テープを巻く。ナイフに毒などが塗られている可能性も考慮し、二の腕にもきつくテープを巻いた。この判断は正しい。隼士のナイフは、根本に強力な痺れ薬を仕込んである。
この処置の間、隼士が動かないわけがない。新たなナイフを構え直し突進。する直前で足を止めた。皇が柄にもなく心の中で舌打ちする。
「……」
隼士が何故止まったか。耳に違和感があったのだ。右耳に、チリリとした痛みを覚えた。そっと触ってみると、確かに血が流れていた。
ひらひらと、幻の桜から舞い落ちる花弁。その一枚が、微かな風に吹かれて隼士の頬を撫でた。それが、切り傷になった。
「【三景・銀の風刃】」
皇の【無幻霊蘭桜・七景】の本領はここからである。時間稼ぎは終了した。ここからは、相見える敵を殲滅するための能力となる。
「この花弁達は、一枚一枚が剣と同じです。動けば動くほど、あなたの身体を斬り裂きますよ」
隼士が大きく腕を振る。花弁は風に飛ばされなかった。
ーー動けば動くほど、と言う言葉に誇張はないようだ。
【三景・銀の風刃】は全ての花弁を刃とするものだが、もう一つ、強力な特性があった。
花弁は、枝から離れた瞬間、舞い落ちる座標が決まっている。そこまでの道筋が決まっている。どんなことがあろうと動かない。つまり、花弁に触れると言うことは、そのまま身体を貫通されると言うことだ。
「一秒間に数千の花弁が舞います。その限界はありません。そしてもちろん、私にとってはただの花弁です」
いかに隼士と言えども、全ての花弁を避けながら動くことはできない。
「私の桜は、美しいだけではありません」
皇がサーベルを構える。痛みに顔を歪めながらも、その瞳は美しいままだった。
「ここで仕留めます」
分身が一気に間合いを詰めてくる。分身に触れた花弁はペタペタと張り付くだけだ。それに対し、隼人は這うような低い姿勢を取った。この技の最も怖いところは、上から降ってくるものではなく、自分と同じ高さにある花弁だ。だから、とにかく自分の高さを下げる。この能力の対策としては、最も効果的なものだった。一瞬でそこまで見抜く敵の洞察力に、皇は舌を巻く。だが、自分の優位は揺るがない。
「はっ!」
斜め下に向けた渾身の突き。デザートイーグルで受けられるが、構わず続ける。相手は可能な限りその場から動きたくないはずだ。ならば。
皇は隊服のポケットに手を入れた。
「っ!」
フラググレネード。隼士の背後で炸裂する。爆風と弾殻、そして花弁が隼士を襲う。皇が投げた手榴弾による風は、花弁を舞わせることができる。
「まだ、まだ!」
二つ目、三つ目。一気に装備を使い切る。そして、
「そこ!」
「ぐっ!」
血に塗れた隼士を発見。上手く回避したようだが、完全ではない。身体の至る所に切傷を作っている。皇の一撃を受け流した隼士は、そこから一気に間合いを詰めることを選択。
皇の近くなら、鋼の花弁が「ただの花弁」に戻る瞬間がある。離れているよりはまだ動きやすい。それに、元々接近戦には自分に分がある。能力を遺憾なく発揮し、両手の武器を入れ替え、皇の認識を入れ替え続ける。
「う、あ! かはっ!」
たまらず皇は退がる。隼士は離れさせない。が、
「ふぅ」
瞬間移動で逃げられた。こればかりはどうしようもない。
「限界のようですね」
今の隼士を見た皇が確信を持って言う。
隼士は群青に受けた左腕の傷がまた開いており、指先から血が滴っている。花弁により全身を切り裂かれ、あちこちから出血していた。一つ一つは小さな傷でも、これだけの数になると失う血も多い。失血は脳の働きを鈍くする。
能力の連続発動による脳への負荷。全身の裂傷。そして、皇の能力を打破することの不可能さ。
隼士は、ただ生きているだけと言うレベルの崖っ淵にまで追い詰められた。
「……仕方ない」
すると、暗殺中は無言を貫くのが心情である隼士が、言葉を発した。
「できれば、これは使いたくなかったんだが」
光る左手の円に、隼士が右手を添え、なにかを掴んだ。ゆっくりと引き抜く。
「【呪贄機装】」
現れたのは、鍔と掴だけの、刀身の無い西洋剣。
「《躙龍剣アンドロメダ》」
隼士は、残った右手で力強く構えた。
これこそが、真民の最高峰、星祖達の手によって造られた超科学兵器。無限のエネルギーを内部に宿した、呪いの剣。
星祖達は、そのエネルギーをこう呼んでいる。
小宇宙、と。




