(10)地震
(10)地震
悪かったな、ツカサ。
狭い軽ワゴンの助手席で、隣の鉄之介が長い前髪をかき上げながらそう言うのを何度も聞いた。私が知っている鉄之介じゃないみたいだった。だからかどうか、あのとき私が味わった怒りややるせなさがよみがえってはくるのだが、それをうまく取り出せないようなもどかしさをずっと感じていた。
「おまえがバトテンの直前におらんようになったとき、絶対にフジロックの復讐やと思ったわ」
茶化して言ったつもりだったが、鉄之介はまた謝った。
鉄之介が身柄を拘束されたと事務所のアサゲイに連絡があったのは12月29日だった。私も当時マネージャーをしていた日高さんからの電話で、その日に知らされた。バトテンはどうなるのかと聞いたら、日高さんは携帯電話の向こうでぶつぶつ何かを言っていたが、いつにも増して一言も聞き取れなかった。
大晦日のゴールデンタイムに放送される特番の出演者が暴力沙汰を起こしたうえに小さな子供を人質にとって誘拐、逮捕された――表面的な事実だけを並べれば、あまりにもセンセーショナルすぎた。そしてニュースというものはたいてい表面的なものだ。鉄之介の名前と安心チャイルドという皮肉にしか聞こえないコンビ名がその年の暮れの世相を一色に塗り込め、年が明けたらさらに加速してテレビのワイドショーやゴシップ誌を賑わせた。事務所のみならず、私の元にもリポーターが押し寄せてきた。
バトテン自体はなんとか放送できたが(もちろん安心チャイルドの出演はなかった)、肝心のお笑いコンテンストの内容や行方よりも、鉄之介の起こした不祥事のほうがインパクトではるかに勝ってしまい、数字は取ったが企画は失敗に終わった。次の年以降開催されることはなかった。
事件の余波は大きく、アサゲイは業界から総スカンを喰らい、相当な圧力もあったようで、すぐに事務所をたたんだ。所属していた芸人は全員どこかに散らばった。しばらくして、ギャラの支払いの件か何かでガランとした事務所に行ったとき、顔も知らない養成所のやつらに唾を吐きかけられた。調子に乗ってんじゃねえと言われた。悪口のセンスのなさと悔しさで目の前が真っ白になった。
私からすべてを奪っていった鉄之介が憎かった。
一瞬でも私をちやほやしたテレビ関係者や芸人仲間にすがろうと思って連絡をしたが、誰一人つながらなかった。年が切り替わると同時に、私はお笑いの世界からいないものとされた。どうして相方が犯した罪を私が背負わなければならないのか、その理不尽に耐えられなくて、何度か本当に消えてなくなることを考えた。しかし、そういうときには必ず鉄之介の顔がよぎって、怒りで羽交い締めにされ、死ぬことすら私は取り上げられてしまった。
世間が鉄之介を忘れるのは早かった。
しかし私から鉄之介が消えることはなかった。
お笑いから離れて、音楽関係のライター(もちろん筆名を使用した)として細々やりながらも、どうして自分がこんな陽の当たらない場所で、誰かがつくったり歌ったりしたどうとも思わない曲をあっちこっちから言葉をかき集めて褒めたりしているのだろうと、かつて自分の手が届きそうだった華やかな場所を想像しながら激しく妬んだ。そんなときは必ず鉄之介に対しての憎しみを燃やすことで、かろうじて自分の才能みたいなものを守っているつもりになった。あいつがあんな事件さえ起こさなかったらいま頃おれは――それだけがなぐさめになっていた。
あの事件からずいぶん時間が経ったある日、ラジオから鉄之介の声が聞こえてきて、心臓がつかまれたような気持ちになった。正直に告白すれば、鉄之介の声を聞いた瞬間に、私は自分に対してつきつづけてきた嘘がばれたような気がしたのだ。
私は自分に才能がないと認めることがどうしてもできなかった。それをずっと鉄之介のせいにしていた。もし、本当に才能があるのなら、何が起こってもお笑いの世界から去ったりはしなかっただろうし、お笑いの世界が才能のある者を手放すはずがないのだ。一方でそのことをわかっていたはずなのに、どうしても受け入れられずに15年以上もぐずぐずと生きてきた。その事実に愕然とした。
鉄之介の声が鍵になって私の閉じこもっていた薄暗い部屋の扉を開けた。皮肉にも牢獄にいたのは私だったのだ。
石巻でボランティア活動をしている鉄之介は、私の知っている鉄之介よりも生き生きしていた。よく笑っていたし、笑わせてもいた。私が泥沼のなかでもがいているあいだに、鉄之介は自分の信じた道を自分の足でしっかりと歩んでいたのだ。
はるか先を行く鉄之介を呼び止めて、すこしでも私のほうを向いてほしかった。あの時に何があったのか鉄之介の話を聞く必要があると、もっともらしく自分を偽ったその奥には、そのような本音があった。彼を許すとか許さないはとっくに消え失せて、ただ私は私のために私を取り戻したかっただけなのかもしれない。
「なあツカサ」
鉄之介はハンドルの上で組んだ腕に顎を乗せた。中途半端に長い髪の毛が横顔を隠して、首から上がなくなったみたいに見えた。私はそこに勝手に昔の丸坊主に金髪だった鉄之介の顔をすげ替えて、あの頃の鉄之介と話をしているような気になっていた。
五月の半ばとはいえ、石巻の夜は冷えた。フロントガラスはくもっていた。どこかで犬が啼いた。
「え?」
鉄之介の言ったことが一瞬理解できなかった。
髪の長い鉄之介が私を見てもう一度言った。
「おまえはいまもお笑い関係の仕事してんだろう?」
その探るような口調には、鉄之介のそうであってほしいという願望が含まれていた。私はどう答えていいかわからなかった。心の底から憎ければ、洗いざらいぶちまけて、大好きなお笑いにおまえのせいで関われなくなったんだとでも言えばよかった。でもそれは本当のことではなかった。そして本当のことを言えば、鉄之介がまた謝るかもしれないし、あるいは、どうして? と訊かれるかもしれない。もう謝ってほしくなかった。鉄之介が謝れば謝るほど、私のこれまでが何もなかった空虚なもののように感じられた。そして、どうして? と聞かれるのはもっと怖かった。それに対して、そもそも才能がなかったからだと本当のことを言えば、鉄之介はムキになって否定してくれるだろう。おまえの才能を誰よりも知っている、というふうに。そんなやり取りを想像しただけで心に重りをくくりつけられて冷たい水底に沈められるような気分になった。私にはこれ以上自分を騙しつづけるだけのネタはもうなかった。
だから私はこう言って話をそらした。
「久しぶりに漫才やってみいひんか? ここの子供たちの前ででも」
すると鉄之介は、しばらく私を見つめて、おれにはもう無理だよと静かに言った。暗くて表情はわからなかった。しかし、短い期間だったが、コンビを組んだ人間同士にしか感じ取れない、言葉や感情が凝縮された特有の間があった。そのわずかな沈黙に、私は自分のことがちゃんとばれているのだとわかり、不思議な安らぎを感じた。
鉄之介がドアについたハンドルをくるくる回して窓を半分ほど開けた。吹き込んできた風のかたちを鉄之介の髪の毛がなぞった。
心なしか海のにおいがした。海が近いわりにここで海のにおいがしたのははじめてだった。私の代わりに誰かが泣いてくれているような気がした。
フロントガラスのくもりが下のほうからだんだん、ページがめくれるみたいにとれていった。
*
石巻で鉄之介に聞いた話を元に書きはじめてからここまで書くのに3年ほどかかった。私の勝手な想像で隙間を埋めた箇所もたくさんある。これがどういうジャンルに属する文章なのか、私にとっては個人的なものすぎて判別がつかない。書かれたものより書くという行為そのものに意味があったのだと思う。
あのときからさまざまなものが消えたり、変わったりしていた。
東中野の鉄之介が住んでいたあの焼け焦げたような借家はもうなかった。私たちがネタ合わせに使っていたあの汚い公園もコインパーキングになっていた。アサゲイのあったビルはそのまま残っていたが、外壁は綺麗に貼り替えられ、どこにでもあるようなテナントビルになっていた。私たちが部室と呼んでいた阿佐ヶ谷の商店街にあった地下の狭い劇場は、ライブハウスとして営業をしていた。当日券を買って入ってみた。音楽業界の隅っこで仕事をする私でも聞いたことのない名前のバンドたちが数十人の客の前で照れながら演奏をしていた。その稚拙さにかつての私たちを思い出し、気分が悪くなってすぐに退散した。ジェイソン&アリスは店名を「居酒屋アサゲイ」に変えて同じ場所でしぶとく営業をつづけていた。店名に神崎さん夫妻の思いを汲み取ることはできるが、だからと言って何かが戻ってくるわけではない。
時間は、何もかもに過去というラベルを貼って元の形を損ないつづけていく。そう考えると、いま立っている現在やその先にある未来が、とてつもなく不安定なものに思えてくる。
御殿場の「スナック永妻」だけがそれに抗っていた。
夜に行ってみたら、見たことのない深い闇のなかに紫色の小さな看板の明かりが灯っていた。カウンターのなかには派手な服を着た年老いた女性と蝶ネクタイをした痩せた老人がいた。客は私以外いなかった。たぶん飛び込みの客など滅多に来ないだろうから、いろいろと話しかけられるのを覚悟していたのだが、奇妙なほど静かだった。むしろふたりが私を警戒しているように感じた。鉄之介のあの件があったとき、ここにも連日マスコミが押し寄せたことは容易に想像ができた。こんな田舎で一度変な噂がたてば生活するのも一苦労だったろう。それでも「スナック永妻」の灯りを消さないところに鉄之介と同じ種類の硬質な純粋さを感じた。カウンターで瓶ビールを一本だけ飲んですぐに店を出た。
*
4月のある夜、めずらしく知り合いの編集者に誘われて渋谷の居酒屋で飲んでいた。長年つづいた音楽雑誌がなくなるという話だった。紙はやめてウェブに移行するのだとかそういう内容だ。つきましてはいままでどおり原稿の発注はしたいが原稿料は同じというわけにはいかなくなる云々。
もともとない話題が尽きかけたとき、大きな地震があった。かなり揺れた。私と歳が変わらない編集者は子供みたいにはしゃいで、サッカーの試合経過でも気にするように何度も検索しては、震度がいくつだったとか、震源地はどこだとか、スマートフォンを見ながらいちいち報告した。
私は地震で鉄之介を思い出した。途中でウーロン茶に切り替えた。酒弱くなったねと編集者に言われた。
それから数日後、石巻で会ったときに聞いておいた携帯電話の番号にかけた。
鉄之介はすぐに出た。思ったとおり、熊本でボランティアをするために現地に着いたばかりだと言った。
私は鉄之介に会いに行こうと思った。べつに特別な目的があったわけではない。ただ、この話はどうやって終わるべきなのだろう。あるいは、つづきには何があるのだろう――私はそれを知りたいと思った。
それもまた、私自身のためかもしれなかった。しかしそれでも、次の一歩を探すことが、私たちには必要なのだと強く信じた。