(12)笑い声
(12)笑い声
「モノマネできるやついるかー?」
集まった子供たちの前で鉄之介が呼びかけた。
「なんでもいいぞ。学校の先生とかさ、友達とかさ」
まわりから囃されてひとりの元気の良さそうな男の子が立ち上がった。いかにもクラスの人気者といった感じの彼が照れながら鉄之介の前まで行った。
「よーし。何やる?」
鉄之介が男の子に聞いた。
「したらー」男の子ははにかみながら答えた。「PKで点を取ったときの、クリスティアーノ・ロナウド」
わーっと体育座りをしている子供たちから歓声が上がった。
男の子は両足を広げて構え、真剣な眼差しをつくって大きく息を吐き出した。
「おいおい、入ってるねー!」
鉄之介が盛り上げる。
踏み出してサッカーボールを蹴る真似をしてから、大きくジャンプして回転しながら着地した。
拍手と笑い声が巻き起こった。
鉄之介は右手に架空のマイクを持ち、「点を取ったときの気持ちは?」と試合後のインタビューを即席ではじめた。男の子もロナウドのまま、「とにかくゴールすることだけに集中しました」とそれっぽいコメントを言った。
そのやり取りが面白くて、子供たちはキャーキャー笑った。
大きな地震に見舞われた熊本のある町に鉄之介は相棒の軽ワゴンでボランティアに来ていた。
私はその後を追いかけるようになんとか現地入りをして、鉄之介の活動をサポートしていた。サポートといっても、肉体労働がメインで、鉄之介が子供たちを集めて何かをやるときは、後ろのほうでただ見ているだけだった。
鉄之介の表情を見たり、鉄之介を取り巻く子供たちの笑い声を聞いたりしていると、私自身が癒されていくようだった。そこには私が知り合った頃と何も変わらない鉄之介がいたからだ。そしてこんなふうなことを思わないではいられなかった。もし、あの事件がなくて、予定通り鉄之介が私とのコンビでバトテンの大晦日決戦に出場し、そのままお笑いの世界でつづけていたら――と。そしてその想像が行き着く先は、いまよりはるかに悲惨な現在地だった。きっと私は鉄之介にやりたくもないことをどんどん押し付け、彼から彼自身を奪っていくことをしただろう。それは同時に、私が鉄之介の存在を決定的に失くすことを意味していた。そう考えたら、あの事件の時点で別れられたということで、辛うじて私は鉄之介との関係をつなぎとめることができていたのだ。それと同時に、私が失くしたと思っていたものは鉄之介以外にはなく、そもそもほかに何も持っていなかったのだということにも気づかされた。
鉄之介は、子供たちからの無茶ぶりとも言えるモノマネのリクエストに応えて、それをうまくできないことで一緒になって笑っていた。
鉄之介が一瞬私を見た。そして、「ねえ、漫才って知ってるか?」と子供たちに聞いた。
子供たちは口々に、知っていると答えた。
私がここへ到着したのは、地震から一週間ほどしか経っていない時期だった。鉄之介もまだ泥かきや瓦礫の撤去などのボランティアに精一杯で、子供たちとのコミュニケーションはそれほど取れていなかった。
ボランティアの数もだんだん増え、ようやく落ち着いた頃、最初にモノマネをやり出したときの子供たちの硬さを私は見ていた。彼らのなかには家が倒壊した経験をした者も多かったから、そんな子供たちを笑わせようとするのは、至難の業だった。だからはじめは鉄之介のやることに対して、敵意と言ってもいいくらいあからさまな文句をぶつけてくる人たちも多かった。けれど鉄之介は子供たちに自発的に参加してもらうような場をつくることで、彼らとの距離を縮め、心をほぐしていった。それは彼が石巻でずっとやっていたことであり、彼が見つけた笑いのたしかなかたちだった。
鉄之介を取り囲む子供たちの輪と笑い声はだんだん大きくなり、いまや、この町の避難所の名物として、鉄之介と子供たちの時間は、被災した大人や他所から集まったボランティア、福祉関係の公的機関に従事するスタッフのあいだでも認められ、有名になっていた。
「じゃあ今日は特別に、漫才をやりまーす!」
その呼びかけに、子供たちに混じって、周りにいた大人たちも集まってきた。
「ツカサ!」
自分の名前が呼ばれたことに驚いて、すこしのあいだ何の反応もできなかった。
「ツカサ、漫才やろうぜ! 久しぶりにさ!」
拍手のなか、私は鉄之介の元に、おぼつかない足取りで歩いた。自然と鉄之介の右側に並んで立ち、おそるおそる前を見た。地べたに座った子供たちの顔と、その後ろに立っている大人たちの顔がいっせいにこちらに向けられた。30人ほどだろうか。それほど多いわけではなかったが、芸人を辞めてから人前に立つのははじめてだったので、一瞬足が震えた。しかしすぐに鉄之介と漫才をやる立ち位置にいる安心感の方が勝っていった。
「このボサボサ頭のメガネはおれの相方。漫才やらせたらどんなやつもかなわない。それではいきまーす、はいどうもー、安心チャイルドです!」
鉄之介から振りをはじめる唯一のネタで、最終決戦に残ったらと、とっておいたものを鉄之介はやりはじめた。忘れたくても忘れられないネタだった。何度あの東中野の公園で練習したことか――。
「せやから勝手にモノマネはじめんなや! わかってる? いま漫才中やぞ!」
「だいじょうぶだあ」
「いやいろんな意味で大丈夫ちゃうやん、ぜんぜん」
「だいじょうぶだあ」
「なんでちょっと怒ってるふうやねん。自分のものにしようとすな。勝手にアレンジしたら間違いなく志村けんサイドからクレームくるで。ほんでわかってると思うけど、いまおれら漫才中やからな。そこ一番大事なとこや」
「いや、おれのはね」
「いきなり素に戻んのかい!」
「だからおれのはね、だいじょうぶだあ、なの」
「は?」
「志村けんは、だいじょうぶだぁ、じゃん」
「じゃん、言われても」
「だから、だいじょうぶだあ」
「おいやめろ!」
子供も大人も、みんな笑っていた。こんなに楽しい気持ちで漫才をやったのははじめてのような気がした。間も言葉の強弱もぐだぐだだったが、そんなことは関係なかった。やっている自分たちが楽しくて、見ている人たちが笑っている、それがすべてだった。そして鉄之介がやりつづけてきたことがこれなのだと思うと、私たちの空白が満たされていくように感じた。
鉄之介の次のボケがなかなか来なかった。久しぶりすぎてネタが飛んだのかと思ってちらりと左隣を見たら、鉄之介の目から涙が溢れて頬を伝っていた。
嘘やろ――。
「だいじょうぶだあ」
ネタの流れとはまったく関係のない流れで、前方の一点を見つめたまま、まるで独り言のような感じでポロリと鉄之介が言った。
「こ、今度のそれはなんやねん!」
強引にツッコんでその場を取り繕い、鉄之介が見つめている方に目をやった。私の視界に飛び込んで来たのは、人垣のなかにある八ちゃんの顔だった。それは紛れもなく八ちゃんだった。
「嘘やろ……」
私も思わず声に出して呟いた。
「てっちゃん!」
すると、八ちゃんの隣にいる背の高い女性が大きな声で叫んだ。
「てっちゃん!」
「だいじょうぶだあ!」
鉄之介はその場を離れて歩き出した。座った子供たちの頭をまたぎ、一直線に進んでいった。
鉄之介と八ちゃんと、もしかしたらあの若い女性は、あのときの女の子なのではないか。きっとそうだ。なぜかはわからないが、私はこんな光景をどこかで見たことがあるような気がした。
3人は大勢の人が見守るなかで抱き合ってくしゃくしゃになっていた。
「漫才中やぞ!」
私のかなり間の悪いツッコミが3人の姿に重なり、さらにそれを大きな拍手と笑い声が包んだ。