第4話 予期せぬ事態
「召喚とは、こういうものですの?」
……。
呆然とする。
ナーシャ姫は、立ち上がることすら出来ないでいた。
「いえ、断じて、いえ! このようなことは、曽て……。経験がございませんの、わたくし……」
必死で言葉を探す。
目の前に広がる様を直視しているのだが、理解が出来ていない。
「ウッウッウッ」
イヤァアアア。
「真一・レジェンド様ぁあああ」
唐突に、ナーシャ姫は泣きながら叫ぶ。
ナーシャ姫の目の前には、ピクリとも動かない真一がうつ伏せで倒れていた。
「わたくしは! 私、は、何度も何度も、召喚に立ち会いました、の。え、ええ、王族が術を行う召喚も貴族たちや民たちが術を行う召喚もです! ええ、ええ、数々立ち会いました。でも……。皆、意識はあったのです、あったのですわ。うつ伏せに、倒れてなど、いませんでしたの……」
……。
「そう! そう……、そう。救護班が、そう、救護班が控え。怪我人や病人を召喚したこともありますの。でもでも、その時は事前に分かっておりましたもの……。こんなこんな……こんなことって」
ウッウッウッ。
ナーシャ姫は泣きながら更に言葉を探す。
「経験が、ありませんの……」
俯き、また顔を上げて、
「そう、そうですわ! 異世界からの依頼で召喚された者もおりましたわ! 一度だけ、立ち会いました。そうですわ、そうですわ! 嗚呼、でも、皆、皆、意識はありましたの」
ウッ……。
さめざめと泣き出すナーシャ姫。その間もピクリとも動かない真一。
「何か、違いますの。何が、違いますの? 何かが、違い……、だから……」
ナーシャ姫は、泣きながら四つん這いで真一が倒れている方へと這い出した。無意識で体が動き出したのだろう。
「真一様ぁ。真一・レジェンド様ぁあああ」
ウッウッウッ。
真一は、魔法陣が書かれていた中央、部屋の中心に倒れていた。
「真一・レジェンド様、今、ナーシャが参りますの。今、ナーシャがお助けしますの。今、ナーシャがぁ~」
ナーシャ姫は泣きながら、立って歩けば数歩の距離を這って行く。這って行くから、真一との距離を感じる。だから知らず知らずに声も出て……。
「真一、レジェンド、様ぁ」
手を伸ばせば触れられる距離に辿り着き、ナーシャ姫は四つん這いのまま右手をうつ伏せに倒れている真一に伸ばした。ナーシャ姫の白く長い指先が、真一の髪に触れようとした、その時!!!
魔法陣が発動した!
キャァアアア!
思わずナーシャ姫が悲鳴を上げる!
咄嗟に真一を抱き寄せようと頭に手を伸ばし、肩に腕にとその手を伸ばして行く。
「真一様!!! うっ、ううう。力が、力が!」
ナーシャ姫は、真一の頭側から両脇の下に自分の腕を入れて肩をホールドし、発動した魔法陣から引きずり出そうとしていた。その間も魔法陣は白い輝きを強めて行く。
「ぐぐぐぐっ!!!」
ナーシャ姫は必死に真一を動かそうとするが、真一は大柄だ。優に180センチは越えてがたいもいい。
「うぐぐっ、お、お連れ出来ませんのぉ~、真一様、真一・レジェンド様ぁああ。
お、起きて! 目を覚まして下さいましぃーーー」
必死に呼びかけるナーシャ姫!
しかし、真一の反応は無く。
「訳が分かりませんの! 何故、今、魔法陣が発動するのですの? うぐぐっ、真一様っ!
むぅ~~~~。分かりましたわ! 真一様、体勢を変えてお運びしますの!」
そういうと、自分の肩に真一の左腕を回し右腕でがっしりと真一の腰を抱えた。
「行きますのよ! せーの!!!」
ペシャリ。
お約束のように潰れるナーシャ姫(爆)。
「ナーシャ!」
「シャルル、タリル、真一様を頼む。私はナーシャを」
「御意」
ナーシャ姫、真一の元に駆けつける人影あり。
ナーシャ姫はというと、またロングドレスの裾でも踏んづけて打ちどころでも悪かったのか……。という冗談はさておき、真一の重みで潰れたようだった。
「う゛う゛う~」
うめき声を上げるナーシャ姫は、駆けつけた人影に抱きかかえ上げられて、
「う~ん……。ルベルト王子!」
声を上げて、たゆんと胸を揺らす。
「やあ、ナーシャ。一先ず、’降り立ちの間’に移動するよ」
「でもでも魔法陣が……」
「だからだよ、ずっと見ていたが、今回のような召喚は僕も初めてだ」
「ずっと? ですの?」
「ああ」
「あの、その、あのですのよ?」
「フフッ、慌てなくていい」
「ルベルト王子、その、あのですの……」
「先ずは、降り立ちの間に行き、出来事を整理しよう。いいね?」
「は、はい、ですの……よ……、ごめんなさい」
ナーシャ姫は、小声で『ごめんなさい』と言い、ルベルト王子の腕の中で小さく縮こまり、その胸に収まる。
一方、真一は、がたいの良いシャルルと細身のタリルの凸凹コンビに抱えられて、発動する魔法陣を後にした。
召喚の部屋の両開きの扉を開けると、そこは大きな部屋になっていた。天井は召喚の部屋よりも更に高く建物五階分ほどあるんじゃないだろうかと見上げてしまうほどで、扉を開けたすぐの足下には、一直線に数メートルもの朱色の絨毯が敷かれているのが目に映る。その絨毯の両端は金色の線で飾られ、両側には手すりが設置されていた。そこを真っ直ぐ歩くと、目の前には段差の低い階段が数段あり。少し見上げると、四本の柱とドーム型の天井で出来た、まるでガゼボのような造りの物があった。
「ナーシャ、段差を登るよ」
「あ、降ろして下さいませ、ルベルト王子」
「いや、君も倒れていたからね(真一様の重みで潰れて……多分だが)、四、五段上がるくらいすぐだからこのまま上がるよ」
「え、あの」
ナーシャ姫はルベルト王子の視線の圧に負けて、
「はい、ですの」
小さく返事をした。
「うんうん、では」
ルベルト王子は、にっこりと微笑むと段差を上がる。上がりきるとゆっくりとナーシャ姫の足を床に付け、太股、背中と支えながら立たせた。
「立てるかな、ナーシャ」
「大丈夫ですの、ルベルト王子。ありがとうございます」
「いえいえ」
後ろには、真一を抱えたシャルルとタリルが続く。
「ルベルト王子、真一様を一先ず、床にお寝かせしてもよろしいでしょうか?」
シャルルの問いに、
「ああ、頼む」
ルベルト王子は返事をし、
「すまないが引き続き、動いてくれるか? シャルル、タリル」
「御意」
「では、私、シャルルがタルマ王にお知らせ、フランツ医師に報告、魔術師、呪術師など手配に動き、タリルには女官を通じ、今、真一様に必要な物の手配を致します。いいですね、タリル」
「御意」
「ああ、頼むよ。シャルル、タリル」
「御意」
「あ、ルベルト王子。気つけ薬を」
シャルルがルベルト王子に気つけ薬を手渡そうとすると、
「私も用意しておりまして」
タリルも懐から気つけ薬を出す。
「あ、いや、僕もね?」
ルベルト王子が懐から気つけ薬を出せば、三人は目を合わせて、『思いは皆、同じだな』という顔をした。
「では頼む」
「御意」
シャルル、タリルがその場を後にする。
ルベルト王子が気つけ薬を手に床に寝る真一の方へ目を遣ると、ナーシャ姫がちゃっかり? 真一の頭側から膝枕をしていた。苦笑いをしたルベルト王子だが、ナーシャの真一を見守る瞳に心を打たれる。
『大きくなったのだなナーシャ、そのような母性でもあり愛でもある瞳で人を見て、その瞳で包むことが出来るほどに』、ルベルト王子は目を細め唇にはほんのりと微笑みを乗せた。
ルベルト王子は、五の字を持つ者。ナーシャ姫から見れば叔父に当たる。ナーシャ姫の父、タルマ王は六の字を授かりし王。六の字の妃として、ターニャ・ダリア・グラン・ルシタンを迎えた。ナーシャ姫は、タルマ王とターニャ王妃の一人娘で、異例のスピードで七の字を授かった。
「さて」
ルベルト王子は、その場にしゃがみ込むと、
「ナーシャ、月明かりだけでは少し暗い。タリルが用意してくれていたランプを点けようじゃないか」
「スン。はい、ですの」
まだ、少し泣きべそをかいているナーシャ姫は、スンと鼻をならしながら答える。
ルベルト王子は、部屋の端に用意してあったランプを取り、ランプに灯を入れながら話しを続ける。
「それから、彼にね、気つけ薬を嗅がせてみようと思う。すんなり目覚めるかもしれないしね」
「あの、その、ルベルト王子。お薬は、安全ですの?」
「ああ、安全だよ。フランツ医師のお墨付きのものだ。ナーシャも何種類か、タルマ王かターニャ王妃から受け取ってはいないかな? それとたぶん同じものだと思うよ」
「あ、はい、いくつか。そうですか、ルベルト王子」
ナーシャ姫は納得をした様子で、それを見てルベルト王子は、
「では、いいかな? 真一様を頼むよ」
「はい、ですの!」
ナーシャ姫は、真一の髪を撫でていた手を横に下ろし、片手は床についた。
ルベルト王子は、ハンカチを取り出し手に持っていた小瓶から気つけ薬をハンカチに染みこませ、真一の鼻先へと持って行く。
暫く経っても真一には何の反応も無く、ならばと、今度は軽く真一の鼻と口をそのハンカチで塞いだ。すると、真一の顔に表情が浮かんだ。
「真一・レジェンド様!」
ナーシャ姫が声を上げる。それを見てルベルト王子は、真一の鼻と口を覆っていたハンカチを取り、
「真一様!」
と、呼びかけた。
真一は、次第に表情を歪ませて行く。そして、
「ど、く、だと?」
歪ませた表情から絞り出した真一の一声は、二人が予想もしなかったものだった。
「ナーシャ、今、’ど、く’と聞こえたか?」
「……」
ナーシャ姫は、ルベルト王子の言葉に返事が出来ず、見るみる間に目に涙を浮かべる。
「毒だと?」
ルベルト王子が独り言のようにいう。すると、
「’ど、く’と、聞こえました、の、ルベルト王子」
歯を食いしばりながらもナーシャ姫が答える。
「ナーシャ! いいね! 真一様を頼む!!! 僕は急ぎ手配をする」
「はい」
頷き、小さな声で返事をするナーシャ姫。その声が届いたか届かないか、ルベルト王子はすぐさま降り立ちの間から駆け出し、召喚の大部屋を後にした。