第2話 藤宮の企て
フフフッ、アッハハハハハッ!!!
甲高い声で笑う義姉たち。そこに漂う、悪意。
「姉さん、ノンノ姉さん。アハハッ! 見てよ! 真一の格好お~」
「フフッ、はしたない。アイ彩、笑い声が下品よ?」
「こ、怖いわ、姉様方、真一は大丈夫かしら? でも……、フフッ、椅子にも座れないのねぇ。真一たら床に転がっているわ」
(な、んの、話しだよ……)
真一の意識は確かにはっきりとあった。だが、真一の体はいうことをきかない!
(俺の体はどうなったんだ……? 何が起きている? いうことをきかない! 体の自由が……ない? 体の自由? 否、体の感覚が無い? 否、手足の感覚が遠いんだ。まるで自分が自分の体の中に閉じ込められていて……、俺が、俺が居るような……。嗚呼、閉じ込められた俺は、俺の意識か! その俺が遠くにある俺の手足に指令を送っているような感覚なんだ。だが、俺が指令を送っても俺の体は動こうとしないんだ……!!!)
「ねえ、真一」
不意にアイ彩が真一を呼ぶ。
(そう、俺の耳は聞こえているんだ。アイ彩姉さんの声が分かる! 聞こえているんだ!!!)
「聞こえているのかしら? ねえ、体の自由を即効で奪って、意識は保ちつつ、ジワジワと死に至る。そんな毒を主人にお願いしたのよ。どうかしら?」
(毒? 主人? アイ彩姉さんの夫か? 俺は毒を盛られたのか? あ、否、待ってくれ……、まさか、な? まさか、そんな……。ああ、そうだな。そうだ、そうだよ! 皆……。皆、歳を取っている! 結婚をしていてもおかしくはない……、そうだ、そうだな……)
「あら、アイ彩、ここで露骨に暴露しては駄目よ。誰が聴いているか分からないわ」
(ノンノ姉さん、なんと言った? なんと……。なんだ? 暴露だと? 毒の話しか?! 毒の話しは本当なのか! アイ彩姉さんの夫は医療関係かなにかで、毒を調合し、または、調達をして……。俺に、俺に、飲ませたのか?! 何時、何処で……、赤ワインか!!!)
「ノンノ姉さん、相変わらずの口だけの用心深さね。でも、ここには藤宮本家のあ・た・し・たち、しかいないのよ?」
「長女の私を馬鹿にしているのかしら? アイ彩」
「いいえ」
藤宮本家の次女アイ彩は、二、三度、瞬きをすると然も楽しそうに唇の両端を上げ、姉、ノンノをジロリと見る。
「まあ相変わらず、大きな目で私を覗き見るように見るのねえ、アイ彩」
「フフッ」
藤宮本家の長女ノンノに含み笑いで答えるアイ彩。
(毒? どく、だと……)
椅子に座ることもままならないほど体の自由を奪われた真一は、床に転げ落ちうつ伏せとなっていた。
真一は藤宮本家の長男である。というよりは、曽ては藤宮本家の長男だった。というのが正しいだろう。
(クッ……。体の自由を奪う? 意識は……あって、ジワジワ死ぬだと? 毒だと? 死ぬ? 俺が? 俺がか?!
グッ……。毒だと、毒だと、どく、だと! ドク? だと……! 俺は、俺、は、死ぬのか? ここで? 死ぬ? の、か、シヌノカ、シヌノカ、シヌノカ!!!)
「ね、え、さん……」
「あら、驚いたわ、真一! まだ声が出せるの?」
真一の声を聞き取ったのは、アイ彩だった。
「フフフッ、アハハッ、すごーいィイイイ」
アイ彩は、パチパチと手を叩き、嬉々とする。
「姉さん、アイ彩姉さん。真一、死なないんじゃないの? 大丈夫なの」
「美ナリは相変わらずね、臆病からくる用心深さかしら。さっきの私の説明をちゃんと聞いていたの?」
美ナリは、真一の僅かな声を聞き、アイ彩に不満そうに問いかけた。すると、『あなたの問いはなんなのよ』と、言わんばかりのアイ彩だったが、言葉を続けて、
「フフッ、でも、そうよね? 真一が赤ワインを飲んでから、まだ、そんなに時間が経っていないわ。そうね、そうよね、体の自由を奪っても、体に痛みはまだ無いはず……、フフフッ。痛みはぁ~、こ・れ・か・ら、もう少し時間が経ってからのお・た・の・し・み。フフッ、アハッ、アハハハハハ」
アイ彩の狂気の笑い声が大広間に響く。
その狂気が通じないのか、美ナリは、
「ア、アイ彩姉さん。だって、でも、真一は、喋ったわ」
「喋った? ほんの少し声が漏れただけでしょう? 美ナリ、私を信用していないの? 参るわね」
美ナリの問いかけに、溜め息交じりで答えるアイ彩。
(義姉さんたち……、もう、俺のことは、眼中にないのか?)
「アイ彩姉さん、だって、でも」
美ナリが食い下がる。
「アイ彩、その辺にしておきなさい。また、美ナリの『だって、でも』が始まるわ」
「それもそうね、お母さん」
大テーブルの向かい席から義母の美惠が口を出す。
(お義母さん! いつからここに、この大広間にお義母さんは来ていたんだ?!)
真一は、美惠の声にギョッとする。
(奴らの……、声は、聞こえるんだ。俺は……、奴ら? 俺、なにを? 何を言っているんだ? そうか、俺。姉さんたちやお義母さんに……)
真一は、いつの間にか怒りやら憎しみやらの感情が湧き上がっているのを自覚した。
(そうか、俺。姉さんたち、お義母さん……。奴らなんだな……。俺にとって……。そうか、そうなんだな……。
ウグッ。家族、家族の呼び名、違うんだ! 違う。そう……、俺の家族じゃ……、な、い。ないんだぁあああ。奴ら、奴ら、奴ら。そうか、奴らなんだ!!!)
真一は、義姉と義母を一括りに『奴ら』と呼んでいた。
(フッ、ハハッ……。妙な納得と腑に落ちる感覚が俺の中にしっくりと来るよ、義姉さん、お義母さん、アハハ)
意識と体の感覚は闇の中、真一は、乾いた笑いを自分の内に響かせた。
(俺さ? 情けないよな。でも、奴らなんだ……。ノンノ姉さん、アイ彩姉さん、美ナリ姉さん、お義母さん。皆、皆、’奴ら’なんだ!!!)
真一の中で言葉が木霊した。
そして真一は、
(ちくしょうぉお)
真一は力を込めた。もう、手足がどこにあるかも分からないというような体の感覚だったが、意識を集中して全身に思い切り力を込めた。
(畜生っ! 視界が狭い! 狭すぎる!)
瞬きをすれば刹那、光が目に届いた感覚はあるのだが、すぐに視界を闇が覆う。瞼の中は暗黒だ。
(暗……、すぎる!)
それでも真一は必死に瞬きをする。光は瞬きをした数だけ、目に届くような気がして……。
(クソッ! い、痛みは、無い。体の痛みはないんだ! 毒だと奴らは言っていたが、今、俺の体には痛みはない。それとも、毒が回った体では、痛みすら感じないのか?! どうなっているんだ? 俺の体は!!! 嗚呼、クソッ! 意識があるのは救いなのか? 兎に角、ここを、ここを出なければ!!!)
真一は、此処を出なければならない。出なければ助からない!
途切れ途切れに目に入る光を頼りに、狭い視界で当てずっぽうの体の感覚で、真一は動いた。その様は、四つん這いで進んでいるのか、匍匐前進しているのか、そんな感覚すらも分からない。
だが、此処は曽ては真一の家でもあった屋敷の大広間だ。勝手知ったる何とかというやつだ。廊下に出さえすれば、独りになりさえすれば助けを呼べる! そう信じた。
(俺の、俺の体は、動いているはずだ!!!)
「さあさあ、和室に移動するわよ、皆さん」
母が姉妹に声をかける。
「和室に移動?」
三女の美ナリが母の言葉に食い付いた。
「ええ、そこで今夜の食事の用意が出来ているわ」
「お母さん、和室、食事の用意。ということは、私たち姉妹夫婦と、叔父さん叔母さん、従兄弟も来ているのかしら? なら、いつもの松の間よね?」
「そうよ、美ナリ。いつもの仕出し屋に頼んでいるわ」
「いつもの? 由美さんも来ているのかしら?」
「美ナリ、由美にさん付けはいらないわ、気を付けなさい。由美も来ているわ」
「ゆ、由美も来ているのね! 久し振り! 私の好きなデザートも持って来てくれているかしら?」
「ええ、ええ」
美ナリは母の話にはしゃぎ、
「全く、美ナリの食い意地ときたら」
「フフフッ、そうねえ」
三女と母との会話に加わる次女のアイ彩。
「相変わらずぅ、真一はぁ、食事を貰えないのね? ねえ、お母さん」
美ナリは嬉しそうに言う。
ギィ……。
扉を開く僅かな音が大広間に響く。
義母、義姉が向かう方向とは違う扉だ。
「まあ、真一がドアのところに! 逃げるつもりよ!」
扉の開く音に気付き、真っ先に真一を見付けたのは長女のノンノだった。
「ノンノ。慌てなさんな、夜は長いわ。その内に毒が回って放っておいても死ぬのでしょう? アイ彩」
したり顔で母が言うと、
「フフフッ、そーよおー、お母さん」
母と同じくしたり顔で答えるアイ彩。
「ねえ、早く行きましょうよ、松の間!」
美ナリの茶々を入れるような言葉に、
「美ナリ、慎みなさい。あなたのいじましさときたら、母は恥ずかしい」
「フフフッ、美ナリィ~、それ以上、おデブさんになったら離婚されるかもしれないわよ?」
「大丈夫よ、アイ彩姉さん。そんなに私、太っていないわ」
「美ナリ、気を付けてよね、やっと、探したお婿さんなんだから!」
「ノンノ姉さんまでぇ~」
何事も無かったかのように彼女らは会話を弾ませて、
「行きますよ、そろそろあなた達のご主人も到着している頃だから」
「はいはい、お母さん」
「そうね」
「はぁい~」
大広間を後にした。
そして真一は、
(奴らは、どこなんだ? 俺が……、逃げようとしていること、に、まだ、気付いてはいないのか?)
真一は、両開きの扉に体を押し当てて、その隙間から体を押し出すように廊下に出た。
(後は……、あと、は、俺の車に……、俺の車に、行きさえすれば。俺の……)
「なん、だ、これ……」
(俺は、壁伝いに進んでいたはず、なんだが……。感覚が無い!)
「闇、じゃ、ないか!」
(俺の体はあるのか? 俺は息をしているのか?)
「息は、して、いるよな?」
瞬きの間に見慣れぬ闇。
「ここは……」
真一は?
「あ、やべぇ」
真一は、意識を手放そうとしていた。
(俺、俺は、オレハオレハオレハ……。死……、シ、ヌノカ? シ、ンダ、ノカ? おれ……は……)