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『英雄』を狩る者  作者: オーエン
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第二話【後輩と白猫】



「…………ごくっ」


 全身を緊張させる。

 この瞬間だけに集中し、無駄な雑念は一切合切投げ捨てる。


 汗が頬を伝う。


 今、志音の対峙する標的は……人ではなく、獣である。

 頭で考えて無駄に知恵を巡らせる人間ではなく、生態ゆえに人間を遥かに越えた五感を備え、感覚で行動する『獣』だ。

 その瞬間を様々に行動する獣が相手だと、思考する人間とは違い……行動を先読みすることが出来ない。

 だからこそ、行動の一つ一つを慎重に選ぶ必要がある。

 逃がすわけにはいかないのだ。


「…………」



 睨み合いを始めて何分経っただろうか。今だ警戒の和らぐことのない瞳が志音を捉え離さない。



 ――……リリリリリッ!!



 沈黙を破ったのはけたましい電子音。発信源は志音の制服の内ポケットである。


「……あぁ〜、朝に電源切っといた筈なんだがな……」


 そんな事を言っている暇などない。

 突然の騒音である。当然、警戒心の強い動物ならば反射的な行動を起こしてしまう。

 コチラへと襲い掛かってくるか、音から全力で距離をとろうと逃走するか……。

 前者ならば志音としては願ったり叶ったりなのだが、生憎と現実はそう甘くはない。

 その獣は鋭い牙や爪を持っていながらソレを駆使して攻撃してくることはなく。

 その動物的な直感から実力の差を見極めているからか、ただ単に臆病なだけなのか、考える素振りもなく逃走に行動を移した。


 理由がどちらにせよ、賢明な判断だ。


 標的の行動に感心していたら、行動が数秒ほど遅れてしまった。

 さて、どうするか。


「……ったく、素直に捕まってくれりゃあ、こんなに苦労することもないんだがな」


 ため息混じりに、志音は標的の逃走した方向へと視線を向ける。

 森林の中。しかも、舗装も管理もされていないような茂みの奥へと消えていく。


 この世界には魔法が存在する。

 そしてそんなものがあるのなら、バケモノのような生物が存在しても何一つおかしくはないのだ。

 正確に言うならば。生態実験を受け、凶暴化し野放しにされたバケモノだが。この島には、そんなバケモノがうじゃうじゃいる。


 すべて人間のエゴによる被害者である。

 人間が魔術知識を応用、もとい悪用し、温厚だった動植物の《マナ》をイタズラに暴走させてしまった。


 その為、この島で一般人が立ち入ることを許可されている地区は、実は全体の二割程度だったりする。

 あとは全て森林に覆われ、一歩踏み込めば、いつバケモノとのエンカウントを果たしてもおかしくはないのだ。


 自業自得だ。

 志音は常々そう思っている。自分達の好奇心を満たした結果に、自分達の生きる領域を減らしてしまったのだ。愚かと言う他ない。


 そして話は戻るが、今回の標的がそんなバケモノだらけの森林に逃げ込んでしまった。


「さて、どうすっかな……。こっから先は一般生徒の立入禁止エリアなんだが、行かねぇとアイツ死ぬかもだしな……」


 志音はポケットから一枚の紙を取り出す。

 早朝、学生寮内の掲示板に貼られていた依頼書。もちろん、志音宛てなどではなく全生徒に対しての依頼である。

 たまに、この島で起こった問題事の解決や、一般市民が行けない森林内の山菜採り、果ては、街に出没したバケモノの討伐などが学生寮の掲示板に依頼書として掲示されることがある。

 こういった依頼をこなす人種は大体決まっていて、ボランティアで人助けをしたいという善良者。討伐任務で実践経験を積みたい戦闘バカ。そして、志音のように……落とした単位の穴埋めに点数稼ぎとして、という者もちらほら……。


 そして今回、志音の受けた依頼書の内容は『脱走した飼い猫の捕獲』である。

 そう、ただ猫を捕まえればいいのだ。

 依頼主は匿名。報酬は単位二つ。要するに、前回の対抗試合で落とした単位が、こんな簡単な依頼で回復出来るのだ。志音にとってこれ以上のチャンスはない。……はずだった。


 猫の特徴。

 真っ白な毛並みに翡翠色の瞳。赤い首輪に金の鈴が二つ。尻尾は長く『人にはとても慣れている』。


「ひとに慣れてる癖に逃げんのかよ……」


 依頼書の備考欄に文句を垂れつつ、危険区へと逃げた猫を追うか考える。

 学園内で教えられた模範的な解答ならば……


『ここで追跡を諦め、危険区へと侵入した事を飼い主に報告。生存確率の低い区域なので自動的に死亡扱いとし、依頼は終了』


 ……となる。

 無理な追跡で生徒まで死亡しては、単なる無駄死にでしかない。


 だが、そうした場合のデメリットとして志音に『単位が入らない』のだ。


「それは困るな……。退学だけは出来ない」


 志音には、この学園に通う理由がある。

 だからこそ……とるべき選択肢は一つ。


 志音は辺りを見渡し、自分の他に人間がいないことを確認する。

 悪いことをするわけではないのだが……


「……よし」


 実力の一欠片でも誰かに見られて噂にでもなったら、平穏な日常を望む志音にとっては地獄も同然だ。

 ただでさえ、自分の身内が『最強の生徒会長』と有名なのだ。それだけでも志音に注がれてきた期待の視線は、まるで針のようだった。

 今でこそ、万能の姉と出涸らしの弟と割り切られてくれてはいるが、入学当時のような騒がしい日常に戻りたいとは微塵も思わない。


「いないな。……すー。はぁー……」


 深く一度だけの深呼吸。

 そして、切り替えはそれだけで十分だった。

 固まった関節を解し、今朝買い直したばかりの新品の安価西洋剣を右手に持つ。


「さてと……。多少手荒になるが……恨むなよ。クソネコ」


 そして、両足に《マナ》を集中させる。

 昨日のような爆発的な跳躍ではなく、持続的な超脚力の為に、とても繊細な《マナ》のコントロールを息をするようにすんなりとこなす。


 そして、跳ぶように森林内へと入っていく。



 立入禁止エリアに侵入して数分。

 標的の姿はあっさりと見つかった。森林のど真ん中で毛繕いしている。

 周りを化け物に囲まれた状況で、のうのうと毛繕いをしているのだ。


「お前はアホかぁああああああっ!!」


 志音は柄にもなく叫んでしまった。

 猫の目の前に着地し、逃げ出さないように首根っこを掴む。猫捕獲完了。

 猫は駄々を捏ねるでもなく、案外すんなりと大人しくなった。


 さて、問題を解決したらまた新たな問題が待っている訳で。


 上と下以外の全方位、三百六十度を化け物に囲まれている状況は変わらない。

 見た目は狼だが全長は三メートル超、サーベルタイガーのように剥き出た獰猛な大牙。武器の鉤爪を連想させる凶爪。

 グルルと唸るその口からはダラダラと涎を垂らしている。いかにも空腹の場に餌を投げ入れたような状況だ。


 【狂狼】《ヴォルガレフ》


 一匹を相手に一年生ならば数人体制で挑むような、上級魔獣。それが十数匹。

 コチラは片手が猫で塞がった志音が一人。猫の手も借りたいという状況だというに、全く協力する気のない白猫が一匹。

 ようするに、かなり危機的状況だ。


「朝っぱらからめんどくせえな……」

「ふにゃー」

「お前な……、絶望的な状況なの理解出来てんのかよ……って、猫に何言っても同じか」

「にゃーお」

「……あぁーくそっ! お前暴れずに大人しくしてねぇと、アイツ等の餌にするからなっ!!」

「にゃー♪」


 言葉が通じたのか通じてないのかわからないが、制服の上から着ていたパーカーのフードに猫を突っ込むと、居心地良さそうに大人しくなった。

 これで両手が空いた。


「……さて、行儀がなってない動物には躾が必要だな。……死にたい奴から来な」


 殺気を放つ。

 夜の仕事中と同じ目。


 非情で、不適な笑みを浮かべる。




     ◇◇◇




 強くなりたい。

 それだけを理由に、少女はこの学園への進学を決めた。

 世界でも屈指の実力者が集うこの聖エインリーゼ学園は、過去に何度も最強を唱われる騎士を何十人、何百人と生み出してきた名門中の名門である。

 弱き者は早々にふるい落され、二年に上がる頃には強者のみとなり、三年に上がる頃には本物の実力者しか残らないとさえ言われている。


 のうのうと過ごす日々など実質存在しない、絶対に強くなれる学園である。


 その筈だった。


 だが実際、入学試験は少女でも首席を取れるほど容易で、数人のクラスメイトと手合わせしたところ、本気を出さずとも勝ててしまった。

 挙げ句の果ては、入学式当日に校門前で見張りをやっていた二年生。

 一年内でも有名になっていた『最強の生徒会長』の弟。夕凪 志音。

 その姿を見て少女は言葉を失った。


 ……こんな弱者が、自分の『先輩』を名乗るのか……と。


 服装も態度もだらしなく、装備している武器も街中で安価で買えるラージソード。

 自分の仕事に集中するでもなく、仕事中に大きな欠伸を溢すような自堕落さ。強さの片鱗などどこにもない。


 『強者』しか残れないはずの二年生に、こんな生徒が……しかも生徒会に存在するなんて。

 期待していた学園の第一印象はみな最悪だった。


 だが、そんな第一印象を一掃する衝撃をすぐに受けることとなった。


『強くなりなさい!』


 壇上で気丈に話すその姿は、何度もパンフレットやニュースで見てきた女性。

 夕凪 結歌。


 期待外れと油断していた少女には、結歌は輝いて見えた。

 武器もなく、魔法を使うこともなく、そして少女と同じく女性でありながら、少女と同じ新入生の数人を……一瞬で散らしたのだ。


 少女も一目を置く生徒も何人かその中に入っていた。一対一ならば、苦戦は免れないだろうと予想していた数名の生徒さえ、一撃で……。

 これだ。

 この人だ。

 この人に着いて行けば自分は確実に強くなれる。


 少女は歓喜した。


 そして翌日、生徒会を訪ねた少女は、会長と一戦を交えた。



「ふむ。一年生の中ではかなり強い方ではないかしら? 将来は有望だと思うわ」

「ありがとうございます」

「コレで全力?」

「……いえ、まだ三割程度です」

「ふむふむ。それじゃあアレかしら? 私を相手にアナタは手加減をしている、と」

「いえ、教えを乞う相手に怪我をさせるわけには……」

「思い上がらないことね♪ 後輩」


 実力の差を思い知らされた。

 少女は全力を出し、結歌の見せた一割未満の実力に手も足も出ず、完全な敗北を味わうことになる。

 全力を引き出すことさえ出来なかったという屈辱。それと同時、結歌は少女の目標となった。


「私を超えたい?」

「…………」


 その時の少女には、その質問に答えるだけの余力すら残っていない。


「惨めね」

「……っ!」

「でも、悪くない惨めさよ。昔の私によく似ていて、強さに対する貪欲さがある」

「……」

「もし、私を超えたいと願うなら、私に教えを乞うのは無意味だとは思わない? 私がいくらアナタに教えたとしても、それは総じて私以下よ」

「……っ」

「そうね。もし、本気で私を超えたいなら……志音の元を訪ねなさい。彼に従えば……確率を零から1に上げるくらいは出来ると思うわ」

「……」

「アナタはきっと強くなる。次に戦う時はもっと楽しませて頂戴」


 何も言い返すことが出来なかった。

 入学後一日で、背中すら見えない程の実力の差を思い知らされたのだ。

 強さを傲った事はない。

 だが、自分を弱いと思ったこともない。筋はいいと言われたが、それだけ。今の自分ではかすり傷どころかまともなダメージすら与えることが叶わない。

 絶対的な差を思い知った一日となった。


 そして次の日、少女は結歌の言葉に従い。志音の元へと訪ねるつもりで登校していた。

 だが、気乗りがしない。

 昨日に学園内の掲示板に貼られた『対抗試合戦績表』を予め見ていたということもあるのだが、それよりも前から『夕凪 志音は最弱』『姉の出涸らし』『あの先輩には負ける気がしない』と、一年生の中でも姉とは正反対の意味で有名人なのだ。

 半信半疑の噂は戦績表で確かなものとなった。

 だから少女にはわからない。

 何故、結歌が志音を薦めるのか少女にはわからなかった。


「……強さを極めるには……まず弱さから、とか?」


 それならば合点がいく。

 だが、弱さを極めることに何の意味があるのか。そもそも、この予測があっているのかさえ定かではなかった。


「……はぁ」


 本日、何度目かの溜め息が漏れる。

 腰まで伸びた髪、見た目を気にしたことはないので髪の手入れも行き届いておらず、前髪で顔の四割以上が隠れてしまっている。

 それに加え、無駄な会話をしない。趣味が読書。常時仏頂面。という、非コミュニケーション能力に長けた特徴を備えてあるため、かなり根暗な印象が強い。


 その見た目のせいもあってか、はたまた入学時の成績の高さからか、少女のクラスでは遠巻きに噂する生徒こそ多く存在するが、近付いてきてあわよくば友好的なコミュニケーションを試みる者は一人もいなかった。

 少女としても、読書の邪魔をされることがなくて大変喜ばしい事なのだが……。それ故に、今回のような『自分から』他人に話し掛ける術を少女は持っていなかった。


 それがもう一つの、少女の不安の種。


「……会長に話し掛けるのにも……すごく勇気が必要だったのに……」


 それで次の相手は異性のさらに先輩である。同部活内の先輩後輩でもなければ、運命的な出会いをした相手ですらない。

 接点など何一つ存在しない相手に……、コミュニケーション能力皆無である自他共に認めるボッチの少女が、どうやって近付けというのだろうか……。


 そんな訳で昨日、帰宅前に図書室で借りた本『気になる彼を確実にオトす!! 108の口説き文句♪ 〜今日から貴女もモテ娘!!〜』を、人目も気にせず黙読中。


 後輩編・フレーズ8

『先輩。私……ずっと先輩の事見てました! どんなに負け続けていても、決して諦めない。……そんな先輩が……。付き合ってなんて言いません。ですが、どうかアナタの側でアナタを支えさせて頂けませんか?(←ココで上目涙目!)』

 負け続きで弱っている先輩にはコレで一撃♪

 傷付き弱った先輩を、アナタの優しい一言で玉砕よ!


 ……パタン。


「……これだ」


 適当に開いたページの一文。

 その言葉の意味を一割も理解しないまま、少女はその言葉に決めた。


「…………にゃあ〜」

「……?」


 そんな時、本を閉じた少女の耳に猫の鳴き声。

 空耳といって無視することもできた。それほどまでに小さい、もしくは遠い音だった。

 少女の周りを歩く、他の人間には聞こえないほど小さな音。

 音の発信源は、森林の奥。

 少女のような一年生ならば最低八人小隊ででもなければ、立ち入ることさえ危険な森林の中である。


 無視することも出来た。いや、利口に生きるならば無視するという選択が間違いなく正解なのだ。

 人の世と違い、獣の世は秩序も法律もない絶対的な『弱肉強食』。非力な猫が化け物に食い殺された所で、それが自然の道理。


 危険な場所に足を踏み入れた猫が悪い。



「……ふむ」


 猫はきっとピンチだ。

 そして今、少女は少なからず学園に行きたくない。主に、志音に会いに行くのにまだ心の準備が出来ていないため。

 それに、少女はこうも考えた。


(……夕凪先輩に頼らずとも、この森で修行すれば強くなれるのでは……?)


 いい機会だ。


「……よし」


 悩む素振りもなく、学園へと向けていた進行方向を九十度曲げ、森の中へと侵入していく少女。

 その後ろ姿を注意する者はいなかった。





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