一話(5)
対抗試合とは本来ならば、午後からなどとはいわず、早朝から日の入りまで……膨大な時間の中で行われる事が多い。
時間をかけなければ、数百人もいる生徒の戦闘を完全に管理する事なんて出来ないからだ。
一人一人戦い方も癖も能力も違う。
戦う理由は単位の為だとしても、その先は……やはり違う。
人が強くなりたいと願う理由は、決して同じになったりはしないのだ。ただ一つの条件を除けば……。
「……やっぱり、勝てねえ……のかよ! ふざけんなよ。マジで……強すぎんだろ……」
たった一ヶ所だけ開かれた窓。
その窓辺に立つ少女の髪を、穏やかな風が優しくつつみ込む。
少女の足下には、傷付き気を失った者達が十数名。たった一人だけ、ギリギリで意識を留めている者もいるが、何も変わらない。
意識があろうと無かろうと、動けなければ同じだ。
少女は窓の外を見続ける。
その長い金色の髪を靡かせ、汚れ一つもない綺麗な制服に身を包み、物憂げに……その蒼い瞳で外を見続ける。
学園近隣に存在する大きな時計塔。
ソレが今回の少女の戦場。
気まぐれで最上階まで足を運び、見渡しのいい窓辺を見付けた。
それまでに受けた戦いは一度や二度ではない、それは少女の足下を見ればわかる。
だが、初めから少女には興味も関心もない戦いだった。
「……」
その場所からは色んなものが見えた。
我欲の為に他者を傷付ける同胞も、傷付くことから逃げる弱者も、……そして、自らを傷付けてでも……他人を傷付けまいとする弟の姿も。
愚かだ。
行動も、言動も、信念も、愚かだ。
少女はそんな弟を笑うことはなかった。
ただ一人。
少女が心の底から、『本気で戦いたい』と願う相手が……その弟だったから。
人が強くなりたいと願う理由。それはやはり共通して『誰かを超えたい』という貪欲な願望なのだ。
だから少女はなるのだ。
誰もが超えたいと願う目標として、誰かの強くなる理由であり続けるのだ。
自分が志音をそう思うように……。
◇◇◇
放課後。
早速、今回の戦績が大きく掲示板に貼り出されていた。
今回のように午後からの数時間という短い期間での試合は、初戦は決められた相手との一騎討ちだが、それ以降はサバイバル形式になる。
初戦で勝とうが負けようが、それ以降の自由戦闘で点数稼ぎは出来るのだ。
そうなれば戦いに積極的な者は、結果的に上位に立つことが出来る。
初戦で負けても、その後に弱い奴を見付けて勝ちを奪うやり方でも誰一人文句を言わない。
だが、それでもやはり頂点に名前を刻むのは、志音のよく知る人物の名だった。
「うへぇ〜……、オレも今回は結構頑張ったんだけどな……。相変わらず会長は圧巻だね〜」
「……そうだな」
「オレなんて三百位圏外だぜ〜。二桁でもバケモンなのに、その頂点って……お前の姉ちゃん人間かよ?」
「……確かに、成績だけ見りゃバケモンだな。だが、これでも普段は普通に女の子してるぞ。アイツ」
「……見たことねえ」
「だろうな」
志音の視線は下位ランカーへと向いている。
その先には順調に最下位を独走している志音の名前。
今回はアリシアとの一戦以外の勝負は棄権しまくったので、一度も勝たずに十数敗を記録した。
対するアリシアは、志音と別れた後も順調に勝利を収めていたらしく、無敗で十位圏内に入っている。志音との戦闘で数十分も気を失っていなければ、五位圏内は確実だっただろう。
そう思うと少し罪悪感を感じてしまう。
遠巻きに聞こえてくる会話からも、一位をとった結歌よりも、五位圏外にアリシアの名があることの方が話題となっている。
「にしても、お前も災難だったな〜。初戦から学園ツートップの一人に当たるなんてよ。見るからにズタボロじゃねえか」
「……そうだな。あまり喜ばしい戦いとは呼べなかったな」
(違った意味で……)
言葉には出さなかったが、本当に志音の望まないように事が動いている事に、ため息が止まらなくなる。
また不安の種が一つ増えたようなものだ。
「医務室行っとかなくて平気か?」
「さっき行って酷いのは治して貰ったって。あとのは見た目ほど大した傷じゃねぇよ」
「そうか。んじゃ、大敗祝いにラーメンでも奢ってやるよ♪ 弱っちぃ志音くんの為に情けでラーメンを奢ってやるオレ、カッケー♪」
「大敗祝いってなんだよ……」
そう言って、掲示板を囲む人垣から離れていく二人。
ちなみに、エイラは試合後のインタビューで忙しいらしく、放課後を告げる鐘の音と同時に驚異的な早さで教室を出ていった。
今日中に志音達と合流することはまずないだろう。
不意に志音の持つ携帯端末が振動と共に着信を告げる音をたてる。
「……悪いな、健吾。ラーメンは今度でいいか?」
「んあ? 何だよ急用か?」
「ああ」
浮遊ディスプレイに映るのは不幸の手紙。
「最下位のペナルティーだよ。今日のは……時間がかかりそうだ」
「だははは! そりゃあんだけ負けてりゃざまぁねえな♪ 自業自得だ」
「まったくだ」
「んじゃ、また明日な、相棒」
「誰が相棒だよ。ったく……またな」
昇降口へと消えていく健吾を見送り、志音はまたディスプレイへと視線を戻す。
差出人は、この学園の理事長。
そして内容は――。
◇◇◇
日は完全に落ちた。
多国の文化が入り交じったこの島も、月夜となれば賑わいを無くす。
静かな夜だ。
時間は夜の八時をまわった頃だろうか。人通りのないこの場所では時間の間隔がいまいち掴めない。
志音は闇夜に慣れた目で辺りを見渡す。誰もいない事を入念に確認する。
そして無意に、空を見上げた。
満天の星が輝く夜だというのに、そこにたった一つ浮かぶ月だけが……何故か寂しく思えた。
手を伸ばす。
月明かりに照らされたその手は……どこまでも紅い。
白い月に映える紅く濡れた手。
そして視線を下げれば、人形のように動かない肉塊が八つ……紅く汚れ散乱している。
死体だ。人間の死体。
殺したのだ。志音が……。
「…………」
生きていた時の名前も知らない。
顔すらも覚えていない。
だが、志音が殺した。
安物の西洋剣で、無慈悲に、非情に、一瞬の隙も与えず……殺した。
返り血で紅く汚れた自分を省みて、いつも思う。
感傷に浸りながら、自虐的に……考えるのだ。
自分はやはり……違うのだと。
理由も問わずに他人を殺せてしまう自分は、やはり他とは違う。
「……これの後始末、ちゃんとしとけよ……」
暗闇に向けて放つ言葉。
返事など最初から期待してはいない。
これが志音の生きる世界だ。
常に命を奪う世界。
常に他者の血で汚れる世界。
誰も知らない。裏の世界。
志音の生きる世界には、いたるところに死が溢れている。
こんな殺伐とした世界が志音の現実なのだ。
だから
だから、せめて……
学園での日常は、羽を休められる『止まり木』であれと、ただ願い続けるのだ。