二月十四日
登場キャラ:一条響哉、ジルベルト、リリス、アリサ、レオナルド
本編後の一時
「ハーイ、響哉さん。今年はチョコを貰えましたか?」
休日に突然現れたリリスからの、第一声がそれだった。
何を言っているのかと思い、カレンダーを見上げれば二月の十四日である。
「そうか、バレンタインだったか」
「えぇー? 忘れるなんてひどくありません?」
「ごめん、イベント事にはあまり参加しなかったから」
数日前は女性社員が話していたお陰で覚えていたが、当日は忘れていた。よくある事だと思う。
リリスは盛大に溜息を零した後、一転して口端を吊り上げる。
「可哀想な貴方の為に、リリスちゃん特性のチョコをあげましょう!」
嬉々として差し出された包みを流される侭に受け取った。
透明な袋でラッピングされた中身を見てぎょっとする。
「なにこれ」
「何って、リリスちゃん1/8スケールチョコですよぉ! 完成度高くないですか?」
チョコレートで作られたフィギュアだ。しかもリアル頭身。
台座までついていて割と本格的だとは思う。然し……。
「いや、凄いのは確かだけど……、これを食べるのはちょっと」
「おや、そんなに私を食べるのが照れ臭いのですか?」
目の前の女性そっくりな人形を食べるというのは躊躇われる。
力作が勿体無いという気持ちもあるが、それ以上に異性として躊躇ってしまう。
響哉の反応は予想通りだったのか、彼女は楽しそうに眺めていた。
「よし、溶かしてフォンデュにしようぜ」
「ああっ! ちょっとジルベルト! なんて事を!」
そんな響哉の後ろから覗き込む第三者の気配に反応が遅れてしまった。
響哉の持つチョコレートを取り上げようとするジルベルトにリリスが声をあげた。
溶かすという発想自体がなかった為、その手があったかと二人の攻防戦を眺めつつ納得した。
「昼間からなにやってるのよ」
ジルベルトとリリスが攻防戦を繰り広げているところに、呆れた様子でアリサが奥の部屋から顔を出した。
「響哉に悪い虫がつきそうだから払ってやってるんだ」
「そう。バレンタインだったかしら。ついでだからあげるわ」
ほら、と短く告げてアリサは響哉に包みを推し付ける。
戸惑いながらもそれを手に持って見下ろした。包みの中には棒状のチョコスナック菓子を一つに束ねたものが入っている。
数回瞬いた後、苦笑して眉尻を下げた。
「どう見ても、菓子を束ねただけだね」
「だって、私お菓子なんて作れないんだもの」
「なぁなぁ、アリサ。俺には?」
「貴方なんてこれで充分よ」
面倒くさそうに言い放ち、ジルベルトに向けて小さな菓子を投げつける。
コートに当たった菓子は床に落ち、拾い上げたジルベルトが悲しみに包まれた表情をした。
「十円チョコーー!!」
一粒サイズの駄菓子を摘んで、ジルベルトは嘆いた。
明らかな義理チョコには響哉も同情した。
「なによ、貰えるだけマシでしょう?」
「そうだけどよ……なんか切ないわ」
がっくりと肩を落とすジルベルトに対し、そっぽを向いたアリサはリリスの方へ視線を合わせた。
「それよりリリス。今日は美味しいカフェに連れてってくれるんじゃなかったの?」
「ええ。もちろんです。響哉さんへの用件も済ませましたし、行きましょうか」
二人に予定があったとは知らず、響哉とジルベルトは驚いた眼差しを向けた。
颯爽と霊体化して二人は出かけてしまった。残された二人は顔を見合わせる。
「あの二人、いつのまに仲良くなったんだろう」
「さあな、何だかんだで女子同士の方が話しが合うんじゃないか?」
シンシアがいなくなった今、ここに集う女の子は彼女ら二人だけだ。
姉がいなくて心細いのかもしれない。かと言って腫れ物のように扱えば反感を買いそうだ。
「そういや、今日の予定とかって何かあるか?」
「いや、特にないけど……」
「それじゃあ遠慮はいらないな。俺から響哉に渡したいものがあるんだ」
「え?」
ドキリと胸の内が高鳴る。
眼前の彼は照れ臭そうに紡ぎ、顔の前で両手の人差し指を触れ合わせている。
膨らむ期待に思わず様子を窺った、その時だった。
「今日はチョコが貰えるって聞いてきたぞぉ!」
ふわりと室内に小さな霊蝶が一匹、舞い込んできた。一瞬にして蝶は人型を得て、スーツを身につけた紳士となる。
上機嫌で現れた父親の姿にジルベルトの顔がスッと真顔になるのを見逃さなかった。
「レオナルドさん。リリス達ならもう出かけましたよ?」
「彼女達のところにはもう行ってきたのサ。結果は惨敗だったよ。死者の分は用意してないとかでネ……」
親子揃って扱いが雑なような、そんな気がして空笑いするしかなかった。
其処でふと、先程貰ったばかりのチョコレートの存在を思い出した。
「あの、よかったらこれいります?」
「それは…、チョコレート! ちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだ──」
掲げられたチョコレートの存在に目を光らせると、物凄い勢いで食いついてきた。
「失敬、あまりの嬉しさに舞い上がってしまったヨ」
直ぐに冷静さを取り戻した紳士は距離を取って咳払いをする。
「そうだなぁ、響哉君。今は空いているかね? お返しに珈琲を淹れよう」
「大丈夫です。それじゃあ、チョコレートも開けますか」
リリスの方は脇に置いて、アリサのチョコスナック菓子の方を開けた。
レオナルドは珈琲の準備をしようと立ち上がる。
「ジルベルトも一緒にどうだい? 偶には親子の語らいなんかも……」
「いや、俺はいいわ」
すっぱりと断りを入れて顔を背けた。
何か言いたそうに響哉の方を一瞥したが、彼も霊体化してその場からいなくなってしまう。
「あ……」
消えたジルベルトに手を伸ばしたが、完全に見えなくなってしまうとやり場を失った手は下ろされる。
息子のつれない態度にレオナルドは溜息を吐いた。
「やれやれ、拗ねてしまったか」
「え?」
「すまないねぇ、響哉君。どうやらタイミングが悪かったようだ」
「いえ、気にしないでください」
謝意の声に慌てて首を横に振ったが、様子が気になるので後で迎えに行こうと決めた。
レオナルドが用意したのは直火式のエスプレッソメーカーで、其れを持って台所へ向かう。
日本で主流のドリップ式とは別のコーヒーメーカーを物珍しそうに見つめた。
珈琲が出来上がるまでの間、先にチョコスナック菓子を摘み、ぽりぽりとした食感を楽しんでいると、奥の方からレオナルドが戻ってくる。
「お待たせ。イタリアのエスプレッソだ。口に合うといいなぁ」
「ありがとうございます」
手元に置かれたカップを見下ろせば、早速スプーンに手を伸ばす。砂糖を一杯入れて搔き混ぜた。
カップを持ち上げて軽く息を吹き掛け、一口分を口に含む。強い風味とコクが口内に広がり、喉を通した。
「あ、おいしい」
「でしょ~? ランチの後でも、午後の休憩にもお勧めするヨ」
味の感想を耳にすればレオナルドは嬉しそうに声音を弾ませた。
彼は砂糖を入れずにそのまま飲み干す。チョコスナック菓子に手を伸ばしながら、レオナルドは目線を響哉に戻した。
「それで、あれから息子と二人暮らしのような状態だが、上手くいってるかネ?」
「え、ええ。今のところは、順調です」
あれから家で家事を手伝ってくれたり、料理の腕も大分上がってきている。
ジルベルトはすっかり主夫のような存在になりつつあった。
自分の手で掴んだ幸せ。悪霊なのに、こんなにも幸福でいいんだろうかと戸惑う事だってある。
「それはよかった。親として、響哉君には感謝している」
「すみません。本来なら正式に挨拶するべきだったのに」
「はははっ、構わないサ。私達はもう死者だ。肉親という関係はとっくに終わっている。だから、誰の許可も要らないよ」
菓子を持って、息子さんを下さいと言うつもりだった響哉に対して紳士は笑い飛ばした。
「私の事はお義父さんと呼んで構わないって言ったしネ。寧ろこっちが君のご両親に行くべきだったヨ」
「いえ、僕の両親は……、もし生きてたら、特に父親の方と揉め事になったかと」
息子が男を連れてきたなんて知ったら、速攻で倒れる姿が容易に想像出来てしまった。
苦笑しながら冷めない内に珈琲を飲み干した。カップを置いて勢いよく席を立つ。
「すみません。ジルを探してきます」
「ああ。行きたまえ。ジルベルトはここからすぐ近くの公園にいる」
「わかりました。ありがとうございます」
行き先がわかったところで、コートを羽織って外へ向かった。
まだ地面には薄らと雪が残っていて、風は冷たい。
※ ※ ※
家から少し歩いた先にある小さな公園に、緑色のコートの背中を発見した。
ブランコの手前にある手摺に腰掛けながら、掻き集めた雪で小さい雪だるまが彼の足下にあった。
雪に足跡を残して、彼に近付いていく。気配で気付いたか、先に向こうが振り向いた。
響哉の姿を視界に入れてジルベルトの表情が明るくなる。だが、浮かんだ笑顔は直ぐに消え失せて複雑そうに眉を寄せる。
終いには顔を逸らされてしまった。妹と弟が拗ねた時と似ていて肩を竦めつつ、ジルベルトの側に到着すれば彼の肩を叩いた。
「遅くなってごめん。寒くなかった?」
「別に。幽霊だから平気だ」
「でもほら、冷たくなってる」
手袋もしていない指先を包み込むように握って、白い吐息を吹き掛ける。
仮の肉体とはいえ、粗末には扱えないだろう。
「悪い。予定が狂ったから遠慮しちまった」
「ああ、渡したいものがあるんだって?」
手を離すと、ジルベルトは足下に置いていた大きめのポリ袋を差し出してきた。
受け取った袋は大きさの割に軽く、中を覗いてみると衣類が入っていた。
「これは?」
「俺が今着てるコートと同じやつ。所謂お揃いだ」
「お揃い……」
彼が今着ているファー付きのモッズコート。
予想外の贈り物に驚いていると、ジルベルトは頬を搔いて下を向く。
「本当はチョコレートにしようかと思ったんだけど、アリサ達も用意するだろうと思ってやめたんだ。サイズは大丈夫だと思うんだけど……」
「ううん。嬉しいよ」
素直に受け取ると、ジルベルトは安心して肩の力を抜いた。
「でも困ったな、お返しが何も用意できてない」
バレンタインである事すら忘れていた。
ホワイトデーまでお預けになってしまいそうだ。
「それなら、これからデートしようぜ」
「えっ?」
「別に物じゃなくたっていいんだよ。なぁ響哉、早く」
ぐいぐいと腕を引っ張られて、公園の出入り口へ引き摺られていく。
犬のように懐っこく、はしゃぐ様子には自ずと笑みが零れ落ちた。
その侭歩道を渡って商店街の方へと足を運ぶ中、上機嫌で隣を歩く彼に目を向けた。
「ジル」
「ん?」
「好きだよ」
それはごく自然に紡ぎ出された。隣の彼が足を止めたので、数歩歩いた先で振り返る。
固まったジルベルトの顔が仄かに火照っているように見えた。
声をかけようとしたものの、彼が顔を上げる方が早かった。
「俺も、響哉が好きだ」
気恥ずかしそうに呟いて、ジルベルトは歩行を再開する。
胸中が温かくなるのを感じながら、彼の後を追う。寒い筈なのに、身体は妙に熱かった。