第19話 俺たちの過去
美月と最初に出会ったのは俺たちがまだ物心付く前のことである。赤ん坊の頃だと思う。
なぜそんなときに会ったのか。それは美月の母親と俺の母親が昔からの親友であるためと俺と美月の生まれた年が同じであるからだ。さらに家も近いので、必然的に会う回数は多くなったのだ。
そして、物心ついた頃になると俺も美月も二人一緒にいることが当たり前になっていた。
まあ、幼いということもあり、風呂も一緒だったが。
「私、夜弛のお嫁さんになるにゃ」
そう美月が言ったのは俺たちが五歳のときだった。
今とは違い、幼い美月の語尾には「にゃ」が付いていた。
ただ、今も昔も家族以外にはあまり感情を表に出さない子だったが。
「美月は僕がお婿さんでいいの?」
まだ五歳であったが、どのような意味かは理解していた。
そして、こんなことを言ったが、まだ好きというものを理解してはいなかったが、美月が運命の相手であると分かっていたので、美月のその言葉は実はうれしかった。
というか、絶対に誰にも渡さないと幼いながらも独占欲があった。
「いいにゃん。むしろ夜弛じゃないとダメにゃ!」
そう言って美月がぎゅっと俺に抱きついてきた。
まだ性知識などない俺なので、こうされて邪な気持ちが芽生えることはなく、安心するなどといった、家族に抱くようなものを感じていた。そして、これからずっと感じることになる幸福感も。
「夜弛は私じゃダメにゃ?」
「ダメじゃないよ。僕も美月のお婿さんになりたい! 美月は絶対に誰にも渡さないから!」
「うれしいにゃ!」
そうやって仲良く(?)していると、部屋に二人の女性が入ってきた。
それは俺たち二人の母親であった。
「まあまあっ! 二人とも仲がいいわね!」
「そうね」
美月の母親と俺の母親が言った。
「ママ! 夜弛がね、私をお嫁さんにしてくれるって!」
「まあ! もう結婚の約束したの? きゃあ~! 夜弛くんって手が早いわ!」
美月は母親は両手を頬に当て、悶えていた。
百歳を越えるが、見た目はまだ十代後半、または二十代にしか見えないので、そんな少女らしい反応をしても違和感は少ない。
「夜弛。美月ちゃんのこと、遊びだったら許さないから」
「もちろん本気だよ! 父さんだって言ってた! 男は自分の運命の人を幸せにする義務があるって!」
俺の父親はまだ幼い俺に女性に対する扱いというものを厳しく教えてきた。
「はあ……、あの人、五歳の息子に何を教えているのかしら」
「ふふ、でも、どんなものも早いほうが良いに決まっているじゃん。娘を出すこっちからしたらうれしいわ♪」
「でも、そういうのはもっと大人になってからって思っていたし……」
「ふふ、相変わらずね。大丈夫よ! もし二人がちょっと大人の階段を上っても運命だもの」
「お、大人じゃないのに、お、大人の階段!? ふ、ふしだらよ!」
子どもなので『大人の階段』などの意味が分からなかった俺たちは、美月と二人で自分たちのことをしていた。
「夜弛、ママたちが話しているから一緒に寝たいにゃ」
「眠いの? 美月」
「眠いにゃ」
美月が眠いそうなので、こっそりと部屋を出て寝室へと向かい、一緒に同じ布団の中に入る。
「にゃあ~」
布団の魔性のせいで美月はそんな声を出す。
五歳の俺はそんな美月が可愛くて、ぎゅっと抱きしめてキスをした。
「にゃっ! 夜弛、いきなりは恥ずかしいにゃ!」
「あははっ、だって美月が可愛いんだもん! これは美月のせいだよ!」
「わ、私のせいにゃ?」
「そうだよ」
「む、むむ~、ちゅっ」
「!?」
今度は美月からキスをされた。
「み、美月! い、いきなりは……」
「わ、私だって同じだったにゃっ。お互い様にゃ! あと、や、夜弛が、か、かっこよ過ぎるのがいけないにゃ!」
と、そんなバカなことをして幼いながらもいちゃついていた。
今もいちゃついているが、なんだか幼い頃からもいちゃついていたな。
ちなみにその後、俺たちはぴったりとくっ付いて寝ているところを俺たちの母親二人に見られ、その仲良く一緒に眠る写真を撮られた。今もアルバムの中にあるはずだ。
それから時が経ち、色んな知識を得てくると互いに恥ずかしいという感情が芽生えてきた。
さすがにそのときは肩をくっつけたり、手を繋いだりはしたが、キスなどの積極的なスキンシップはしないようになった。
ちょっと物寂しかったが、最後にそんなスキンシップをしたときにはもう美月を完全に異性として捉えていたので、これでよかったはずだ。
そうして俺たちが十歳になり、互いにすでに異性と見始めていてちょっと近づくだけで顔を赤くするようになっていたとき、美月から呼び出された。場所は美月の部屋だった。
この部屋はもちろんのこと何度も来たことのある部屋だ。
美月はその部屋で、待っていた。
「どうした、美月」
「今日は大切な話があるの」
すでに美月の「にゃ」という語尾はない。そして、俺の一人称も『僕』から『俺』へと変化していた。
「大切な? 何かあったのか?」
美月の表情は真剣な顔で、いつもだったら俺の姿を見た瞬間こちらに寄ってくるのに、その場から動かずに話すということで、俺は緊張していた。
俺の頭の中では良いことよりも、悪いことしか思い浮かばない。
そう俺に思わせるほど美月は真剣な顔をしているのだ。
「ある、というよりも、けじめみたいなもの」
「けじめ?」
「うん、けじめ。このままでもいいかもしれないけど、私は嫌だったから」
まだどういう内容かは分からないが、どういう理由でこうなったのかはわかった。
「私って夜弛のお嫁さんになるでしょう?」
「お、おう」
いきなりの美月のその言葉に言葉が詰まり、同時に俺の顔が熱く赤くなった。
だが、同時に今、この話をしたことで、美月が俺の妻になることが嫌になり、そのことを伝えようとしているのではないのかと思ってしまった。
悪い考えが当たったのか……。
赤くなった顔はすっかりショックで青くなる。
そうだとしたら俺はどうなるのだろうか? 俺と美月は本当に小さい頃からの付き合いだ。家族を含めなければ、誰よりも長い時間を一緒に過ごし、俺という存在の半分以上が美月関連である。美月という存在は俺の中ではなくてはならないものなのだ。
きっと、その考えどおりならば、生きる気力をなくしてしまう。
「夜弛? どうしたの?」
俺の変化を感じ取った美月が心配そうにそう言ってきた。
「あっ、す、すまん。その話って俺にとって悪い話か? 良い話か?」
さっさと聞けば少しは楽になるのかもしれないが、さすがにいきなり答えを聞くのは俺の精神が耐えられないと思う。なので、最初に良い話か悪い話しかを聞いて、衝撃的な内容に対するショックを和らげることにした。
「? よく分からないけど、そ、その、良い話だと思う」
美月は顔を真っ赤にして、そう言った。
その反応を見た俺は安堵した。もし俺のことが嫌いになっても、わざわざこのタイミングで「悪い話」とは言わないからだ。い、言わないよな?
ともかく、美月の口から良い話だと言われて、悪い考えもなくなった。
ふう、よかった。
「えっと、夜弛は悪い話だと思ったの?」
「ああ」
ただ、恥ずかしくてなぜそう思ったのかは話さないが。
「大丈夫。さっき言ったように、そ、その、自惚れみたいだけど、夜弛にとって良い話」
何かよく分からないが、まあ、いい。
「それで、話の続きだが……」
「あっ、うん。その、さっき言ったように、これはね、別に言わなくてもいいことなの。ただ、私が満足できないから。そんなことなんだけど、聞いてくれる?」
美月の上目遣いでそう言われ、もちろんのこと俺には頷く以外の選択肢はない。
「ああ、聞く」
話を聞くためにさらに近づき、向かい合った。
美月の頬は赤く、美月のそんな顔を間近で見る俺は、年頃の男らしくドキドキと鼓動を激しく鳴らし、わずかに興奮していた。
もちろんその意味は性的なものである。
「ねえ、夜弛。妖怪の運命の人を探して、その人と結ばれるって幸せなことだと思わない?」
「それは……思うな」
妖怪の、物語にしかないようなおかしな種族としての特性。それは決して消えることのない想いである。呪いのように決して消えることのない想いだ。
この想いには間違いがないので、妖怪では恋人という期間がなく、すぐに夫婦になるのだ。
なので、告白=プロポーズというのが妖怪の中での常識である。
もちろん人間の世界に妖怪たちはいるので、全てがそうであるとは限らないが。恋人という期間を体験する妖怪もいる。
だが、結局はほぼ百パーセントで夫婦になるのだ。
あまり大した違いはない。
「でしょう?」
「それで、何が言いたいんだ?」
まさか俺たち妖怪の特性のことを話すためではないはずだ。
「その、私と夜弛は運命の人で結ばれるんだよね?」
「ああ。その、嫌か?」
「ううん、嫌じゃない。う、うれしい」
美月が顔を隠すためか、俺の胸元に顔を押し付ける。
くっ、そ、そんなことをしたら俺、我慢できないんだけど!
だが、美月を離れさせることはできないので、このままにするしかなかった。
「け、結局、言いたいのはね」
美月は俺に密着したままである。
離れようとせずに話を続ける。
「私、夜弛が好き! そ、その、だ、だから! も、も、もうちょっと、か、か、関係を進めない? に、人間みたいに夫婦の前に、こ、恋人って関係を、い、入れたりしたいの!」
美月から伝えられたのは、いわゆる愛の告白であった。ただ、先ほど言った妖怪の告白、つまりプロポーズではなく、人間の恋人関係になるための告白だ。
「だ、ダメ?」
「…………」
それに俺はすぐに答えることができなかった。
もちろん美月の愛の告白が嫌だったわけではない。むしろうれしかった。それにそもそも俺も美月のことは好きだ。
それに互いに薄っすらと気づいている。互いに好意を抱いているということを。
まあ、先ほどは不安になったが。
「……すまん」
結局俺が出した答えはこれだった。
その答えに美月はショックを受け、俺から離れようとした。
だが、俺は美月を抱きしめ、離れた距離を詰めた。
美月は激しく抵抗したが、鬼で男である俺には無意味だった。
しばらくして美月は抵抗を止め、俺の胸元に顔を押し付け静かに泣いた。
「ねえ、なんでダメ、ぐすっ、なの? 本当は私のこと、嫌いなの?」
「いや、違う。俺は美月のことが好きだ。間違いはない」
「なら、なんで?」
「恋人になるってことはキスとかするんだろう?」
「……うん」
「その、な。俺も男なんだ。恋人になればキス以上のことを求めてしまうんだ」
「!!」
俺が恥ずかしくて言いたくなかったが、このままでは美月に誤解されたままというのはよろしくない。こういう誤解はすぐに解かなければ。
なので、顔が熱くなり恥ずかしいが、それを我慢して話したのだ。
くっ、好きな人にこんなことを言うとは……!
「だから、その、待ってほしいんだ。それに夫婦になる前に関係を持ったら父さんに怒られるからな。分かってくれ」
妖怪の貞操概念には、多分今どきにしては固いものである。特に年齢は決まってはいないが、夫婦になるまで関係を持つなというのが決まりだ。
持ったら別に別れさせられるとかはないが、あまり良いことではない。
「……分かった」
「言っておくが、俺だってお前のこと、異性として好きなんだからな。あと、少しくらいはくっついてもいいから」
さりげなく、自分の思いを伝えながら、慰め(個人的な下心あり)のための行為を許可した。
ま、まあ、俺も男だ。異性に触れたいという欲求は普通のことだし、未来の妻であるから触れる権利がある。
「それってまた昔みたいにくっ付いていいってこと?」
「ああ。だけど、軽くだからな。キスとかはダメだぞ」
もしキスなんてされたら、それだけで俺の理性があっさりと切れてしまうかもしれないから。
ともかく、美月が想いを告げたこの日から、いつよもりも美月からのスキンシップは多くなった。
自分が言い出したことであったが、それを後悔しそうなほど自分の理性を保つのに精一杯だった。
そして、俺たちが中学生になると、俺と美月は二人暮らしをすることになった。
これはどうも美月が望んだことのようだった。いいのかと思ったが、どちらの両親も承諾していた。
もちろん俺は反対した。
いや、別に美月と暮らすというのが嫌だったというわけではなかったが、中学生というのはまだ子どもに入る年齢である。俺たちが高校生ならばまだ納得できるが、中学生だ。納得は難しかった。
それに家事などのこともある。
俺は家事なんてほとんどやったことがないからよく分からないが、それでも大変なものであると分かる。
なので、それをカードに反対した。
だが、そんな反論もなぜか胸を張ってドヤ顔して俺の前に立った美月によって、あっさりと打ち破られた。
なんと美月は俺が見えないところでほぼ毎日家事の手伝いをしていて、美月の母親や俺の母親からも家事の腕は合格を貰っているというのだ。
よってあっさりと打ち破られたのだ。
では、もう一つのほうはというと、そちらは俺の父親からの「最終的には夫婦になるのだから問題ない。ただ早いだけだ」と言われ、何も言えなかった。
そういうことで、俺と美月は暮らすことになったのだが、俺と美月の前にあるのは立派な一軒家。あきらかに二人で住むには大きい一軒家である。
「なあ、美月。本当にここか?」
両親はいない。地図を渡され、この家が二人の家だと言われたのだ。
「ん、そう。この家に間違いない」
そう言われた。
中に入り、この家を隅々まで見た。
部屋は五部屋で、やはり二人用の家ではなかった。どう考えても子どものいる家族が住むような家だ。
おい、妖怪は妊娠しにくいってことを忘れてないか?
俺は両親たちにそう言いたくなった。
荷物はすでに運ばれており、あとはダンボールから物を配置するだけだ。
「さて、さっそく荷物の整理をするか」
自分の部屋ならば自分のだけだからそんなに時間はかからないが、俺と美月が共同で使うリビングなどでは二人でやらなければならない。やはり適当に家具を置くのは、あまりオシャレに興味ない俺でも気になってしまう。
「あっ、待って」
「ん? なんだ?」
美月が俺の真正面に立った。
「これからずっとよろしくお願いします」
そう言って、美月は礼儀正しく頭を下げた。
その意味はもちろん将来も意味していた。
「ああ、よろしく頼む、美月」
俺はそう言って、美月にキスをした。
あまりすると興奮してしまうが、このくらいはな。
それから俺たちは二人だけの日常を過ごして行く。
初めての同棲であるが、幼い頃から一緒にいて、時々は互いの家に泊まっていたりもしたので、問題と呼べるものはほとんどなかった。
その日常はもはや夫婦のものであった。
それは俺も美月も感じていた。二人とも学生であるので、俺が家に帰れば、美月がエプロン姿で玄関まで来て「おかりなさい」って言ってくれるという夢のシチュエーションはないが、一緒に登下校するという学生らしいこともできている。つまり、家の中では夫婦、家の外では学生という二つの生活を満喫しているのだ。
休日では夫婦らしい日常が続いていた。
俺もあの頃はこれからもずっとこんな日常が続くのだと思っていた。
それも全て異世界に飛ばされたことでその日常はなくなった。
だが、完全になくなったわけではない。それは美月がいたからだ。いくら男の妖怪がハーレムを作るので、美月がいなくても美月以外の女性をこの世界で見つけようとしてもおかしくはないのだが、それでも美月がいなければ俺は狂っていただろう。それだけ美月は俺に必要な存在なのだ。