第15話 二人の妖術
そうして街を歩いてたまに食べ歩きをしているといつの間にか日は落ち、あたりは暗くなっていた。
通りは昼間とは違った別の賑わいを見せる。
「夜弛、あっちの店、絶対に行かないで」
そう言う美月が向ける視線の先には扇情的な服を来た綺麗なお姉さんたち。
そのお姉さんたちは甘い声を出して、とにかく男たちに声をかけていた。もちろんその女性たちの仕事が何か分からない俺ではない。前の世界で行ったことも見たこともないが、俺には分かる。
いわゆる「風俗」などという言葉が付くような店関係だ。
もちろん俺は美月に言われるまでもなく、そういう店に行く予定は今後もない。
「大丈夫だ。美月がいるのに行くわけがないだろう。お前は俺の妻だ。そんなことをすれば浮気に等しい行為をしたも同然だ。俺は浮気をするつもりはない」
俺がそう言うと美月は小さく俺にばれないようにと安堵していた。
ふっ、心配しなくても俺は美月に首ったけだ。
確かに今の俺の中の性欲の獣が暴走寸前だが、どうも美月以外で相手しようと思っても何か抵抗がある。発散はされるだろうが、心までは満足しないって気がするのだ。
ロマンチックに言えば愛し合っていないから、とか。
とにかく、俺に運命の人となる者、つまり妻以外を抱くつもりは全くない。
「うん」
俺は美月の返事を聞く。
「さて、そろそろ暗くなったし、移動するか」
予定通り今の時間は夜の時間。確かに夜の賑わいがあるが、裏路地へ行けば、その賑やかさは昼間とは違ってさらに静かなものとなる。それに路地には灯りはない。頼りになるのは月明かりと路地に接する建物から漏れる灯りだけだ。
だから、俺たちはこの時間帯を選んだ。
ただ、こういう場所では犯罪が起こりやすいが。
「おい、女を置いて失せな!」
この通り、俺たちの前方をガラの悪い男が三人で道を塞いでいる。
男たちはニヤニヤとしていて、意識は主に美月に向いている。言葉からも視線からも美月狙いだと分かる。
「断る。こいつは俺の女だ。お前らのような悪党なんかに渡すわけがないだろう。いや、そもそも俺以外にこいつを渡すつもりはない」
俺は美月を背に隠しながらそう言った。
ここが城だったら俺は下手に何も言えずにどうにかしてこの場を切り抜けていただろう。
だが、ここは城ではない。庶民で溢れる街の中だ。多少の暴力があっても隠すことは容易なのだ。
さて、どうするか。殺すか、気絶させるか。
だが、気絶させるほうは後が怖いな。尾行者と接触されて情報を渡すのはまずい。
よし、殺そう。
俺の中で男たちの運命が決まった。
「くくく、女の前だからってかっこつけるんじゃあねえよ。こっちは三人。お前は……まさかと思うが女にも戦わせようって気はないよな?」
「ない。俺一人だ」
「だよな! ということは、だ。三人に対して一人。そして、俺たちは荒事には慣れている。つまり強者だ。だからさっさと女を置いていけ。俺たちが可愛がってやる」
男たちの下腹部を見るとどの男も膨らんでいた。
このクソ野朗どもめ! 美月に俺以外のモノを見せるな!
「寝言は寝て言え。お前らごときが俺に勝てるわけがないだろうが」
「はっ、威勢がいいな、クソが!」
その言葉に反応して、男たちのうち二人はナイフを取り出し、最後の一人は三十センチほどの杖を取り出した。
杖というのは魔法を発動するときの補助となるものだ。
魔法の発動は基本的に魔法陣の構築である。詠唱をするのは魔法陣の形を正確にするためのものであり、杖もまた魔法陣を正確にするためのものだ。魔法陣を正確にすることは威力向上へと繋がる。
だが、俺たち勇者が杖を使ってはいなかった。
それは俺たちが使っている魔法が初級のもので、魔法陣の形が正確ではなく、曖昧な形でも一応魔法としては完成するからである。
また、魔法のレベルが高いと魔法陣の形が正確になるなどという特性もある。
まあ、魔法が使えない俺には縁のない話であるが。
「残念だなあ。お前が大人しく従ってくれたら、逃がしてやったのに」
「全くだ。お前、謝ってももう許さねえよ。ボコボコにされて、自分の彼女がぐちゃぐちゃに犯されるのを見てろ」
そう言って、一人が俺のほうへと突っ込んできた。
はあ……やっぱりこいつらは殺したほうがいいな。尾行者と接触云々の前にこいつらを放っておくのは、いろんな意味で危険だ。正義の味方になるわけではないが、こいつらは殺さなければ。
だからこいつらを殺すために妖術を使う。
「妖刀『白雪』」
俺がそう言うと右手に妖力が集まり、その名とは反対の黒い刀身の刀が出現した。
これが俺の基本的な妖術である。妖力を物質に変換するのだ。
ただ、この白雪は特別で、ただ妖力を物質に変化して出しただけの刀ではない。妖刀らしく、この刀は特殊な力がある。この刀は俺の能力の結果でありながら、別の存在のような物になっていたりもするのだ。なので、たとえ妖力に戻しても経験値的なものは引き継がれたままなのだ。
だから、俺はこの刀に「白雪」という名を与えているのだ。存在を与えたのだ。
その白雪を握った俺はその刀で突っ込んできた男の首を切り落とす。
本来ならば首と胴の断面から血が吹き出るのだが、その断面は凍っており血は噴き出ることはなかった。
これが白雪の特殊能力の一つだ。
「なっ!? ぶ、武器だと!? いつの――」
もう一人の前衛の男が叫ぶが、途中で途切れる。
俺がすぐさま移動して首を斬ったからだ。
こちらも断面は凍っている。
「お前が最後だ」
俺は最後にすぐに二人が殺され、その事実を受け入れられていなくて、呆然と立っている男の胴体を斬る。
呆然と立っていた男は僅かな呻き声を出し、上半身と下半身に分かれて崩れ落ちた。
この間、僅か数秒で、男が突っ込んで来てから十秒も経っていない。三人目の男がすぐに反応できなくてもしょうがない言える。
「美月、回収しろ」
「ん」
美月は俺の言葉に頷いて、その遺体をすぐさまアイテムボックスの中へと入れた。
「それとすぐに転移の準備だ。歩きながらでもできるか?」
「できる」
「なら、俺の合図で発動させてくれ」
美月が転移の準備をする間、俺は美月の手を引きながら周りの気配を調べていた。
幸いにもまだ尾行者はこちらの行動に気づいた様子はなかった。まだ路地ではなく通りだ。路地まで入らなかった理由は分からないが、都合は良かった。
「夜弛、いつでも」
美月が準備完了を知らせてくる。
「やれ」
俺の合図を聞いた美月が妖術を展開した。
俺たちは一瞬で別の場所へ転移した。
「成功だな」
周りの木々を見て、そう呟く。
先ほどの街の賑わいはなく、虫や夜行性の魔物たちの鳴き声が響く。
ふむ、いい声だ。
城では森から遠いので、森の生物の鳴き声は聞こえなかった。
ああいう静かなのもいいが、やはり森の生物の夜の鳴き声というのも俺は好きだ。
「当たり前。ただ、当初よりも大幅に転移場所が変わったけど」
「ん? 失敗か?」
美月の妖術の腕は妖術が得意な九尾の母さんに褒められるほどだ。
そんな美月が非常時ではないにも関わらず、妖術に失敗するなんて驚きなのだ。思わず体調が悪いのかと心配するほど。
「言っておくけど、失敗じゃないから」
「じゃあ、どうしてだ?」
なんと美月のこの結果は失敗ではなく、自分の意思のようだ。
「すぐ近くの森に転移して町に行ったら、そこに待ち構えられているかもしれないから」
「なるほどな」
確かに美月の言うとおり、その可能性は高い。
いくら王都で見失ったとはいえ、頭が切れる者がいればすぐに近くの町に人を送るだろうな。これでは転移した意味がない。しかも、俺たちが歩きなのに対して、向こうは馬などを使うだろう。
「ごめん、夜弛。私の独断で転移して」
美月が申し訳なさそうに言う。
「何を言うんだ。お前のその判断は正しい。俺も考えていなかったことだ。まあ、確かに独断というのはいただけなかったがな」
「あうっ」
目に見えて落ち込む美月。
やはり可愛い。思わず泣かせたくなるほどに。
「それで、ここはどこなんだ?」
もっと責めて美月の可愛い反応を見たかったが、これ以上してしまうとマジで襲ってしまうと思い、話を進めた。
「えっと、確か隣国の近くの森」
俺たちを召喚したエルライルド王国は広大な領地を持ち、そのエルライルド王国の王都は、エルライルド王国の領土のほぼ中央にある。王国の周りには海はなく、森や広原などが広がる豊かな土地だ。
ちなみに国同士での戦争はここ数百年は起きていない。
理由はいくつかあるようだ。
「よく転移できたな」
先ほど言ったように王都は広大な領地のほぼ中央あたりにある。少なくとも城から見える範囲では、隣国の近くには行けないはずである。
なので、美月がどうやってこのような場所を見つけたのか気になるのだ。
不思議に思っていると美月の掌に妖力が集まり、何かを形作る。そして、現れたのは漆黒の艶のある小鳥だった。
「夜弛、私の妖術、忘れた? 妖力での生物創造だよ」
「ああ、そうだったな」
美月は様々な妖術を扱うが、俺の白雪のような妖術は生物創造である。
ただ、生物創造とは言うが、本当に生きているというわけではない。生きているように見えるだけだ。あと、その生物を操作したり、視覚の共有もできるのだ。結構便利である。
「それを飛ばして調べたのか」
「そう。地図でいいんだけど、その場所にいたお城の宝物庫と違って座標は平面だけだから。一応、土の中に転移しないようにって」
「なるほどな。ちなみにいつ飛ばしたんだ?」
今回の城脱出は今日とっさに思いついたような穴だらけのものだ。必然的に小鳥を放つタイミングは限られている。
いつ飛ばしたのだろうか。
美月の小鳥は普通の小鳥よりも速く飛ぶことができる。その速さは音速を超えるのだ。
「お昼に」
「ああ、なるほどな。俺と分かれたときか。よくばれなかったな」
「当たり前。妖力だしね。この世界の人間に分かるわけがない」
前の世界では妖怪もいたので、もちろんのこと陰陽師などの犯罪を犯した妖怪を専門とする人間がいた。いわば妖怪専門の警察と言ったところだ。
昔の陰陽師は妖怪は全て敵という認識だったから、善悪関係なく討伐対象になっていたが。
ともかく、この世界ではそういう妖怪専門の人間がいないのだ。
日常的に使っているような魔力はともかく、この世界に全くない妖力を感じるのは難しいだろう。
「そうだが、油断はするなよ。この世界ではよく魔力を使うみたいだし、何かを感じるかもしれないからな」
「分かってる。私、そんなヘマはしないから」
それから俺たちは隣国へ向かって歩く。
本当に隣国の近くだったようで、歩いてすぐに国境(正確な国境ではない)を越えた。
そこからは近くの町へ向かって歩く。
地図はなく、頼りになるのは現在飛んでいる二羽の鳥たちだ。
一羽は三百メートル上空を飛び、もう一羽はさらに高く一キロメートル上空を飛んでいる。
最初の一羽は俺たちの位置を確認し、最後の一羽は広範囲を見るための、いわば地図として地上を見るためだ。
「夜弛、この分だと朝には着く」
「そうか。眠くはないか?」
もう夜になってずっと歩き続けている。
妖怪だから別に数日食べなかったり、眠らなかったししても大丈夫なのだが、やはり気になる。
美月が色んな意味で弱いと言っているわけではないのだが、美月は女の子だ。やはり心配してしまうのだ。
許してくれ、美月。周りにとってお前は強いのだろうが、幼い頃からずっと一緒にいた俺にとっては美月はか弱い女の子だ。
「大丈夫」
「もし眠かったら寝てもいいんだぞ。猫になってもらえれば俺が運ぶ」
「うぐっ、み、魅力的な提案。でも、まだ大丈夫かな」
美月は尻尾をゆらりと揺らす。
もうここは俺たちを召喚した王国じゃないから妖怪の姿を晒している。ただ、尻尾は二本ではなく一本だが。
一方の俺は鬼なので、人間の姿だ。まだ種族に関して完全に調べたわけではないから、まだこのままだ。
まあ、別に不自由するわけではないがな。人間の姿のままでも大丈夫だ。
むしろこの姿よりも変身した姿のほうが――いや、今はいいか。
それからずっと歩き続けて、少しずつ空が明けていく。それと同時に町が見えてきた。美月の予想通りだ。
あれが隣国の町か。やはり大して変わらんな。
隣国だから王国と大きく変わるところがあるかと思ったが、見た目はほとんど変わっていなかった。
「着いたら最初に何をする?」
自分が創造した二羽の鳥を肩に乗せ、美月がさっそくそう言ってくる。
「そうだなあ。一応お金は城から貰ったものがあるから、すぐに稼がなくてもいいんだがな。でも、だからといって金がなくなるまでダラダラするというのはありえないな。だから、一先ずは飯を食ってから冒険者の仕事を――いや、待て。最初に冒険者の仕事を見よう」
「? なんで最初に冒険者の仕事?」
「登録したときに説明を聞いたが、どうも依頼というのは取ったもん勝ちのようだ。初心者は多いみたいだから、初心者がやるような依頼は依頼が掲示板に張られると同時になくなるらしい。もちろんたくさんあって困らないという依頼は取ったもん勝ちというわけではないようだがな」
そのたくさんあっても困らない依頼と言えばお決まりの薬草の類だ。
それはポーションと呼ばれる魔法の薬を作るために必要な材料の一つなのだ。そして、ポーションにも様々な種類があるんだ。その中でも冒険者がよく使うのは回復用のポーションだ。
もちろん回復用のポーションというのは傷を治す魔法の薬だ。科学的な薬ではない。
たくさんあっても困らない理由はもちろん冒険者というのは討伐を主にする職業なので、怪我をよくするからだ。多くあっても困らない。むしろ余裕を持っている必要がある。命がけの職業だから。
まあ、毎日いつでもある依頼なので、報酬は少ないのだが。