2ー2 嫌いだ。
「人生をやり直させてやるよ」
風呂から上がって部屋に戻ると、あいつが親父臭くベッドで寝そべっていた。
「俺の聖域から出ろ」
「聖域? 自慰専用風俗の間違いじゃないのか? 風俗嬢はスマホの向こう。悲しいねえ」
「黙れ。銀の弾丸で撃つぞ」
「俺をバンパイアと間違えてるのか? 光栄だなあ、かっこいいじゃんか」
「お前が昼に現れないのは太陽に弱いからじゃないのか?」
「ばーか。俺が夜に現れるのは、お前が小南さんのことを思い出して傷心したり妄想したり自慰したりするのが、決まって夜か朝だからだよ。昼は仕事がすべてを紛らわせてくれる。違うか?」
その通りだった。
仕事は作業的であまりお世辞にも面白いとは言えなかったが、嫌いではなかった。
昼間の体の疲れを家で癒し、夜間の心の疲れを昼で癒す。社会人になって一ヶ月強、そんなタイムスケジュールで里中は動いていた。
だが、体の疲れも心の疲れも徐々に消えきらなくなってきている。それが少しずつ蓄積していっているのも感じる。
そして、日に日に小南への想いや喪失感も強くなっている。
いつまで耐えられるだろうか。
「そう遠くないだろうな。その前に、やり直しちゃえよ。後悔の先に立っちゃえよ」
「うるさい。俺はお前なんて信じない。もう現れるな」
影に背を向け、床に座る。薄い布一枚を越しただけのフローリングは冷たかった。対照的に汗でシャツが張り付いた背中は熱かった。
「だからさ、何度も言ってるだろ。俺を呼んでいるのは、他でもないお前自身だって」
「呼んでない」
「やり直したい、って思ってるのは事実だろ?」
里中は答えられなかった。
部屋が静まり返る。
正直なところ、やり直したくてたまらない。
でも、成功する保証はない。むしろ失敗に終わる可能性の方が高いだろう。ずっと一緒に勉強をしてきて、友達としての関係を続けてきて、今さら「好きだ」と伝えたところで。
友達としてしか見られない。そう言われるのがオチなんじゃないだろうか。
そんなマイナス思考をしてしまう自分が、里中は嫌いだった。そのくせ、くよくよと後悔ばかり続けて苦しんでる、ちっぽけな自分が嫌いだった。
そんな自分を、受け入れてくれる人なんて、いるのだろうか。
「いねえな」
トゲのある強い口調だった。
「自分のことを好きになれねえ奴が、他の誰かに好きになってもらえると思ってるのか? 世の中そんなに甘かねえよ。その上、やり直す選択肢を前にして、メリットはなんだデメリットはなんだ、くよくよ考え込んでさ。目の前に餌があるなら、遠慮せず食っちまえばいいんだよ。食うべきか食わざるべきか考えてるうちに腐っちまったら、元も子もねえだろ」
図星を突かれ、怒りが熱として胸から全身に広がっていく。この熱は、誰への怒りなのか。
——自分のことを好きになれねえ奴が、他の誰かに好きになってもらえると思ってるのか?
そうだ、そんな自分を好きになってもらえるはずなんてない。やり直したって意味がないんだ
意味がない、意味がないんだ。やり直したって意味がない。
繰り返し唱えるにつれて、心が沈下されていく。
でも、なぜだろう。
その度に、虚しさが広がっていくのは。
「でもさ、そんなネガティブ人間が勇気を出す瞬間を見てみたいんだよな、俺は。そういうのは、好きだぜ」
その言葉に思わず振り返ってしまう。
影は、そんな里中に「ハハッ」と笑う。
「俺はお前だ。だから、知ってるんだぜ。お前が完全なネガティブ人間になりきれないことを。たまにはポジティブなこと考えたり、後先考えずにとりあえず飛び出してみたり。そういうことをしたい衝動が、己の心に眠っていることを、さ」
里中は心を揺さぶられていた。それを誰かが「いいように踊らされてるぞ」と警告を鳴らしている。
同時に別の誰かが「その警告を無視して突っ走りたいんだろ?」と後ろから肩を押してくる。
前方に倒れそうになると、今度はまた別の誰かが叫ぶ。
やり直すな、と。
こんなやつのこと信じちゃダメだ、と。
そして、足を踏ん張らせる。
欲望と警報の狭間で、里中は立ち止まっていた。
「さて、今日はもう去るか。その前に、これだけは言っておく。俺はお前の敵じゃない。俺は、お前だ。俺の望みは、お前を苦しみから解放することなんだよ」
そして、もう一度沈黙が訪れる。振り返ると、そこはただの一人部屋だった。
「To My Sanctuary」
https://soundcloud.com/zmwyvdipjyda/06-to-my-sanctuary