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8−2 その恋を

 飲み会が始まって一時間近く経った。前の人生と同じところもあれば違うところもある。そんな空間をしばらく楽しみ、一度会話が止まったときだった。


「里中くんといると、楽しいな」


 ロックの梅酒を口につけながら、俯き加減に小南が言った。

 この日の小南は明るかった。時間が経つほどにその傾向は上がっていく。「水割りが薄い」という忠告を真に受け止めて、アルコールの濃いものを中心に頼んでいたせいなのかもしれない。


「うん、俺も小南さんといると楽しいよ」


 里中も彼女につられ、アルコール摂取量は前の人生よりも増えていた。そのせいか、二人の間の空気は暖かく、狭かった。


「なにラブラブしてんのよ」


 姫野がこうして口を挟む回数も多い。彼女もどこか嬉しそうなので、里中は徐々に否定しなくなっていた。小南は楽しそうににこにこしている。

 要するに、さっきよりも「いい感じ」になっていた。

 すると、姫野が小南に耳打ちを始めた。さっきの人生でも何度かこんな場面があったが、里中には何を話しているか検討もつかない。二人とも楽しそう、ということだけは見ていて伝わってくる。

 反対側に目を向けると、そちら側も楽しそうに笑い合っていた。この一瞬、里中は一人だった。それが苦痛だったわけではないが、居心地が悪く、しばらく目を泳がせることになった。最終的にメニュー表へ落ち着かせ、たこ焼きに目を向ける。実物も十分に美味しかったが、多少デフォルメされているようだった。


「里中くん、たこ焼き好きなの?」


 ああ、このくだりがもう来たか。

 里中は顔を上げて微笑む。


「好きだよ」


「ウチも大好きなの!」


 その笑顔にドキドキしてしまうのは、二度目だった。何度見ても美しいものは美しい。


「じゃあ、頼もうか。たこ焼き」


 メニューを片手に、呼び出しボタンを押して店員さんを呼ぶと、すぐにやってきた。

 里中はお酒とたこ焼き、串焼きなどをいくつか注文する。すると、隣の小南が「いやー。それにしても」と嗄れ気味の興奮した声を出した。


「里中くんもたこ焼きLOVEだったなんて、思いもしなかったよ」


「たこ焼きが好きだ! なんて叫ぶ機会はそうそうないからね」


「好きだ、か」


 その台詞は初耳だった。儚げで、俯いていてもどこか遠くを眺めるような目だった。


「どうしたの?」


「いや、なんでも……。好きなことを好きって言うのって、大切だよね、って思って」


 そうだね、と呟いてアルコールを一口含む。

 どこで聞き覚えのある台詞が来て、どこで初めての言葉が聞こえるのか。

 それを考えながら会話を続けるのは、蛇行し続けるアトラクションのようで楽しかった。また、変わる場合は明るくなることがほとんどで、このように暗くなる展開は初めてだった。


「ねえ、知ってる? 人が死の間際にいるときに想うのって自分のことじゃないんだって。大切な人のこと、なんだって」


 急にどうしたんだろう、と思いながらも里中はその言葉に首肯していた。死の間際とはいえなくとも、大切な人に想いを告げられずに死んでるみたいな生活を送っていた里中は、常に大切な人のことを想っていたから。


「ロマンチックだね」


「でしょ? ウチはまだ死の間際に立ったことないけど、すごく、わかる気がするんだ」


 死の間際に立ったことがない——。里中の脳裏に惨たらしい事故現場が蘇る。力なく横たわる四肢。乱れる髪。血の色のない肌。

 駄目だ、こんなことを思い出しては駄目だ、と思考を振り払う。


「俺も、わかる気がする」


「そっか。ごめんね、暗い話しちゃって」


 酔っちゃってるかも、と彼女は微笑む。


「ちょっと頭痛いや」


 微笑むだけで肩が揺れたり首が少し傾いていりしたいるのを見ると、どうやら本当に酔っているらしい。


「大丈夫?」

 

「うん、平気だよ」


 まぶたが重たそうだった。告白する前の、水を飲んでいるときの肌寒さが思い出される。

 水割りが薄い、なんて言わなければここまで酔ってなかったのかな。

 里中はため息をグラスにこぼし、お酒を口に含む。唇に氷が当たった。

 いや——そんなわけはない。

 前の人生のこの場で水割りを初めて飲んだのはたこ焼きを頼んだ後だ。それまでは薄めるという概念のないチューハイやビールばかり。ソーダ割りすらも頼んでいない。

 つまり、単に飲んでいる量が変わっただけだ。


「明るい話しなきゃね」


 小南の少し枯れた声は、里中の耳を左から右に抜けていく。


 水割りが薄い、という里中の発言の影響はあまり大きくない。つまり、もっと影響の大きいことがあったということ。

 それは、なんだ?


「明るいこと……、楽しいこと……」


 そもそも里中の理論——自分がタイムスリップしたことで過去が変わり、そこから芋蔓式に様々な変化がもたらされ、一見関係のないように思えることにまで影響を与えてしまう、というものが実在するとして、しないはずの話をするほどまで変わるのか。特に、「人が死の間際にいるときに想うのって自分のことじゃない」なんてことを突然言うような変化を与えるものか。

 それに……。


「あっ、そうだ」


 この人生に戻って初めて小南を見たときから、なにか違和感があった。その正体が未だに掴めないでいる。


 そのときだった。

 小南が、酒の勢いに任せたように、少し自棄になったように、無理やりな明るい声を出した。


「『楽』と『楽しい』って割と真逆だよね」


 その言葉に、里中は思考を奪われた。


「楽してもイマイチ楽しくないし。そう思わない? さーとなーかくーん!」


 お酒で頬を染めた小南の、調子はずれの声。心臓がその存在を主張している。恋のドキドキではない、重量感のある鼓動だった。

 この言葉には聞き覚えがある。少なくとも、社会人で悶々と過ごしていた時点では記憶にあった。その風景も、多少の劣化はしていたが覚えている。いま、目の前にあるものそのものだ。でも、そんなことはありえない。あの人生で里中と小南は離れて座っていた。だから、この景色に覚えがあるはずなんてないのだ。

 だからといって、それを過去のいつ、どこで体感したのかを思い出すことができない。

 なんだ、この違和感は。

 里中の中で組み立てられていたパズルが、軋みを上げて崩れていく。何が正しいのか何が間違っているのか分からないまま砕けていく。そして、その破片がまた別の形を作り上げていくのを中心から眺めているようだった。

 そして、ついにひとつの絵が浮かび上がった。ピースのいくつか足らない絵だった。

 このピースを埋めるためには……。


「里中くーん! どうしたの?」


「……あ、ごめん。ちょっとトイレ行って来るね」


「う、うん。いってらっしゃい」


 小南は手を振って笑っている。ぎこちなさげに笑っている。彼女の手は、里中が出かける背中をそっと押す手というよりは、里中が帰ってくることを待っている手に見えた。






「出てこい」


 トイレに入ると、便器まで行かずに洗面台の前に立った。


「どうした? トイレで男を呼ぶなんて、危ない香りしかしねえな」


 影が鏡越しに浮かび上がる。漆黒なのに輪郭がはっきりしない、不気味な影だった。表情がないのに、にやにやと()()()笑んでいるのが伝わる。

 きっと、里中が何を言いたいのか、気づいているのだろう。


「聞きたいことがある。小南さんの『男のくせに女に負けてんじゃねえよ』を、その顔を、俺は一度夢で見た。正夢かと思ったけど、ひょっとして単なる夢じゃなくて、俺は本当にあれを見たことがあるんじゃないか?」


「ああ」


「さっきの『楽』と『楽しい』の違いの話も、間違いなく記憶にあった」


「ああ」


「告白する前に真に受け止められないビジョンが浮かんで、それが現実になった。あれも、経験したことがあるからなのか?」


「ああ」


「で、この『やり直し』は、記憶を消してやり直すこともできるんだよな」


「ああ」


「俺がお前に出会ったときに過ごしていた人生は、一回目じゃなかったのか?」


 影はすぐに返事をしなかった。だが、答えるのをためらっているのではない。もったいぶってこの沈黙を楽しんでいるのだ。

 そして、彼は一歩里中に近づき、右手側の壁に背中を預け、鏡越しの里中に返事する。


「ああ」


 やっぱりそういうことか。

 里中はため息をこぼす。


「これは、何回目なんだ?」


「さあ。いちいち数えちゃいねえな」


 なぜ本来の里中は小南の席と離れた場所に座ることになったのか。

 里中は何度か人生を繰り返した。繰り返したということは、バイク事故が起きたように、この恋はどう足掻いてもハッピーエンドを迎えることができない運命だと悟ったのだろうか。それは分からないが、里中は記憶を消す選択を選んだ。だが、記憶を消す選択をしても全てを忘れることはできないのだろう。名残として経験していないはずのことが夢に出てきたりした。

 記憶を消す前の里中には、きっと「諦めなければならない」という思いがあったのではないだろうか。故に、記憶を捨てた後の人生でも小南と離れた席に座ったり、男子だけの二次会に参加したりしたのではないか。

 その後、社会人になり、後悔だけが残る。そんな彼に影は語りかける。人生をやり直さないか、と。そして彼はやり直し、一見うまくいったような軌跡をたどる。だが、その先にあるのは小南の事故。またやり直しても別の何かが起こり、それを繰り返すうちに彼は諦めることを決意し、記憶を消して大人しく一人で社会人になる道を選ぶ。すると、後悔だけが残る。そこに影が現れる。

 そして繰り返す——。


「何が本当なんだ?」


「全部本当だよ」


「そういうことじゃない。何が、最初なんだ? 本来あるべきことなんだ?」


 輪廻の中で里中は彷徨っている。だが、それは決して最初からではないはずだ。

 どんな迷宮にも必ず入り口はある。出口がなかったとしても、入り口はあるはずだ。いま目の前にいる影と初対面を果たした瞬間だって、存在したはずだ。


「俺の口からは言えねえんだよな、それ」


「なんでだ」


「なんでも何も、俺は何も教えることができねえんだよ。なぜなら、俺はお前そのものだからな」


「は?」


 影の軽い口調は少しずつ神妙になっていき、とうとう里中の声色よりも低くなった。


「そのお前が、消したいと思った記憶だから消えてるんだよ。記憶を消すことを決心したお前こそが、ある意味では俺なのさ。だから、お前の決心を守るため、教えることはできねえんだよ」


 なんだその理論は、と里中は壁を殴った。それが引き金となり、里中の感情は制御が効かなくなる。


「その本来の俺が、いまそれを知りたいと思っているんだ! 教えろ! オリジナルの俺なんて、この世にはいないんだろ!」


 彼は睨む。鏡越しの影を睨む。影に目はない。腕を組んで壁にもたれたまま動かない。表情が読めない。暖簾に腕を押すように手応えがない。それでもなお、里中は威嚇を続ける。爆発しそうな感情を、すべて、影にぶつけるように。

 どれくらい経っただろうか。トイレの前には人だかりができているかもしれない。


 先に言葉を発したのは、影だった。


「俺に決定権はない。俺は所詮、お前の一部だからな。俺にできることは二つだけ。提案と、警告だ」


 影は腕を組み、右足に重心を傾けた。


「一応言っておくぜ。知りたくないことだってあるはずだ。なぜなら、お前は記憶を消す道を選ぶことになったんだから。覚悟はできているか?」


 里中はそこで初めて振り返る。影の表情は、やはり読めない。


「ああ」


「そして、全てを知ったままお前は一番最初に戻ることになる。初めてやり直したいと思ったときにな」


「ああ」


 虚構の中に永住するくらいならどんな現実でも受け止めてやる、と里中は強く言い放つ。

 残念だよ、と影は囁くように息を漏らす。


「じゃあな、相棒」

前半「もう一度 -downdraft-」

https://soundcloud.com/zmwyvdipjyda/15-downdraft


後半「対峙」

https://soundcloud.com/zmwyvdipjyda/16a

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