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7ー2 わずかにさせない。

 その公園は先ほどの場所から数十歩ほどの場所だった。遊具はブランコと砂場しかないため、ここにくる子供たちはドッジボールなどをすることが多い。また、安全のため、高いフェンスに囲まれている。都会らしい造られた自然ではあるが、フェンスに沿って公園を覆うように木が生えていた。外灯は公園内に三つあるベンチを照らすように立っている以外はまばらなため、夜になると薄暗く、外からは中の様子は見えづらい。さいわい、里中たちが入ったときは他に誰もいなかった。


 雰囲気がいいとも言える、のかな。

 自販機に小銭を入れながら里中は口元を綻ばせる。250mlの水のボタンを押し、取り出し口に手を伸ばす。春先の夜には堪える冷たさで、すぐにキャップを掴んだ。誰も手袋やマフラーを装着していなかったことを思い出す。真冬の頃に比べれば多少暖かくはなっていたが、この時間にもなると真冬の夕方と肩を並べるくらいの寒さなのは間違いない。


 ここで告白しよう。

 里中は密かに決意していた。

 好きです、と想いを伝える。きっと今までの人生で経験したことのないような恥ずかしさに襲われるんじゃないか、と思う。

 彼女はどう思うだろうか。


 からかわないでよー、もうー。

 そんな声が真っ先に脳内に聞こえた。


 相手にされない。そんな結末もありそうだな、と思って左手で鼻を掻いた。

 ベンチに座る小南の元へ戻る。彼女は手を口元で覆って「はー、はー」と息を吐いていた。指の隙間から白い煙が上がり、消えていく。


「寒いね」


「寒いね」


「何も考えずに冷たい水買っちゃった。ごめん」


「いいよいいよ、ちょっと喉乾いてたから。温かいのがいいなあ、なんて思ってなかったし」


 ペットボトルを手渡すと小南は「ありがとう」と微笑んだ。外灯がすぐ頭上にあるせいか、キラキラと輝いて見えた。

 キャップを開け、ペットボトルを両手で包むようにして口をつけた。ごくりごくりと喉を鳴らし、ぷはあ、と口を離す。「あー、生き返るー」と親父くさいように、あるいは無邪気な子どものように目尻を下げるのを見ていると、気持ちが良かった。里中は彼女の左に腰掛ける。

 小南がバッグを開けようとすると、里中はそれを制した。


「お金はいいよ。俺が小南さんに水を飲んで欲しかっただけだから」


 アルコールを少しでも薄めるためだった。ただただ立ち止まって休憩するよりもその方が有効だろう、と。


「でも、悪いよ。こんなに寒いのに足を止めちゃって。早く帰りたいでしょ」


「気にしないで。早く帰ってもどうせひとりだから。それに、」


 その先の言葉を一度脳内で唱える。ちょっとしたことではあるけど、口に出すのが恥ずかしかったから。でも、想いを伝えなくちゃいけない。自制心に負ける人生は、もう嫌なんだ。


「小南さんと一緒にいると、楽しいから」


 目を見て言いたかった。でも、それはまだ叶わず、地面に転がる石に焦点を当ててしまっていた。情けないなあ、という想いがまた恥ずかしくて、照れ隠しのように微笑んで「俺が楽しんでいる報酬だと思ってもらってもいいよ」と続けた。この言葉では、彼女と視線を合わせていた。

 今度は小南が表情を綻ばせ、地面に顔を向けた。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 でも報酬としては少ないね、とおどける小南。「ごめん」と言って里中がポケットから財布を取り出す素振りを見せると、小南は「冗談だよ! いらない要らない!」とふためいた。ごめんごめん、と里中はいたずらに笑う。すると、今度は小南がうつむいた。上品に閉じた脚の隙間に、両手で包んだペットボトルをちょこんと置き、撫でるように指をモジモジと動かす。


「それに、ウチもね、里中くんといると、……楽しいから」


「え?」


 どういう意味だろう。

 疑問符がいくつも浮かぶ中で、ひとつだけ異質な疑問符が現れた。

 もしや、これは……?


 途端に頭が熱くなる。首が、そして胸が熱くなる。

 こういった思考に至ってしまうことは、これまでも何度かあった。そして、その度いつも横槍を入れて来る者もいる。

 自制心だ。

 そんな都合のいいことを信じるのか、調子に乗るな、自惚れるな——。

 いつの間にか握りしめていた手を力なく広げる。汗で濡れていた。ジーンズに擦りつける。

 まただ、と思う。こうして飲み込んだ言葉はいくつあるだろうか。数え切れないほどあるように思えるし、種類で言うとひとつしかないようにも思える。

 こうしてまた諦めるのか——いや、そうはいかない。

 今回は、そうはいかない。

 これは、『千載一遇』という言葉では足りないくらいの千載一遇のチャンスなのだ。これを逃すわけにはいかない。


 ——気合いを入れないと、と思って。気合いとチャレンジがないと、成功が掴めないかなって。


 いつか自分が言った言葉が反芻される。


 ——それにさ。後先考えずに突っ走ったりして、自分のことをちょっとでも好きになれたら、って思ってさ。


 やるしかない、やるしかない、やるしかない。

 息を飲む。もう一回。

 やるしかない。

 あんな惨めな孤独はもう嫌なんだ。

 掌をもう一度握り直す。

 小南に目を向ける。うつむき、髪で顔が隠れていて表情が見えない。


「あの、俺——」


 口が乾いてしまい、うまく呂律が回らず、言葉が堰き止められる。たこ焼きの火傷がまだ残っていて痛みもある。自分の分も水を買っておけば、と思うももう遅い。

 小南の丸い目が里中に向けられる。その目には、どんな姿が映っているのだろうか。


 勢いでいい。勢いで乗り切ればいい。

 やるしかないんだ。


「俺、小南さんのことが、好きです。もしよかったら、付き合ってくれませんか」


 え、と掠れた声が力無く漏れた。彼女の大きな瞳に、里中が映る。

 言ってしまった、ついに言ってしまった。

 身体中に様々な言葉や想いが走り巡り、摩擦熱でじんわりと発汗し始める。

 おでこから出た汗が顎に滴るまで、二人の間に言葉はなかった。里中はともかく小南もじっと目を合わせるのが恥ずかしいのだろう、二人とも少しうつむき加減に目を逸らしている。

 小南が今どんなことを考え、どんな顔をしているのか。それを知りたい思いは強くとも、それを知る怖さが勝っていた。

 やっぱり俺は臆病だ、と思うと、拳を握る力が徐々に強くなっていたことに気づいた。薬指と小指の爪が手の甲に突き刺さっている。熱さに隠れて痛みは感じなかった。力を抜こうとするも力の抜き方が分からない。もういい、このまま血でもなんでも出てくればいい。

 すると、


「……あはは」


 小南が笑った。


「からかわないでよー、もー」


 それは、先ほど頭の中でシミュレートされた言葉そのものだった。

 え、と掠れた声が力無く漏れる。

 里中の瞳に、丸めた手を口の前に置く小南が映る。


「おかげで酔い覚めたよ。ありがとう。そのためにびっくりするようなこと言ったんだよね」


「い、いや……」


「さ、早く帰ろう!」


 勢いよく立ち上がり、髪を揺らす小南。そのくしゃっとした笑顔は、ドラマのヒロインのように、あまりにも魅力的だった。あまりにも、かわいかった。


「う、うん……」






 公園を出た後の彼らに会話はなかった。二人横に並んで歩いてはいるが、お互い少し外側に顔を向けている。里中は家屋や横道を、小南は道路を見ていた。

 たまらなくなって、里中はちらりと小南を見る。つむじが少し赤く見えた。

 歩いている様子を見る限り、先ほどよりは酔いが覚めているようだが、完全に覚めてはいないようで、歩幅がときどき揺らいでいる。

 右手には水の残ったペットボトルが振り子のように揺れていた。


 全部飲んで捨ててから公園を出ればよかったのに、と里中は思うも、今の状況を作ったのは他ならぬ自分自身。ため息を零したくなるも、緊張してそんなことすらもできないでいた。それどころか、足音以外の音を一切発生させてはいけないような気さえもしていた。

 そんな寡黙な空気とは裏腹に、彼の心はもやもやと、そしてはらはらと、動き回っていた。


 振られたのか。いや、振られてはいないのか。「からかわないでよー」「そのためにびっくりするようなこと言ったんだよね」というのは本心なのか、そうじゃないのか。本心じゃないとしたら、なんのために。俺を傷つけないため? それとも、また別の……。


 両想いの照れ隠し。そんな言葉がふと浮かぶ。

 そんな自惚れたようなことを考えるのが恥ずかしくて頭を振りたくなるが、小南の前でそんな動作をする方が恥ずかしく、ただ体が熱くなるのに耐えるしかなかった。もっと風吹けよ、と。でも、彼女がかわいそうだからやっぱり来るな、と。

 思考があまりに建設的じゃないな、と気づいた瞬間、ふと悲しくなった。でも、その悲しみを外に発散させる術もないので、建設的なことを考えよう、と開き直る。


 真に受け止められなかったということは、決して振られたわけではないということ。信じてもらえなかっただけだ。だから、告白を続ければいつか真に受けてもらえる日が来るはず。そのためには、今日この日を今生の別れにしてはいけない。

 連絡先を聞こう。とにかく、関係を繋ぎ止めなくてはいけない。

 言うぞ、言うぞ、と唱えるたび、鼓動が耳を叩いてくる。

 喉が渇いていることに気がつく。何も言えそうにない。じゃあ今日はこのまま黙っていようか、とネガティブ思考が顔を出す。いや、今日黙っていたら明日はないんだ。喉を潤せばいい。

 唾を飲み込もうとする。でも、口の中が乾ききっていて唾が出てこない。そこでまたマイナス感情が顔を出す。そして追い払う。渇いた水掛け論だった。


「里中くん」


「——えっ、あ、はい」


 声をかけられたことに気づくのが遅れた。慌ててしまった、ということにさえも慌ててしまう。


「えっと、あの……」


 小南の声もずいぶんと渇いていた。


「その……さっきの——」


 そのときだった。

 歩きながら里中の顔を見上げたせいだろう。はたまた、里中の告白について考えていて足元が留守になっていたせいかもしれない。マンホールでつまずくほどおぼつかない足は、地面に落ちていたゴミ——雑誌の切れ端だった——に滑らされてしまった。まっすぐ歩いていたならまだしも、里中に体を向けた瞬間の出来事だったため、後方にバランスを崩してしまった。里中から離れていく形で彼女の頭は円弧を描いて落ちていく。里中が手を差しのべる。小南も里中へ手を伸ばす。だが、紙一枚届かず、宙を切ってしまう。

 その瞬間、目が合った。何が起きているのかを理解できないでいるその目は、白目の面積の少ない、リスを思わせる丸い目だった。

 体勢を崩して落ちる体はバランスを取ろうと小刻みに後ろずさるも、歩道は車道よりも一段高く造られているものだ、段差に足を掬われ、勢いよく背中から落ち、受身を取れるはずなどなく頭を打った。目が強く閉じられ、口が開かれ、甲高い音が鳴る。里中も痛々しく目を瞑ってしまう。彼女の短い悲鳴と頭が打ち付けられた鈍い音だけが聴覚にフォーカスされ、一切の騒音が遮断された。小南さん、と叫ぶ自身の声すらも聞こえない。喉が張り裂ける痛みだけがあった。

 手を伸ばす。駆け寄り、手を伸ばす。

 すると、頭を押さえて起き上がろうとする彼女が、光った。街灯や居酒屋から漏れる黴のような薄い光の中、突如として彼女にスポットライトが浴びせられた。事故現場を刮目せよ、とばかりのまばゆい光だった。事故とは何か。酔った女性が足をつまずかせて道路に向かって倒れたことか——違う。光源に目を向けた里中が見たのは、闇に溶けるような黒いバイクだった。里中の体が停止する。思考と共に停止する。そのバイクを追尾するだけの高性能カメラのようだった。カメラは映すものを追いかけ、照準を合わすことはできても、自ら動くことはできない。動体が自らに最も接近した瞬間、照準が移り変わった。埃のついた黒髪、紅潮したおでこ、鼻、頰。光を正面から受け止めてもなお大きく見開かれた目、言葉を失った口。反射板のような純白のコート。そして、そこにぶつかる黒い回転体。身体中に響く鈍い低音、肉が潰れる生暖かい中音、あっけなく硬いものが折れた高音。手を伸ばした先のものが一瞬にして消え去ると共に、それらの音が余韻なくぶつ切りにされる。彼はただ、虚空に手を伸ばしていた。もはや誰も掴むことのない手を伸ばし、その先を見つめていた。

 そこにあるのは、ブレーキ痕と、転がるペットボトルだけだった。





















「Second Night」

https://soundcloud.com/zmwyvdipjyda/13-second-night

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