八話
さあ、別の世界に嫁ぐとなればぼやぼやしている暇などありません。昨日そのまま寝てしまったのは失態ですけれど、あんなことがあれば仕方ないと思いましょう。勇者め――いえ、引きずってはいけないのだわ。やることをやらねば、復讐が遠のきますもの。
起きて服を着替えようと、先ずベルを鳴らしてメイドを呼びました。
「おはようございます、アントワーヌ様。初めまして、私はアントワーヌ様に仕えることになったマスユと申します、誠心誠意お仕え致しますので、どうぞよろしくお願いします」
挨拶した侍女はくすんだ黄色の髪をボブカットにした表情の読めない女性でした。肌はまた雪のように白いですわ。魔族の特徴なのかしら?
耳が無いように見えますし、瞳孔が縦に長いのを見るに、彼女は爬虫類の特徴を持った魔族なのでしょう。
「初めまして、マスユ。聞いてはいるでしょうけれど、私はアントワーヌよ。ディモルト界のことは何も知らないので、これからよろしくお願いしますわね。――まあ!」
頭を下げたマスユの服を見て、驚きました。どういうメイド服なんですの?
「それではさっそくお着替えをお手伝いさせていただきます」
「ええ、それはもちろんだけれど、あなたのメイド服は些かおかしいのではなくて? そんなに体を見せては殿方にあらぬ誤解をされましてよ」
マスユの着るメイド服はスカートでさえなく膝上丈のキュロットで、上半身も肩紐式のブラウス(のような服。こんな非常識な物、人間界にはありません)でした。エプロンドレスも申し訳程度しかありませんし、ヘッドドレスはカチューシャのような気が……靴は音が出ないように踵が低いのでしょうね。両手、足首には白いバンドを着け……首には黒い革の、首輪としか言えない物まではまっています。
こんな破廉恥な格好は、大都市の娯楽店であるメイド喫茶でもさせませんわよ? あれでさえメイドをなんと心得る、と抗議した私はこれがヴァーミナスの趣味ならば何が何でも自分の意見を貫き通すと心に決めましたわ。
「私のメイド服はこの城で支給された、ごく一般的な物でございます。魔族は人間とは違っている部分が多いので、違和感をお感じになるかと思われますが、一度はディマのやり方を体験して学ばれてください、とレプケ様より言いつかっております」
「あら、それは当然よね。悪かったですわ、人間の世界ではあまり見ない服装なので、つい……悪意はありませんのよ。お気を悪くされたならごめんなさい」
「いえ、アントワーヌ様のようなお優しい方にお仕えできて、私は幸運であります」
それは、私も三年の旅でずいぶん丸くなりましたものね……昔の我が侭極まりない自分を思い起こせば、見た目や身分から無茶をいつも言う高飛車なお嬢様に違いない、と思われても仕方ないでしょう。事実、昔はそうだったのだもの。
「話はわかりましたわ、あの魔族がそういうからには、郷にいっては郷に従え。ディモルト界においてはディモルト界のやり方にできる限り従いますわ。私も着替えは持っていますけれど、もしこちらで用意した物があればそちらを着ましょう」
「こちらの世界に歩み寄ってくださりありがとうございます。魔王閣下よりアントワーヌ様へドレスの贈り物がございます。お気に召したら着ていただきたいとのメッセージもこちらに。今、ドレスをご用意致します」
マスユはメッセージカードを私に渡すと呪文を唱えて手を叩きました。カードに気を取られていたら、残念なことに呪文を聞き逃してしまいましたわ。
手拍子が引き金になり、広い部屋には私の実家のクローゼットの中身すべて……には及ばないものの、大量のドレスが宙に浮かび整列しました。
やはり発動光がありませんのね……これはディモルト界の魔術をなんとしても修めなければ! 久々に学ぶ者としての意欲が掻き立てられますわ。
「凄い量の贈り物ですのね。素晴らしいですけれど……やはり、私には肌を見せ過ぎかしら」
殆どはワンピースですけれど、ツーピースの揃いのスカートも、もはや筒のような物まで……大胆な色柄、デザインが幅広く揃えてあります……ですが“例外なく”手首、足首まで生地がありませんわ。
私には抵抗がありますけれど、マスユもレプケも言った通り……これが当たり前の文化、と考えた方が自然ですわよね。ヴァーミナスも魔王なのですから、私には恥をかかせない服装をさせるはずですわ、でなければご自身の恥になってしまいますもの。しかしこれは……悩ましいですわ。
「それではこれらを下げて、お持ちのドレスをお召しになりますか?」
「い、いいえ。前言を撤回などしませんわ。そうね……この中で、一番肌を隠せるドレスを出してくださる?」
「畏まりました」
頭を下げたマスユはまた控えめに手を打ち鳴らしました。二着のワンピースが残り、外された服はフッと消えましたわ。元の部屋に戻ったのでしょう。こんなに難しい魔法をメイドがあっさり使うとは、流石はディモルト界なのでしょう。
「この二着なのね」
「はい。ご要望に添えなければ、本日中にも仕立て屋がお仕立て致しますが、今朝はこれだけでございます」
片方のワンピースはシンプルなラインで仕立てられた、上品な白の物。もう片方は黒の胸元の開いたデザインの物。どちらも袖は二の腕までで、スカートは太もも辺りまで……この二つが同じ布面積、ということは……。
「裏を見せてちょうだい」
「どうぞ」
言ったとほぼ同時に翻りました。想像通り、白のワンピースは背中が開いていましたわ。黒は覆われている。どちらも品はあって素敵ね……でも、未婚の身で胸元の開いた服はどうしても抵抗がありますわ。
――それにしても、このように体のラインにぴったりとしたドレスの時、下着はどうするんですの? ラインが崩れないような物があるのかしら……? 訊きたいような訊きたくないような……複雑な疑問ですわね。
「決めました、こちらの白いワンピースにします。靴は今日は歩きやすい持って来た物を合わせますわ」
「畏まりました。魔法でお着替えをしていただいても、よろしいでしょうか?」
「先ずはそちらのやり方を試してみることにします。何をしても怒りませんので、良いようになさって」
「畏まりました。解除、装着」
今度は呪文を注意して聴きましたけれど、ネク……ノゥ……わかりませんわ! 歯痒いよりも期待が膨らみますわね。先ずは発音と耳から、他言語習得の基礎ですものね!
と考えていたら目の前の白いワンピースは消えていました。まさか、と思い自分の体を見下ろします。
「速い……一瞬ですのね。素晴らしいですわ! 髪も魔法で結うんですの?」
「お褒めくださり光栄でございます。髪はその方の魔力資質を表す部分にございますので、万一がないように魔力は使わずに結わせていただいております」
なるほど。ヴァーミナスの長髪を見れば、魔族にとって魔力のステータスというのも頷けますわ。え、少し待って、それだともしや……私の髪も。鏡台の前で梳かし終わる頃に声をかけます。
「マスユ、ああ言っておいて申し訳ないのだけれど、髪だけは纏め上げてくださらない? ハーフアップでも構いませんけれど、その……すっかり下ろしてしまうのだけは、許して頂戴」
「無礼ながらお訊ねします、何故でしょうか?」
「邪魔になりますし、そのような髪型は生まれてこの方したことがありませんの。あまりに不安なので、どうか勘弁してくださる?」
「それはもちろん構いません。ですが、こんなに美しい御髪を纏めてしまわれるだなんて……もったいのうございます」
「お世辞をありがとう。良いのよ、とにかく結い上げて欲しいの」
「畏まりました」
きちんとしたメイドらしく、器用な手先でマスユは私の髪を広がってはいるけれど一般的なシニヨンに纏めました。ああ、良かった。
「こちらで本当によろしいのでしょうか?」
マスユの表情は私には読めませんけれど、声音がとても心配そうでした。そう訊かれると、私には安心する髪型でも心配になりますわ……。
「何を心配なさっているの? 私には充分なのだけど。そこまで仰るあなたには、これがどんな風に見えるのか教えてくださらない?」
「そうですね、大変申し上げ難いのですが……」
「文化の違いがわからないと困りますの、お願いだから正直に仰って」
「それでは……そのような髪型ですと、市民の女性が魔力不足で必死に髪を伸ばした挙げ句、結局は実力が伴わず未練がましく結い上げておられるように見えます」
は、はい? 市民の女性? 未練がましい? どうしてそうなるのか、訳がわかりませんわ。
「どういうことなのか、もう少し詳しくお願いしますわ。髪を伸ばすと魔力が増えるんですの?」
「はい。魔族ならば髪に限らず、爪や羽根などのいわゆる代謝する部分であっても、肉体の延長であるなら増えた分だけ魔力総量も増えます。体が大きいと二重に強さに繋がるので、強さが全ての指針であるディマの社会では権力者のみが長い髪を晒したり、羽根を広げたまま過ごすなどの行為が許されています」
「許されている? じゃああなたの髪も、決められてその長さなんですの?」
「はい。私は王城付きメイドですので、頭髪は頂点より……人間の単位で三十センチほどでしょうか。決められた長さから一ミリたりとも伸ばしてはなりません」
「それでは身分の低い者は髪がないんですの?」
「いいえ、貴族社会での決めごとでありますから、庶民は皆さん好きに切ったり伸ばしたりします。けれどそれを他人の目に触れさせていいのは実力のある者だけです。弱いのに髪を晒したりすれば、あっと言う間に襲われて髪を剃られてしまうでしょう」
「だから、さっきの未練がましく結い上げているように見える、になるんですのね……それは弱りましたわ」
「もし私にお任せしてくださるのでしたら、毛先を邪魔にならないように編み込みつつ流す形に結わせていただきますが」
……『不吉な髪の女』と言った勇者の言葉が蘇りました。今まで何度も、人から不幸の先触れだと影で言われ続けましたわ。この髪を……――ダメ!
……まだ、そんな勇気は出ませんわ。例えディモルト界の方々に実力不足を恥じているように見えたとしても、髪を下ろすことを考えると、どうしても不安になってしまいます……。
「……ごめんなさい、無理ですわ。社交を始めるまでには少しずつ慣れるよう努力しますから、しばらくはシニヨンに近い髪型でお願いしてもいいかしら?」
「畏まりました、謝られないでくださいませ。こちらこそ、アントワーヌ様にご負担を強いてしまい申し訳ございません」
私の正面に回り込んだマスユは、深々と頭を下げました。
「何を言ってるの、マスユは私の質問に答えてくださっただけでしょう。明日は……そう、もっと下の位置にするところからにしましょう?」
「お心遣い痛み入ります。これにて朝の支度は終わりますが、よろしいでしょうか? 何か、特別にお化粧などされますか?」
「いいえ、私はお化粧は夜会などの公式の場だけにしています。旅先にも口紅しか持って行きませんでしたし、構わないで」
「畏まりました。明日の朝のお支度の際、お肌に合うか魔族の化粧品を試させていただきとうございますが、よろしいでしょうか?」
「結構よ。それにしてもマスユは、人間顔負けの敬語を話せますのね。魔族には人の言葉は難しいのではなくて?」
「恐縮にございます。魔王閣下のご命令により、ディモルト城の者は皆、人の言葉を話せますので、ご安心なさってください」
努力を簡単には言わないところも気に入りましたわ。己を磨くのは当然ですもの、褒めてもらいたいからと何年、どのくらいといちいち言うのは美しくありませんわ。
「それは良かった。私、あなたのことがとっても気に入りましてよ。これからもよろしくね」
「――そのようなお言葉をかけていただき、望外の喜びでございます。私はアントワーヌ様にお仕えできて本当に幸せ者でございます」
慌てて膝を折ったマスユは、私が立ち上がると敬う眼差しで見上げてきましたわ。
「あら、あなたったら泣いてらっしゃるの? 喜び過ぎよ、可愛いのね」
笑って手を差し伸べ、立つように促すとようやく微笑を見せてくれました。こんなにも忠誠心と技能を持ったメイドを付けてくださるなんて、ドレスと一緒にヴァーミナスにお礼を言わなくてはなりませんわね。
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これからもボディ・コンシャスを着るアンヌを想像、違った応援してやってください。
脱がせる妄想も大歓迎です! おや?