六話
きちんと自分のやることややるべきことが理解できていないと、後から悔やむ結末になってしまうでしょう。客観視するのは必要な経過ですわ。
まず、妃になる理由。これは簡単ですわ。勇者を捕らえてこの手で殺害するために魔王の力が必要だから、対価に妻となって差し上げる。忌々しいことに、私一人で四人の手練れと交戦してその内の一人だけを苦しめるなんて離れ業はできませんから。
次に、戦争の停止を求める理由。これは利益を求める戦争ならば、交渉次第で停戦や和平にまで持ち込めるかもしれないからですわ。
けれど、魔界側の事情や経済状況までは知る由もありませんし、それを知る時間が欲しいから……これはその旨をそのまま伝えた方がよろしいわね。
最後に、権力を求める理由ですけれど……これは一城に嫁いでおきながら、周りの魔族や魔物に侮られる訳にはいかないからですわ。どの世界であっても、権力に従う者は多いはずですものね。
私の思考に、矛盾や理性的でないところなどありませんわね。一流の魔法使いは自己観察も完璧ですのよ。
深呼吸をして、魔王に停戦を求める理由をお話ししました。私個人の感情論のみで決めたのではない、と今度こそ納得していただけたようですわ。
「そういう意味であれば、こちらも考えようがある。そもそもそなたを伴侶に望む理由の一つであるからだ。そなたの発言力を持って、こちらと人間界を繋ぐ役割を担ってもらいたい」
「私を高く買っていただいて嬉しいですわ。では、侵攻の停止を受け入れていただけますのね? もちろん私は、できる限り使者としての役目を果たすつもりですけれど」
「受け入れよう。それと同時に、魔族側の使者としての権力を与える。我が伴侶としてではない権限だ」
魔王の頷きに応じて私も頷きを返します。肘をついて足を組む姿は、人を舐めているようにしか見えませんわ。
何故こんなに不機嫌そうに威圧なさるのでしょう? 攻撃してしまったのがいけなかったのかしら……?
「私も納得しましてよ。最後の条件については、いかがですの?」
「それは流石に保証できない。魔物が敵に襲いかかることは止められないし、戦闘中にたまたま殺すことも起こるだろう」
「それは私もわかっています。ただ私が言いたいのは、勇者を仕留めるチャンスが私に巡って来た際に、私の攻撃を優先させなさいと言っているまでですの。私にチャンスを回すことも含めて、協力していただきたいのです」
「何故そうまでして、勇者を殺すことにこだわる?」
魔王からすれば、ほんの何時間か前までは仲間であり仮にも従っていた者を殺したいほど憎むなど、考えられないでしょうね。ですが、私の心はその勇者によってズタズタにされましたの……!
かつての恋心は、今や憎しみをたぎらせる油にしかなり得ませんわ! ギッタンギッタンにして泣かせて跪かせて、靴を舐めさせ……違います! 変なものが混ざりましたが、断じて私の考えではありません。コホン。
「憎しみ……ですわ! あの侮辱は忘れません。報いを受けさせたいのです」
「ふん、わかりやすいな。良いだろう、気に入った。その条件を全て呑もう」
正面から視線を交らわせれば、魔王は唇の端を上げて薄く笑いました。私も負けじとよそ行きの顔でにっこりと笑みを返しました。
「では細かいところは後ほど詰めるとしまして、契約……いえ、相応しくありませんわね。婚約完了ですわね?」
私の言葉に呼応してか足を組んでいた魔王は立ち上がると、手を叩いて案内役の魔物に命令しました。
「レプケ、例の物を!」
「はい、此方に!」
広間の柱の影に引っ込んだ魔物が次に出てきた時に手にしていたのは、赤い布がかけられたアクセサリーの台のようでした。婚約祝いなら装飾品は妥当ですわね。
彼の名前はレプケ、と仰るのね。後で紹介していただかなくては。魔王直属の部下のようですし、お世話になりましたもの。
「まあ……!」
赤い布が取り去られ現れた首飾りに、思わず感嘆の声を上げてました。
「気に入ったか? 婚約の証だ。そなたのために作らせた」
私のために? どうせ嘘でしょうけれど、それでも嬉しいですわ。
そのネックレスは濃い血のような赤い石を角のある雫型にカットして金の台座の中央にあしらい、それを取り囲むように絡まる蔦の装飾が……鎖にも同じく蔦の彫金が繊細に施されていました。
正直に言って、素敵ですわ……濃い赤色は、ヴァーミナスの額の何かと同じ深紅でした。婚約の贈り物には相応しい、ということね。
「ありがとうございます。この石は何という石ですの? 見たことがありませんわね」
魔物の持つ首飾りの石に触れようとして、魔王の手に遮られました。
「この石は魔魂石とでも言おうか。障気を吸い、魔力を貯め込む物だ。身に着けると魔力が雪崩れ込んでくる。そなたなら平気だとは思うが、魔力を暴走させないようにコントロールして欲しい」
魔王のその言葉に、私は笑みを返しました。魔力コントロールは私の得意中の得意技。言われれば、木の葉を揺らす風でも静電気ほどの極小の雷でも、莫大な水を凍らせて海に氷の道を作ることもできますわ。
「安心なさってくださいませ。私に魔力コントロールの心配ほど無用なものはありませんわ」
確かに、魔力が暴走した時の悲惨さを考えれば、注意したくなる気持ちもわかりますけれどね。私の魔力が万が一暴走したら、この城は吹き飛ぶでしょうし。
「わかっている、念のためだ。さあ後ろを向け」
「ありがとうございます」
後ろを向いた私に魔王が手を伸ばし、ネックレスの重みが鎖骨の辺りにかかりました。
「できたぞ」
「これは……なんて、凄まじいっ! んぅ、ふっ」
身に着けた途端に魔力が……まるで膨れ上がるような感覚に、幾度もぶるりと体を震わせてしまいます。体内を暴れ回る魔力を外に漏らさぬように意識を集中させ……気を抜くとすぐにばらけて、厄介ですわ。
「……流石のアントワーヌといえど、やすやすとは手に負えないようだな」
「あら、心配してくださってるのかしら? けれど……もう大丈夫ですわよ」
額の汗をそっと拭い、魔王と向かい合って胸の赤い石を見せつけました。
多少時間はかかりましたが、魔魂石の保有する魔力はもはや私の肉体と完全に同化していました。
「よく似合っている。ではこれから我らの住処へと案内しよう。ようこそ我が城へ、婚約者殿」
「こちらこそよろしくお願いしますわ。フフ」
これだけなみなみと魔力が溢れる感覚は初めてですわ、世界の見え方までも変わってきますのね。先ほどはわからなかった扉の魔法痕が、今ははっきりと見えます。
実際にこれだけの魔力を扱えば、勇者など即座に消し炭にしてしまえるに違いないですわ。
「それにしても太っ腹ですのね。お値段はともかく、希少な石なのではなくて? 敵であった私にこうあっさりと力を与えてしまって、いいんですの?」
「構わない。その首飾りは我の命令一つで壊れるし、そうなれば魔族でないそなたは瘴気に侵されるだけだ。そして我が望んだのだから、こちらが先に信用するのは当たり前であろう?」
「納得ですわ。ではこの首飾りが私の生命線という訳ですのね。うかつにあなたに逆らうこともできない、と」
魔王は私の言葉を無視して歩き続けます。そして今、私はこの男に命を預けてしまったのだと気づきました。なんてこと。早急に人間界に帰る魔法を覚えなければ。
「……それは瘴気を魔力に変換し続ける。人は余分な魔力を排出できるが、過剰な魔力に影響されてしまう魔族が身につければ暴走の前に肉体が保たないだろう」
「なるほど、扱える者が限られているんですのね。確かに、些かじゃじゃ馬ですわ。……この魔力は」
少しだけ魔力を指先から出し、出力訓練をなぞって操作感を確認すれば、なんとか操縦できている状態でした。慣れていないと、魔界の瘴気も相まってとんでもない事故を起こしそうですわね。気をつけましょう。
「そうだな、そなたにはぴったりだ。そうはさせないが、誰にも首飾りに触れさせるな。絶対に」
「もちろんですわ、瘴気は死に至るほどの猛毒なのでしょう? 即死とはいかなくても、苦しむのはごめんですもの」
初対面に近い婚約者をじゃじゃ馬呼ばわりは褒められませんが、魔王の目にユーモアの光が宿っていたので蔑む意味ではないようです。それくらいは慣れてますし、魔王にユーモアを理解する心が少しでもあるのは嬉しいですこと。
「さあ、ここがそなたの部屋だ」
扉を開いて案内されたのは、予想通りに貴婦人のための部屋でした。妃となるのですもの、当然ですわね。
「まあ……! このお部屋は、どなたかが使って居らしたの?」
「何故そんなことを訊く?」
しかめた顔と声は心外だと仰っていました。あら?
部屋をもう一度しっかりと見回して、レースの縁取りのクッションやベッドの色合い、壁の絵に小物類までが誰か一人の好みで固められていることを再確認します。
何よりも片づけられた部屋には誰かを待っているような風情があります。部屋の持ち主が居るだなんて、いくら伴侶になることが今日決まったからと言っても流石に気分が悪いですわ。
「何故って、このお部屋を整えた方に悪いですわ。使っていらっしゃる方が居るのだと思ってしまったのですけれど、間違えてしまったかしら?」
私の説明にしかめた顔が戻りました。どうやら私の勘違い、もとい早とちりだったようです。なんて恥ずかしい……。
「気にする者など居ない。ここはそなたの部屋だ、誰も使っている者は居ないが」
「そ、そうですの? では遠慮なく使わせていただきますわね。とても過ごしやすそうなお部屋ですわ」
「そうか。では今日は疲れを癒やすがいい。何かあれば使用人を呼べ」
魔王はすっと机の上のベルを指差しました。私は頷いてお礼を言います。
「ありがとうございます、魔王様」
「……魔王ではなく、ヴァーミナスと呼べ。長ければヴァンスと」
「私ったら、婚約者が魔王様では不自然ですわね。今のうちに慣れるよう努力しますわ、ヴァンス」
命令を聞いた私にそれで良いと満足げな笑みを向けると、ヴァーミナスは指を鳴らすと瞬時に転移してしまいました。転移は注意点の多い魔法ですのに、流石は魔王ですわね……きっとまだお仕事があるのでしょう。
「さて、部屋を改めなければいけませんわ」
所有者のいなかったという部屋に入り、見ただけではわからないクローゼットの中身や机の引き出し、クッションやソファーの使い心地を確かめました。
リネン類はふっかふかの新品で、どこを叩いても埃一つたちません。クリーム色と白を基調にした家具類は傷一つなく、中身も空でした。いくら疑ってみてもこの部屋に持ち主が居ないことは証明されてしまったのです。
「可愛らしいお部屋ですわ、長い旅の暮らしでこんなに落ち着ける部屋は初めて。後で魔王……ではなくてヴァーミナスにお礼を言わないといけませんわね」
外套をクローゼットにしまいベッドに腰を落ち着けると、安らげる感触に今日の疲れが襲い、私はすやすやと眠りに落ちてしまいました。