四十九話
道具を一通り揃えた後は、立派に枝葉を伸ばした木の下に大きな布を広げて、最後の仕上げとばかりに指を鳴らします。メインのお弁当が、二人の間に現れました。
「さあヴァンス、私が作ったお弁当ですわ」
「む、ああ。とても美味しそうだな」
「お口に合うと良いのですけど」
ついさっきまで冷蔵保管庫に入っていたお弁当はひんやりしています。順番に蓋を開けて行くと、ヴァーミナスがまずサンドイッチを手に取りました。
「命に祝福を!」
「私も。命に祝福を」
控えめにサンドイッチをかじってヴァーミナスの反応をじっと待ちます。ヴァーミナスは大きな口で半分以上を千切ると、味わうように咀嚼しました。
「……美味い! 美味しいぞ、アンヌ」
「本当に?」
「ああ、嘘ではない。他のも食べて良いか? 沢山作ってくれたのだな」
「あなたが、いつも沢山食べていらっしゃるから……」
――どうしましょう。とっても嬉しいわ。私が作った料理を心から美味しいと言ってくださるなんて。頑張って良かったですわ……!
「ありがとう、アンヌ。我は幸せだ、そなたと出会ってからずっと、幸せだ」
「ええ、ええヴァーミナス。私も幸せですわ」
この幸せと他の何かを天秤に乗せることなんてできない。できませんわ。
「カーフだな、これは我の好物だ」
「レプケにそう訊いて、入れてみましたの」
「そうか……うむ、この煮物も味がしっかり染みている」
「あの、ヴァーミナス、こちらの玉子焼きもいかが?」
私はフォークで玉子焼きを刺して、ヴァーミナスの口元に持って行きました。……は、恥ずかしいですわっ。
「ごめんなさい、やっぱり食べづら……」
手を引っ込めようとした時、ヴァーミナスは首を伸ばして玉子焼きを一口で口の中に収めてしまいました。
「うん、最高の玉子焼きだ」
「よ、よ良かったですわ……」
何を動揺しているのかしら? 私ったら、これくらい婚約者なら当たり前です。私とヴァーミナスが結婚したなら、この時間がずっと続くのかしら?
その金の瞳を見つめていると、目が合い、ふわりと笑みが重なりました。
「どんどんお召し上がりになってね」
「良いのか? アンヌは少ししか食べていないではないか。すべて食べてしまうかもしれないぞ?」
「良いのですわ、私は先ほどクレープをいただきましたもの。お腹いっぱいだわ」
「そうか、では遠慮なく」
「ふふ、そんなにお腹が空いていましたの?」
「いや? アンヌの手料理だから、余計に食欲が湧くのだ」
ちろりと赤い舌先が唇を舐めて……別の欲求を想像させます。思わず顔が赤くなりました。
「もう、口元が汚れたならナプキンをお使いになって」
「済まない、品がなかったか」
「……私が拭いて差し上げますわ」
これが本当のヴァーミナスなのだわ。私をからかって、笑顔にさせてくれて少し手がかかって……不器用。
「ふう、すべて食べてしまったようだな。ご馳走様……で良かったか?」
「お粗末様でした。良ければデザートに果物がありますわ。まだ食べられるのでしたら、お召し上がりになって?」
「もらおう」
用意したデザートは酸味が強い果物で、ヴァーミナスも進んで食べていたというカラユィです。
「さっぱりしていて美味しいですわね」
「ああ、我のために甘過ぎない物にしてくれたのか?」
「そうですわ」
「ふ、嬉しい。ではもう一度食べさせてくれぬか?」
「え? い、良いですわよ」
カラユィの実をフォークで刺して、手を添えて差し出しました。あーん、なんて言いませんわ!
「……うむ。世界で一番美味い」
「嫌だわ、冗談ばかり。そんなに美味しかった?」
「冗談ではない。本当に世界で一番美味しいのだ」
「そんなに喜んでくれてありがとう、ヴァンス」
水筒のお茶を飲んで和んでいると、風に乗ってどこかから不吉な鳴き声が聞こえて来ました。……奴だわ。
「次はどんな場所に行こうか? アンヌ?」
「え、ええ。ちょっと質問なのですけれど、この辺りには蛙が……もしくは蛙に似たような生き物が居ますの?」
「蛙? ……そうだな、生息していてもおかしくはない。蛙がどうかしたのか?」
「どうか、というよりも私は蛙が大の苦手なんですのよ。幼い頃に繁殖期の蛙の沼に迷い込んで以来……鳴き声だけでも鳥肌が立ってしまうほどですわ」
「そうだったのか……では」
ヴァーミナスが指を鳴らすと、周りの景色は変わらないのに生き物の気配が消え去りました。
「まあ、今のはどんな魔法ですの?」
「世界で二人きりになる魔法だ」
隙間がなくなるように抱きしめられ、そんな言葉を囁かれたら……鼓動が伝わってしまわないか心配だわ。
「素敵……」
「アンヌよ、我はいつもそなたに不安を抱かせているな?」
「え?」
「どんなに楽しそうにしていても、悲しい……寂しげな顔になる」
否定したくても、できません。幸せの魔法が解けて行くのを感じて、目を瞑りました。
「何故……? 私を不安にさせている、とわかっているなら……安心させてくださいませ。お願いですから……」
自分の声が震えて、目の奥が熱くなるのを避けられなくて。縋りついて罵ってしまいたい。
「我は……っ卑怯者なのだ。人間にも魔族にも我のような者は居ないであろう。そなたを何が何でも手に入れたい。その為に……はぁ」
ヴァーミナスの荒い息が頬にかかる。瞳を覗き込むと、ギラギラと輝いていました。その真っ白な頬に手を当てて、表情を作ることを止めました。
「その為に? あなたは私をどうしたいの?」
「我は……愛しているのだ。もう、どうやって伝えれば良いのかわからぬ。どこまでも知りたい……そなたを、そして、我のみで埋め尽くしてやりたい……」
私はヴァーミナスの告白を聞いて、どうしようもなく胸が高鳴るのを感じました。惹かれてはいけないなんて、そんなの嘘だわ。彼は、私の婚約者ですもの。
『だから、私を騙したの?』そう言ってしまいたくて、けれど何も壊したくなくて……唇を引き結びます。
あ……衰弱が、解除された!? そんな、誰が。いいえ、今は……勇者どころではないわ。
ぐっと動揺を押し込めてヴァーミナスの首に手を回します。
「ヴァンス、ヴァーミナス。私は……」
「ッく、はあっ!! う、う゛……ごほっグゥ……」
「ヴァーミナス!!」
口元に手を当てて苦しみ出したヴァーミナスは、背中から地面に倒れ込みそうになりました。慌てて、頭から落ちないように腕に力を入れます。魔力で筋力を補うと、なんとか体を支えました。
「……ッうぅ……ハァッ、ハァ」
もしや、先ほどから息が荒くなっていたのは体調が悪かったせいなの?
脈を計って瞳孔の開き方を確認すると、何度かヴァーミナスの名前を呼んで頬を叩きます。反応はあるけれど話せない状態。危ないですわ……この症状は、毒?
「……転移!」
迷いなく私の部屋に転移すると、ヴァーミナスを私のベッドに寝かせます。
次いでレプケを呼び事情を説明して、医師とパティを呼ぶように命令しました。
二人を待つ間、私は解毒の魔法を唱えますが地上の魔法もこちらの魔法もあまり反応が良くありません。
「魔王閣下はどちらに?!」
「お医者様ですわね! ヴァーミナスは昼食後に話していたところ、突然苦しみ出しましたの。刺激を与えて名前を呼んでやっと返事らしきものが返ってきますが、自分の体は支えられませんわ。……おそらく、毒物を摂取したのだと思われます」
なんとか医師に私が知る限りの情報と仮説をお話しして、診察する様子を見守ります。ヴァーミナス……無事で居て。
「……確かに毒によく見られる症状ですな。何かいつもと違う者を食べませんでしたか? 地上の料理や食材などは?」
地上の……まさか、あのサンドイッチに入れた薬草が? クレープを食べたのはかなり前ですし、その殆どを私が食べている。となると考えられるのはそれくらい……。
「こ、心当たりがありますわ……すぐに洗浄と病室の用意を。パティは、ノバティー伯爵はまだ着きませんの!?」
「はっ、すべて揃っております。受け入れはすぐにでも。ノバティー様は伝令が届き次第参ります」
「アントワーヌ次期王妃様、ここからは汚れ仕事もございます。我々に任せて、アントワーヌ様はお待ちになっていてください」
そんな……! と反論しようとして、医師の目に隠そうとしない疑いが宿っているのに気がつき、喉まで出かかった反論を飲み込みます。
……そうよね、私がわざと毒を盛ったのかもしれないのだもの。当然だわ……私に心配する資格はない。
「わかりました。くれぐれも私の婚約者を頼みますわ」
「はい、この命に換えても」
レプケと医師はヴァーミナスの体と共に転移して行きました。病院に向かったのでしょう……私が、毒を与えてしまった……?
落ち込んでいる場合ではないわ。何が原因かを調べないと。毒では無い可能性だって……。
「そうだ、慌ててお弁当箱を置いて来てしまったわ……」
転送を使って、失敗しては目も当てられませんわ。慎重に転移して、自分の手で回収して来ましょう。
ついさっきまで、この場所に居たのに……空になったお弁当箱は軽くて、思わず抱え込んでうずくまります。
「死なないで……」
魔族の王たる者、毒物にも耐性はあるでしょう。でも万が一のことを考えると……。
命に別状がなかったとしても、もしかしたら婚約がなくなってしまう? 和平、いいえ。ヴァーミナスに嫌われてしまったら、どうすれば良いの?
あんな茶番を仕組まれたのに。それでも私の中の想いはどんどん育って、いつの間にか……ヴァーミナスのことばかり。
「我で埋め尽くしたい……」
それは成功していますわ、少なくとも私の心に限っては。気力を奮い立たせると、忘れ物がないか確認をして城に戻ります。
マスユやレプケの前では毅然とした態度を見せなくてはならないわ。それが主の務め。涙を拭って魔法で形跡を消し、いつもの微笑みを何度かの練習で取り戻します。大丈夫でしょう。
「お帰りなさいませアンヌ様、ご事情はレプケ様より窺いました。お疲れのことと思います……こちらへお座りになってください。ただ今お紅茶をお持ち致します」
「ええ、よろしくお願いしますわ、マスユ」
いつもなら心を穏やかにしてくれる紅茶も、この時ばかりは効果がないのね。
「……何か落ち度がございましたでしょうか? すぐに淹れ直して……」
「違いますわ。紅茶は何も、私の……私のお弁当で、ヴァンスが……!」
私が表情を歪ませたのを勘違いしたマスユは血相を変えました。でもそちらを気にする余裕は今はありません。
平気なふりなんてできないわ。早くヴァーミナスが無事だと聞かせて欲しい。
「アンヌ様、入っても良いかな?」
「パティ。どうしてこちらへ? お入りになって」
「ヴァーミナス様なら、命に別状はないよ。その報告と、幾つか質問があって来たんだ」
「命に別状はない。そうですか、わざわざありがとうございます。どうぞお座りになって? なんでも質問してくださいな」
「ありがとう、それじゃあまず。ヴァーミナス様が何をどれだけ食べたのか教えてくれる?」
私は求められるままにパティの質問に答えて行きました。
「……そして、苦しみ出してからは救急の対応をしました。後はご存じだと思いますわ」
私は……何も知らなかった訳ではなく、パティから地上の薬が魔族には毒になると聞いていましたのに……。
「なるほど……よくわかったよ。アンヌ様の仮説通り、地上で採取した薬草に一番可能性がありそうだね。その薬草はまだある?」
「ええ、私の他の薬草同様に保管してありますわ。……どうぞ」
「ふむ……これはもらっても良いかな?」
「大丈夫ですわ、必要があればまた採りに行くこともできます」
「……アンヌ様、そんなに落ち込まないで。それは自分が毒を盛ったかもしれないなんて、ショックだろうけど……ヴァーミナス様は大丈夫だから。それに、これは希望になるかもしれないんだ」
「希望……? 何が希望になるんですの?」
月並みな慰めだと思っていたら、突然放たれた希望という言葉。何に希望があるのか、つい礼儀も何もなく訊ねてしまいます。
「赤い雨の希望。そもそもヴァーミナス様のお体には毒を作る器官と、それを浄化する物質を作る器官の両方があるんだ。並大抵の毒では意識が朦朧としたりしないんだよ」
「それでは、何故?」
「以前、地上の薬が魔族には毒になると教えたよね? あれは魔力器官中の……なんと呼ぼうか。瘴気毒を中和してしまうことによるアレルギーに似た症状のせいなんだ」
「……魔族の体に必要な物質が毒であり、地上の薬草はそれを中和してしまう? 中和の結果、過敏な反応が出る……ということ?」
「うん、流石に飲み込みが早いね。ただ瘴気毒がなくなっただけでは、すぐには症状は出ないんだ。長引けば体調不良になるんだけど、それはひとまず置いておいて。魔力器官中の瘴気毒が激減すると、体はパニック状態に陥るんだよ。これまで調べていた薬や薬草では、どれも反応が乏しかった。まるで奇跡だよ」
「奇跡?」
「この薬草をベースに研究すれば、赤い雨の変質した瘴気毒だけを分解できるようになるかもしれない! と睨んだんだ。因みにこれの名前を教えてもらえるかな?」
「これは『レマン』と呼ばれています」
「奇跡?」
「違いますわ、奇跡ではなくレマン。由来はわかりませんけれど昔からそう呼ぶのです」
「ごめんね、間違えちゃった。なんだか出来過ぎた名前に聞こえて」
「無理もないですわね。奇跡が希望になるだなんて。では、いつヴァーミナスに会えるようになりますか?」
不安がなくなるどころか、更に新しい希望まで見つかるなんて、不幸中の幸いですわ。ヴァーミナスにお詫びとこの事実を持ってお伝えしなくては。
「そうだなぁ、主治医に訊いてみなきゃダメだけど、明後日には許可が降りるんじゃない? でも、レマンについてはまだ何も言わないで欲しい」
「まあ、どうしてですの?」
「これでレマンが特効薬にならなかったら、いよいよ僕の首が飛ぶかもしれないからね。そのために伯爵位までもらった訳だし」
「まさか。薬では並ぶ知識のないパティを失っては、様々な研究が後退してしまうでしょう?」
「……僕のしたことを考えると、そうまさかでもないんだ。確かに殺したくはないだろうけど……背に腹は代えられないだろ?」
「そんなに問題となることをしたんですの?」
でもパティですし……そんなこともあったのかしら。そう思っていると、いつもより真剣な眼差しでこちらを見るパティに気づきました。
「ふふ、大丈夫だよ。その時にはアンヌ様が僕を助けてくれれば、命だけは助かるさ」
「私が助命を請えばよろしいの?」
「ああ、ヴァーミナスはアンヌに甘々さ。何だって言うことを聞くよ。きっと、天の下すべてだって差し出すだろうね」
「……そうね、ヴァンスなら冗談にならないかしら」
「…………どうして」
「何か?」
「何でもないよ。という訳だから、僕に何かあったらよろしく頼むね? バーイ♪」
パティはウィンクをすると、転移で退室しました。賑やかな方ね……でも、良かった。
「ヴァーミナスは無事なのですって」
「はい、……ご無事で何よりです」
何となく間が空いたような気がしましたけれど、安心した私は気にも留めずにお茶を飲み終わりました。
しばらくストック作りのために更新が遅くなります。
最終回の目処が立てば、また頻繁に更新したいと思っています。
やっと折り返し地点まで来ましたので、ここから頑張りますm(_ _)m




