四十五話
とうとう両親に婚約の報告をする運びになりましたが……緊張致しますわ。
ここ数日は、今日の不安と不透明な精神のせいで、落ち着ける時間はほとんどありませんでした。
そんな風に悩んでいましたが、やっとどうするのかが決まりましたわ……今日から私は、全面的にヴァーミナスを信じているふりをします。私がヴァーミナスに心を開いた様子を見せて、直後に拒絶する……それだけでも、意趣返しになるはずです。少なくとも、私の気持ちが多少は収まるでしょう。
惹かれる気持ちにも、許せない気持ちにも嘘を吐けないのです。どうしても。
そのヴァーミナスはと言えば、今も私が書いた両親と会話する時の注意事項を読み返しています。内容はすっかり覚えているはずですけれど、魔王であっても緊張するのでしょうか? なんだか意外ですわね。
「ヴァーミナス、そろそろ連絡する時間ですわ、よろしくて?」
「ああ。大丈夫だ」
ヴァーミナスは手に持った書類を指を鳴らして片付け、鏡から見えない位置で待機します。私はそれを見て、椅子の前に立って鏡を起動しました。
「……もしもし、こちらはアントワーヌ・ド・サミキュリア・フォン・ムッカナン・ドルツストイアです。通信の許可をお願いしますわ」
「んん、許可します」
凛々しいお声が耳に届いた次の瞬間、真っ暗だった画面は切り替わり懐かしいお母様の姿が映し出されました。
「お母様! お久しぶりですわ、お元気だったでしょうか?」
「久しぶりね、アンヌ。私は毎日健やかに過ごしています、あなたは変わりない? 何か、困ったことがあったみたいだけれど?」
お母様の仰る困ったこと、というのは婚約でも和平でもありませんわ……それらは私の望みですもの。きっと、勇者への復讐……でしょう。
「ご心配くださりありがとうございます、ですがその話は後ほどゆっくりお話したいですわ。今日はおめでたい報告をしたくてご連絡差し上げましたの」
「それもそうだわ、では後ほどゆっくりしましょう。ふふ、今ロナウドを呼びますから待っていなさい」
「はい、お母様」
一年ぶりに顔を合わせたお母様は、今日も優雅に装っており隙がありませんわ。聡明で決断力があって、追いつけない目標。
画面からお母様がいなくなったので、ちらりとヴァーミナスの様子を見やると、まるで初めて会った時のように威厳に溢れていました。気合い充分、ですわね。
「アンヌ、何を考えていたの?」
「いいえ、よそ見をしてしまうだなんて失礼しました。それでお父様は……?」
「アンヌ! 久しぶりだな、会いたかったぞ~!」
バッと画面に飛び込んで手を振ったのは、私が一番敬愛するお父様でした。お仕事の時とは違って、家族の前ではチャーミングなところも素敵ですわね。
こんなお父様を部下の方がご覧になったら、きっと卒倒するでしょう。
「お久しぶりですわ、お父様。ずっとお会いしたくてたまりませんでした」
「おやおや、嬉しいことを言ってくれるね? その割にはムッカナンに帰って来たのに、ここには寄らなかったようだけれど」
「申し訳ありません、許可なくお父様の持ち物を使ってしまって……合わせる顔がありませんわ。後々ご説明するつもりで居ますので、どうかお許しになって」
「ふむ、アンヌの話を聞いてからどうするか決めよう」
「ありがとう、お父様」
やっぱりお父様は素晴らしい方ですわ、誰が罪を犯してもきちんと罰をお与えになる、身びいきしない姿勢。
「それではアンヌ、あなたの婚約者の方を紹介していただけるかしら?」
「ええ、お待たせしてしまいましたわ。ヴァーミナス、こちらにいらして」
私の呼びかけに答えて、地上仕立てのスーツを着こなしたヴァーミナスが私の隣に立ち止まります。先ずは礼から。
「ヴァーミナスはディマ国で国王をなさっている方で、私との婚約で地上と和平を結ぼうとしている立派な方ですの。今までお世話になりましたし、大切にしてくださっているのよ」
「そしてヴァーミナス、私のお父様ロナウド・ド・サミキュリア・フォン・ムッカナン・ドルツストイア公爵とお母様のロクサーヌ・ド・サミキュリア・フォン・ムッカナン・ドルツストイア公爵夫人ですわ」
私がヴァーミナスを紹介すると、お母様が優しく笑って「はじめまして、よろしくお願いします」と呼びかけました。
最初の難関ですわ。ヴァーミナス、頑張ってくださいな。あなたが何をしようが私の夫になるのは変わりませんのよ!
「はじめまして、お嬢様の婚約者のヴァーミナス・オドレー・ソーティア・ディモルトと申します。……若輩者ですので、良ければヴァーミナスと呼んでください。ロクサーヌ様と呼ばせて頂いてよろしいでしょうか?」
「ウォッホン、私の妻をいきなり名前で呼ぼうとは良い度胸だな、青二才。ムッカナン公爵夫人と呼びなさい」
「失礼致した、我は地上における作法は何も知らないも同然なのです。ご忠告を頂けて感謝します、ムッカナン公爵」
な、なんとなく偉そうな感じが抜けていませんわ! それにお母様とお父様で反応が違う……一応非礼ではないにしても、ギリギリですわよ?!
いくら対策を立て、練習したとしてもやはり初めてですし……上手くいかなくても当たり前ですわね。ここは私がしっかりしなければ。
「ごめんなさいお父様、お母様。ヴァーミナスは地上の言葉は話せても、国王然とした使い方しかできませんの。寛大なお心でお許しになってくださいませ」
「大丈夫よアンヌ、まさか私たちがこの程度で怒るはずがありません。それに、いきなりは少し抵抗がありますけれど、ゆくゆくは息子になるのだからお義母様と呼んでも良いのよ?」
「光栄に存じ……ます。もっとお嬢様の伴侶に相応しくなれたなら、その時には呼ばせて頂きます」
「私は認めんぞ、そもそもなんだそのだらしのない長髪は。いくら国主と言っても伊達男のようだ」
お父様の機嫌は予想通りに斜めですわ。でもお母様は静観するとお決めになったみたいですし、まだ最悪ではありません(最悪になっていたら全員が笑顔でありながら、ブリザードが吹き荒れていたでしょう)。
責められたヴァーミナスは怒りっぽさも傲慢さも表面に出さないで、極めて冷静なままですわ。……こんなに下手に出ているヴァーミナスは初めて見ました。
「お父様、この長髪はこちらの文化ですわ。髪が魔力の質を表していて、それを見せつけることで己の実力の高さを誇っていることになりますの。ですから今は私も、こうして髪を下ろしているのです」
「む、そうなのか」
「そういうことだったのね、その髪型と服装は。未婚女性の基準ならかなり大胆だもの……でも、あなたがそんな風に居られるなんて、魔界もこちらより“多少は”良いところがあるみたいね」
「ええ、そうなんですの。お父様、私はこの方のおかげで夜会にも色々な髪型で出られるようになったのですわ」
お母様は私が髪を下ろせたことを喜んでくださいました。お父様には、髪を下ろすのが嫌だと我が侭を言ったこともありましたし、ヴァーミナスの印象が良くなる要因になると良いのですが。
「なるほど、気に食わん」
「そ、何故そんなことを仰るの?」
「純真なアンヌは騙せても、このロナウドは騙されんぞ。何をしたか知らないが、お前の狙いがアンヌであれ和平であれ、私は許さない。お前は私に話を通さずにアンヌと婚約した、という一点に置いて最悪の詐欺師だ!」
「お父様……」
お父様の仰ることが正し過ぎて、不覚にも言葉が出てきませんわ。そんなに私を思ってくださるなんて、感激してしまいます。
現にヴァーミナスは騙していた訳ですし……これはあらかじめヴァーミナスと話し合っていた部分なので、ヴァーミナスはさほど動揺もなく口を開きました。
「ムッカナン公爵の懸念は至極当然のことと思われます。我が騙していないと言ったところで、そのような証拠もありませんし偽善でしょう……但し、アントワーヌを恋う気持ちにだけは、嘘偽りありません」
「黙れ。悪魔や詐欺師と会話する必要性は感じない。偽善と言ったが、偽善で構わないからアンヌにお前が隠した情報を洗いざらい話してみるんだな。話はそれからだ」
「それは……」
ヴァーミナスは鏡から私に向き直って、声をかける寸前のように唇を開きました。
まさか、本当にここで騙していたと認めるおつもりなの?
「それは出来ない」
「はッ、そうだろうとも。アンヌ、わかっただろう? 隠し事を言えないなど、嘘を吐いたことがないと言う詐欺師と同等。正直であれば許されると思うなよ、青二才」
「あなた、仮にも一国の王で和平を結ぼうという方に言い過ぎですわよ」
「身分は忘れて良いと書いたのはあちらだ、今あいつはアンヌを攫う私の敵だ!」
嬉しいのですけれど、流石に恥ずかしくなってきましたわ。ヴァーミナス……私を騙していないとは、言ってくださいませんのね。
「隠し事が……ありますの?」
「ああ、たくさんある」
「わかりました。……お父様、お父様だってお母様に言えないことがあるのではありませんか? 私は、例えヴァーミナスが隠し事をしていてもそれが即ち不誠実の証拠ではない、と考えます。もし反論なさるのなら、先ずはお父様が私に隠し事などないと聖書に手を置いて誓ってくださいませ」
お父様は黙ってしまいました……乱暴な理屈なのはわかっていますわ。けれどここで引き下がる訳には参りません。
「アンヌ……我を疑わないのか? 何を隠しているのか、」
「いいえ、一国の主と添い遂げる決意をしたのは私です。むしろ何もかもを妻に話すような国王では、国が傾いてしまうに違いありません。私はあなたを公私共に、絶え間なく支えようと決め、そう約束をしたのですよ?」
妃にと望まれ、レプケに連れられてこのディモルト界に来た瞬間、私はディモルト界に骨を埋める覚悟をしました。
「アンヌ、あなたは魔族に与した裏切り者と呼ばれても構わないと言うの?」
「はい」
「魔族が集団であなたを襲うなんてことになっても、その気持ちは変わらないの?」
「はい、お母様。愛するお父様やお母様のお言葉であり私のためであろうと、翻すような真似はできません。それがアントワーヌの矜持です」
「アンヌ……それ程までに」
ヴァーミナスが驚いた様子で私を見つめています。どうやら私の固い決意が意外だったようですわね。ここで、更にヴァーミナスが私を好きになるように……ダメ押しです。
「ヴァンス、もう既に、あなたは私の誇りなのですわ。意外だと思わないでくださいな」
そっと胸に手を当てると、ヴァーミナスは私を抱きしめてくださいます……演出は完璧ですわね。
「何をしているか! すぐに離れろっ。アンヌ、お前が立派な人間になったことはよくわかった。だから帰って来るのだ、求婚者はこちらにも腐るほど居る」
「お待ちになって、ロナウド。今日はあくまでも二人の婚約の報告なんですのよ? 帰って来い、という前に馴れ初めを聞いてみても良いのではなくて?」
くっ、流石にお母様は場の空気に流されたりしませんわね。きっと粗を探して反対する理由にするつもりなのでしょう。
しかしあらかじめ練られた馴れ初めを用意していますから、大丈夫ですわ。
「そうですわ、聞いてくださる? ヴァーミナスとの出会いは、実はヴァーミナスの一目惚れからだったんです」
地上に偵察に来ていたヴァーミナスが、勇者の動向を見張る時に偶然私を見かけて、それから片思いが始まります。
それまではこの遠見の鏡で見ているだけだったヴァーミナスは、飛び出した私が怪我をしそうだったところを、咄嗟に助けてくださった……と。かなり無理のあるストーリーですが恋愛小説が大好きなお母様受けするように、ベタな作りにしました。
レプケにも協力してもらって考えた、破綻しないお話ですわ。実際に鏡のない場所に繋いだ宣戦布告と婚約発表がありますから、いかにもそれらしくできています。
自分で政略結婚の相手を決めた、なんて理由で納得していただける訳がないのは見越しています。もちろん魔王との結婚にはメリットがあります。ただそれ以上にデメリットもありますから、ならばとロマンチックに仕上げたのです。
「まああ、素敵だわ。それにしても、どうしてアンヌは勇者様の元を飛び出したの? 復讐というのも気になるし……そろそろ説明して頂戴」
「それは、その……お母様には言いづらいのですが……」
「アンヌ、そなたが言うことはない。勇者はアンヌの美しい髪を侮辱したのです、我が髪を褒めた時に教えてくれました。だから、勇者に復讐するのはそれが理由です」
「アンヌ、それは本当なの?!」
「ええ、お母様。私……許せなくて。お母様から譲り受けたこの色は、私の誇りですもの」
「わかった、あれはレイニード侯爵家の息子だったか。直ちに謝罪させよう、そしてアンヌはこちらで夫を見つければ良い」
「お父様、お願いですから反対しないでください。私は何も和平のためだけに婚約したのではないのです。復讐は……私が受けた侮辱は、私の手で雪ぎます」
「復讐というのは、聖女様の居る教会を襲うようなものでは、まさかないわよね?」
「お母様、あれは私がヴァーミナスの婚約者であるのが気に食わない魔族の虚言なのです。私は殺せば復讐だとは思っていません」
「ええ、あなたを信じます。私の娘ですものね」
鏡の中で笑ってくださったお母様は、私が薬草を盗んだ犯人ではない、と信じてくださった時と同じ笑顔でした。昔の事件も濡れ衣だと証明しましたから、今度も自ら断罪しますわ。
「わかった……アンヌが復讐するのは良いとして、和平はどうする? きちんとこちらの情勢は理解しているのか?」
「そちらについては、これからお父様にもご協力をお願いしたいのです。もし、もしお父様がヴァーミナスとの婚約を反対なさっても、私は必ずヴァーミナスと結婚します! ですから……認めてくださいませ」
「ダメだ。そこの男は害虫だ。アンヌがなんと言おうと、結婚すると言おうと私は祝福しない」
「お父様……!」
今まで、こんなにもお父様が頑なだったことはありませんでした。何故……お父様に認めていただけなければ、大手を振って結婚を和平の象徴にすることが叶いません。
「ねえあなた、疑うのは当たり前だけれど、アンヌが決めた方なのよ? 一度きりで決めてしまわないで、チャンスをあげましょう」
「そうだな……確かに、こちらもアンヌを騙している証拠を持っている訳ではないしな」
「お父様! ありがとうございます、お二人の寛大なお心に感謝します」
「何も頭を下げないの、大げさな子ね。あなたたちは、和平条約の締結までに私たち家族にアンヌの結婚を認めさせなさい。話くらいは聞くし、手紙も返します。けれど仮に一人でも認めない人間が居たら、その時にはドルツストイア家は欠席で意思を表します」
和平条約の締結まで……一見長いように思いますが、ドルツストイアの人間は頑固な人間が多いですから、高い障害ですわ……。
「わかりました。必ずやご家族の方々に我らの結婚を認めて頂きます」
「そうね、ヴァーミナス。きっとお父様にヴァーミナスの素晴らしい人柄を認めていただきますわ。お母様にも、私がどんなに彼を思っているのか、知っていただきます」
「宜しい。こちらも最低限の時間は割くつもりで居る。仮定の話だが、アンヌを騙している証拠を私たちが掴んだ場合、そちらの主張は意味をなさないだろうが……精々頑張ると良いぞ、可愛いアンヌ。またな」
「今日はお話できて嬉しかったですわ」
作法も礼儀も全部無視して、ヴァーミナスには一瞥もくれずにお父様は去って行きました。
「ではお母様、また鏡で連絡致しますわね。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう。アンヌ、魔王閣下」
「本日はお会いできて光栄でした。またお会い出来る日を楽しみにしております」
通信を切って……なんとか前進しましたわね。話もしてもらえないより、ずっとマシですもの。ここで落ち込んではダメですわ。
「ヴァーミナス、これから力を合わせて結婚を認めてもらいましょうね?」
「ああ、心配するな。そなたが我を思ってくれたなら、それだけで充分だ」
「もう少し論理的に説明してくださいな。私は具体的な方が安心できますわ」
「それもそうだな、では。この前話した地上の犯罪組織の流言飛語だが、会談の直後に一斉になくなる。それだけでも、一つ良いことがあるだろう?」
「まあ……本当に? それは素晴らしいわ、会談の後には各国への訪問も始まりますし、確かに和平が上手く行くのであれば一つ説得の材料になるでしょう」
「アンヌ、そなたの誇りに相応しい夫になろう。だから、ずっとそばに居てくれ」
求められる言葉に、すぐに返事ができません。私を……騙しているのに……好き、と言うその唇で……あなたを信じるなんて、愚かですのに……。
「あなたを信じさせてください」
「もちろんだ」
喜びのままに、まるで幸せになると定められたヒロインのように笑いました。
「嬉しい」
突然抱きしめられて、それを嬉しく感じても良い。この腕の中であなたへの復讐を、企てても良いのですわ。
さんざん悩んで、両方ともを受け入れると決めましたもの、もう悩まないわ。
私はヴァーミナスに惹かれているから、だから許せないのだもの……怖がっている場合じゃない。
覚悟なさってね、ヴァーミナス。私をもっともっと好きになってくださいませ。そして、今度は私があなたを引き裂きますわ。




