三話
眩い発動光に包まれて、私はかつて訪れたグルスの森にやって参りました。
ここは、勇者様が私を助けてくださった建物のすぐそば……未練がましいですわね。私は近くの木に体を預けて、さめざめと涙を流しました。
私は勇者様の中では仲間に毒を盛ることも厭わない、不吉で男の方を蔑む最低な女……。
薬を割られてしまったことよりも、ひたすらあの言葉が胸をえぐります。
スズカが加わる前から、私が勇者様に愛される可能性なんてこれっぽっちもなかったのですね。
「愚かですわ……あんな男を好きだったなんて、私は愚か……」
痛みが体に傷を負うより深く、心に刻まれていきます。私が勇者に恋をしてから今まで、同じ場所にあったひび。それに杭が打ち込まれたように、心がバラバラになってしまうほど辛い。
好きでしたのに……二年近く旅をして来たのに、あの状況で信用してもらえない、それくらいの薄っぺらい関係だったのですわ。う、うぅ……。
「アントワーヌ様ですね?」
「誰!?」
こんな深い森の中に気配もなく現れた姿は、青い皮膚に額に一本角を持った紛れもない魔物。私はすかさず手を前に出して、攻撃魔法を唱えます。
「偉大なる炎よ。我が手より出でて艶やかに敵を焦がせ! 炎舞!」
手から飛び出した複数の踊る火球を俊敏に避ける魔物。やはり動きを止めてくださる者が居ないと、当たりづらいですわ。もう一度……。
「鮮烈なる風よ。我が敵を切り刻み……」
「待ってください! 私は話し合いに来ただけでして!」
大げさに手を振って私を止めに入る魔物は、こぢんまりとして角こそ生えているものの、全く脅威を感じません。
「話し合いに? そういえば人の言葉を“解す”魔物は珍しいですわね」
そもそも、気配もなく現れたのに話しかけては敵を倒せませんものね。
今まで魔物は憎むべき敵でしたけれど、もはや私は勇者様と何の関係もない女。聞くだけは聞いてみてもよろしいかしら。
警戒は解きませんわよ、魔物や魔族にも擬態や変身能力を持つものは数多くいます。用心して障壁、解呪、防毒の魔法を簡略して一度にかけておきました。効果は低くてもないよりましですわ。
「あー良かった。流石にアントワーヌ様の魔法をくらえば、私なんて一溜まりもないですからね」
「お世辞が上手な魔物ですこと。敵意がないと言うのであれば、一応話を聞いて差し上げますわ」
「ありがとうございます。実は私、魔王様の使いでして。ある提案をと参った次第。この度は勇者との決別、お祝い申し上げます」
「魔王の使い!」
私はまた魔法をかけようと手を前に差し出し……止めました。
“勇者”その言葉を聞くだけで、心の奥底から醜い感情が湧き起こります。スズカの言葉にも耳を貸さずに、私を非難し続けたあの姿。もうあの方を慕っていた気持ちは消え去り、新たに憎しみさえも生まれますわ。
何か引っかかりながらも、内より生ずる憎しみにどうでもよくなりました。そう、勇者が死ねばよろしいのですわ。
「……魔王様は、魔法と魔力の扱いに長けたアントワーヌ様を伴侶にとお望みです。今すぐでなくても構いません。良いお返事を……」
魔王というのであれば、勇者に復讐するのにこれ以上ない味方……私の纏う誇りすべてを踏みにじった代償を、たっぷりと贖わせてやれますわ……!
「よろしくてよ。そのお話、引き受けさせていただきます!」
「は、はいぃ?! 本当ですか? 魔王様の妻にという話ですよ?」
魔王の妻だろうとなんだろうと、このチャンスを逃す手はありません。私の才能や子孫が欲しいと言うのであれば、その代わりに勇者の息の根を止める力をいただくまで! むしろ一国の主ならば嫁ぐ相手に不足はありませんわ!
「理解していましてよ。さあ、早く私を魔王に会わせるのです!」
「わ、わかりました! ではお手を失礼」
魔物が差し出した小さな手を、ためらいなく握ります。魔物はもたもたと何かを取り出して、私の服に振りかけました。
「何をするんですの!」
「これは瘴気から体を守るための魔法薬です。人間はあちらの世界で暮らすことはできませんから」
「――そういうことですの。ではこれでしばらくは大丈夫ですのね?」
「はい。一日は持ちます。では魔界に行きますよ! 沈下」
私には聞き取れない言葉で魔物が呟いた瞬間、光もなくグルスの森から私と魔物の姿は消えました。魔法の発動光がない――由々しき事実ですわ。私が習った魔法は術陣が必ず発光しますのに。
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次話はスズカ視点です。