二十六話
毎日の朝の支度をしている最中、今日は特別な予定はないので、マスユが髪を纏めようとしてくれます。
そして、強烈に昨日の出来事を思い出しました。シニヨンネット……フフ!
「マスユ、今日は纏めなくてよろしいわ。いいえ、金輪際シニヨンにはしませんから、そのつもりで居て」
「か、畏まりました! では本日はどのようになさいますか?」
「そうね……屈んでも髪が視界に落ちてこなければ構いません、お任せしますわ」
「ありがたき幸せにございます。転送、浮遊。こちらから、お好きな飾りを選んでいただけますか? その飾りに合わせた髪形に致します」
目の前に並んだ髪飾りは、ディマの物らしくすべて小さくて、少ない髪の毛しか纏められない物でした。でもその分繊細な物が多く、長年そちらに技術を伸ばしてきたのですわね。
「じゃあ、この赤い花の飾りにするわ。以前ヴァーミナスがプレゼントしてくださった花――確かヘクティアよね」
「畏まりました。こちらの花は確かにヘクティアと申します。閣下もお喜びになられることでしょう」
「そうだ、あなたの本来の姿も気になりますわ。魔族の方の姿にも慣れようと思っているので、よければ変身を解いてくださらない?」
マスユは髪をもう一度梳かして、クリップを手に取りました。房を細かく分けるということは、編みこむみたいですわ。
「ご無礼ながら、承知致しかねます」
「あら、私はトカゲも蛇も苦手ではなくてよ? あなたを傷つけるような反応はしないから、お願いしますわ」
「……では、御髪が整いましたら……お見せ致しますね」
諦めたように言われてしまったけれど、やはり身近な方にお願いして行かなければ。
それに、今まで会わせていただいた有力者の方々は本来の姿であっても不思議と人の姿に近かったから、あれはやはりヴァーミナスの配慮だったのだとわかりますわ。トロルのダナゴ公爵、エルフのミッチィ子爵などですわね。
夜会では変身が課せられているため、皆様が人の姿に変身なさいます。あ、夜会といえば明日は和平会談が決定した祝いの舞踏会を城で行いますのよね。
一応人間の舞踏会と同じ指示を出して、後は使用人の方にフォローをお願いしたのだけれど……ホストは初めてですから緊張しますわ。
「明日の舞踏会用の衣装はでき上がっていますの?」
「はい、服飾士のジェリア―タ様が昨日届けてくださいました」
「見たいわ、出してちょうだい」
「転送」
「これは……私への挑戦状ね」
現れたドレスは深紅。色の選択は流石ですけれど、デザインがまた……胸の上部は完全に見えますわね。そしてとうとう、お腹部分をデザインしたダイヤモンド形に切り取ってきましたわ……前々から異様に推していただいておりましたから、意外ではなくてよ。
裾はギリギリ下着が見えないくらいで、横には切れ込みが入っています。アクセントは肌の透ける刺繍の赤いレース。右肩に少し、腰からは大胆に螺旋を描いてスカートをはみ出て前に垂れている。このレース、後ろではないということは、まさか足に絡めるのかしら……。
「メッセージをお読みします。『ハァイ、アンヌ次期王妃様♪ ドレスは気に入っていただけましたかしらン? あたくしが今まで作ったドレスの中でも最高傑作の一つよ! これがあたくしが考えた次の流行なの、アンヌ様なら絶対、パーフェクトに着こなしていただけるって信じてマス! 服飾士ジェリアータ、ハートマーク』――以上です」
「フフフ、ジェリー。あなたの期待は裏切りませんわよ……! 装飾品はどうなっているの?」
「ジェリアータ様がすべてご用意なさいました。お持ちしますか?」
「揃っているなら良いの。明日で大丈夫よ、どんな物でも身に着けますもの」
因みに、仕立て屋のジェリアータは体をしっかり鍛え上げられた殿方のような見た目に変身なさるのに、言葉使いと装いは女性という少々特殊な方です。私、彼を見て悟りましたの。これはディマ個人の生き方なんだから、それに何か抗議するのは間違っていると。
「転送。それではアンヌ様、変身を解除して構いませんか?」
「お願いするわ」
「解除」
「ま……まあまあ、マスユ――」
「いかがでしょうか?」
変身を解除したマスユの背と髪の毛は同じでした。
黄色い鱗の肌を持ち、突き出た口吻からは一瞬、舌先が覗きます。メイド服は伸縮性があるのか、突然なで肩になっても肩紐は落ちずに留まっていました。
指は五本ではなく六本。爪は丸いのが違和感があるくらい硬そうで、一番目を引いたのは、臀部から太い尻尾が現れたことですわね。流石トカゲ。
「あまり変わった印象はありませんのね。人の時に肌が白いのは何故なの?」
「なるべく人に近づけるため、色も変えております。肌色、という色がディマには馴染みがないため、白で良いとのご命令です」
う~ん。最初からこの姿でメイドです、と言われていたら……ちょっと抵抗がありましたわ。肌色に馴染みがないというのは初耳ね。太陽が無いせいかしら?
「今でこそあまり変わらないと思いましたけれど、初対面でリザードのままだったなら、きっと驚いていたわね……」
「大きな黄色いトカゲがメイド服を着ていれば……無理はないかと存じます」
確かにそうだわ。今までは、人しか暮らしていない世界で生きてきたんですもの。
「でも、もうどちらでも好きな姿で居ていいのよ? 魔法を維持すると常に魔力を消耗しますし、無理なさらないでね」
「ありがたいお言葉です。ですが私、人の姿が気に入っておりますので、お気遣いなくお願いします。変身」
そう言ってマスユはすぐに、人の姿に変身してしまいました。人の姿が好き、と言ってくださるとなんだか嬉しいですわ。
「では下がってよろしいわ。今日もありがとう」
「畏まりました、恐れ入ります」
さあ、今日も張り切って勉強ですわ! 学習室に転移すると、既にレプケが待っていました。
「お待たせしてごめんなさい、レプケ」
「いえいえ、お美しい方を待つのは男性だけに許された楽しみですから」
「相変わらずお上手ね、あら……」
よく考えたら、レプケはずっとこの小鬼の姿のままだわ……何故かしら?
「何かございましたか、アンヌ様」
「その、些細な疑問なのですけれど、何故レプケはずっと人の姿にならないのかしらと思って」
「そ、それはですね……」
「それは?」
レプケは魔法書をせかせかと運んでいます。魔法や魔術で出すと危険、というのは地上と同じですのよ。
なんとなく、言葉を探しあぐねていらっしゃるみたいですけれど……何故かしら?
「そう、城のルールなのですよ。魔王様から、私は人間になるなと言われておりまして」
「……もっとおかしいのではなくて? 私との交流を最初に任されたあなたに変身するな、だなんて」
「アウチッ! え、ええ。魔力総量が少ないので、仕事柄無駄な魔力は使ってはならないんです」
「まあ、そうでしたのね! 私ったら無神経なことを訊きましたわ。お許しになって、レプケ」
魔族の方に魔力の少ないことを話させるなんて、屈辱だと思われても仕方ないことを訊きましたわ……反省しなければ。
「怒ってなどいませんよ、お気になさらず。それよりも何かあったのですか?」
レプケの質問に、お城の食事のしきたりを聞いたこと、今朝マスユに変身を解除してもらったことをお話ししました。
「あ、そうですわ! 一瞬で構いませんから、レプケも人に変身してくださいな。なんなら私の魔力を分けて差し上げますから」
「ひええぇーー! め、滅相もございません。他の者にも、そんな、『魔力をあげる』だなんて言ってはなりませんよ、アンヌ様!」
「あら、どうしてですの?」
地上では割と当たり前の行為なんですけれど……私はよくスズカに魔力を分けていましたわ。
「ディマ間ではキスぐらい、いえそれ以上に親密な行為です。家族か伴侶だけなのですよ、そのような行為が許されるのは!」
「あらあら、それはなんとも……わかりましたわ。それでは変身していただけないのかしら?」
とても見てみたかったのに。と続けて落ち込んで見せます。このくらいのアピールは社交技術の内ですわ。
「……そこまでご希望なのでしたら、変身しましょう」
「ありがとうレプケ! 私、とっても嬉しくってよ」
「では……変身」
「レ、レプケ……ですの?」
身長が少し伸び、サファイアを思わせる青の短髪に抜けるような白い肌。
……どこからどう見ても、絶世の美少年。瞳が紺色で、夜を閉じ込めたようですし、毛ぶる睫、さくらんぼの如く瑞々しい唇……ああ、何故言葉とはこんなありきたりの表現しかできませんの?!
間違いなく、技能が美しさだけでも地上のどの国の王宮でも仕えられますわ……。
「はい、お仕舞いです! 解除!」
「えぇー! まあ仕方ありませんわね。研究者の魔力を無駄にしたくないのは当然ですもの」
あんなにも美しい少年にお世辞を言われていた、だなんてなんだかショックですわ……。
私なんか足元にも及ばない完璧な美貌……少年が故の儚さが、また香るようでした。額の小さな角がミスマッチにも見えて、神秘的なえも言われぬ印象になっていて……焼きついて離れませんわね、あの面差しは。
格好は研究者の制服なのですが、それさえも彼のために誂えたようでしたわ……。
「では先日の続きです。回復に苦戦しておられますね」
そうですわ。今の私の一番の課題。回復があるとはいえ、回復も絶対に覚えたいですわ! 私の魔法を使えるようになりたい欲求は、理屈ではありませんのよ。
「きっと回復と同じ感覚でやってしまうからいけないのだわ……でも回復の魔法なら、同じ使い方のはずですわよね?」
二つの転移魔法にも大きな違いはなく、少しの練習で使えました。
「うーん、そのはずなんですが……そちらでの成り立ちみたいな物はご存知ですか?」
「ええ、回復は女神様が太陽の力から癒しだけを抜き取った魔法、と言われていますわ。代表的な神話が残っていますのよ」
「なるほど、そのせいかもしれません」
「つまり?」
「こちらには太陽も女神信仰もございません。回復とは戦い続ける戦士のための魔法です。死に送り出すための魔法、とも言い変えられるでしょう」
そう聞くとずいぶん違った魔法ですわね――癒し、だけではダメ……闘志みたいなものが必要なのかしら?
「わかりました。ではモルモットをお願いします」
「はい、転送」
傷ついたモルモット……癒すだけではない、激励する気持ちも……。陣、出力、――いけますわ。
「回復!」
陣がモルモットの傷の上に……そして、見事に傷は治りました!
「おめでとうございます! しかしこうなると、地上の回復は私には難しそうですね」
「レプケならばすぐに覚えられますわよ。では次に行きましょう」
魔法は反復。耳、口、魔力で繰り返し出力調整や術陣を構築することで、より精度を上げられます――ディマの魔法は細かい魔力操作を同時に一つの魔法に込めている物が多いので、失敗すると酷い事故に繋がりますわ。
地上では転移を初めて成功させた魔法使いの殆どが、裸で転移してしまう。それに似た間違いを、解除や転送といった、地上なら難易度の低い魔法でも起こしかねません。
一度、マスユが転送を誤って、ドレスをクローゼットではなく隣の部屋との壁に突っ込んだことがありました。そういった間違いは、誰にでも起こりうることですわ。
最低要求ラインが高いので、繰り返し使う魔法でも油断なりませんのよ。メイドであっても庶民であっても、高い水準で魔法を使えるのも納得ですわね。
魔術練習用人形に、定められた魔法を次々かけていく訓練をします。難易度の高い魔法はまだ使えませんけれど、日進月歩で参りましょう。
「解体、構築、装着、解除」
「完璧でございます! ほれぼれしてしまう技術! やはり魔王様の目に狂いはありませんでしたねぇ」
うんうんと頷いていただいてますけれど、魔法自体は才が僅かでもあれば成功させられる程度の物ですのよ。
レプケの仰るのは、簡単な魔法でも同一の対象に、連続して別の魔法をかける難しさを褒めてくださってるのですわ。
「魔法研究家の方に褒めていただき、恐縮ですわ」
「謙遜なさらず! アンヌ様に匹敵されているのは、この国でも三名くらいのものですよ!」
「あら、その三名の方って私も面識がありますかしら? 興味があるわ」
「まず魔王様、エクルドワ公爵……そしてノバティー伯爵。このお三方は間違いないでしょうな」
「伯爵の方がそんなにお上手なの?」
伺ったことのないお名前ね……エクルドワ公爵とノバティー伯爵。お会いできたら、ぜひ魔法のコツなど伺ってみたいわ。
「こちらの貴族にも、少々事情がございまして。では薬草学のお浚いに参りましょう」
「……変わった薬草が多いんですのね。魔力の通し方で別の効果を発揮したり……まあ、これは甘草に似ているのね」
「一部の薬草は取り扱いに注意が必要ですので、資格を持った方の指導の下お使いになる必要がございます。管理は主にこのディモルト城で行っております」
当然でしょうね。私も、お母様に絶対に入れてもらえなかった部屋がありましたもの。
「レプケはその資格をお持ちなの?」
「いいえ、薬草は専門外でございます。お教えできることは、あまり多くないのでございますよ」
「それは残念ですわ。――生き物に寄生……種が爆発注意なんて物まで?!」
その日は、ティータイム以外の時間はずっとお勉強をしていましたわ。明日は舞踏会だからか、ヴァーミナスもお忙しいようで、顔も合わせられませんでした。
そういえば、こちらの社交にお茶会はありませんのよね……レプケからは魔法のことを優先してお時間をいただいてますし、誰かお詳しい貴族の方……ルビー様にお訊ねしようかしら?
ルビー様は明日の舞踏会に必ずご出席なさるでしょうから、色々ご質問してみましょう。きっとルビー様にも褒めていただける、完璧な盛装を見せてご覧に入れますわ!
そして、勉強の成果で次こそ勇者をぶっ殺す! と改めて気合を入れ直しました。