二十三話
自室に着くとヒールを脱いで、ソファに叩きつけました。
物に当たるのは趣味じゃありませんけれど、この怒りは発散させないと人に当たってしまいそうだわ。続いて指を乱暴に鳴らします。
「レプケ! 来なさい!」
「お呼びでしょうか、アンヌ様」
「勇者を取り逃がしましたわ……この後の計画も色々と修正します。計画書をお願いしますわ」
「すぐに、ご用意致します」
なんてこと! 反省する点はたくさんありますわ。スターシアの魔法、ニニラが大人しかったこと……スズカの制止の声に時間を取られてしまったのも原因でしょう――ああ悔しいっ!!
髪飾りを解除して、転送で元の箱に戻しました。マスユは一言でやってしまいますけれど、私は修行も兼ねて一つ一つディマの魔法を意識して使っています。そう、落ち着くのよ……。
「アンヌ……」
そこにヴァーミナスが現れて、また動揺します。今は誰にも会いたくありませんのに……っ。
「ヴァーミナス! 何故私の部屋に……その書類は――」
「レプケに聞いて来たのだ。勇者を殺し損ねたそうだな?」
ヴァーミナスに指摘されて、また不快な感情が逆なでされます――怒ってる場合じゃないわ。ソファのハイヒールをしまって座るよう勧めなければ。
「くぅっ……私を無能とお思いにならないでくださいな。次にはきっと――」
え、何……? 私は後ろからヴァーミナスに抱き締められていました……。
「それは良いのだ。何があった? ――泣いている」
きっ、気づきませんでしたわ……。慌てて顔に解除をかけて化粧を落としました。魔族の化粧品は汗にも涙にも強いですけれど、擦ったら流石に崩れてしまうわ。
「解除! ご、ご心配には及びませんのよ……く、くやし……う、うぅ……」
勇者はスズカにはとても思いやりのある行動ができるんですのよ――見ていましたもの。ずっと、スズカを見ているあなたを――!
「我には話せないことか?」
そんな、そんなこと仰られたら――私。顔を見られまいと、両手で覆います。ヴァーミナスの逞しい腕に抱かれて、もう堪えることができません。
「いいえ! 何があったか、なんて舌の上に乗せるのも嫌なんですの……ヴァンス――ふあああーーー! ……っっうっう」
人前で泣いてしまうなんて……けれどヴァーミナスは私をソファに座らせて、腕の中に引き寄せてくださいました。お父様みたいだわ……安心してしまう。
「今すぐ勇者を探し出して、首を持って来ようか? そなたの前で拷問しても良いぞ」
ヴァーミナスったら――私を慰めてくださるのにも、そんなに物騒なんですのね。思わず笑ってしまいました。
「ヴァンス、ありがとう――お気持ちは嬉しいのですけれど、それは私の手で成し遂げますので控えてくださらない?」
「そなたがそう言うのであれば……」
躊躇いがちに、大きな手が私の髪を撫でてくれます。良い気持ち……。
「代わり、と言ってはおかしいのですけれど、一つお願いがありますの。聞いてくださる?」
「もちろんだ。なんでも言うが良い」
恥ずかしい距離ですけれど、ヴァーミナスを見上げました。なんだか、お父様に甘える時のことを思い出してしまうわ。
「私、殺すのには失敗してしまいましたけれど、加護を殺ぐことには成功しましたの。女神の加護は勇者の盾――あなたに、祝福された勇者の剣を奪っていただきたいの。和平の証として……和平会談がお決まりになったでしょう? 魔王の魂を滅ぼす剣を封印して、和平と成す……素晴らしい考えだと思いませんこと?」
ヴァンスは安心したように笑みを浮かべました。これくらい、可愛いおねだりの内ですわよね?
「良いだろう、正式にそうなるように手配させる。――勇者の手から、我に剣を差し出させよう」
「ありがとうヴァンス! この嬉しさはあなたがくださったものよ!」
そのまま飛び込んで抱きつくと、ヴァーミナスは私の顎に手を添えて――ん、んんっ――。舌がするりと忍び込んで、絡みつくと離れていきました……情熱的なキス。
「アンヌ――可愛い我の恋人。このくらいで喜んでくれるなら、いくらでも我が侭を言うと良い」
ちゅ、とまた唇にキスされても嫌な感覚はありませんでした。こういうことも、婚約者ならでは……ではありませんわよね。
ヴァーミナスは、異性として私を見ているのですわ。今までにない自尊心のようなものが刺激されて、嬉しいと感じました。
「まあ――嬉しいわ。けれど今はそれだけで充分ですことよ。お優しいヴァンス、私、とっても慰められましたわ!」
ソファから立ち上がると、ヴァーミナスを見下ろして微笑みました。床に散らばってしまった書類を拾って、横に座り直します。
「そうか。なら良かった――そなたが泣く姿は見たくない」
「そうでしたわ! お見苦しいところを見せてしまって……ごめんなさい。泣く時は一人と決めていますのに、あなたのお優しさのせいね、きっと」
淑女たる者、誰かの前で泣くなんて恥さらしですわ……でも婚約者なら未来の家族ですから、ギリギリセーフにしておきましょう。
「そんなに親しく言われると、どうにも髪を撫でたくなってしまうのだが」
「あら、遠慮なさらずそうしてくださる? あなたの手で撫でていただくと、なんだかお父様を思い出しますわ」
「……そ、そうか……お義父上は素晴らしい御仁と聞いた。どのような方なのか、話してくれないか?」
私は計画書を脇に置いて、ヴァーミナスに髪を撫でられながらお父様の話を披露していきました。小さい頃、よく髪を撫でていただいたこと、領民から慕われる人柄のこと、お母様が惚れ込んでしまわれた魔法の腕。――お父様の話になると、ついつい止め時を見失ってしまいますのよね。
「ふふ、ねえヴァーミナス。私ばかり話しては悪いわ。お茶を持って来させますから、あなたのことも話していただきたいわ」
「そうだな、喜んで。マスユ!」
ヴァーミナスは指を鳴らしてマスユを呼びました。サッと転移で現れるマスユ。
「お呼びですね、魔王閣下」
あら? 言い切るなんておかしな言い回しですわ。私の時はちゃんと訊ねてくださるのに。
「茶だ。この部屋で、軽食も持って来い」
「ヴァーミナス、少し言い方が横暴でなくて? 私、旅をして来て人に上下なしと教わりましたの。使用人にも最低限の気配りをなさるべきよ」
「そ、そうか。そうだな。そなたの言う通りだ、これから気をつけよう」
「頼みましたわ、マスユ」
「畏まりました、魔王閣下、アンヌ様」
マスユは驚くような速さでお茶の準備を整えました。手際がよろしくて、見ていて気持ちが良いくらい。紅茶を一口いただいて、カップをソーサーに置きました。
「マスユの淹れる紅茶は本当に美味しい。いつもありがとう、マスユ」
「い、いいえ。当然のことでございます。お褒めくださり、大変恐縮にございます」
ヴァーミナスも飲んでいた紅茶のカップを、殆ど音を立てずに置きました。こちらではお茶の習慣もないのに、細かいマナーまでご存知なのね。
「……アンヌ、我の話であったな。我は生まれた時には公爵家の次男に過ぎなかったのだ」
ヴァーミナスのお話はとっても私を楽しませてくれました。その間もマスユは、二回目に注いだ紅茶をちびちびと立って飲んでいました。
「そんなお子様でしたのね、やんちゃだったあなたなんて、少し想像できませんわ」
「ディマ国の魔王が途中交代する場合についてはどのくらい知っている?」
「ええと、自分が魔王に相応しいとする者が、一対一の決闘を申し込むのだと聞きましたわ」
もし誰かの力を借りて卑怯な真似をすれば、魔王を討ったとてすぐに大勢に囲まれて集団リンチで、死にかけたら全回復を使われ、ありとあらゆる責めを受ける……過去に二、三度実際にあったらしいですわね。
そう、こちらの回復魔法は難しいんですのよね。何度試しても上手くいかなくて――何がダメなのかしら?
「そうだ。我は十歳で前魔王を倒して今の地位を手に入れた」
「ま、まあ! 十歳?! そんなに若くて圧倒的な力を持っていただなんて……尊敬しますわ、ヴァーミナス」
「いや……我の話はもう良いだろう。魔王になってからはつまらないものだ。アンヌの話をしよう」
「もう終わりですの? でしたら、何故マスユが立って紅茶を飲んでいるのかを教えてくださらない?」
「目障りなら下がらせようか?」
「違いますわ! 文化の勉強をしたいのです。ダメかしら?」
「そうか。あれは、主人に提供した物に自信がある、というメッセージなのだ。料理に関しても、料理人や配膳係も含め本来なら目の前で同じ物を食べる習慣だ」
そんな習慣、初めて聞きましたわ。何故レプケもマスユも教えてくださらなかったのかしら?
「そうでしたの。でしたらこれからは、食事の時もこちらに合わせますわ。私だってこちらにどんどん馴染んで行かなくては。そうでしょう?」
「わかった。では我と時間を合わせる、ということでいいか? マナーが完全でない内は、大勢に見られるのが嫌なのではないか、と思っていたのだが」
「ご配慮いただいていたのですわね? もしかして、この城の皆様は一同にお食事をなさっているの?」
「実はそうなのだ。しきたり故変える訳にも行かずな。――魔族の食べ物はアンヌの見慣れぬ物も多いし、その魔族の姿形も様々だ……当分別で、と考えていた」
なるほど……こちらに合わせる、と言って大恥をかいたり異形の方を見て失礼な反応をしないようにと……。そういえば晩餐会も、こちらの食べ物でしたけれど形式は人間のものでしたわね。
やはり私が気づいてないだけで、こんなにもヴァーミナスは私を気にしてくださってるんですわ。無愛想なのは元々のお顔なのでしょう。ちゃんと変化していると、最近は少し見分けがつくようになりましたし。
「そういうことなのでしたら、マナーに不安がなくなるまでは今のままでよろしいかしら? 魔族の方々には失礼のないように、ちゃんと勉強して慣れておきますから」
「それが良い」
「? ――マスユ、今何か仰った?」
「いいえ、失礼致しました。お邪魔なようなので私は下がってもよろしいでしょうか?」
「邪魔ではないわ。あなたは気にしすぎよ。そうだわ、ヴァーミナス。今日のお仕事はもう終わってしまったの?」
まだお仕事があるのなら、こんなに拘束してはお邪魔になるのは私ですもの。
「いや、だが急ぎではない。何かあるのか?」
「あなたのお邪魔はしたくありませんことよ。それに、お父様のようにお仕事ができる殿方は尊敬致しますわ。戻られたらいかがかしら?」
「そうだな、アンヌとの一時は時間を忘れてしまう。すぐに終わらせて来よう」
来よう? まだ何か用があるのかしら? そうだ、そもそも私の部屋にいらっしゃった用件も伺っていませんでしたわ。
「ねえヴァンス。用があるのでしたら今の内に仰って。時間はかかりますの?」
「用? アンヌに会うことが用だ。そなたは何もせずとも良い」
あら、それって私に会いに来たみたいですわ。ああ、失敗を聞いて慰めに来てくださったのね……私はこんな婚約者を持てて幸せ者かもしれませんわ。
「私でしたら充分に慰めていただきましたから、今日はもう大丈夫ですわ。お仕事頑張ってくださいませ」
ヴァーミナスは私の髪を名残惜しい、と言うように撫でてくださいました。
「ありがとうアンヌ、では行ってくる」
「行ってらっしゃい。無理に戻ってくださらなくてよろしいですからね、ヴァーミナス」
頷いた後に転移で帰られました。よく考えたら、初めてあんなに親密なキスをしましたわ……照れてしまいます。
「さ、マスユ。あの昼食会での出来事を振り返りますので、特にスターシアとニニラの行動を報告して頂戴な」
「畏まりました」
計画書と事実を合わせて練り、今回の反省を次の計画に生かして、次こそは勇者を殺さなくては……!
ヴァーミナスのおかげで、落ち着いて計画を考えられそうですわ。




