二話
エミリオ様とスズカの様子を見て、思い合っていることがわからない者など居なかったでしょう。
それほどにお二人はお似合いなのです。
スズカは私の気持ちを知っていることもあってか、エミリオ様のことは好きではないと言っていましたが、嘘だということは一目瞭然でした。
スターシアとニニラも、スズカには勝てないとすぐに身を引きましたけれど、私は諦めません。
まだ失恋した訳ではないと、私なりにエミリオ様のことをお慕いし続けましたわ。
エミリオ様も、以前とは違い努力する私を少しは見直してくださいました。信頼を勝ち得ることができた時には、とても嬉しかった。
私にもエミリオ様のお心を射止めるチャンスがあるかもしれないと、愚かにも舞い上がってしまいました……それでも所詮、私はスズカの当て馬でしたわ。
命がけでスズカを庇い告白したエミリオ様のお姿を見て、私は恋心に終わりを告げました。スズカのお返事はもちろん『私も好き』でした。
いいえ、告げるまでもなく初めから終わっていたのですわね……それを私が認めようとしなかっただけで。
悔しくて悲しくて、私は一人で転移して宿の部屋に帰り着くと、閉じこもって何日も泣きはらしましたわ。
仲間を置き去りにしたばかりか、心配してくれたスズカやスターシアにも当たり散らしてしまい、謝らなくてはいけませんの。
今作り上げたこの薬は、その謝罪と友情の証として、苦心して完成させた最高傑作ですわ。我がドルツストイア家に代々伝わる魔法薬の専門書……その中でも特に難易度も効能も高い一級品ですもの。
冒険の途中で手に入れた特別な薬草と、魔を払う聖水。それにユニコーンの角などを混ぜて私の魔力で練り上げた秘薬――ほんの少ししか作れませんでしたけど、効能は間違いありませんわ。
立ち上がって身だしなみを確認すると、私はまずスターシアを探すことに致しました。
「ス、スターシア? ちょっとよろしくて?」
「あらアンヌ。もう良いの?」
もちろんアンヌとは私の呼び名ですわ。親しい方には、アンヌと呼んでいただいておりますの。
スターシアは休憩室で座っていて、ちょうど食事が終わったところのようでした。私は立ったまま、簡潔に用件を述べることにします。
「ええ。心配してくださったあなたに当たってしまい、真に申し訳ありませんでしたわ」
私は誠意を尽くしてスターシアに頭を下げました。許してくだされば良いのですが。
「ふぅん。 用はそれだけかしら?」
冷たいように見えますけれど、今更これくらいでへこたれませんわ。自業自得ですもの。
「お詫びの印として、特別な薬を調合しましたの。以前、魔物から魔法でも治らない毒爪で怪我を負っていましたわよね? この薬なら、きっと治せますわ! どうか使ってくださいませんこと?」
「……本当に? そんなことができるの?」
「もちろんですわ! 我が家に伝わる魔法薬の書を元に調合して作りましたの。確かお背中でしたわね? お時間は取りませんので、失礼して使わせていただいてもよろしいでしょうか?」
スターシアは戸惑いを見せたものの、私の態度が偽りないものだと納得してくださったのか、頷いて患部を見せてもらえましたわ。
「わかったわ。お願いするわね」
「ええ……すごく痛そうですわね」
その傷口は赤黒く滲んでいて、白い背中にたった一本走る傷は、痛々しく見えました。
「痛いわよ。いつまでも治らないものだから、ガーゼを当てていても何かの拍子にこすれるだけで痛いの。今は慣れてしまったけどね」
スターシアを苦しめる傷も、この秘薬がたちどころに治すはずですわ!
「では少々痛むかと思いますが、失礼致しますわね?」
「大丈夫、やってちょうだい」
「薬を落としますわよ……」
声をかけてから、乳白色の小瓶を慎重に傷口の上で傾けます。ほんの一滴、すぐに染み込んだ傷口に、もう一滴と垂らして行きます。全体にクリーム色の膜が張ったところで、充分だと判断しました。
「つッ!」
「大丈夫でして? もう終わりですわ」
見た目には変化が表れないので心配になりますが、いかに秘薬といえど、深い傷を治すのには時間がかかるそうなので、大丈夫と思いましょう。た、たちどころは少々誇張しましたわ……効き目が表われたら、たちどころにですわ。
「ありがとう。アンヌがこんなことをしてくれるなんてね。とっても貴重な薬なんじゃないのかしら?」
「こ、これは迷惑をかけたお詫びだけではなくて、これからも……その、私と仲良くしていただけたらと、っいえ大したことではありませんのよ?」
「ふふっ、わかったわアンヌの気持ち。これからもよろしくね? 大魔法使い様♪」
スターシアの笑みと受け入れてくださる言葉に、私は安堵致しました。これで後はスズカにこの薬を渡せば良いですわね。
「え、ええ! こちらこそ若輩者ですので、どうぞよろしくお願い致しますわ。スターシア」
さっそくスズカを探して参りましょう。スズカのお友達である小鳥のベルンは、翼を傷めて飛べなくなり、今も衰弱して死に向かっているのですから。
スズカのお部屋のドアをノックをすると、答えが返ってきました。どうやら自室で持ち物の点検をなさっていたようですわ。感心なことですわね。
「スズカ、ちょっとお時間よろしいかしら?」
「アンヌ! 良かった。もうすっかり良いの? 顔色は……大丈夫みたいね」
「大変なご迷惑とご心配をおかけしましたわ。私、今度のことではあなたに酷く当たってしまい……反省の気持ちでいっぱいですの」
「ああ、そんなの気にしないのに。それどころか私ったら、親友の好きな人を好きになっちゃうなんて……酷い女だよね」
スズカはまだ、私のことを親友と呼んでくださいますのね! それだけで胸がいっぱいですわ。
「いいえ! ただ勇者様はあなたを選んだ。私は正々堂々と、恋の勝負に負けただけではないですか。謝罪の印と言ってはなんですが、あなたのベルンにお薬を作って参りましたの……受け取ってくださる?」
「え! あ、薬は嬉しいけど、衰弱が酷くなってきて……使ってもせっかくの薬を無駄にしちゃうかもしれないよ?」
「そんなことはありませんわ。この薬なら大丈夫なはず、いいえ。例え無駄になってしまったとしても、これは私の気持ちですわ……ぜひ、使ってくださいませ」
秘薬の小瓶をスズカの手に握り込ませ、有無を言わせず出て行こうとした時、予想だにしないことが起きたのです。
「スズカ大丈夫か! アンヌ、よくものうのうと……」
扉を開けて飛び込んで来たのは勇者様――なのですけれど。
「エミリオ? そんな慌ててどうしたの?」
スカイブルーの瞳は嫌悪に濁り、私が悪魔かのように、恐ろしい剣幕でこちらを睨みつけています。私は喉を締めつけられたように、何も言えなくなってしまいました。
「待ってよ、アンヌが何をしたのよ? そんな風に睨みつけないで!」
「この女はスターシアに毒を盛ったんだ! これかっ、こんなもの!」
目の前でスズカの手の中の秘薬を取り上げると、あろうことか勇者様は壁に叩きつけてしまわれました。
そんな……嘘ですわ。何かの間違いですわ。瓶は粉々に砕け散り、薬は床に吸い込まれて……。動揺を抑えられず、愕然と膝をつきました。
「なんてことするの!? エミリオ、アンヌの気持ちを……」
「この女の気持ちだって? 僕の心を得られないからと仲間を毒殺しようと企む女だ! 君が庇うに値しない、最低の女さ!」
溢れる涙を止めることなど、もうできませんわ……勇者様が、私のことをそんな風に思ってらしたなんて……。
「いくらあんたでも、それ以上言ったら許さないから! アンヌ、大丈夫?」
スズカが私の肩に手を置いて慰めてくださいますけれど、今の私には泣き続けることしかできません。
「なんでこの女を庇う? 君は殺されそうになったんだぞ。この、男を馬鹿にした名前の不吉な髪の女に!」
「~~~ッ!! 私、私ッ、こんな屈辱には耐えられませんわ! ……勇者様が私のことをお嫌いでしたら、今すぐ消え失せますわ!」
「アンヌ!」
酷い、酷すぎますわ……っ!
私の名前は愛するお父様から付けていただいた素晴らしい名前。この国では不吉とされている紫紺の髪は、大好きなお母様から受け継いだ私の誇り!
それを……殺人者と罵られたあげく、先祖より賜った血や名前まで侮辱される――そんな謂れはありませんことよっ!
――もう、この場所に留まってなどいられません。まっすぐ部屋に帰りつくと、大急ぎで荷物を纏めました。旅慣れているおかげか、五分とかかりませんでしたわ。
「ううっ……」
誰も追いかけてもくれないのですね。外に続く窓に身を乗り出すと、庭に躍り出て転移の呪文を唱えます。
「我が身、我が身に纏う諸々の道具を我の望む地に送り届けたまえ……そして追跡者を惑わす混乱をこの地に残せ。長距離空間転移!」
「待ってアンヌ!!」
転移の瞬間にスズカの声が聞こえましたが、意味はありません。誰に引き止められても私の気持ちはもう変わりませんわ。
――さようなら、勇者様――過去の思い出に決別しました。