十話
ディモルト城に居を構えて早一週間、こちらの暮らしに最低限は慣れてきたのですが。
戸惑うことこそ多々あれど……異様なまでに不便や不満がないですわ。もちろん伴侶に対する気配りではあるのでしょうけれど、もっと魔族からの侮辱を受けると思っていたのに予想以上に歓迎されて、逆に困惑しているくらいですわ。
何でもディマ国は超多種族国家なので、異種族間の結婚は当たり前なのだとか。魔王閣下が人間如きと結ばれるなんて! と乗り込んで来た方には私の知らないところで対処なさっているのでしょう、まだ会ったことがありません。
「へーえ、ディモルト様の婚約者! 立派なものじゃないか。人間なんてって思っていたけどさ、なかなかどうして、あんたは見事だ」
「お褒めに預かり嬉しいですわ、ダナゴ公爵殿」
目の前で遠慮会釈なく値踏みしているダナゴ公爵は、緋色のウェーブしている髪に緑の肌の、所謂トロルの女性ですわね。ディモルト界での爵位には女……という言葉は付かないのだそうで、社会の中での種族差別も性差別も人間に比べて微量なのだとか。人間に見習って欲しいですわね。
「ふん、まずは合格だけどね……自分の持っている魔力、御せるのかい?」
「それは……」
がぎぃん、という金属のぶつかるような重い音が響きました。ダナゴ公爵は当然のように棍棒で私に殴りかかりました。
私も予想していたので、魔力を一瞬だけ集めた盾で防ぎました。最初にヴァーミナスの使っていた障壁ですが、あれは魔法ではなく魔力を使った“集中”という技術でした。教えてもらってすぐに大活躍ですわ。
「ハアっ!」
第二撃をなんとかいなし、体制を整えて距離を取ります。流石に慣れましたわ、もう遅れは取らなくてよ。
「固まれ、石像化!」
簡略化した詠唱の後に、石化の砕ける音が続きます。下半身を石化させるとダナゴ公爵は棍棒を捨ててにこっと笑いました。私も魔法を解除します。
「うん、反応も悪くない。満点とは言わないが充分さね」
これは実力を試すテストですわ。初めにレプケから習った時には冗談かと思ったのですが……政治、社交界の要人と初めて会う際には必ず挨拶の直後に攻撃を加えられました。まだ大使が正式な身分ですので、公式には貴族のどなたよりも低い身分ですから、私が試す側になるのは――婚約を人間界に発表してからだそうです。
身分が高い者が最初の一撃を繰り出し、かわしてはいけない決まり(かわした時点で不合格)のため、力の弱いものは強いものに叩き伏せられる。その代わりに試しで認められればどんな立場の何者でも知り合いになれる、という奇妙な社交システムなのです。
乱暴ですが、貴族の皆様が実力によって務めている以上、一定の力がなければ公の友人にはなれないのだと聞き、魔界ではこれが腐敗や不平等を防ぐ一番の方法なのだと知らされました。これを“初会の試し”と言うのですって。
「話によると、ディモルト様に試される前にふっかけたらしいじゃない? 骨のある奴は誰であろうと好きよ? これからは友達と思って」
「よろしくお願いしますわ」
そう、奇しくも私がヴァーミナスに放った雷は、魔族の方々に好意的に受け止められる一つの要因になったのです。“初会の試し”をされる前に仕掛けた剛の者……嬉しいような複雑な評価ではありますが、好印象なのでよしとしましょう。
けれど普通、王が攻撃されたら殺すつもりがないものであっても罪に当たる気がするのですが……価値観や文化の違いに驚かされてばかりですわ。
「ねえ、アントワーヌって名前が人間だと男にしかつけない名前だってディモルト様に聞いたんだけど、本当かい?」
「ええ、そうですわ。いかがされまして?」
幼少より何度も訊かれた質問ですけれど、どうもあれ以来勇者の暴言が耳について離れませんわ――『男を馬鹿にした名前の――』ああ、殺してやりたい。
「いやね、あたしの名前も“ジルベール”ってのよ。産まれたばかりのトロルは性別がわかり難くて、完璧に男だと思われてたのに蓋を開けてみたら女でね。同じような名前のあんたとは仲良くなれたらな、と思ったのさ」
「それは素晴らしい偶然ですこと! よければ私のことは親しくアンヌとお呼びくださいませ」
「アンヌ様ね。あたしはルビーって呼んで欲しい。はは、ニックネームは二人とも女性らしいんだね、やっぱり」
「ええ。お美しいお名前ですわ、ルビー様」
「ありがとうアンヌ様。幸先いいよ、噂通りの女傑だね」
女傑……ええ、魔界――ではなく正式にディモルト界と呼ばなければ。こちらでは男女問わず、強ければ強いだけ偉いのですわ。こんなに体の大きなトロルで公爵のルビー様が私に敬称を付けて、女傑とまで言ってくださるのは最大級の賛辞です。
「そんなにもお褒めくださり、魔力が弾けるほど嬉しいですわ」
そして立てた人差し指の先で魔力を小さく破裂させて音を鳴らせば。
「う~ん。一週間でそこまでこっちに馴染むなんてやられたね。あたしの魔力も弾けるってもんさ!」
ルビー様も笑って指先で魔力を弾けさせてくださいました。ヴァーミナスにも使ってみて思ったのですけれど、本当に効果てきめんですわ。
婚約者のいる私ですと、使う相手も応える相手も女性か既婚男性に限るそうですわ。このかけ合いが家族のように親密になりたいという意味だからだとか。覚えておきませんと、要らない醜聞になりますわね。
「お疲れ様です、アントワーヌ様。お次は魔法の講義を受けて頂きます」
「お疲れ様、レプケ」
このディモルト城の回廊が異様に長いのは、侵入者対策でした。敵の魔法を封じてしまえば立派な妨害ですものね。
「転移」
私は場所や位置関係を覚えている最中ですので、まだマスユかレプケにお願いして移動しています。私が発音を耳で覚えるために、呪文を言っていただいているのですわ。
「さ、前回のお浚いからです」
見慣れた学習室に着くと、レプケはあちこちから本を取り出して広げました。体が小さいので大変そうですけれど、私には絶対に手伝わせてはくれません。紳士ですわ。
「同じ魔法なのにこんなにも成り立ちが違うのですね。込められた魔力だけの問題ではなかった……興味深いですわ」
呪文詠唱がなく、発動光がないのは戦闘に特化させてきた魔族ならではですわ。あちらでは魔法は女神からの贈り物ですから、呪文を捧げる必要があるのです。
「アントワーヌ様は飲み込みが早いですね。流石です、早速説明した点に気をつけて浮上魔法を使ってみてください」
「ええ。……浮上!」
恐る恐る目を開けば、そこは私の故郷の近くにある泉。私の魔法は成功して、やっと人間界へ帰る魔法を覚えられたのですわ!
「沈下!」
呪文を唱えれば、直ちに魔界に下りてこられました。帰りは失敗しても、レプケが迎えに来てくれることになっていましたが、その必要がなくて良かったですわ。
「お帰りなさいませ。成功おめでとうございます」
「やりましたわ! ああ、久々ですわ――この魔法を会得できた達成感!」
レプケは浮上魔法と言いましたが、これはディモルト界から人間界へ行くことを“浮かぶ”“上る”と表現することから来ているそうです。宙に浮く魔法は浮遊魔法と呼ばれている、とも教えていただきました。ここは地下空間と聞きましたし、“人間界”より“地上”の方が呼びやすいのも理解できますわ。
「浮上魔法を習いだして三日で習得なさるとは、素晴らしいです。貴族の、それも魔法を得意とされる方々にしか扱えない魔法なのですよ?」
「私にはどちらも当てはまりますから、当然扱えなくてはね。ああ、良かった」
この一週間というもの、万一首飾りに何かあったらと夜も眠れぬ日々を過ごしましたわ。少し嘘ですわ、野営と同じくらい眠りは浅かったかしら。
「魔王様も喜ばれますよ。では明日からはまた別の魔法のための講義を行いますので、お覚悟を」
レプケにはヴァーミナスがどう映っているのか甚だ疑問なのですが、不器用な方なのですと返されしまい、未だ理解ができていません。
私にはぶっきらぼうで愛想のない方に思えるのですが、もう少し親密になればわかるのでしょうか?
けれど今はそれよりも、私は新たな魔法にすっかり心を奪われています。
「覚悟どころか、今から教えていただきたいくらいだわ。こちらの魔法はあちらにはないものばかりで、早く知りたくてたまりません」
「嬉しいですねぇ。こんなに教えがいのある生徒は初めてですよ」
魔法の講義の後は書庫で一人、歴史と経済のお勉強です。得意分野ではありませんけど、戦争を起こさざるを得ない理由を知らないことには、大使なぞ勤まりませんもの。今は自由時間ではありますけど、この方が有意義ですわ。
誰も来ることのなかった書庫に、ふと転移魔法陣が現れました。
「……ずいぶん勉強熱心だな。アンヌ」
「ヴァーミナス、今はお仕事中ではなかったのかしら?」
私を驚かせないように、わざわざ時間をかけて陣を浮かび上がらせてからヴァーミナスは書庫に訪れました。
城の中程度だと、ヴァーミナスは瞬時に転移ができるので、先日後ろから話しかけられた私は大いに慌てたのです。
浮上魔法を覚える前で神経質になっていたせいで、過剰に驚いてしまったのがヴァーミナスに煩わしく思われたのか、次からは必ず判別できるようにすると呻くように不機嫌な声で言われてしまい……取り乱してしまったことを反省しました。
「早く終わったのだ」
「そうですの。お仕事のできる方なのですね。よければお座りになって?」
魔界の美徳はわかりませんけど、私にとってはとても好ましいことです。
読んでいた本を脇に置き、ヴァーミナスに正面の椅子を勧めました。ディモルト界では魔法で相手が座りやすく椅子を引いたり、扉を開けたりといったことは最低限のマナーらしいのです。まだこちらの魔法では無理ですけれど、私も忘れず自然に椅子を引けました。
「そういうそなたも、毎日よくやっていると聞く。今日は浮上魔法を習得したそうじゃないか」
「ええ、私には復讐という目標がありますし、ヴァーミナスがとても親切にしてくださるおかげで、何もかも順調ですわ」
すっとヴァーミナスの目が伏せられます。時々見かけるため癖らしいのですが、どんな時にする癖なのかはまだわかっていません。よい夫婦関係は相互理解からですわよね。少しずつヴァーミナスのことを知って行きたいですわ。
「それならば良い。何か不自由を感じたら我に言うのだぞ? 皆にそなたは不可侵の存在だと徹底的に知らしめるつもりだ」
「不自由なんてありません。この装いも、初めは驚いたのですけれど着慣れると人の着るドレスより遥かに楽ですもの」
微笑んで肘の薄い布地を引っ張ると、ヴァーミナスは頷きを返してくれました。
魔族が着るものというと、およそ防寒着の役割を無視した過剰な肌の露出という問題がありました。
私は理由を聞いた後にも納得できず破廉恥過ぎると、人間のドレスを着ることを主張したのですが……。
「これらを身に着けることには、魔族に受け入れられる要素と魔力操作の補助の意味合いがある。これに関して譲ることはできない」
と言われ、仕方なく布面積を増やしてもらうだけで妥協しました。
こちらのドレスは光っていたり透けそうな(何故か水をかけても透けない)生地で作られた、体にぴったりと張り付く形の物ばかり。最初の方は恥ずかしくてたまりませんでしたけれど、今は普段着で城の中なら自然に振る舞えるようになりました。
今私が着ているのは、髪より一段明るい紫色の、袖は肘まであるワンピース。魔力布である赤いリボンを二の腕で結んだ普段着です。
背中がぱっくりと開いているデザインなのですが、これでもだいぶ生地を追加してもらいました。あの仕立て屋はやたらと肌を露出させたがって、私からしたら非常識極まりないですわ。
まだ魔界の文化に関してはお勉強中なので、当座は私の希望を飲んでいただいてます。
赤いリボンもヴァーミナスからの贈り物です。こちらの魔力は強く純粋になるほど赤くなるそうで、魔力布には布一枚とは思えないような魔力が込められています。つまり、総魔力補助と魔力操作アップのアクセサリーという訳ですわ。実際、魔法の心得がある者ならばこのリボンはとてつもなく便利だとすぐ気づくでしょう。
「また髪を纏めているのだな。下ろせと前に言わなかったか?」
「ごめんなさい、でも纏めていれば邪魔になりませんし、皆様のお目汚しになってしまいますでしょう?」
ディマ国の文化では違う、と説明されてもまだ髪型は上げたまま……朝は下ろしてもらっても、過ごす内に不安になって自分で固めてしまうのですわ。
「何故そうなる? そなたほど美しい髪の者は魔族にも居ない。堂々と見せつけて欲しい」
「あ、その。私の髪が美しい……と仰いましたの?」
あああ、今絶対に顔が赤いですわ。まさかヴァーミナスから髪を褒めていただけるなんて、思ってもみませんでした。
「もちろんだ。紫紺は特に高貴な色だし、手入れも行き届いた美しい髪ではないか」
なんてこと。私ちょっと泣いてしまいそうですわ! というより、すでにじんわり来てますわ。
目元を指で押さえて、いつものようにお礼を……。
「ありがとう、ヴァーミナス。私……髪を褒めていただけることがあるだなんて、そう、思わなかったですわ」
照れてしまって、全然いつものようにできません。ですがヴァーミナスの表情は軟らかくなったので、不快に思われなくて済んだようです。
「我の治める世界でそなたの髪を蔑む者など存在しない。次に何か言われたら、我に言え。人間だろうと魔族だろうと容赦はしない」
「まあ、物騒ですこと。お言葉ですけれど、目くじらを立てるほどのことではないんですのよ。面と向かって言われることはあまりありませんし、言われたままという訳でもなかったのです」
ですから、最大級に侮辱してくださった勇者には、最大級の報いを受けさせてやるのですわ。
「我の隣に立つそなたを侮辱することが許せん」
流石は魔王という立場に居る方ですわね。いくら価値観が違えど、見せびらかすトロフィーに傷をつけられたくないのは、万国共通らしいですわ。
「あなたの邪魔にならない、自分の役割を果たす妃になりますわね」
軽く微笑んで、髪を纏めていたピンを抜き、波打った髪を手で撫でつけました。
「それで良い」
満足いただける答えだったようですわ。ヴァーミナスには勇者を殺すために協力していただくのですから、私も私で望まれた仕事を果たすのは当然です。
「そうだわ、もしお時間に余裕がありましたら、私に現在の経済状況を教えていただけないかしら? 今ちょうど、魔界の経済の仕組みを学んでいたところでしたの」
「しばらく休みだ。何でも訊くといい」
「……あなたって意外と優しい方ですのね。ヴァーミナス」
横に座り直したヴァーミナスにそう伝えると、また目を一瞬伏せるのでした。
「そんなつもりはない」
素直じゃない方なのかしら。食べ物やお風呂の設備など、人間向けの物を融通してくださっているのに、お礼を言っても大したことではないと流されてしまいましたし。
まだこちらでの暮らしも始まったばかりですから、より文化や習慣に慣れて行きませんと。




