Stage.1
魔王の心臓を貫いたその瞬間。
記憶の断片から、魂に刻まれた言葉が蘇った。
『――お前は勝利者だ。勝利からは、逃げられない』
崩れゆく世界の中、俺は仲間を背に立ちくしていた。
――俺は何者だ?
――何故この世界にやってきた?
――この化け物を倒すためか?
――所詮は神の遣いだってのか?
様々な疑念が胸の中を駆け巡る。
"霊王の力"を手に入れてから、自分が孤独の存在なのではないかと疑うようになった。
この世界においての役割を果たすためだけの機械。
力も知識も財産も仲間も、全て偽りのまやかし。
自分だけみんなと違う存在であるかもしれないという不安。
それでも、俺はこの世界のために戦った。
――そして、今。
戦いは幕を閉じようとしている。
長かった旅を終え、俺は俺の役目を終えようとしている。
……勇者は魔王を倒した後、どうなるんだっけ。
薄れゆく意識の中、俺は必死に光を求め続けた。
俺とその仲間たちが、大陸を脅かしていた【災厄の魔獣】を滅ぼしてから1週間が経った。
その報せを聞いた人々は浮かれ、新たな英雄の誕生を一目見ようとこの王都に集まってきている。
祭りだ祭りだと騒ぎたて、昨夜から騒動は絶えず行われているようだ。
まあ、今回ばかりは無礼講ということで、少しくらい羽目を外してもお咎めはないそうだが。
「……しかし、凄い喧騒だな」
祭事が行われている街の裏通りで、俺は小さく呟いた。
中央大陸一の国家、ネハレニア王国。人口約1億人の巨大国家はこの日、王族の居城のある王都セントアルで盛大な祝祭を挙げていた。祝祭の理由はもちろん、数年前からこの大陸を悩ませ続けてきた【災厄の魔獣】というモンスターを討ち取ることに成功したからである。呪いを撒き散らし、数多のモンスターを従える魔物の王。人々は、【災厄の魔獣】という邪悪な存在から怯えて過ごす日々を遂に終えたのだ。
「爵位とか勲章とか、そんなの貰っても仕方ないしなぁ」
影から騒動を見つつ、俺はぽつりと漏らした。
その【災厄の魔獣】を倒した武芸者一行……つまりは俺とその仲間たちだが、国王から爵位を授与されることになっている。さらに、そのパーティのメンバー全員に特別な勲章が与えられる運びとなっていた。
「――本当にいいのかい?」
俺の隣に立つ、騎士風の男が少し残念そうな顔で言った。
「ああ。前にも言ったけど、俺には夢があるからさ」
「でも、ここに残れば君は一生を英雄として生きることが出来る。富や権力だって、一生尽くしても手に入らないくらい君の物になるんだ。それに、姫様も君のことをだいぶお慕いしていた。この国に残れば、もしかしたら王族にだってなれるかもしれない。――それでも、君は行くのかい?」
「もう決めたことだよ。それにさ。そういうの、俺のガラじゃないって」
俺は苦笑いしながら言う。
【災厄の魔獣】を討伐するために編成されたパーティ。俺はそのリーダーを務めていた。
まだ18歳だった俺は、武芸の腕を見込まれ、このネハレニア王国の王様に召集された。そして、同じく集まった腕達者な武芸者2人と一緒に、【災厄の魔獣】を倒すための旅に出たのだ。これが、6年前になる。
大陸全土をまたにかける大冒険。最初の頃は3人で旅を続けていたが、徐々に増え、最終的には8人パーティになっていた。メンツや行程の内約は省くが、その8人で世界を渡り歩き、どうにかこうにか対象のモンスターを倒した俺達は、こうして爵位と勲章なるものを頂けることになったのだ。
「身分なんかいらない、か。まあ、君はそういう人間だったよね」
で、今俺の目の前に立っている騎士風の優男は、初期メンバーの1人であるニルス・シュヴァーゲンだ。ニルスは、気心の知れた友人でもあるため、こうして王都からの"脱走"に協力してもらっている。
「わるいな。でも、俺はこの国で英雄になるために戦ったんじゃないからさ。まあ、姫は可愛いし、王都の人達はいい人ばかりだから名残惜しくはあるけど――。それでも、やっぱり俺は帰ろうと思う」
「君の故郷……職人と商人が集う技巧創作士の聖地、商工都市グランメイス。ま、そうまで言うのならもう止めないさ。ロウ、君が次のステージで何を為すのか、僕はこの国から見守らせてもらうよ」
そう言って、ニルスは手を差し出してきた。
握手。そういうのも、こういう場面ではわるくない。
「ありがとう。お前には迷惑かけっぱなしだったよな、俺。ホント、感謝してる」
言って、俺はニルスの手を握った。
ガシっと手を握り合い、俺とニルスは正面で見合う。
「はは、気にしなくていいって。お互い、手を取り合っただけだからね。僕も君には助けられてばかりだったよ」
「この6年間、辛いこともあったけど、俺はお前達といれて楽しかったよ。あと、エリーゼにはほとぼりが冷めてから事情を伝えておいてくれな」
エリーゼとは、ニルス同様パーティの初期メンバーだ。ジョブは魔法もある程度扱える剣士、いわゆる魔法剣士といったところだろうか。若干強気な性格だったが、面倒見の良い優しい女の子だった。
「わかった。――ああでも、彼女、怒るだろうなぁ。もしかしたら君に怒鳴るためだけにグランメイスまで行っちゃうかも」
「否定できないな、それ」
2人して苦笑いし、繋いだ手を離す。
今生の別れではない。それでも、今までずっと一緒に旅してきた仲間と別れるのは、少なからず心にくるものがある。
「……男の、友情?」
と、俺の背後から眠たげな声が聞こえてきた。
振り向くと、そこには小柄な獣人族の少女、レオノーラがいた。
レオノーラ、通称レオは、ニルスと同じく【災厄の魔獣】討伐パーティの1人だ。初期メンバーではないが、俺達と共に戦ってくれた心強い仲間である。
「レオ! どうしてここに?」
「……ロウのにおいがした」
「いや、においって……。まあ、レオは獣人族だし、そんなもんか」
レオには狐のような尻尾と耳がついている。触るとピコピコ動いて非常に愛らしい。尻尾なんかは極上で、一日中弄り続けられそうなくらい気持ちがいい程モフモフしている。
レオは獣人族と人間のハーフだ。そのせいか、耳と尻尾以外は全て人間のような姿をしている。
ハーフだがレオは獣人族の中でもかなりの力を持っている。俊敏さだけなら、パーティで一番だった。もちろん、その他の能力も引けをとるわけではない。素早さというステータスが、レオの武器だったのだ。
「それより、城の会場に戻らなくていいのか? まだ立食会の途中だろ?」
「……ロウがいなくなったから、捜した。そしたら、ニルスもいた。……どこに行くの?」
問い詰めるかのような声音。
どうやらレオは勘づいているらしい。
「……やれやれ、相変わらず鋭いな、レオは」
「ロウのことなら、なんでもわかる」
「はは。参ったね、こりゃ」
これからしようとしていることに、俺は後ろめたい思いになる。
正直、レオにはこの国で幸せになってもらいたいと考えていた。獣人族のハーフだけど、この国でなら差別とかもないだろうし、なにより英雄一行のメンバーの1人だ。待遇はかなり良いはずだ。
「私はロウのもの。だから、私も行く」
言うやいなや、レオは俺の腕にヒシっとしがみついてきた。
「はは、相変わらずだねレオは。旅の最中でも、ロウにベッタリだったもんね」
ニルスが、まるで親子を見るかのような温かい眼差しを俺とレオに向けてくる。
確かにレオはロリ体型だが、さすがに親子はない。というか、俺が父親というのが嫌だ。俺はまだ未婚だ。
「でも、グランメイスはこの国ほど獣人族……亜人に理解があるとは思えない。レオが本当に幸せに暮らせるのは、この国以外ないと思うけど――」
「違う。レオの居場所はロウのいる所。ロウがいてくれるだけで、私は幸せだから」
「……レオ」
そう言ってくれるのはありがたい。
でもやっぱり、レオと出会った時のことを思い返すと、一緒に行くのは良いようには思えない。
――亜人差別。
レオは、とある村で虐待を受けていた。俺達が訪れた時のレオは、心を閉ざし、口もきいてくれなかった。村人たちから疎まれ蔑まれ……きっと、心が死んでしまう一歩手前の状態だったと思う。俺はあの苦しみを、レオには二度と味わってほしくないんだ。
そういった風習が今でも各地で根強く残っている。ネハレニアのような大国ならまだしも、小国や小さ村などでは、まだ亜人を毛嫌いする連中は大勢いる。レオは今までずっと耐えてきたんだ。だから、そんな場所に彼女を連れていくのは、正直気乗りしない。
「ロウの考えていることもわかるよ。でもね、レオにとってロウは全てなんだ。グランメイスで差別は確かにあるかもしれない。でも、それはロウ、これまで通り君が守ってあげればいいんじゃないのかな」
「ニルス……」
「レオだって、ロウがいないと辛いだろうしね。彼女のことを一番に考えるのなら、一緒に連れて行くのが正解だと僕は思うよ」
「……そう、だよな。あの時、俺がレオに言った言葉、思いだしたよ」
「はは、あれね。それなら僕もまだ覚えてるよ。確か、『俺が君の居場所になる。だから、俺と一緒に歩いて行こう』だっけ?」
「……ニルス。口に出すなよ照れるだろ」
そう言いかえすと、ニルスは悪戯っぽく笑っていた。
今思えば、なんて恥ずかしいことを、と思わずにはいられないが、後悔はしていない。あれから数年が経った今でも、レオは俺と一緒にいてくれている。それを、俺から遠ざけたらダメだよな。
「でも、うん。わかったよ、レオ。もう一度俺と一緒に行こう」
「……うん」
頷き、微笑むレオ。
感情を表に出すことが苦手なレオだが、俺はその少しの表情の変化で手に取るように彼女の心情がわかる。これも、一緒に旅してきたおかげだろう。
小動物のような可愛らしさを持つレオの頭を撫でながら、俺は通りに用意された馬車を見る。ニルスが用意してくれたものだ。護衛も御者も、ニルスが口添えしてくれているから、この祭りの主賓である俺が王都から脱走したという情報が漏れる心配はない。
「じゃあ、ニルス」
「ああ。これで本当に最後だね。レオも」
「……ん」
「あとのことは僕に任せておいて。多分、みんなも納得してくれるよ」
「……頼んだ、親友」
それ以上は何もいらない。ニルスもきっと、わかってくれている。だから、多くは語らなくていい。
そして、俺はその場で踵を返した。
歯車の役目を放棄し、俺が俺の道を行くために。
この世界で得たものがある。それはきっと、俺だけのもので、何者にも侵されない絶対だ。
「俺の意思は、俺が決めてやるさ」
馬車に乗り、故郷である商工都市グランメイスへ向かうのだ。
そして、夢へと突き進んでやる。
盛大な祝祭の陰で、俺は獣人族の少女レオを連れ、ひっそりと王都セントアルを去るのだった。