人形好き
私は座っていた。雛人形を見上げていた。私が好きな眺め。
「!」人形の細い目、小さい目玉が動いた。
私を見つめる10体の人形たち。
ただ、私を見つめる人形たち。
その情景だけ忘れられない。確かに私を見つめていたのだから。
それ以来、毎年、私は雛人形を飾っていた。目だけが動いた雛人形を。
怖くてもいい。なぜだか、もう一度だけでもいいから動くのが見たかった。
しかし動くことは無かった。
「お母さん。人形が私を睨むの」
と怯えた我が子の言葉を聞き、しょうがなく雛人形を処分することになった。
夫、娘には内緒でお雛様だけ、私は捨てずに隠し持っていた。
雛人形を処分した翌年。3月3日。
娘は雛人形を怖がり「もう見たくない」と言い、新しい雛人形を購入することは無かった。
三日の深夜。
娘の悲鳴が私と夫を目覚めさした。
娘の部屋に駆け込む。
娘は布団を頭からかぶり怯えていた。
「どうしたの?」
「て、天井に―」
天井?と思い夫が見上げたのだろう。
「うわ!」夫の声。
私も天井を見てみる。
そこには人形達がいた。天井からぶら下がっているような。袖を垂らしているお内裏様、三人管女、五人囃子。
人形達は私を見つめる。
処分したはずの人形達。絶対にそうだ。
私は夫と娘をその場に置き去りにし、寝室に戻った。
なにも焦ることはない。私の心は冷静だった。
押入れの中から綺麗に包んでいた箱をだし、中からお雛様をだした。
お雛様をつかんだとき、お雛様の手が私の指を握った。
私は握られたことなど気にもとめず、娘の部屋に戻った。
天井を見上げた。
そこに、人形はいなかった。
お雛様も、いつの間にかいなくなっていた。
「お母さん」と娘が言い、抱きついてきた。
「なんだったんだろう?」と夫が言った。
「さぁ?」本当に分からない。
ただ見つめる人形達がいるということだけ、動く人形が存在するということを知らされる出来事だった。
私の家では人形を置くことがなくなった。小さなぬいぐるみさえも。
夫も娘も人形が嫌いになった。
私は二人に内緒でお雛様とお内裏様だけの雛人形を隠し持っていた。
二人だけの人形が動くことは一度も無かった。
動いても動かなくてもどちらにしても私は持ち続けるだろう。
――だって、なんだか、持っていたいって思うのだから、しょうがないでしょ。好きなんだから。