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第四話「いずれ融け出すその結晶」

「こりゃ寒いな……」

 塾の講習会が終わる頃にはすっかり日も沈みきっており、そこから些か遠方にある飲食店まで足を伸ばしたため、時刻は十時にも近い。今し方俺は帰り道のコンビニに寄って明日の朝食を購入してきたところだった。

「ありがとうございましたー」

 敷居を(また)ぐ際、レジの方からはきはきとした声が聞こえる。二十四時間営業というのは便利だが、しかし中々難儀な物だ。帰るのも億劫(おっくう)なこれ以降の時間帯にまで明るく振る舞うなど俺には到底真似出来そうにない。考えただけで気が滅入る。

 閑話休題、そうして俺は帰路に着くのだが、辺り一面はすっかり銀世界となっている。この時間ともなれば人影はなく、故に真白い道には軌跡の一つも見受けられはしない。加え閑散としたこの空気は孤独感を加速させ、それに煽られた俺はいつの間にか足を速めていた。

「しっかしこの辺も見違えたよなあ」

 是非も無いだろう。九年前全て焼け落ちたのだから、当時の物など一つとして残っている訳はない。だが何の因縁(いんねん)か、道やそれを挟む建物の雰囲気は災厄以前のそれによく似ていて、しつこいようだけれどもやはり彼方の記憶が呼び起こされる。

 ――九年前もここは住宅街であった。物静かで、しかし人気のある、そんな場所。思い思いに建てられた家々の屋根は皆形も色も違って、記憶の中のその風景はお世辞にも美しいと言えたものではない。けれども、だからこそ暖かかった、だからこそ人間らしかった、だからこそ俺はここが好きだった――

「……今更、な」

 ふと目元の違和感に気付き、拭えば(わず)かに手が湿る。もう九年が経つというのにこの様だ。人としては正しいのだろうけども年頃の男児たる己からすると少々複雑である。

 して、物思いに(ふけ)りながら歩いて数十メートル。気付けば昔俺の家があった場所の目前に俺は立っていた。

「…………ここか」

 雪に負けず劣らず白い、二階建ての家屋が一つそこに。表札には"西條"と書かれておりもちろん俺は聞き覚えもない。事実として赤の他人が今ここには住んでいる。()れども、ここはここで、過去に俺が住んでいた場所であることもまた揺るがぬ事実。故にこの地を訪れるという行為自体に意味があった。

 俺は思い出す。(ふた)をしてきた忌々しい記憶に手を付ける――真紅の空と肌を焦がすような熱気。火花が()ぜ建造物が崩れ落ちる音。大火によってこの街が瓦礫と化したあの夜――いや違う、そうじゃない。それよりもう少し、ほんの数十分ほど前の出来事に俺は用がある。拒むな、思い出せ。これが恐らく最後のチャンスなのだから――

「……ッ」

 真っ先に見えたのはあまりの奇抜さに夢か(うつつ)か判断しかねる場景。ちらつく蛍光灯が照らす部屋の至る箇所には"赤"がぶちまけられていて、壁には首を欠いた人体が捻じ付けてある。()は当に異様。咎人の目的は明らかに殺人を脱しており、芸術とかそういう更に狂った域にあるようにも思われた。

 さて、段々思い出してきたがどうにもあやふやかつ断片的である。因果関係を考察し一つずつ状況を確定していくとしよう。

 当時俺は隣家に住まう棘木(いばらぎ)一家と合同で催されたクリスマスパーティの後、棘木家の一人娘である棘木(いばらぎ)みさと自宅の地下室で遊んでいた。そこは元々物置として設けられた部屋だったが、俺が生まれてから数年後その役目をほぼ終え、僅かな荷物を残し俺の遊び場となっていた部屋。先のパーティで貰った玩具をあの場所で熱心に弄くり回していたことをよく覚えている。そして……

「そこからどうしたんだっけか……」

 思い出せない、決定的な場面を。記憶が真に欠落しているのか、はたまた無意識の内に封じ込めているのか。まあ良い。とりあえず整理を続けるとする。

 俺とみさは二人きりで、あの場には他に誰もいなくて、しばらくの後記憶が一旦途絶える。そして暗黒の、恐らく数十分間を以て再開した記憶の、最初のワンシーンは、血塗(ちまみ)れの部屋と貼り付けにされた少女。幼き日の俺の理解をそれは容易く超越し、故に俺は走り出したのである。答えを求めて、誰もいない地上へと。

 ……やはり罪人は俺なのか?

 その場に犯行可能な者が一人しかいなかったのなら、もちろんそいつはクロで間違い無い。しかし早まるな、まだ結論を出すには早いだろう。何も密室だった訳ではないのだ。誰か見知らぬ人間が、もしくはよく見知った者が、空白の数十分の間にみさだけ殺してどこかへ行ったという線も十分にある。それに何より、鎖などというふざけた凶器で年端も行かぬ児童があんな螺旋(ねじ)の飛んだ殺人を遂行できる道理は無い。そもそも真っ平らのコンクリートに鎖で人体を貼り付けられる様な人間がいるのかは知らないけども。

「クソ……」

 俺がやったか、他の誰かがやったという二択しかないのに結論は見えてこない。よく考えろ、まだ参考になる事項があるはずだ。あの鎖は一体何か? どんな動機でみさを殺し、俺を生かした? もしや火災とあの事件には関連があるのか?

 分からない分からない分からない。鎖は鎖に決まっているし、犯人の動機なんて知ったことじゃない。火災に関しては論外で、わざわざ殺してから焼くくらいなら初めから焼き殺した方が何倍もお手軽だろう。関係などあるはずも無し。

 ああ、何故あいつは死んだのだ。罪無き少女がどうして殺されなければならなかった。全く以て見当が付かない。もしみさが生きていたならば今頃俺とあいつは同じ高校に通い、同じアパートに住んで、こんな悩みも無く文字通り馬鹿みたいに楽しくやっていただろうに。そう、もしあいつが死んでなくて、生きていて、俺の前にいたならば……

 ……いや待て、何か変ではないか? お前の思考におかしな点はないか? 赤羽恭司よ。もっと注意深く、かつシンプルに物事を捉えるのだ。さすれば……なるほど。確かに変である、どうしようもなく滑稽だ。求める解は案外身近に、などと人はよく言うけれど、今なら何の迷いも無く頷けよう。気づけなかった己がこの上なく間抜けに思える。そうとも、赤羽恭司は一人の人間として棘木みさを愛し、彼女の生を願っていたはずだ。であれば何故――

 ――俺、は、俺、自、身、を、疑、っ、て、い、る、?

「おーい、そこの嬢ちゃん。ちょっと時間をもらえないかなあ?」

「ッ!?」

 不意の声に息を呑む。一気に現在(いま)に引き戻される。自問自答に耽るあまり気がつかなかったが、どうやらついさっき左手にある十字路を数人が通ったらしい、足跡が続いていた。

 ……しかしなんだこの聞くからにに怪しい声は。空気を読めてないにも程があるだろう。俗にナンパとか言う奴か。正直あまり首を突っ込みたいとは思わないけれども、見ず知らずとは言えみすみす少女を不当行為に曝すのは気が引ける。とりあえず様子を窺うくらいなら何も問題は無いだろう。

「…………」

「あーあー連れないなあ。良いからこっちにおいでよ、悪いようにはしないから。鞄の中身見せてくれるだけで良いんだって」

 全く別の声色、足跡も考慮すればチンピラは二人、いや三人か。幸いにも積もった雪の影響で一歩進めば音が鳴り、数名が俺のいる方向とは反対に歩いていることが分かる。こちらを向いてはいないだろう、音を伴わなければ顔を出しても見つかるまい。

「……ッ?」

 そうして俺は絶句する。ああ確かに見た目からして柄の悪い三人に黒髪の少女が一人、想像通りだ。けれども、底知れぬ違和感を覚えざるおえない。何故なら――

「おい無視してんなよ鞄出せや」

 ――少女の腕を掴むチンピラの腕には、奴らの肢体には、真夏を思わせる薄手の衣類の唯一枚しか纏われていなかった。

「何なんですかあなた達、って冷ッ!?」

 ああなんだ、なんだよこれ、気持ちが悪い。全く以てふざけている。粉雪の降りしきるこの夜中にあのおかしな格好はなんだ? 死にたいのか?

 いやそれとも――――――――

「既に、死んで……いるのか?」

 ――そう呟いた途端、世界は回転し、俺は沈んだ。


   †††


「…………」

 落ちる、墜ちる、堕ちる。暖かさと冷たさを(はら)んだ深く奇妙な闇の中を、重力でもない何かに引かれて俺は堕ちる。不思議と恐怖は全くない。ただ頭の中にはうっすらともやが掛かっていて、全身は凄まじい怠さに襲われていた。

「…………」

 声は出ない。このクソ意味不明な状況に文句の一つも垂れてやりたいところだが、舌先を筆頭にどうやら腕も脚もその指すらも、動かすことは出来ないようである。感覚はわずかながらあるというのに反応は全くの零。果たして死というのはこの様な感覚なのだろうか。

 そんな風に落下して幾分か過ぎた頃、終点とでも言わんばかりに俺の身体は静止して、次に気色の悪い浮遊感に包まれる。それは何とも形容しがたく、()いて言うならば酷い高熱でうなされている時のどちらが上とも分からぬ感覚に似ているかも知れない。

「……だあ? お……」

 混乱の渦中にて耳にする雑音混じりの音、これは声、だろうか? 如何(いかん)せん体験したことのない感覚なので何が何だか分からないがそんな気がする。

 して瞬間、視界に微弱な光が差した。いつもよりそれは遠くに見えて、揺れ、荒れる、けれども確かな映像。端に近付く程光量が減り、やがて像は完全な闇へ。まるでそれは誰かの視界を覗いているような、そう、テレビゲームでその主人公の見ている物を観るのに似た感覚。

 ああ、これは俺の眼か、はたまた誰か他の人間の眼が映す世界と捉えて相違ないだろう。確証は無いがやはり直感が俺にその事実を伝えている。見えるのは男が三人と(いぶ)し銀の長い棒で、どうやら今眼の持ち主は白い大地に立っている様であった。

「調子の……んじゃッぁ……ハッ――!?」

 何やら口を動かしながらゆっくりと近付いてきた目の前の男が一人、短い絶叫らしき物をあげ突如後ろ向きに倒れる。そこから映像が大きく左に流れもう一人。

「っゥ――ッァアッア……ぁぁアア!!!!」

 こちらは先程より更に騒々しい音を鳴らしながら前のめりに倒れ込み、大の男であるにも関わらず丸まってみっともなくごろごろと転げ回る。

 ……俺が今目にしているのは何なのか。誰かの視界? ああそれはそうだろう。しかし知りたいのはそんなことではない。大事なのは今何が起こっているか、だ。白と銀と淡黄と、そして赤が織りなすこの世界は何を意味するのか。それを理解せねば話は始まらない。

「なんな……よおま……」

 映像が残った男にズームインしてはズームアウトを繰り返す。しかしその比率は同じでは無く、徐々に男は近くへ。

「ばけ……かよ」

 その顔をよく見ると、丸めて再度開いた紙の如くしわくちゃで、抱えているであろう圧倒的な畏れが窺える。吹き荒ぶスノーノイズもその恐怖の色までは隠しきれない。

 然して一閃、無常にも突き出された棒は小気味悪い音を立てながら男の喉笛らしき箇所を貫いていく。

 ああ、ああ、嗚呼、ああ、アア。この光景は見たことがある。この感覚は知っている。凶器(どうぐ)が違えど結果は同じ。

 ――この狂気に曝された者は皆――


   †††


「……ッァ!?」

 視界が唐突に明転し、息が詰まる。それはまるで悪夢から()めた時のように。しかしこんなところで立ち眩むなど、聖夜が近付くとやはり体調が崩れ……

「鉄、パイプ……?」

 時間の経過に比例して急速に感覚が回復するが、そこで手に何か握っていることに気付く。その物体に焦点を合わせればどこかで見たことがあるような鉄パイプで、ぽたぽたとそれが垂らす雫は直下の雪を真紅に染めていた。

「冗談だろ……」

 そう思いたい。まさかさっきのあれが幻覚ではなかったなど受け入れられる物か。

 こんな……こんな、こんなこんなこんなこんなこんなこんな――――

「こんなことあって堪るかよッ!?」

 嫌な予感がしてわざと逸らしていた目線を少しあげれば、そこには倒れ伏した男が一人、二人、三人。内の一人は顔面を真っ赤に染め、もう一人は腹から血を吹き出し、最寄りにある最後の一人は穴ぼこになって原型すら留めていない。

「んだよ、これ……ッ!?」

 異常だ、人間業じゃ無い。たった一本の鉄パイプでどうすればここまで滅茶苦茶に出来る? いや、ありえない。

 だから、

「……俺じゃ、ない。俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃない俺じゃないッ!!」

 俺は人間だから、ただの高校生だから、これは俺の仕業ではない。俺如きにこんなことできるはずがない、だから俺では無い。きっとどこぞの真犯人が俺に罪を擦り付けるべくこんなパイプを握らせたのだ。そうに違いない、いやきっとそうである。

 ――しかし刹那、

「……………………ッ!?」

 一発、二発、三発、四発、ひん曲がったパイプの先端が死体に突き刺さるよう、何度も何度も何度も何度も振り下ろされる。際限なく、倫理なく、そして意思なく、何度も何度も何度も俺は、いや俺の身体はパイプを振り下ろす。自分でも何が起こっているか分からない。だが、この事実によって導き出される結論はただ一つ。

「ぁ……は、はぁハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 何をどうしても異常であるが、最早笑うしかない。何故なら俺がやったのだ。九、年、前、に、同、じ、く、俺がこいつらを殺したのだ。なに理由? そんな物は知らないし、知る訳がない。これは俺の意思ではないのだから当然のこと。一切の偽りなく、文字通り身体が勝手に()ったのだ。

「そこかァァアアァァ天秤(てんびん)ッ!!」

 ――続く不意の叫声で更に事態は急転してゆく。

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