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酉の市

 死因がルッコラの欠片で噎せ返った為とか、すごく嫌だ。


 はあ、と盛大にため息を吐いて落ち着くことが出来たのは、着信から五分以上経ってのことだった。

 放っておけばよかった! ……なのに。

 つい好奇心に負け、ピザを頬張りながら座卓に置いたスマートフォンに耳を付けた格好になったのもいけなかった。ものぐさのツケがこんなところに来るなんて。

 驚いた拍子に気管に入ったルッコラの欠片のお蔭で電話を取ることは出来ず、息をするのに必死になっている内に伝言は聞き取れないまま吹き込まれてしまっていた。


「こわい! 聞けない! こわい!」


 伝言が残されていることを示しているアイコンを見つめながら、何が吹き込まれているかを想像することさえ出来ず煩悶すること二時間。

 とうとう丑三つ時に突入してしまい、なのにちっとも眠気は訪れず、だからといって伝言を再生することも出来ずに根本はただ呻いていた。食事を続けてもピザの味なんてもうまったく感じられなかったし、風呂に入っても布団に入ってもスマートフォンから目が離せない。


「よし寝る! 取り敢えず眠る!」


 明日も早いし! 遅くにすみませんって、十一時過ぎにかけてくる杉山君がおかしいんだし! 大体何で私の携帯の番号知ってるのよおかしくね!? 個人情報どこから漏れてんの助けてドラえm(略)!

 明日の私がんばれ……。

 目覚めたら夜の自分を呪うことは間違いないのだが、今の彼女にはそれしか出来なかった。


 *


 漫画では見たことがあるものの、根本が酉の市へ来たのは初めてのことだった。

 トリ、というと大トリを務めるという言葉を連想したし、だから十二月の行事なのかと思っていたがそうではないらしい。


「年末行事には違いないですけど。一年の無事を感謝して、来る年の幸いを願うってことなんで」


 説明する杉山の声が後ろから聞こえてくる。

 酉の市といえば、熊手らしい。幸いをかき取るという熊手は縁起物や来年の干支などが配置され、賑々しくも目出度い具合に仕上がっている。

 さまざまな大きさのものがあるが大体は人の頭と同じくらいで、それを持った人々が人波の中に見え隠れしている。持っている人は皆誇らしげで、晴れやかな顔だ。


「ああいうの、ドヤ顔って言うんですよね!」


 不意に発せられた牧田の声が大きく響き、辺りは一瞬静まり返った。そして何事も無かったかのように、喧騒はまた甦る。


「牧田さん……」

「ん? どうかした?」

「牧田君、他人のことはどうでもいいから早く選んでくれ」


 可哀想に、この人。

 という周囲のあからさまな憐みの視線に冷や汗をかきながら牧田を嗜めようとしたところ、ふいに亀山次長に遮られた。一方牧田といえば気にした風も無く、上機嫌にはあいと返事をして、側にいた和田を引っ張って人ごみの中へ消えて行った。


「空気読まないにもほどがありますよ……」

「牧田君はずっとあのままだったんだ、もう仕方が無い」


 達観している風の亀山次長であるが、苦虫を何十匹も一気に噛み潰したかのような顔をしている。今までにも色々なことがあったのだろうと察せられ、根本もそれ以上何も言えなくなった。

 全国の支社へ熊手を送ると決めたのは、勿論いつも何ごとも唐突に発案する社長である。


「営業成績が一層上がるよう!」


 発奮するにも、縁起は大事だからなということらしい。

 最高にどうでもいい……。

 この忙しい最中、縁起担いでる場合かよという状態なのだが、社長自ら部長に頼むよ! と買い出しを任されてしまったそうで買いに行かざるを得ない。仕方無しに、部内の数人で手分けをして熊手を買い出しに行くことになった訳である。

 とはいえ酉の市に来たことの無い根本にとって、広範囲に渡っておいしそうな屋台がずらりと立ち並ぶ光景はとても魅力的なものだった。

 炒った銀杏もあれば定番のお好み焼き、たこ焼き、七味唐辛子の屋台、タイラーメン、チャプチェ、先日作った焼餅(シャーピン)、ドネルケバブ。お好み焼きひとつ取ったって、関西風も広島風もある。うおー、今の屋台って色々あり過ぎる! おいしそう!


「熊手選びは牧田さんにお任せするとして、私ここで失礼していいですか?」

「ん、腹が減ってるなら、何か買ってあげようか」

「根本さんには、うちのを選んでもらうことになってるよ。折角だし。牧田さんも知ってる」


 そしてこのまま杉山君から離れたいという根本の目論見は、あっさりと崩された。亀山次長の常に無いやさしい申し出が憎いし、自分が部の熊手を選ぶなんて聞いていない。何が折角ですか。


「んじゃこれで!」

「うわあ適当……」

「だって熊手の良し悪しなんて分かんないですよ! 皆奇麗だし。何なら白猫のあいつでもいいんですよ? 世界中で人気ですし」


 りんご三個分の体重の白猫がどんと真ん中に鎮座している熊手を指差す。


「アジアでも欧米でも人気なんですから、ご利益ありありだと思いますよ?」

「いや、白猫は無いだろ……」

「でしょう? こいつなら干支も入ってるしばっちりですよ」


 間髪を入れず、溢れるほどたくさんの熊手の中からひとつ選ぶと、あまりの早さに亀山次長や他の社員に呆れられた。それでも来年の干支とおかめなどバランスよく配置され、目出度そうな熊手をさっさと選んだつもりだ。これ以上の長居は出来ない。

 亀山次長が何か言うのも聞かず、じゃあこれで! 私は食の海外旅行へ旅立ちます追いかけないでアディオス! と根本は人ごみの中へ飛び込んだ。



 結局伝言は聞けないまま、熊手を買いに行く羽目になってしまっていた。日中、杉山の居るチームの方など一度たりと見ることは出来なかった。そもそも派遣なんだから、断ってもよかったのかもしれない。このまま居酒屋に流れることは確実だったのだし。こんな状態なのに杉山と素知らぬふりで酒を酌み交わすなんて、無理に決まっている。

 だからとにかく、一刻も早く杉山から逃げたかった。大体、聞ける勇気があったら昨夜の内に聞いている。


「亀山次長に何か買ってもらえばよかったな……」

「熊手買った後の手締めもしないで帰るなんてと怒ってましたよ、亀山次長」

「何で居るのー!?」


 神社の雑踏を抜け屋台が並ぶ通りをひとつ離れ、一息ついたところで後ろから杉山の声がして、彼女は文字通り飛び上った。

 何も考えず振り返ってしまって、そこにむっつりとした表情の杉山の姿を認めて心臓が止まりそうになる。しまった、やっぱり伝言聞けばよかった。


「逃げられると追いかけたくなるタイプだったみたいでね」


 おれも知らなかったんですけど。

 まったく面白くなさそうに杉山は笑った。

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