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Bittersweet, You.

 ここの温泉は神経痛や打ち身、五十肩や痔やリウマチにいいらしい。肩凝りや疲労回復にもいいみたいだけど。美肌の湯とかじゃなくて、そういう効能のところを選ぶのが理屈っぽい杉山君らしいなと思う。旅館に入る時に、ここの温泉は疲れが取れるらしいんでって言ってた。真顔で。


 他人と触れ合うのが苦手だから、銭湯なんか片手で足りるほども行ったことが無い。修学旅行なんかは生理だって理由でっち上げて、部屋に付いている風呂に入ったし。だからこんなに沢山の裸をいっぺんに見るのは初めてに近い。他の人がどんな風に入るのか何度も確認してからじゃないと入れなかったくらいだ。

 だもんで、湯に浸かりながら洗い場で丁寧に髪の毛を洗う若いお嬢さんをつい愛でてしまったりする。太っていなくて若くて奇麗って素晴らしいな、つくづくありがたい気持ちになるわ。美しさって大事だ。本当に。

 それにしても。

 予想外が続き過ぎると色々どうでもよくなるもんなのね……。

 CD一枚届ける為に箱根に来るとは思ってなかったし、まして昼間から風呂に入るなんて。杉山君といると、予想外なことがあり過ぎてまともに頭働かなくなる。

 のぼせそうになっていると分かっているけどほいほい出ていける筈も無くて、おっぱいって色んな形があるんだなーとかぼんやり考えながらいつまでも湯に浸かっていた。おっさんかよ。


 *


「仕方無いとは思うんだけど」

「はい?」

「おれのこと、男って思ってないでしょ根本さん」


 温泉で蒸しましたとかいう、地鶏の卵を使っている為かこってりした感じのとてもおいしい食後のプリン(卵の殻に入れられているのが可愛い)を食べながら、唐突に杉山君が言うのに目が点になった。その杉山君といえば面白くなさそうな顔をしながら卵の殻を慎重な手付きで持ち、真面目にプリンをほじくっている。

 いやいやいやいやいやいやしっかりばっちり男だと思ってるわ、寧ろ意識しちゃって辛いから契約更新しないくらいだわ。苦しいくらいだわバーカバーカ。


「いやいや、杉山君は男の人でしょ。それくらい分かってるけど」


 意識し過ぎて……とは絶対に言えないけど。でも、割と分かりやすかったと思うんだけど。我ながら。ポーカーフェイスとは程遠いくらい、感情すぐ表に出るし。空気読めないくせにそんなだから、余計遠巻きにされたっていうのに。


「二人で飯食ってても全然平気だし、かと思えば変なところで遠慮したりしてさ。おれ、割と色々酷いこと言ったりやったりしてんのに、結局丸め込まれて言いなりになったり」

「言いたい放題だなおい」


 やっぱり朴念仁だし、唐変木だわ。分かって欲しくは無いけども。


「失礼いたします」


 そこで仲居さんがタイミング良く? 悪く? お食事はお済みですかと来てくれたので、一時中断。素早くお膳が下げられていくのを見守って、美味しかったです、ご馳走様でしたとお礼を言うと仲居さんはにっこり笑ってくれた。笑顔っていいなあ、潤滑油だよな。


「普通、男にこういうとこ引きずり込まれてんのに飯食ってリラックスするってさ」


 優しくされると嬉しくなる。仲居さんに向けた笑顔の余韻が残ったまま、ほんのり暖かい気持ちでいたのに水を差された。


「そりゃ、男として見てねえわって判断するでしょ」


 ワーオ。


 煮物や麺類を茹でたりしてる時、沸騰して鍋の中身が溢れそうになったところへ差す水のことをびっくり水って呼ぶ人もいるらしい。うん、分かる。あと、時が止まった。

 たっぷり五分は口を開けっ放しにしたまま、固まっていたと思う。

 その間、杉山君は何も言わなかった。

 プリンを食べていた時と同じように、面白くなさそうな顔をしながらこっちを見ていた。


 まさか。

 いやいやまさか。

 でも。

 いやまさか。


 そりゃ誰とも付き合ったことなんてございませんよ?

 人間関係の機微にも乏しいですよ?

 でもここまで言われたら、あれって思うくらいには見聞きしてますし。

 なのに何このしかめっ面。

 とてもそうは見えない。

 大体、私だし。おかしい。

 「まさか」と「でも」の間をものすごい勢いで反復運動し過ぎて、一瞬の間にどっと疲れが襲ってきた。言って欲しい。でも怖い。でももう辞めるし。冗談かもしれないし。


「まさかとは思いますが」

「まさかじゃねえよ」


 即答。即答。……即答。


「こんだけ言われて分かんないんだったら、相当馬鹿だね」


 鼻で笑いよった。


「……風呂行ってくる!」


 財布引っ掴んで、丹前と浴衣持って。売店でパンツ買えたよな、確か。サイズあるかな。


「食ってすぐ風呂って消化によくないけど」

「気にしない!」


 何だこの態度。淡々飄々冷静そのものみたいな。余裕綽々。腹立つし訳分からんし腹立つし訳分からんし苛々する。つまり腹が立つし頭真っ白だし。

 何も考えられないのが嫌で、距離を置きたかった。

 逃げたとも言うね、うん。


 *


「馬鹿だったんだな……」


 思わずしみじみと呟いてしまった。また逃げたしな。

 長湯し過ぎてのぼせた根本さんが、打ち上がった鮪みたいに引っくり返って唸っている。なかなか戻って来ないのは予想してたけど、浸かりっ放しだったって聞いて頭抱えたわ。休み休み入れよ。そりゃ茹だるわ。


「馬鹿じゃねえよ……」


 ぼそぼそ言うと、はあ、と大きくため息を吐いた。よっぽど苦しいらしい。

 この人が顔を真っ赤にしているのなんて初めて見たな。あんまり苦しそうなんで、持っていた手帳で仰いでやると「ありがと」と言ってちょっと笑った。


「杉山君、親切なんだか意地悪なんだか分かんない」


 でもすぐに、持っていた濡れタオルで顔を覆ってしまう。

 分かりやすいと思うんだがな。


「根本さんがちゃんと笑うと、可愛いって思うんだよね」


 でも、根本さんには分からないんだな。


「……はあ」


 気の抜けた返事が返ってくる。手応えねえ女だな……。


「おれもよく分かんないんだよ。でも、根本さんが誤魔化すみたいに笑ったり自分のことを豚って言ったり。そういうの、自分でもびっくりするくらいめちゃくちゃ腹立ってさ」


 根本さんは微動だにしない。けれど、また大きくため息を。


「歌ってたんだよね、初めて屋上で根本さん見た時さ。ごはーんごはーん、ぴっかぴかのごはーんって。うっれしそーにさ、すげえ適当な歌をさ」

「……聞いてたの、やっぱり」


 いーただーきーまーっす! と根本さんが元気よく歌い終わってすぐ、後ろから根本さんも屋上で飯食うんですねって話しかけたら、文字通り飛び上がって驚いてたもんな。何も聞いてないふりしてたけど、勿論ばっちり聞いていた。


「いつも誤魔化す為に笑うだろ」


 おれも、根本さんの気持ちがよく分からないからお互い様か。いや、おれが一方的なのにお互い様なんて口に出したら、怒るよな多分。

 流石、男いなかっただけある。あれだけアピールしてたのに、まさかとも思わなかったとか信じられんわ。頑なにもほどがあるわ。そこまで親切な男なんて希少動物クラスの珍しさだわ、知らんのか。知らないだろうが突っ込みたい。

 肩で息をしたからか、濡れたまま中途半端に耳に張り付いていた髪の毛が、二つに折り畳まれた座布団に零れた。濡れタオルの隙間から覗いている耳も首も真っ赤だ。


「そりゃ仏頂面より笑ってくれた方が仕事しやすいよ、でも根本さんは気を遣い過ぎてるのが分かり過ぎておれがしんどい」


 何故、自分でも分からない面倒臭さに苛々するのか。

 誤魔化されると腹が立つのか。

 どうしても気になってしまうのか。

 あの夜、風呂の中で唐突に理解した時には認めたくなさ過ぎて忘れようと思ったくらいだが。栞里の気持ちが分かってしまって嫌になったりとか。

 空気読めないくせにクソ真面目で融通利かなくて太ってて、誰にも迷惑かからないように息を潜めてて。そのくせ、他人の気持ちなんて理解しようとしなくて。

 まさかこんな女に惚れるなんて。

 いつの間にか、根本さんは濡れタオルをずらして目だけ出していた。


「根本さんが好きだ」

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