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前に聳え

 電車に揺られながら、ふと古い歌を思い出した。


「かんこくかんって何……?」

「根本さんが持ってるのは何すかね」

「スマホですね」

「検索するといいんじゃないすかね」

「ありがとうテクノロジー!」

「テクノロジーかよ!」

「あっ函館の函に谷に関東の関だって。函谷関かー。……函谷関って何?」

「滝廉太郎が泣きますよ……おれも知らね」


 うららかな日和、金曜日。朝の九時過ぎ。

 根本と杉山は東京を離れ、JRで南へと向かっていた。

 今日も寒風が吹き荒れているが、雲一つ無く晴れ渡った空に太陽が眩しい。大抵の通勤客とは反対の方向の為、並んで座ることが出来た。二人の背中に、太陽の暖かさがじわじわと染み入る。


「手塚さん、獅子舞やってたんだね……知らなかった」

「あの人、坊ちゃんなんすよ」

「金持ちの嗜み……?」

「趣味にしちゃ時間も金もかけているらしいんで、嗜みじゃないんすか?」


 合宿合宿と通称され、社内でも当たり前のように呼ばれていたが、つまりは東京・大阪本社及び日本全国各支社支店の部が集まって会議やら親睦やら深めるという行事の当日である。合宿といっても間違いでは無いが、いい歳をした男たちが一堂に会することを合宿と呼ぶのにおかしみを禁じ得ない根本であった。

 それはともかく、今日は合宿の為に後回しにしてしまっている仕事を片付けるつもりだった。杉山と川村の二名は留守番組だが、川村は通院の為少し遅れるという。牧田はこれ幸いと休むことにしていたので、自分だけの為に仕事が出来るいい機会だ。

 ――いつも通り、しかしいつもより少し機嫌よく始発で根本が出勤して二時間と少し。部直通の電話が鳴ったところで、予定していた仕事はほぼ出来ないことが決まった。


『よかった根本さんいた! 手塚です、おはよう』

『おはようございます、どうしたんですか? まさか忘れ物?』


 根本の部の社員は、留守番組を除いて前夜から宿泊していた。当然、準備もとっくに済ませている。まさかねーと笑って続けたのに、手塚が焦りながら「うん、そうなんだ」と答えて来て嫌な予感がした。


『東京支社の営業車あるとこ知ってる?』

『向かいのビルの地下ですよね』

『そうそう、三号車のデッキの中にCD忘れてきちゃって。今日使うんだよね、社長の前の余興で。間違えて違うの持ってきちゃってさ』

『余興……?』

『あ、おれ獅子舞ずっとやってるの。社長もよく知ってるの』

『獅子舞……? ええとつまり……』

『ごめん、旅館まで持って来て! 亀山次長には許可貰ってあるから!』

『えええええええええええええええ』

『お土産も買ってくるから! 昼今度おごるから!』


 驚いてばかりもいられない、慌てて時計を見れば八時十五分過ぎだった。余興が始まるのは昼食後のことだという。銀座付近の会社から箱根の会場まで、どんなに急いでも二時間はかかる。制服から着替えて、駅まで歩いて、電車に乗り込むまででも三十分はかかるのだ。急がねばならなかった。

 あの厳しい亀山が、派遣社員をたかがCD一枚を運ぶ為に使うことを了解するなんて普段では考えられないことだった。ということは、たかが一社員の余興では無いということなのだろう。ますます急がねばならない。

 急いで階下の東京支社へ車の鍵を借りに行き(もう人がいた。よかった)、その足で道路向こうのビルの地下へ向かおうとして足が止まる。


『……免許! 私、車の免許持ってないんですけど手塚さん!』

『大丈夫! 鍵を捻ればエンジンかかるから!』

『どうやって止めるの!?』

『鍵を捻れば止まるから!』

『意味分かんない!』

『書いてあるから! 何とかなるから!』


 かけ直してそんなやり取りをしていたくらいである。爆発する訳じゃ無し、アクセルを踏まなければ車は動かないと分かっていても躊躇ってしまう。書いてあると言われたところで、見たことも触ったことも無いのだ。根本が適当に触っても何とかなるのは、パソコンと新しい食材ぐらいなものである。

 東京支社の人、誰か呼んで来ようかな……。どうしよう。

 寒空の下、制服にカーディガン(毛玉は大分前に取りました!)を羽織っただけの姿で逡巡すること数分。すっかり冷え込んだ体がガタガタと震えだしたところで、杉山が後ろから「何やってんの……?」と呆れた声で話しかけてきたのが天の助けのように思えた根本であった。


 *


 杉山が車の免許を持っていて、本当によかった。

 無事にCDを取り出せた時、根本は心底ほっとした。

 調べたところ、新幹線を使ったところで大した時間の短縮にはならないと分かったので、交通費の節約を兼ねて在来線を使っての移動である。始めはぽつりぽつりと会話をしていたものの、心地よい揺れと背中の暖かさと連日の疲れでお互い言葉少なになっていった。

 剣呑な雰囲気では無いので安心して黙っていられるのはいいのだが、気を抜くとすぐにうとうとしそうになる。

 眠気を堪えて向かい側の窓をちらりと窺うと、少し疲れた顔の杉山が、腕組みをして目を瞑っているのが微かに見えた。足の間に置かれた大きなパネルがにょっきりと出ている。

 まさか杉山まで付いてくるとは思わなかった。

 とはいえこれは杉山がその変態性(ストーカー気質と言い換えてもいい)を発揮したのではなく、和田のせい――それともおかげと言うべきか――だった。彼は午後のプレゼンに使う大きなパネルその他を、まるまる本社に置いて行った。


『ごめん根本さん、パネルも持って来て!』


 車のデッキから取り出したCDを確認してもらう為にかけた電話で、手塚の横から和田が悲鳴のような声を上げた。


『こんなでかいの!?』


 縦は六十センチ、横が一メートルと少しと思われる発泡スチロールで出来たボードは、体重はともかくとして身長はごく平均的な根本には少しばかり持て余す大きさだった。その上、その他資料一式がボストンバッグにぎっしり入っていて、かなりの重量感を放っている。

 仕方無い……。

 私服に着替えて部に戻り、悲壮な決意を胸に「じゃあちょっと行って来ます」と杉山に声をかけたところで杉山もコートを着ていることに気が付いた。


『亀山次長から電話ありました。根本さん一人に持たすなって。おれも一緒に行きます』


 それで二人で箱根に向かっている訳だ。

 仕事したかったな……。

 二人きりで箱根に向かう。普通なら、ときめくような事態である。しかし期限を区切り、契約終了までに思いをひたすら畳んでしまっていこうとしている今の根本にとっては、出来ればしたかった仕事の方が気になった。

 大体、自分の仕事も満足に出来ないで好きな男にときめいていられるほどの身分では無いのだ。そしてそこが、根本の限界だった。


「根本さんってさ、普段何してんの?」


 目を瞑ったまま、杉山が問いかけてきた。

 気が付けば横浜を過ぎていて、景色は一度に緑が増えた。


「どしたのいきなり」

「いや、仕事の話とか飯の話はするけどさ。根本さんが普段何してるのかとか、何が好きかとかあんま聞いたこと無いなって思って」

「面倒なことは嫌いですけど」

「ものぐさって言ってるもんな」


 そういえば、と少し笑う。


「何で?」

「何でって?」

「何で面倒臭いの嫌なの?」

「面倒臭いんだもん」

「いや、だから何で面倒臭いと嫌なの?」


 杉山の口ぶりは、目を瞑ったままでも背中に当たっている陽射しのように温かくて穏やかだった。いつかの時のように、冷え冷えとして喧嘩腰では無かった。だから、彼女は逃げたくても逃げられない。

 杉山君って、どうしてこんなに抉って来るんだろう。


 見たくない自分がどんどん暴かれていく。

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