水曜日、昼。
「いるにはいたんですよ、友達」
水曜日、正午過ぎ。
今日は久しぶりの雨で、空気がしっとりとしている。そんな日に食べる、よく煮込まれたミネストローネはとても嬉しい。
マカロニ・キャベツ・セロリ・玉葱・ブロッコリー・ベーコン・ドライトマト。具だくさんだし暖まるし、トマトベースじゃないからシャツに跳ねても焦らないで済む(これは結構大事)。
杉山家では全体的にトマト味にするんじゃなくて、自家製プチトマトで大量に作ってあるドライトマトを入れるのがポイントなんだそうで。ドライトマト、私も作ることがあるけどプチトマト栽培は無理だ。トマト育てたり収穫したり、そもそも苗を買って来るっていうところから先ず面倒臭くて気が遠くなるわあ……。
胃の調子はもうすっかり良くて、声もまあ少しはましかな。
自分でも酷いなと思っていたけど本当にすごい声だったみたいで、亀山次長にまで「ん、良くなったな」って言われて苦笑いした。すみません。
そんな状態なので病み上がりとはもう言えないと思うんだけど、今週もせっせと杉山君に世話をされている。
「友達いないって言ってたけど、南の島に友達と行ったって聞いたことあるんすけど」
チキンサンドを頬張りながら、そういえばと杉山君に尋ねられる。
蒸して裂かれた鶏の胸肉が、マスタードマヨネーズとヨーグルトで和えられていてとてもおいしい。レタスもたっぷり挟まれている。はー、胸肉とはいえ肉は肉。健康って本当に素敵。
「ああ……うん、そうですね」
それに久しぶりの雨は大好きな小糠雨で、見上げながらぼうっとするにはとてもいい天気。金曜日から合宿だし、がんばるのもあとちょっと。
「ええと、うん、一人だけいたんですけどね。大学の時知り合った人で。でも、ある日『ごめん重たい』ってメールが来てそれっきり」
だからあんまり思い出したくないことでも、さらっと話せた。と、思う。もう杉山君に隠しても恥ずかしいことなんて、あんまり無いしな! ちょっとはあるけどな!
「初めての友達で嬉しくて依存しまくっちゃったんですよね……」
「全力で寄りかかったんすね……」
「そりゃ重たいよね……」
「まー、学生の内は子供みたいなもんすからね」
大人になって、自分で生活するようになるとまた違う風に出来るんじゃないですかね。
さらさらっと何でも無いことのように言いながら、杉山君は三つ目のチキンサンドを食べ終えて指を舐めた。人のこと大飯喰らい呼ばわりするけど、杉山君も結構食べるよな。背も高いし男の人だし、私と同じにするのもおかしいんだけどさ。ああ、この人のこういうところが好きなんだよなあって思うの嫌だなー。
片思いって、マイルストーンよろしく定期的に振り返って、わざわざ思いを確認するところがある。ここまで来た、こんなところまで来たとわざわざ振り返る。そんで余計に好きな人を自分に印象付けて、諦めたいのに! とか寝言言う羽目になる。振り返らなきゃいいのにな。馬鹿だよな。
杉山君の隣を歩いていたあの奇麗な人が元彼女であって、今付き合っている人じゃないと分かったところで何をすることも無いのに。
『あのー、お心遣いはとてもとてもありがたいのですが杉山様』
『何すか根本様』
『土日はお互いゆっくり休みましょうね……?』
『そりゃ休みますが?』
『杉山君からいただいたおかずの数々もございますし? 私ゆっくり眠りますので、銭湯行くなりデートするなりしてくださいましね?』
『はあ、別れたばっかりなんでデートもくそも無いんですが。銭湯くらいは行きますかね』
『えっ』
『えっ』
『すごい美人どうしたの?』
『美人?』
『先々週だか、一緒に歩いているのワタクシ拝見いたしまして』
『美人……?』
ああ、元カノっすねと頷き「別れたんで」と言われた時のあの気持ち。
あんなに奇麗なのにとか勿体無いとかよかったとか嬉しいとか。
そんな風に思う自分が嫌だった。
だって私には何も関係が無い。
きっとこんな時、普通ならがんばろうって思うんだろう。普通の女性なら。
でも私は、杉山君が別れていると知る前から「次はがんばる」としか思えなかった。それだって恋のことじゃない。人間として最低限、よりは少しましになれるようと願うばかりで。今、自分の恋の為にがんばるとはとても思えない。そして「次」に杉山君はいない。
杉山君、私の気持ち知ってると思うんだよね。
その上で優しくしてくれていて、でも耳に厳しいことを時折ぴしりと混ぜてくるのは、一定の距離以上に立ち入らせない為なんだと思う。なのに何で優しくしてくれるのかはさっぱり分からないし、尋ねることも出来ないし(だってこわい!)。
大体、その「普通」なことはとても難しい。人間として最低限にしか生きられていない状態の私が、素敵な人と付き合うことの出来る杉山君に振り向いてもらいたいと願うこと自体がおこがましくも厚かましいことで、すごく恥ずかしいことだ。
あんな風に、自分に手をかけることが出来る人にならないといけない。私は私を生きられるように、好きにならないといけない。
誰かや何かを理由にしないと生きられないのは、私が私を好きじゃないからだ。そのくせ、自分を甘やかすことにだけは長けていて言い訳ばかりが上手くて。
間違えても、失敗してもいいって思えない。怖い。失敗する自分は、生きている資格さえ無いような気持ちになる。でも本当は、それを手にしないと人生が始まらない。自分自身で得た痛みや悲しみを抱えて見つめて飲み下して、飲み下せなくて苦しんで。だから誰かに優しくしたり時に厳しくも出来るんだと思う。それが「普通」なんだと思う。
他人に優しくしたいと思ってる。でも、こんな私が差し出せる優しさはとても薄っぺらい。それは、自分が気持ちよくなる為の優しさに似たものでしかなくて。
短いけど、杉山君と過ごす内にそれが少しだけ分かるようになってきた。とても特別なことをされたとか、そういう訳じゃ無いけど――いや、私には十二分に特別か。――色んな人たちを見てきて、頭では分かっているつもりだったこと。頭でっかちに考えているだけじゃ、関わりもしないで見ているだけじゃ見えて来なかった部分だった。
でも杉山君に側にいられると、それに甘えてしまって何もしない。
一人だけいた友達よりも深く関わって来られて、そんなの初めてで、溺れたい。でも溺れてしまえば、またあの時みたいに去られてしまう。全力で寄りかかって、苦しめる。そんなの嫌だ。あと少しで去るのに、その短い期間にそんなのは。
幾ら近所でも、会社が変われば世界は別になる。同僚でもなくなるから、目の前にいなければ、世話好きの杉山君も気にならなくなるだろう。幾つかの派遣先で気の合った人もいたけれど、これからも連絡取ろうって言ってくれた人だっていたけれど、辞めてからも絡をしたなんて無い。私からも、相手からも。そういうことだ。
引っ越しはちょっと無理だけど、自転車使って通勤の駅を変えて勤務先のエリアも出勤する時間帯も変えて、買い物もネットスーパーだけにしてしまえば。
努力するのはそこじゃねえよと我ながら思うけど。思う割に、でもだってけどばっかり言ってるけど。
ああ、やっぱり言い訳ばっかりだな。
仕事が佳境の為、これ以上ゆっくりはしていられない。立ち上がるとベンチコートを畳み、ご馳走さまでしたと杉山君に向けて合掌、礼拝。
夜はこのミネストローネにドリアですと、当たり前みたいに杉山君が言った。