次は
「おいしい……ありがたい……おいしい……」
「拝まなくていいから! よく噛んで!」
そして週明けの今日も、こうして一緒に屋上でお弁当を食べている。贅沢なことに、今日は杉山君が作ったものしか無い。ありがたくて拝むわ。
といっても、どうも胃が荒れているらしい私には念の為、具無しのチキンスープ(保温容器のおかげで熱々)とよく焼いたトースト一枚を四つに切ってあるやつのみの支給なんですけどもね。アメリカの民間療法か。しかもそれ、風邪の時で胃痛じゃないような。
私の料理のこと、よくおれには思い付かないって言ってくれていたけど、杉山君の発想も結構面白いと思う。日本人ならお粥とかうどんとかじゃないのかなー。多分。贅沢なことを思っているのは先刻承知。
因みに杉山君のお弁当はと見せてもらったら、ベーコンエッグとクミンを振ったキャベツソテーのトーストサンドという魅力的なものだった。牛乳をお供に、もりもりと食べている。いいな肉……。
屋上の上に広がる空は、雲一つない晴天。部屋が一階じゃなきゃなー、布団とか洗濯物干して出勤出来るのになー。太陽の下に干したいよなー。あー、引っ越しなー。
貯金の額と保証人のことを思い浮かべて寒々しい気持ちになっていると、会社の看板越しに強い風が吹き下ろして来た。
昨日の夕方から強くなってきた風と寒気は昼になっても居座っていて、まあまあ暖かい筈のこの屋上も流石に大分寒い。でも、お弁当と一緒に杉山君が持って来てくれたベンチコートが暖かくて嬉しい。フリーサイズっていってもそんなに大きいとは限らないので入るか心配してたんだけど、私でもすっぽり入る大きさで安心した。
休まず仕事をしていても、作業効率が上がる訳じゃ無いと杉山君は言う。
でも仕事しないと終わらないんですけどって反論したら、「五分でもいいから休憩を取れ! 仕事出来ない奴ほど仕事したがるんだよ!」と怒られた。ああ、仕事出来ない人ほど残業するってのと同じ論旨ですね……納得。
土曜日、あの後。嬉しくなって調子に乗って食べ過ぎたらしく、だんだん胃が痛くなって脂汗出て来て杉山君を大いに慌てさせてしまった。私もそんなの初めてだったので、一緒になって慌ててしまったわ面目無い。胃が痛いって言うのも、生まれて初めての経験だったわ……。
『だってお腹空いてたんだもん……』
『餓鬼じゃないんだから、考えて食えよ!』
怒りながら、近くの薬局まで文字通り走ってくれた杉山君は本当に良い人だと思う。恋愛感情まったく無いのに何でそこまでしてくれるのかは分からないけど、本当に嬉しかった。
しかも「おれも胃が痛いってやったことないから分かんなくて」って言いながら、色んな胃薬出された時にゃ奥様。ありがたいやらときめくやら申し訳ないやらときめくやらありがたいやらで奇声あげそうになりましたわ。良い人って罪な存在だよ……苦しい。
和田さんの奥さんが熊手を(そしてあの晩、杉山君が壁に祀って)くれたのだけでも嬉しくて仕方無かったのに、私のことを本当に心配してくれているなんて。
ベンチコートだって。こんなもの会社に置いていたとは思えないから、わざわざ家から持って来てくれたんだろう。そういう気遣いを感じると、あの奇麗な人には大変申し訳無く、でもだからって「もういいよ」とは言えないでいる。
それは私がもういいよと言ったところですぐに信用してもらえるほどのことをしていないせいもあるし、それにもう辞めるんだからという思いもある。まだ返事無いけど、この時期になっても何もアクション無いなら辞めるコースだもんな。
あと少しだけ。
人生のほんの少しの時間だけだから、せめてその間だけ。生きていてたった一度だけだから、好きな人の好意に甘えたい。私、こんな風に異性に優しくされたこと無い。
前に一生分まとめて幸運期が来てるとしか思えないって思ったけど、きっと本当にそうなんだな。それなら私、少しだけでいいから幸せだったって思いたい。ちょっと(結構)苦しいくらいは我慢するから。
*
あの日杉山君の隣を歩いていた女性は美しくて、笑顔がとても素直で可愛かった。
杉山君を見ながら、嬉しさを抑えきれない様子ではにかんでいて。
そんな風にはとてもなれない。そう思った。
杉山君が美人と付き合っていたのがショックだったんじゃない。
うんごめん、ちょっと見栄張った。ちょっと大分ショックだった。でも。
あんな風に、私は誰かに素直になれない。
美しさを保つ為には努力が必要なのは十分知ってる。
美醜の有る無しってすごく残酷で、美しくない者には厳し過ぎるほどの現実を突き付けて来るけれど、容姿が美しくないからといって選ばれない訳じゃ無い。
自分の為に努力が出来る人、誰かを言い訳の代わりに使わず自分自身と闘うことが出来る人こそが美しく、そして愛される人なんだって私は知ってる。だって見て来たから。
本当に素敵な人は、見た目だけじゃなくて中身も素敵だから、だからこそ素晴らしく見える。
だから私は駄目なんだって、痛感した。私には出来ない。自分じゃない風に装わないと、明るくもなれない。
ほんの少ししか見ていない杉山君の彼女のスタイルの良さや、顔や髪の奇麗さや、おしゃれな服装はとても印象深かった。けれど何よりも雄弁だったのは、あの素直なはにかんだ笑顔だったな。私が駄目だっていうことを思い知らせてくれた。
それから、そういう人が杉山君は好きなんだなってつくづく思った。
次はがんばるから、だから。
そういうの、彼女だったら嫌だろうな……。こんな風に思うのだって本当はよくないって分かってる。けど、誰かと何かを共有することなんて、きっとこれから先の人生の中で起きたりしないだろうから。でもこれからは私なりに、もう少しだけがんばるから。
*
「根本さん、まだ胃が痛いですか?」
「うん?」
我に返って隣を見たら、杉山君が私を覗き込んでいて内心狼狽えた。冷静そうな、観察している目。眉間に皺が寄っていて不機嫌そうで、でもそんな時は心配をしている時だって私はもう知っている。
「いや、ずっと黙ってるから。全然食ってないし、また胃が痛いのかなって」
杉山君のタメ口は、土曜日の夜限定だった。屋上に来たらもういつも通りで。
「ううん、大丈夫です。ごめん、ゆっくり食べようと思って」
あんなにみっともないとこ何度も見せて。大体、その前よりはちょっとはましだったとはいえあんな部屋も見られて。でも普段通りで。
「杉山君は心配性だなー! その内禿げますよ」
「禿げないから!」
だから私も、いつも通りに戻る。
だけど少しだけ、杉山君の期待に応えられたらなって思ってる。
そうしたらきっと。