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会議室と屋上

「わはははは! ありがとうございますとんでもないことでございますどうでもいいから今すぐデータくださいデータ」


 十時まででしたよね? 私何度も催促しましたよね?

 大笑いしたかと思うと早くデータを寄越せと催促する彼女の声は、本人を少なからず裏切っていると思う。つまり、かなり美しい。

 感心している杉山には気付かず、彼女は立て板に水の如くまくしたてて電話を切った。


「根本君、どうだね」

「まだ半分も出来ていないそうです。なので出来たところまで私と次長に今すぐ送ってくださるようお願いしました」

「残りのデータも頼むよ、それと集計もすぐに頼む」

「はい、でも会議室の用意があるので少しお待ちいただけますか。十分くらい」


 そっちも頼むと首肯して気難しい彼女の上司が背を向けた途端、根本は体型に見合わぬ素早さで席を立ち、猛然と立ち働き始めた。

 会議への参加人数分のコーヒーを入れる。コーヒーを入れながら、砂糖やミルク、スプーンを幾つかの小さな籠に入れていく。それらをカップやソーサと共に手早くまとめ、向かいの会議室へ運びつつ自席へ戻ってメールチェック。少し眉根を寄せたかと思うと、受話器に手を伸ばす。

 データ送ってくださいました? おかしいですね私のところにまだ届いていないみたいなんですよ、錯覚かなあ。泣かれてもなあ、もうすぐ会議始まりますよねご存知ですよねと更に催促の電話をかけていた。


「いつも催促ばかりすみません。でも亀山次長とても怒っているので、今すぐ送られた方がいいと思うんです」


 お世辞にも標準体型とは言い難い体を震わせ、笑いながら小さくかわいらしく囁く彼女の姿を見る者は皆、見てはいけないものを見た気持ちになるのは如何ともし難い。

 如何にもこっそり打ち明ける風であったが、こっそりどころか部内に聞えているのを承知しているだろうところが余計にそう思わせるのだ。大体、目がちっとも笑っていない。

 根本のどこから、あの声やかわいらしい仕草が出て来るのだろう。声だけを聞いていると、彼女が色々大雑把であるという印象(だけではないのだが、まあ大体)しか持たない部内の皆で今日も内心首を捻っている間に、どうやら催促をしながらデータを得たらしい。

 上司へご確認くださいましたかと声をかけ、彼が是と答えるのに頷きながら何か暫くパソコンに向かい、出来ましたとひとこと。うん、いいね。これで頼むよと指示されたと同時に始まるプリントアウト。先に打ち出していたらしいプリントの束と共にコピー機に突っ込みながら、会議室へテレビ会議の接続。

 よく働く女だな、というのが杉山の根本に対する評価だ。それは他の者も同様だろう。派遣も色々だな。

 部内に一人しかいない女性社員を補助する為に入った派遣社員の筈なのに、あっと言う間に全ての雑用を把握し、根本がいない日はあれが無いこれが無いと部内の誰か一人は困るようになってしまった。まるでドラマみたいだ。前の派遣がはずれだったせいもあるが、それにしても。


 あれだけ働いていたら腹も減るだろうがな。あんなの買い込んでいたら、そりゃ太るわ。


 小さくはないサイズのビニール袋から垣間見えた菓子類。プリンやチーズケーキやゼリー、ファミリーサイズのチョコレート菓子。毎日違うおかずが弁当に見える割に、彼女を支えているものは甘いものばかりだった。


 *


「うおー、うまそうですねそれ」


 杉山の方が年下なのに、彼女は敬語をすべて崩したりはしない。


「毎日同じこと言って飽きませんか」

「飽きないですよ、だって毎日うまそう……」

「じゃ、今日もよろしく」


 うやうやしく差し出された彼女の弁当の蓋に肉巻きを乗せると、間髪入れずいただきますという声と共にすぐ消えた。咀嚼しながら、ピクルスとチーズか! うまー! と無邪気な反応が来たのに胸を張る。


「そりゃうまいですよ、おれが作ったんだから。……食べ終わってから感想言ってくださいよ、毎回毎回」

「あー、ごめんなさい? これ豚バラじゃなくてロースの方がもっとうまそうですね、よろしくお願いしますよ」

「今日も反省しない! しかも感想というより催促!」


 信じらんねー、根本さん今日も色々捨ててますよね。笑いながら、杉山も己の弁当の蓋に置かれたおかずに箸を伸ばした。香ばしい風味に、甘みと、


「……バター?」

「そうそう、麦味噌に砂糖にバター混ぜて、焼き豆腐を煮ました。フフフ、高カロリーですよ旦那」

「カロリー摂取に手間暇惜しまず!」

「イエス、手間暇惜しまず!」


 いかなる時も屋上で一人弁当を食べる彼女に声をかけてからというもの、何故か一緒に食べるようになり、おかずを交換するようになった。母親の仕込みの甲斐あって自炊は苦じゃないどころか、寧ろ好きな方だ。

 料理は科学だ。方法や技術を用いて物質を変化させる。知識があれば失敗はほぼ無いし、経験者の知恵はインターネットや身近に幾らでも転がっている。自分では発想し得ない組み合わせを知ることで幾らでもレシピは広がっていくし、うまいものを自分で安上がりに作れて自己管理も出来るとなれば言うことはない。

 そして根本は食べることがとても好きな女だった。普段はものぐさだし、女を少しずつ捨ててるんですよと笑っているが、作るものにひと手間加えて、杉山が思い付かないようなものを作ってくる。

 大体、根本が何を得ようが捨てようが彼にはほぼ関係ないのだ。杉山には無いレパートリーが広がるのならそれでいい。

 それに、「育ってきた味がベースになるから、杉山君には珍しく思えるんじゃないですかね。杉山君の料理の方がずっとおいしいですよと」言いながら実においしそうに食べられると自尊心をくすぐられる。強かで逞しい、そのくせ感情がすぐ表に出る彼女はとても正直だ。だからつい、面倒だなと思う朝でも弁当を作るのを止められないでいる。


 邁進しますよ! と笑う彼女を見ながら、あの夜のコンビニの袋の中身を思い出すことは無かった。そういえば近所だったんですねとか。毎日のように食事を共にしていても、それくらいの存在でしかなかった。

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