兎の数え方
兎の数え方が羽なのは、獣の肉を食うことを禁じられた時代にこれは鳥だと古人が強弁したからだという。
兎の単位については諸説由来があるらしく、これもまた諸説の中の一つにしか過ぎないそうだが。山鯨(猪のことな)みたいなもんかと思ったので少し意外だった。
あれは肉が鯨に似ているという理由で、これは獣肉じゃない、山の鯨であるという詭弁を駆使しているんだったか。
「また人の話聞いてない!」
きいいむかつく! と母親が隣で軽く地団太を踏んだ。還暦過ぎて地団太を踏む、落着きが無い人がおれの母親である。
母親が踏む度に踵から鳴り響くスリッパの、その軽い破裂音に似た振動が彼女の足元で蹲っていた猫を驚かせ、猫は飛び上って逃げて行った。
母親の説明が関係の無い長話になった辺りから聞き流していている内に、ついくだらないことを考えていたようだ。冷蔵庫に貼られた、カレンダーの中の兎を見ていたせいだろう。
「あんたが教えろって言って来たのに何でぼやっとしてるのよ、んもー」
「ごめん、助かるよ。レモンは欠かさずに、全部溶けるとぐちゃぐちゃになるから小さくしろ、だろ? 聞いてたよ、ちゃんと」
「肝心なところは聞き逃さないのが可愛げないのよ! 自慢の息子のくせにああ可愛い!」
「あーはいはいありがとう」
自身が還暦を過ぎていようが、三十路手前の息子であろうが、母親のこの暑苦しい愛情表現に変わりは無い。
思春期の頃はこれが死ぬほど嫌で暫く抵抗していたもんだった。が。
反抗しても可愛い! 思春期とうとう来たのねと両腕広げて『反抗期いらっしゃーい!』と全面的に受け入れられてしまって諦めた。
そこまでして抵抗したかった訳じゃないし、父親も似たような暑苦しい精神構造の持ち主だったから、逃げようがなかっただけだ。
ごく一般的な家庭に比べると愛情のかけ方というか質が大分違うのは分かっている。けれど心の底から愛されているとも分かっていて、それでも反抗を続けるほどには嫌じゃなかったということだと思う。美しくまとめてみたが、そこに至るまで色々あったしな。
お陰で、我ながら妙に冷静な大人になったとは思うが。
反抗期がこんなところに出たんだな。
「ねえ」
「何?」
「あんた彼女出来たの?」
「別れたばっかりだよ」
「ださっ」
尋ねてきたくせに勝手な感想を述べながら、何やらまだ手を動かしている。卵と牛乳、砂糖、バニラオイル。その割に相変わらず冷静ねー。
「むちゃくちゃ可愛がって育てたのに、表面ばっかりクールな子になっちゃってさあ」
泡立て器で溶いたそれらを、茶漉しをでかくしたみたいな笊で何度も漉して、これまたでかい耐熱ガラスの容器に流し込む。
「ま、子供の恋愛ごとなんて首を突っ込んでいいこた何も無いからこれ以上は聞かないけど。結構久しぶりだしね、うちに来るの」
ふっふーん。
ご陽気にハミングしながら唇を半月に吊り上げて沸かしていた湯を天板に注ぎ、ガラス容器をそっと置くとオーブンに入れた。
「今日に限って来るんだもん、お父さんも円もいないのに」
「ごめん。忙しいんだよ、まじで。爺ちゃん婆ちゃんには線香あげただろ」
週末なんか、昼前にしか起きらんないしな。このおれが。再来週までそんな感じだ。……おっさんども、一日も早く箱根行ってくれ。
「まーね、見たら分かるわ。余裕無さそうだもんね」
「無い無い。飯作る時間もあんま無い。だから助かってるよ、偶に来てくれるの」
「あらまーお気の毒。あんまりやると彼女とバッティングするんじゃないかとか、あんたマザコンと思われてるんじゃないかとか、そもそも私、息子離れ出来てないんじゃないかとか心配になるから嫌なのよねえ」
「……満面の笑みを浮かべながら言う台詞じゃねえよ母さん」
忘れた頃にゲリラみたいに予告無しにやって来て、冷蔵庫の中をおかずでみちみちにして去って行く母の配慮は本当にありがたい。
本音を言えば少し鬱陶しくもあるが、何というかそれは反抗期の名残みたいなもんだと自分でも分かっているから。勝手に掃除や洗濯をしていくような、子供の領域を侵すような母親だったら違う思いを持つかもしれない。
「あらやだ肝心のかりんちゃん忘れてた! あと蜂蜜大根! ちょっと友裕、冷蔵庫の大根、細いから上の方半分まるっといちょう切りにして! 三ミリくらいの薄切りね!」
突然屈みこみ、床下収納の蓋を開けようとする母親の後ろで、冷蔵庫に貼られたカレンダーがひらひらと揺れている。
「逆だろ、おれやるから母さん大根やってくれよ」
有無を言わさず代わりながら、白い兎の耳がまるで揺れているみたいだなと思った。いつか見たような気がする。白く眩しい何か。
いつだったか。
*
外を映すことの無い窓が、灰色の壁の隙間から弱い蛍光灯の明かりを断続的に映している。
地下鉄の心地よい揺れと蓄積された疲労のお陰で眠くなってきた。膝には大荷物が鎮座ましましているので、眠り込む訳にはいかない。
そんなに要らないと言ったところで聞きゃしないのが、母親の常だ。いわゆる『おかんスピリット』というやつなのだと思う。
――子供が腹を減らしてはいないか、痛く無いか、苦しく無いか、悲しくは無いか。
そういう親の気持ちを考えると、子供の頃の気持ちに戻る気がして落ち着かないので、あんまり考えないようにしている。
そんなに遠くも無い未来に、親が死ぬとか。
元々細い方だった母親が、更に小さく軽くなったような気がするとか。
憎まれ口ばかりを叩いていた。大事にするべき時に出来ないで、大事にするべき時だと気付きもしないでいた時のことを思い出したりだとか。そういうことは。
実家までは地下鉄で四十分ほどだ。逆を言えば、自宅までも四十分ほどかかる。
思考と距離は比例する。
距離が長ければ長いほど、何かを考えてしまう。
自宅の最寄駅まで三分の一ほどまで来たところの駅で、ドアから冷たい風がふいに吹き込んできて、ふと我に返った。ここで眠り込んだら、確実に乗り過ごしてしまう。
空いていても狭い車内を見渡したら、窓に間抜け面した男が映っていて眠気が覚めた。しっかりと持ってはいたが、再度膝の大荷物を囲い直す。甘いにおいや、醤油のにおい。
おれは変態じゃない。
断じておれは変態じゃない。
ため息のような音を立てて、ドアが閉まる。
残り三分の一より少し短くなった距離を揺られながら、行きの車内で思っていたことをおれは改めて己に言い聞かせていた。