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ワーオ

『ワーオ、トシコは何を困ってるんだいキャサリン? 脈拍が乱れきっているじゃないか。褒められたらスマイル! スマイルが一番だと思うよ!』

『まあ素敵な意見ねスティーブ! でもね、うれしそうにし過ぎると好きだってばれちゃうかもしれないじゃない? 彼女はそれを心配しているんだわ』

『おいおいお~い! 二人とも、僕を仲間外れにしないでくれよ~』

『ハァーイ、ビル! あなたを仲間外れになんかする訳無くってよ? 一緒にトシコに何が出来るか、考えましょ?』


 駄目だ今日は三人とも使い物にならない……。

 安い充填豆腐(絹ごし派らしい)をかごに移しながら、根本の頭の中では短い間にアメリカ人がご陽気に(吹き替え版で)会話を繰り広げていた。一昔前の深夜帯でよく見た、アメリカの通販番組よろしくワーオワーオと陽気にはしゃいでいる。それが根本の中のアメリカ人のイメージらしい。

 貧困な発想とは正にこのことである。


「シカトかよ」

「ワーオ!」

「ワーオ……」


 明らかに不愉快、と分かる声が後ろから低く響くのに根本はおののき振り返った。呆れた顔の杉山の眉間に、また皺が寄っている。

 笑顔向けられるより、こっちの方が気楽。

 ほんの少し、彼女はほっとした。


「ごめん、びっくりして」

「能面みたいな顔してふらふら豆腐手に取って、おかしいなと声かけたらシカト。シカトかと思ったらワーオ」

「丁寧な説明をありがとう……」


 まさか頭の中でご陽気なアメリカ人(偏見)三人が……とも言えず、力なくハハハと笑って誤魔化しながらさり気無く歩き出すと杉山も後ろに付いてきた。

 来るなっていうのに。……どうせ何も考えていないんだろうなこいつ。

 杉山からとにかく離れたかった。

 今までの穏やかな、当たり障りの無い関係から一転、強弱激しい杉山の態度は経験値の低い根本にとってただ混乱するばかりで、何もいいことが無い。しかも。

 くっそ、風呂上りの石鹸のにおいなんかさせて! ジャージでくつろいだ格好なんかしちゃって! 普通こういうのって女の立場じゃないの!? それに男がときめいてどうこうとかさあ! 何で女が男にときめいて! ちょっと濡れ髪とかさあ! さあ!

 どこぞの助平親爺のような気持ちになりながら、八つ当たりをしそうな自分を根本はどうにか堪えた。アメリカ人(偏見)を脳味噌の中で遊ばせているより恥ずかしい発想なのは、己でもよく分かっていたからだ。


「……で、杉山君は結局扁炉(ピェンロー)?」

「うーん、やっぱ扁炉には干し椎茸の出汁が欲しいんで。違うのにしようかな」

「手羽元安いよ、出汁取れるし白菜と相性いいし。いいんじゃない?」

「ポン酢で食うの、あんま好きじゃないんですよね。口の中は中華っぽくなってるし」


 白菜と炒めるかな……と素直に手羽元のパックに手を伸ばしながら、自分の中のレシピをあれこれ検索しているようだ。


「腐乳は?」

「ふにゅう?」

「腐った乳で腐乳。沖縄の豆腐よう知ってる? 発酵食品の。そんな感じです。中華食材だよ」

「無いなあ」


 何だそれはと首を傾げる杉山に、根本の余りある食べ物好きの血に火が付いた。


「要は豆腐を発酵させた、柔らかくてしょっぱいやつなんですけどね。そいつを胡麻油で溶いて、鍋のスープで伸ばしながら食べるとうまいっすよ。練り胡麻入れてもいいし、面倒臭いなら市販の胡麻だれ使ってもいいし」


 手羽元のコーナーの前で詳しく説明している内に、横から年配女性の手が入って来た。女性が迷惑そうな顔で手羽元を手に取るのを見て、慌てて近くの中華調味料コーナーへ自分の身を避ける。そこで我に返った。熱弁し過ぎてるー。

 迷惑じゃなかったかとそっと杉山を見れば、気にした風もなくふうんと感心していた。相変わらずいいにおいである。


「あー、普通腐乳なんて扱ってないか、おいしいんだけどな」


 自分一人が我に返って気まずくなったのを誤魔化しついでにそのまま棚を探してみたが、幾ら東京とはいえ、そんなに特殊な調味料は置いていない。


「腐った乳、腐った乳……無いすね。聞いてるとうまそうだな、根本さんちにはあるんですか?」

「あるよ、香港で買って来たの」

「……そんなもの、東京のスーパーで簡単に見つかるとでも?」

「デスヨネー。中華街では見かけるんだけど……。あれ、溶き卵に入れてもたれとしておいしいんだけどなあ」


 まあ、がんばってごはん作ってくださいよ。

 我に返った途端に羞恥心が芽生え、そういえば関わりたくないと思っていたんだと気付き、彼女がじりじりと後じさりを始めたところで、何で逃げるんですかと苦笑いされた。


 だから笑うな。苦笑いでも。


「よかったら分けてくださいよ、金払いますから」


 いいにおいさせながら近付くんじゃない。


「で、よかったら一緒に飯食いません?」


 *


 逃げられた。


「塩麹でもいけるような気がするよ!」

「あとうちすごい状態だからちょっと人は!」

「今度昼に持ってくね!」

「私まだ会社帰りだし!」

「せっかく金曜日なんだからお疲れ!」


 昨日と変わらず顔色一つ変えず、最後は理由にもなっていない理由を早口でまくし立てながら、根本さんはアディオス! とレジに駆け込んでしまった。長葱と豆腐しかかごに入ってなかったんだが、いいんだろうか。あと前から思ってたんだけど、アディオスとかワーオとか、あの人いちいちオタクくせーな……。

 ここ最近の自分の酷さはもうよく分かっていて、それなら詫びがてらと思ったんだが唐突過ぎたようだ。気にしないようで、案外気にする性質だったようだ。追いかけてもよかったんだが、何か面倒臭くなって止めた。

 女に勝手に気を持たれるのは面倒臭いけど、あそこまで意識されるといっそおもしれーな。そういう意味じゃ無さそうだけど。とんちんかん過ぎてよく分からん。

 レジで精算を済ませ、意地の悪いことを考えながら夜道を歩いていると、前方にそのとんちんかんの、肉付きのいい背中が少しずつ遠のいていくのが目に付いた。コンパスの差はでかいな、追い付いてしまったようだ。

 そうか、本当に近所なんだな。

 歩く速度を緩め、根本さんの背中を見ながら、今度どこに住んでいるのか聞いてみようと思った。腐乳とやらを昼に持って来るって言ったの、忘れたとは言わせねえ。


 おれの晩飯といえば、結局鶏もも肉を買って終いにしてしまった。鍋にする気も失せ、白菜と一緒に鶏がらスープの素で蒸し煮にして食った。生姜入れ忘れた。

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