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冷静さと熟考

「や」

「や?」

「やべえ」

「何が」

「やべえ、それは恋じゃないですかね」


 起きてて寝言言えるの、器用ね。

 杉山は、栞里に鼻で笑われたことを思い出した。笑うわ、そりゃ笑うわ。

 硬直したまま何度か口を開閉していたかと思ったら恋とか真顔で言い始めたので、やっぱり短絡的だなとも思いながら、栞里のようについ鼻で笑ってしまった。


「起きてて寝言が言えるなんて、器用ですね」

「紛らわしい言い方するからじゃねーの……」


 疲れたような表情で根本は天を仰いだ。本気で言ってる訳じゃねーわ、あほか。と、ぶつぶつ呟いている。


「冷静さと熟考に欠けているんですよ」

「帰る」


 賑やかな通りをひとつ離れたとはいえ、そこも往来が盛んな場所である。くるりとターンをしたところで、根本は人にぶつかりそうになった。

 ぶつかる、と覚悟を決めた瞬間、唐突に後ろ襟首を掴まれて乱暴に引かれ一瞬息が止まる。


「……げほっ、ちょっ、息、出来なかったじゃないですか……っ」

「咄嗟に掴んだもんで、すみません」

「れ…いせいさと、熟考に欠け、てる、からじゃ……ないですかね」


 けほけほと空咳をしつつ喉元をさすりながら、じゃあ私はこれでと言いかけたところで遮られた。


「伝言、聞いてないでしょ」

「亀山次長といい杉山君といい、人の話を遮るの趣味なの……? 聞いてません」


 根本はとうとう居直った。

 気を揉むだけ揉んだ自分が馬鹿らしいわ。


「昨夜はルッコラで死ぬかと思ったし、今夜は首根っこ引っ掴まえられて息出来なくなるし、牧田さんはでかい声で信じらんないこと言い出すし」

「ルッコラがどうのは知らないけど、伝言を聞いてないことは分かりましたよ。で、それなんですけど」

「今から聞きますから言わなくていいです」

「本人目の前に居るんだから聞く必要無いでしょ、どうせ聞かないだろうし」

「いーや、聞き」

「明日」

「だから人の話遮らないでよ!」

「明日、屋上に居ますんで」


 今日も居たんですけど。


「はあ?」

「じゃあまた明日」

「忙しいんですけども!」

「アディオス!」

「人の真似してんじゃねーよ!」

「食の世界旅行はいいんですけど、明日の弁当忘れないでくださいね」


 杉山の背中は、瞬く間に雑踏の中へ埋もれた。呆気に取られ、ぽかんと口を開けて固まったままの根本を置いて。


 *


 根本さんの言う通り、確かに白菜は使い出のある野菜だ。煮てよし炒めてよし漬けてよし。生で食べたっていい。一玉買ったせいで、幾ら使ってもまだまだ減らない。

 多忙を理由に焼いた肉ばっかり食っていたら、野菜をたくさん食べたくなった。意識して自炊しているから、そこらの独身男よりはましな食生活の筈なんだが、それでも疲れるとつい肉に走ってしまう。体がアミノ酸を求めているといえば聞こえはいいか。

 茄子を縦に二つに切ってから乱切り、少量の胡麻油で和えて電子レンジへ。少量の砂糖と輪切りになった唐辛子、長葱を薄く斜め切りにしたものをポン酢に入れ、火が通った茄子にかけ回してまず一品。茄子が熱いうちに葱と絡ませておくと、辛みが飛んでちょうどいい具合になる。

 茄子を冷ましている間にもう一つ。白菜を葉と白いところとに分け、白い部分は縦に、葉は適当にざく切りにする。そこに塩麹と絞っておいた柚子果汁をざっと和え、刻んだ干し柿、削っておいた柚子の皮を揉み込んで、漬け物のようなサラダのような品の完成。

 塩麹(笑)と最初は小馬鹿にしていたのだが、正直すまんかった。肉でも野菜でも使えてとても便利だ。作る気はさらさら無いが、市販品がどんどん出るので困ることも無い。糠と麹は戻れない気がして、とても手を出す気にはなれない。

 そこまで支度をしたところで、冷蔵庫にグラスが冷やされていることを確認して風呂に入った。湯に浸かった瞬間、はー、と思わずため息が漏れる。疲れが蓄積されているのを感じる瞬間だ。このくそ忙しい中熊手かよ、めでてーな。

 それでも今日はここ数日で一番早く帰って来れた。こうして湯に浸かってぼんやりしていると、酉の市の喧騒など無かったかのように感じる。

 顔色変わらねーな、あの人。

 恋じゃないですかね、と起きたまま寝言を言っていた根本さんの顔色はひとつも変わることが無かった。あの時も。こういう時、赤くなったり青くなったりするもんじゃねえの?


 あの日、本当は違うことを言おうと思っていた。


 いや、毛玉の話はしようと思っていた。それに、根本さん一人が色々押し付けられていることは良くないと。あんな風に言うつもりじゃなかった。シクった。

 本人は普通にしているつもりらしいが、「根本さんに何か言った?」と和田さんや川村に聞かれるほどあからさまに避けられ、屋上には来ない。その上、何度電話をかけても出やしねえ。

 挙句人ごみに紛れて逃げようとか。

 酉の市への出発前から及び腰って何なんだ、大人だろ。


「……そりゃ逃げるか」


 思わず出してしまった声が、ありきたりなユニットバスに響く。あー、バストイレ別に引っ越してえ。狭い。


 やらずぶったくりというか、誰に気兼ねすることなく言いたいことを言っているような根本さんだが、誰かを本当に傷付けるようなことは言わない。

 つまりそれは、傷付くことを知っているし、傷付くことを恐れているからに他ならないとおれは考えている。あの気の遣いよう。普通に、幸せに生きていた人間にはなかなか思い付けない。そしてそれが根本さんを異質にし、更に孤立へと向かわせている。


「あの女、苛々するんだよな……」


 何で周りが見えないんだ。気遣いは出来ても、それじゃどうにもならねーよ。空回りにしか見えない。自分はそれでいいかもしれないよ、じゃあ周りはどうなんだ。

 それを言語化することも出来ず、苛立ちを根本さんにぶつけるだけだったおれに非が無いとは言えないんだがな。優しくするんじゃなったのか、おれは。何で今日もまた喧嘩売ってんだ。


 面倒臭え。

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