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幼げな感触を残す手に優しく手を取られ、真摯な色と熱を灯した金色の瞳に見つめられる。『異性』からそんな目を向けられたことがなかったマリーンは戸惑いと動揺を覚え、気まずいような心地にうろたえた。十も年下の少年からの視線に動揺してしまう自分に恥ずかしさを覚えるけれど、夫がいたとはいえ恋愛経験なんてものはないも同然なのだから仕方がない。
恥ずかしさをごまかすようにはにかんだ笑みを向けると、向日葵のような明るい笑みが返ってきた。そのてらいない様子に、再び動揺してしまう。
「マリーン嬢。早く大きくなって、貴女を幸せにするから」
オスカーは、白い頬を真っ赤に染めながら愛の告白と紙一重の言葉を告げる。興奮しているのか獅子の尻尾はぱたぱたと左右に振られ、小さな耳も忙しなく動いていた。
(『お友達』になったばかりなのに、困った貴公子様ね)
気の早い様子で将来のことを話すオスカーに、マリーンは内心苦笑した。
「オスカー様。私たちは『お友達』なのですよ」
「……!」
釘を刺すべく言うと、金色の瞳がまんまるに見開かれる。そして小さな耳がへたりと垂れた。大きな瞳にはみるみるうちに涙が溜まり、それを零すまいとぐいと手の甲で乱暴に拭う。その愛らしくも罪悪感を刺激する仕草を目にして、マリーンは激しく狼狽えた。
「そうか、『お友達』だったな。少し浮かれすぎていた。本当に申し訳ない」
泣き笑いを向けられると、幼気な子供を虐めているような気持ちになってしまう。
「ま、まだ。お友達……ですから」
「そうか! まだか!」
つい彼にとって都合のよい言葉を付け加えると、オスカーの表情が一気に明るさを取り戻した。その様子にマリーンは安堵する。
(私の何気ない言葉で、こんなにも一喜一憂するのね)
マリーンの長いようで短い結婚生活に、『恋』や『愛』は存在しなかった。元夫から熱のある視線を向けられることも、優しい言葉を与えられることもなく、自らが持っていた恋情も元夫の本性を知った瞬間に霧散して消えたからだ。
ランプの光に照らされ、金の瞳が燃え立つような色合いになる。
その炎のような瞳は、ただひたすらにマリーンだけを見つめていた。
(こんなにも……まっすぐに向けられる目を私は知らない)
嵐がガタガタと窓を揺らす。この少年の存在も、まるで『嵐』のようだとマリーンは思った。
嵐の後には……なにが残るのだろう。
激しい風雨がもたらす荒廃か、それとも恵みの雨と突き抜けるような晴天か。
そんなことを考えながら見つめていると、オスカーが恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「さっきは、泣いたりしてすまなかったな」
「泣いても、気にしませんよ」
「俺が気にするんだ。番の前で泣くなんて……恥ずかしいことをした」
オスカーは十二歳という微妙な年頃だ。想い人の前で泣いてしまったことは相当に恥ずかしいことだったらしく、『公爵家子息』の仮面を急いで纏おうとする気配を感じる。そんな様子も微笑ましく思えて、マリーンは口元を笑ませた。
「明日には……嵐は止んでしまうのだろうか」
ぽつりと漏らしながら、オスカーは窓の外を見る。
「オスカー様?」
「嵐が止めば。鼻が利く俺の部下たちが、すぐにここを突き止めるだろう。そうなったら……君と離れ離れになる」
「まぁ。またいらっしゃればいいじゃないですの」
「一瞬でも、離れたくない」
情熱的な言葉とともに、おずおずと両手が伸ばされる。そして金色の瞳でじっと見つめられた。
「オスカー様?」
「友人でも抱擁くらいする。……そのはずだ」
「するの、ですかね」
「すると思う。いや、絶対にする」
こんなふうに可愛い様子を見せられると、無碍にするのは難しい。マリーンはそんなことを考えながら、オスカーを見つめ返し……。
「では、友人の抱擁をしましょう」
口元を緩めてそっと両手を広げた。オスカーの耳がぴるぴると動き、白い頬が淡い赤に染まる。そして小さな体が、マリーンの胸に飛び込んできた。
マリーンの体を抱く腕は、意外にしっかりとした感触だ。それに恐怖を感じることがないのは……見上げてくる顔のあどけなさのおかげだろうか。
「女性とは、こんなに頼りなく柔らかな感触なのか。これは……しっかりと守らなければならないな」
抱きしめる腕に力を込めながら、生真面目な口調でオスカーは言う。その『色』を含まない声音を聞いて、マリーンはくすりと笑ってしまった。この小さな貴公子は……本当に紳士らしい。
「オスカー様は、意外に逞しいのですね」
「そ、そうか?」
「はい、驚きました」
「これでも、獅子だからな」
得意げな顔をするオスカーの頭を、マリーンはつい撫でてしまう。赤い髪は柔らかく、時折手に当たる小さな耳の被毛の感触も心地いい。耳を指で挟んで弄ぶと、オスカーの体がびくりと震えた。
「そこは、くすぐったい」
「あ……失礼を」
「いや、その。もっと撫でて欲しい」
顔を真っ赤にしながら甘えるように言われ、一度は止めた撫でる手を再開する。
するとオスカーは気持ちよさげにその瞳を細めた。
「そこ、気持ちいいな」
「ここですか?」
「ん……」
オスカーが気持ちよさそうに反応する部分を、マリーンは丁寧に撫で続けた。彼は喉でも鳴らしそうな様子でそれを享受し続ける。
(まるで、子猫をあやしているみたい。……子猫に触れたことなんてないけれど)
そんなことを思いながら撫で続けていると……。
オスカーの姿が突然目の前から消えた。オスカーのいた場所に、彼が着ていた衣服だけがふわりと落ちている。それを見て、マリーンの心臓は驚きで止まりそうになった。
なにが起きたのかとオロオロしていると、丸まった衣類のあたりでなにかがもぞもぞと動く。それを注視していると──。
「え……」
少し赤みがかった金色の体毛を持つ、大きな猫のような生き物がその姿を現した。