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「マリーン嬢は……。獣人に『貴女が番だ』と告げられたら、どう思うだろうか」
縋るような目を向けながら、真剣な声音でオスカーが訊ねてくる。なぜそんなことを訊くのかと不思議に思いつつも、マリーンは想像を巡らせてみた。
(『番』……ね)
オスカーの話を聞く限り、獣人は『番』に対して一途らしい。それは習性からくるもので、人間の色恋と違って裏切られる心配がないのは素晴らしいとマリーンは感じた。
けれど……それは他人事だからこそ思うことだ。
一途だろうと、そうでなかろうと。もう男性に感情を揺さぶられるのは懲り懲りだ。結婚生活の心的外傷は、マリーンの心の奥深くまでしっかりと刻まれていた。
小さな獅子に視線を向けると、緊張感を孕んだ視線を返される。まだ喉仏が出ていない少年の喉が、こくんと小さく動くのがマリーンには見えた。
「私の場合は、結婚はもうこりごりだと思っているので困りますね。人間だとか、獣人だとか……そういうことは関係なく」
「結婚を、していたのか」
オスカーは顔を蒼白にすると、カチャンとフォークを落としてしまう。そんな彼の様子に、マリーンは首を傾げた。
「はい、先日離縁されました」
「それは悪いことを訊いた。お子などは、いなかったのだろうか」
ずいぶんと踏み込んでくるものだ。驚いて目を丸くしながら見つめると、気まずそうに金色の目を逸らされる。
(下世話な好奇心で訊ねている様子でもないし……話してもいいかしら)
オスカーからは気遣わしげな様子が見て取れる。なのでマリーンはふっと口元を笑ませてから口を開いた。薄い腹を撫でると、まだ子がいるなんて信じられない。けれどこれから、どんどん大きくなるのだろう。
「元夫の子が、お腹に。いろいろあった夫との子供ですけれど、生まれるのが楽しみです」
「お腹に、いるのか」
「ええ」
「……そうか」
小さく形の整った手で、オスカーは額を押さえる。そして大きくて重たい息を吐いた。その顔色はどんどん青白くなり、今にも倒れてしまいそうだ。その尋常ではない様子が気がかりで、マリーンは立ち上がると彼の側へと行った。
手を伸ばし、ふっくらとした頬を撫でるとそれは驚くくらいに冷たい。オスカーは顔を上げると、金の瞳に涙を浮かべてマリーンを見つめた。
「オスカー様、大丈夫ですか?」
視線で救いを求めるように縋りつかれ、マリーンは動揺を覚える。この小さな獅子にこんな目をさせる要素が、先ほどの会話のどこにあったというのだろうか。
「マリーン嬢。……驚かずに聞いて欲しいのだが」
潤んだ瞳で見つめられ、頬に触れた手の上から手を重ねられる。小さな手はしっとりとしていて、子供らしく体温が高い。
「はい、なんでしょう」
「貴女は……俺の『番』なんだ」
告げられた言葉に、マリーンは目を瞠る。
「私が……オスカー様の『番』?」
「そうだ」
「冗談、などではなく?」
「……俺はこんなことで、冗談など言わない」
小さな耳がへたりと垂れ、金色の瞳からは美しい涙が零れ落ちた。それは頬を伝って、マリーンの手を濡らす。
(これは……どう答えたらいいのかしら)
オスカーの気持ちを、受け取ることはできない。
『男性』との関係を築くのはもうこりごりだし、それ以前の問題として……恋愛対象と見るにはオスカーは幼すぎる。
「あの、オスカー様。申し訳ないですが──」
「さっそくどうこうなって欲しいとか、そういうわけではないんだ!ゆっくりと俺のことを知った上で、その上で検討して欲しい!」
拒絶の言葉を塞ぐように、オスカーは言葉を被せた。
「君が不快だと思うことはしないと、約束するから。だから……頼む」
真珠のような涙を次々に零しながら必死に言い募るオスカーを見ていると、胸が罪悪感で重くなる。
(可哀想な人)
同じ年頃の少女であれば、こんなに美しい高い身分の少年に『番』だなんて告げられたら、一気に舞い上がるのだろう。
(なのに、私みたいな男性に絶望した年増が『番』だなんて。しかも……お腹には元夫の子供がいるような)
考え得る限り、オスカーにとってマリーンは最悪な相手だ。けれどそんなことは関係なく、獣人は『番』の呪縛から逃げられないのだろう。この美しい少年のことが哀れに思えて、どんな言葉を口にしていいのかわからずマリーンは沈黙してしまう。
マリーンをひたむきに見つめながら、オスカーは唇を震わせた。きっと嗚咽を堪えているのだろう。
「お気持ちに応えられるという約束はできません。ですが……お友達なら、なれます」
健気な様子に胸を打たれ、ついそんなことを言ってしまう。
それを聞いたオスカーは表情を輝かせると、何度も何度も頷いた。