第6話:潔白の証言者は浮気の証言者
翌朝、嫁は帰ってきた。夜勤明けみたいな感じで9時半に帰ってきた。俺は休みだったから嫁が何時に帰ってきても全然問題なかったけど、とにかく俺は憔悴しまくっていた。
「あれ? 起きてたの? おはよう」
相変わらず整ったきれいな笑顔。嫁がこの顔で嘘をついていると思ったら具合が悪くなってきた。思わず俺は嫁を迎えた玄関で床にへたり込んだ。
「もう、大丈夫ー? 飲み過ぎじゃなーい? また菅谷内さんでしょー? あんまり飲ませすぎないように良いとかないとー」
お前がマコトになんか文句言うとかお門違いなんだよ。
そんな事を思いながら俺は三度、いや、四度かもしれない。トイレに飛び込んで便器と仲良しになっていた。
あれから一睡もできないでいた俺はリビングのソファに横になっていた。ベッドは嫁と間男が使ったかもしれない。そんなベッドで寝ると思ったら俺はきっと気が狂う。
ソファで気を失う様に眠りに落ちる俺。
夢の中では色んなことがグルグル回っていた。マコトが俺のことを助けてくれていた。嫁は浮気していて、顔が真っ黒な間男と乳繰り合っていた。
「間男」って「婚姻関係がある女がそれ以外の男によって肉体関係を結んだ男のこと」だって夢の中でマコトが俺に教えてくれた。「間男」くらい言葉の意味は知っていたけど、あえてマコトが教えてくれたってことは何らかの意味があったのか?
二日酔いもあったのか、夢の中であっても頭がグルグル回っていた。
俺が目が覚めたのは、マコトと飲んでいた日の翌日の13時ごろ。目が覚めても家には誰もいない。誰かいるとしても、それは嫁のはずなのだが、いなかった。
すごく心細くなって、マコトにLINEしていた。仮にあいつが女だったら、俺は抱いていただろう。俺が女だったら抱かれていただろう。それくらい俺はあいつのことを信頼していたし、今傍にいてほしいと思っていた。
まぁ、男同士だから天地がひっくり返ってもそんなことは起こり得ないんだけど。
ほとんど無意識で俺は誠に助けを求めていた。今の状態でいたら俺はおかしくなってしまう。
(ンライーーーンッ)
ラインの着メッセージの音がした。
俺は自分のスマホの画面を見た。
「大丈夫か? 15時になったら手が空く。飯でも食うか?」
マコトからのメッセージで俺は泣いていた。どんな感情なのか、俺にも分からない。
とにかく俺は泣いていた。大の大人がスマホを持って泣いていた。小さなソファの上で歯を食いしばって泣いていた。周囲で見ている人がいるとしたら、哀れだと思っただろう。それくらい惨めで、哀れで、どうしようもない感情が爆発したのがその時の俺だった。
○●○
「誰が誘ったか知ってるか?」
「嫁の同僚でよく一緒に遊びに行くのに「鷺谷果倫」ってのがいるね」
俺は結局、我慢できずマコトに電話していた。そして、ファミレスで話をしていた。
「その鷺谷果倫ってのが間男じゃないのか? 連絡先分からないか?」
「ちょい待ち。分かると思う」
ちなみに、「鷺谷果倫」という人物が存在するのは確実だ。以前、嫁に紹介されたことがある。実際に会って話したことがある以上、人物としては存在することは分かっていた。
嫁のiPhoneの登録ユーザーを見ると、たしかに「鷺谷果倫」がある。電話番号も分かる。
俺は笑顔でサムズアップしてマコトを見た。
「電話してみるか。非番なら呼び出して話を聞いてみるか」
俺からしたら1度か2度しか会ったことが無い相手。呼びだして話を聞くというのはハードルが高い。それでも確かめないといけないのだ。
俺は「鷺谷果倫」をほとんど知らない。それでも電話をしたら16時ごろまでなら来てくれるそうだ。その後は子どものご飯の準備があるから厳しいと言われた。つまり、鷺谷果倫も家族持ち。家族構成は分からないけど、無茶な遊び方はしないはず。
彼女の話を聞くことで嫁の不倫の有無が分かるかもしれない。
〇●〇
「早弥ちゃんは私と一緒にいました! 浮気してるなんてありえません!」
鷺谷果倫さんは当然実在して、俺の朧気の記憶の鷺谷果倫さんとも同一人物だった。その彼女が夕方のファミレスに来てくれた。旦那と子どもの食事の準備を控えているというのにファミレスに来てくれた。彼女の意見は重要と考えるべきだ。
鷺谷果倫さんはテーブルを挟んで俺達の向かい側に座っている。ちょうど俺の真ん前に座っている感じ。
「早弥ちゃんが浮気してるなんてありえません!」
真っすぐに座って力強い感じ。言葉に自信があるんだろうな。
「いつも私の方が連絡して早弥ちゃんを呼び出しちゃう感じなんです。電話だからLINEとかにも履歴が残らないし」
なるほど、なるほど。そんなこと気付かなかった。親切だなぁ。マコトが横で瞬きをパチパチしてる。昨日遅かったから眠たいのか?
「ホントです」
「ああ、信じるよ」
鷺谷果倫さんはしきりと下唇を触っていた。もしかして、唇が渇いてるのかな? 結構しゃべり過ぎだもんな。悪いことをした。俺が彼女の唇を見ていると今度は首を触り始めた。気を使わせてしまっただろうか。テーブルの下では足をもぞもぞしている。
マコトは腕を組んで目をつぶっている。一部の隙も無いってことかな?
「んんん。なんか変ですか?」
「いや、大丈夫です」
しっかりこっちを見ているんだよなぁ。あんまり瞬きしてない。そんな人なのかな。
「も、もういいですか?」
「あ、ああ。ありがとうございました。あ、ここの会計は俺が……」
「あ、ありがとうございます」
テーブルの上の伝票は俺が取ると、彼女はそそくさと帰っていった。
おもむろに俺は横に座っているマコトの方を見た。
「浮気じゃなかったってことで……」
「お前あほだろ」
間髪入れずツッコまれた。
「どういうことだ!?」
「怪しすぎるだろ。同じことを何度も言っていたし、唇とか首とかずっと忙しなく触ってた。喉もカラカラだったじゃないか。足はもぞもぞ、瞬きはしない。言うだけ言ったら逃げるように帰るって……」
そうなのか。俺なんか信用しちゃってたけどなぁ……。
「旦那と子どもの食事の準備があるって言ってるのに、その直前に来るか? ほとんど知らない男が来るんだぞ!? 何時から夕食なんだよ」
「たしかに!」
マコトが顎を触って考えている。
「さっきの人の旦那とは連絡つくか?」
「まあ、嫁の住所録見たらあると思う……」
「さっきの女もどっかで不倫してるかもな」
意外なことを言った。
「どういうことだ!?」
マコト曰く、さっきの鷺谷果倫さんと嫁はお互いに不倫の際にアリバイ作りで協力し合っているだろう、とのこと。慌てていたから本当は来たくなかった。それでも来たのはお互いに協定を結んでいるから。
ここで断ると、彼女の不倫についてもバラされてしまうからだ、と。
実際に来てみたら、マコトって知らないやつもいたし、ボイスレコーダーで録音するって言ったから緊張がマックスだったんだ、と。聞いてもいないことまでペラペラしゃべるやつはみんな嘘つきだと言い切った。
そう言われてボイスレコーダーを聞き返すと、たしかに嘘くさい。すげえなマコト。
「やっぱり、そのスマホの中にもっと重要な証拠につながるもんがあるな」
マコトは断定して言ったのだった。