第15話:義妹の咲季ちゃん
次に俺が目を覚ましたとき、そこは病院だった。知らない天井だったわ。一度言ってみたかったんだけど、こんな形では実現したくなかった。
記憶が一部抜け落ちたみたいに頭はスッキリしてる。眠ったからかな。いつ寝たのか分からないし、いつ起きたのか分からない生活だった。なんか全部夢だったのかと思えるほど。
「あ、よかった!」
俺の寝ているベッドの横のパイプ椅子でスマホをいじっていた人が俺に気付いたらしい。またスマホでポチポチしていると思ったら、しばらくして1人部屋に入って来た。
この辺りでようやく俺は覚醒してきた。すぐ横にいてくれたのは咲季ちゃんで、男の方はマコトだった。
「あ……」
思った場所と違うところで目が覚めたときって本当に言うことないな。咲季ちゃんとマコトがいる意味も分からないし。
「目が覚めたらな俺は行くな。安静にしてろよ」
マコトがぶっきらぼうに言った。
「あ、サンキュウ」
俺はいつもの返事をしてしまった。
咲季ちゃんはマコトの後ろ姿を苦々しく見送っていた。
「どうしたの?」
「私、あの人苦手です」
そんなこと言っても俺とマコトの付き合いは長い。見た目はちょっとチャラチャラした様に見えるかもしれないけど、根は良いやつだし、いつも俺を助けてくれる。マコトは若干オラオラ系だ。
咲季ちゃんはまだ20歳か、21歳。人間が見た目だけじゃないってことを理解するのにはまだ若い。それはしょうがないことだろう。
「あの……俺って……どうなったのかな?」
よく見たら手の甲には針が刺さっていて、点滴へとつながっている。
「精神的なショックと栄養失調で気を失ったそうです。私と菅谷内さんが発見しなかったら、ちょっと危なかったんですよ!」
そうか……。マコトは俺を心配してくれたんだろう。じゃあ、咲季ちゃんは……?
そう言えば、俺は家であんまり食べてなかったかもしれない。寝るのもいつ寝たか分からないような状態だったし……。心配されるような状態だったか……。
「ごめん、傍にいてくれたんだね。咲季ちゃん会社は?」
「まだ寝ぼけてるんですか? 私は大学生です」
そうだった。嫁が28歳だからその妹ってことでもう社会人だと思い込んでいた。咲季ちゃんは大学生だったっけ……。
「目が覚めたら弁護士さんが連絡欲しいって言ってましたよ?」
弁護士……。そうか、嫁の浮気は現実だったか……。
「あと、お姉ちゃんがそろそろ限界かもです。引導を渡してあげてください」
咲季ちゃんが俺のスマホの画面を見せてきた。顔認証で画面が表示された。メールやLINEのアイコンのところに赤丸が出ている。恐らく嫁だろう。どうやってかLINEも送れるようになったのか、数字は「99+」となっている。LINEって未読が99通超えたら「99+」って表示されるんだなぁ。変なことに感心していた。
「お姉ちゃん、ずっと家にいるんですけど、1日中メール送ってますよ?」
彼女の言う「家」は実家だろうか。
メールを見ると言い訳の山だ。なんとなく、古い方か見てみた。
『あれは誤解』
『浮気じゃない』
『一方的に連絡とれなくするなんて男らしくない』
『了見が狭い』
『男を下げている』
罵倒か……。自分が浮気しているのに盗人猛々しい。
『ごめんなさい! あの人は違うの!』
『遊ばれていたの!』
『もう別れたの!』
『心はずっとあなただけだった』
『あなたの大切さに気が付いたの!』
そのうち謝罪のメールが混じり始めた。日付的に内容証明が届いた頃かな。
「あれ? 今日、何日? 俺って何日寝てた?」
「3日間眠ったままだったんですよ? 私達が行った時は1週間以上哲也さんは1人でマンションに引きこもってたみたいだから、10日間くらい誰とも会わずにほとんど食事も取ってなかったみたいでした」
かなりヤバかったのか……、俺。
「お姉ちゃんの最近のメールは復縁をお願いする内容みたいですよ? そういうのネットでは『ジュリエットメール』とかっていうみたいです」
見る気はなかったけれど、着信ごとにプレビューで1行目だけ表示されていたのだという。スマホの充電がすぐ切れるので充電してくれていたみたいだし、悪気はなさそうだった。
「ジュリエットメール……」
「略して『ジュリメ』です」
ジュリメかぁ……。そう思いながら最新のメールを見る。
『どこにいるの? 私の思い人』
『私の希望の光はどこ? 私はあなたなしでは輝けないというのに』
『夫婦というのは相手のことをベターハーフって呼ぶのよ。私のより良い半身……それはあなた』
『囚われた私を助けに来てくれる王子様、それはあなた』
『毎晩あなたが助けに来てくれる夢を見るの』
これがそうか? そうなのか!? ポエム!? あいつはなにをしているのか。
「お姉ちゃん、今は実家に軟禁されているんです。ほぼ陥落なんですけど、最後に哲也さんと会わないと離婚届にはんを打たないってゴネているんです」
あいつらしい……。プライドがあるんだろうなぁ。弁護士に確認してトドメを刺してやるか。
「あの……あの菅谷内さんってどんな人なんてすか?」
「マコト? 同級生だよ。中学のときからの」
マコトとの付き合いは長い。ずっと親友だ。
「いいですね、そういうの。憧れます」
窓の前に立って外を見ながら咲季ちゃんが言った。気持ちのいい笑顔だから本心だろう。
「哲也さんはいつも人に好かれてますね」
くるりと振り向いて言われた。俺が誰に好かれたというのか。
「
私のこと、お姉ちゃんからなんて聞いてますか?」
咲季ちゃんは昔から嫁の彼氏を横取りし続けてきた子で自由奔放ってことだった。嫁はこの妹をすごく警戒してたな。
「私が彼氏を横取りしまくってる……とか? ですか?」
「……」
俺は答えられなかった。そうだよって本人の前で言うのも気が引ける……。
「哲也さんは人がいいから、誰かが言った言葉をそのまま信じちゃいそうです。騙されないでくださいね? 逆ですから!」
たしかに俺はどこか抜けてるのかもしれない。騙されやすいってマコトにもよく言われる。
「逆って?」
「彼氏……っていうか、家に連れてきた友達を次々奪っていくのはお姉ちゃんでしたから」
実家は昔、飲食店をしていたらしく、男女店にお客として遊びに来る友達が多かったのだとか。
まあ、咲季ちゃんのかわいさを考えると仲良くなりたい男子達が下心満載で通っていたのは想像に難くない。
中にはかっこいい先輩や人気の男子もいたとのこと。それを姉であるうちの嫁が物色してさらっていってたのだとか……。
今なら分かる。多分、それは本当だ。結婚前だったら、俺も舞い上がってそんな話を聞いてもスルーしていただろう。
「実の姉ですけど、やめたほうがいいです。哲也さんとは合わないと思います。実際、私の周りの男の人ともあんまり長続きしてなかったんです」
「そうなんだ……」
「……すいません。こんな話」
仮にもまだ俺の嫁だ。過去の話とはいえ、男関係の話だからなぁ……。咲季ちゃんは気を使ってくれているのだろう。
「でも、お姉ちゃんがこんなに一人の人に執着するのは初めてなので、哲也さんが希望されるなら私も応援しますけど……」
「それはないな。離婚するよ」
不思議と迷いは全く無かった。一人で悩んだ時間が色々を払拭してくれたのか、自分でも驚くほど未練とか、執着とかなかった。
あんなに苦手にしていた義両親も今では同情すらしてる。嫁に騙されていたみたいで、それが俺とのコミュニケーション不足を起こさせていたのが分かったから。
「ご飯さえ食べられるようになったら退院できるって先生も言ってました。外出は問題ないみたいなので、早めに決着つけてください!」
「……ありがとう」
後は、嫁と浮気男をそれぞれ呼び出して離婚することの報告とそれぞれに慰謝料を請求することで報復して終わり……そう考えていた。
そして、嫁が斜め上の行動に出たと知ったのは翌々日の弁護士事務所に呼び出した日のことだった。




