1001.一月三日 昼下がり 偶然と偶発がもたらす変化
『ちょっと八早月! 早くテレビ付けて! 5チャンネルのワイドショーだよ! あああもう! テレビ無いんじゃないの、スマホでニュースサイト開いて! スポーツか芸能かその辺りを開いてみてよ、早く早く!』
昼食をとってのんびりしていた八早月は久しぶりに聞く友人の声に喜びつつ、ゆっくり浸らせてくれないことにも懐かしさを感じていた。
「ちょっと夢路さん、そんなに急かして一体どうしたの言うの? それにしても久しぶりね。ご実家へ戻って来たときには連絡くれたらいいのに」
『今はそんなのどうでもいいんだってば! ハルが、ハルがいたのよ!』
それを聞いた八早月は目を見開き辺りを見回す。懐かしい旧友の名を聞いて、すぐそばにいるはずのない美晴を探してしまった。通話相手の山本夢路もだが、板山美晴もそれくらい身近な存在だったのである。
今や平均的な機械類苦手なおばちゃん程度にはスマホ操作が出来るようになっている八早月は、本気を出して最速でニュースサイトを検索し開いてみた。夢路に言われた通りスポーツのページを開くと、そこには懐かしい名がもう一人掲載されているではないか。
「夢路さん、橋乃鷹さんが載っています、有名な方になっていたとは驚きました。ええと、なるほど、今やプロのサッカー選手というわけですか、素晴らしいですね。いや、比べているわけではありません、純粋な気持ちですよ?」
『まあそれは前から知ってたからどうでもいいんだってば。それよりもその内容をちゃんと読んでみてって言ってるのよ。はっきりと名前が出ているわけじゃ無いんだけどきっとハルだと思うの』
記事を読むと、そこにはプロサッカー選手の橋乃鷹涼がSNSのライブ配信で突如プロポーズし軽い炎上騒ぎになっていると書いてある。何の前触れもなく行われた劇的な出来事にファンは大騒ぎし、女性ファンはネット上に誹謗中傷を書き込んだりグッズを棄てる様子をアップしたりとなかなか過激な行動に出ていた。
中学生のころ出会った時にはそれほど魅力的とは感じなかったが、小学生の時は輝いていたらしい。もしかしたらプロサッカー選手になったことで当時の輝きを取り戻し、女性ファンが大勢付いたのかもしれない、などと八早月は下世話なことを考える。
そして八早月たちの親友である板山美晴はその橋乃鷹涼と中高生時代に交際していたのである。卒業と共に美晴はファション関連の職に就きたいと実家を出て東京へ行き半年ほど経った頃から音信不通になっていた。
それから何年経ったのだろう。八早月は感慨深そうに指を折り始めたが、自身が年を取ったことを考え数えるのを途中で止めた。八早月は二十歳で結婚し今は三人の子持ちであるし、同様に既婚である夢路は旦那を尻に敷いて自分は恐妻の鑑だと嘯いている。
そして記事の続きだが、ライブ配信で練習しながら視聴者と質疑応答のようなことをやっていたらしい橋乃鷹が、突然一つのコメントに動揺したのだと言う。その言葉とは――
『いつかピッチでプロポーズするから見とけよ言ってたのにさ、ウソツキ』
と言うものだった。これは高校卒業後に関西リーグの強豪へスカウトされた橋乃鷹が地元を去る時に美晴へ言い残した言葉だった。美晴はそれを笑い飛ばし、自分は東京へ行くと告げて五年近い交際は終わりを告げたのであった。
女性人気の高い橋乃鷹涼は独身で女性関係を噂されたことも無いため、ファンの間では同性愛者説も流れている。そんな橋乃鷹のところへぶっきらぼうに現れた初めての女性の影、大騒ぎにもなろうと言うものだ。
しかもその直後、そのコメント主へ必死に声をかける姿と、それっきりダンマリとなってしまった謎の人物。誰もがたちの悪いいたずらや目立ちたがりなファンの暴走だと思っていたところ、橋乃鷹涼は突如叫びながら高らかに宣言したのだ。
『俺は今でも忘れちゃいない! ずっと好きなままだ! 結婚してくれ!』
さすがにこの言葉には黙っていられなかったのだろう。先ほどのコメント主が再び現れ一言返す。
『バッカじゃないの? そんなの直接言いなさいよ!』
当然その直後からはプロポーズを受けた謎の女性? 探しが始まった。このライブ配信が行われたのが二日前、騒動はまったく収まる気配がないのだが、未だ相手は見つかっていない。
『ね? これってどう考えてもハルのことでしょ! 今どこにいるか涼君は知ってるのかなぁ。連絡先知らない? 知らないよねえ。私も知らないんだよね、興味なかったから』
「相変わらず辛辣で安心するわ。もちろん連絡先は知らないけれど、夢路さんは彼と同じサッカー部の子や、金井中や高校の同級生とか知らないの? と言ってもその同級生の連絡先を知らないだろうしつてを見つけるだけでも難しいわね」
だが展開はそれほど時間を空けずに動き始めた。
―― 約一時間後
「どうしたの? なにか進展でもあったのかしら、とりあえずゼーゼー言っていないでお水でも飲んで落ち着いてから話してほしいものね」
『だって、ゼーゼー、これが、ゼーゼー、落ち着いて、ゼーゼー、いられるかって、ゼーゼー、話、ゼーゼー、よ、ゼーゼー』
「なにを言っているのか全然わからないわ。まずは落ち着いてちょうだい? 数秒急いでもなにも変わりはしないのだから」
『パシュッ、カポ、んぐんぐんぐ、ぷはあ、ウマイ! やっぱりのど越しはビールが一番ね。ハルが帰ってきたら一緒に飲みに行こうよ。前祝いってことでさ』
「では美晴さん見つかったのね? 良かった、ずっと心配していたのだから少し叱ってあげたい気分だわ。それで今どこにいるの?」
『いや、知らないけど? でもついさっき動画サイトで生配信してたんだって! ネットニュースの速報によると、例のプロポーズを受けた謎の人物を名乗る女性は今のままじゃプロポーズは受けられない、その前に友達に謝らないといけないからその後また考える、だって!』
「友達と言うのが私たちだといいのだけれど、東京へ行った後のことは良く知らないでしょう? 向こうで出来た友人のことを言っているかもしれないわ」
『絶対にそんなことないってば! 私たちに決まってるじゃないの、もっと自信持ってよ! ところで綾ちゃんには話したの?』
「いいえ、彼女は今気が立っているから変な話を伝えるのは憚られるもの。きっと今が一番つらいところだと思うわ。夢路さんだって経験者なんだしわかるでしょ?」
『ま、そっか、そうだよね、この歳になってようやく出来たんだもん、健康で元気な子を産んでもらいたいな。きっとモデルみたいな凄いイケメンが産まれると思うよ?』
「なに言っているのよ、女の子かもしれないでしょう? 私は断然女の子がいいわね。男の子はちょっと大きくなると母親から離れたがって仕方ないし、父親に似て生意気なんだもの」
『それは八早月ちゃんちの八飛魯だからでしょ。もう十五歳? 十六歳か。もう次二年生? 時が経つのは早いなあ』
「ええ、今年で十六になって今度二年生ね。大学行くから勉強するって言っていたけれど、今日もパパとジジとキャンプに行っているわ。あの人たちは何が面白くて山の中へ入るのかしらねえ。家の庭にいるのと変わらないじゃないの」
『きっと修行でもしてるんじゃないの? 長男だから跡継ぎになるんでしょ? 八早月ちゃんみたいにやるのはきっと大変だろうね』
「いいえ、跡取りは下の子にするのよ。こればかりは私だけでは決められなかったから仕方ないわね。まさか最初の子が双子の姉弟だなんて思わなかったもの。ちなみに羽八瀬は昨日から零愛さんのところへ戻ってしまったわ」
『一族親戚みんな仲良くていいじゃない。でも八早月ちゃんは真八ちゃんと留守番させられてるわけか。お正月から寂しいわね』
「いいのよ、新年と言っても一般的な神社と違って神事はないし村人への祝辞は元旦に済ませて後は寝正月を堪能しているわ。家事は真八が頑張ってやってくれて上げ膳据え膳よ」
『どっちにしろ何もできないくせに良く言うよ、まったくお嬢様ってやつはこれだからねえ。でもさ、それくらい子供たちはしっかりしてるんだし、たまには夫婦水入らずで出かけたりしないの?』
「他の地方へ出掛ける際についてくるくらいかしら。わざわざは行かないわね。私には夫婦旅行の楽しさが今でもわからないわ。せっかく普段と違う場所へ出かけているのに、合わせる顔が同じでは代わり映えが無くつまらないでしょうに」
『相変わらずだねえ、旦那には優しくしてるの? 去年の食事会ではかなりべたべたと仲良さそうだったもん』
「私はいつ誰にでも優しいわよ? 人当たりが柔らかとまでは思っていないけれどね。そう言う夢路さんは旦那さんに厳しいじゃないの。あれで良くうまく行くものだと感心するわよ」
『うちの人は変わってるんだよ。こんな私にホレるくらいには変人だからね。私は非モテの自覚あったから、この人このタイミング逃したら二度と告白なんてされないかもって飛びついちゃったっての。そのまま長く続いてるんだから運が良かったのね』
「それこそ『夢路流旦那操縦術』が優れているのではなくて? あのブログと言う日記、いつも楽しく拝見しているわ。文も達者だと思うけれど挿絵が素晴らしいわね。真八に頂いたハンカチの刺繍も見事だし器用で羨ましいわ」
『まあそれくらいしか取り柄がないし、結局マンガ家は無理だったからねえ。創作は読むのと書くので大違いだよ。でもイラストで多少の収入になるのは助かってるかな。ウチも上の子が来年中学に上がるし、アレコレとお金がかかるわよねぇ―― あら、割り込み通話か、知らない番号だな、ムシムシ』
「知らない番号だと勧誘か詐欺くらいしかかかってこないものね。年末には『正月に蟹はいかがですか』なんて電話が何件もかかってきたわ。家の電話番号なんてどうやって調べるのかしらねえ―― あら? 言ってる側から割り込み通話が…… まったく困ったものね」
二人が長電話をしている裏では、知らない番号から何通ものメッセージが届いており、電話はそれを読めと言う合図だった。




