end
いつもならあたしがこうされる側なのに。なんだか違和感を感じるけど、どこか居心地がいい。敦司のこんな表情、めったに見れるものじゃない。
でも、キスするといったら話は別。あたしは手をそえたまま、硬直して動けない。顔を近づけようと思って、のぞきこんで、でもそれ以上、動けなかった。
どうしたらいいんだろう。どうやって狙いを定めたらいいんだろう。目はいつ閉じるんだろう。息はとめたほうがいいのかな。もし位置がずれたら笑われないかな。
たっぷり時間をかけて悩んでいても、敦司は目を開けてあたしを助けようなんてしてくれない。口元なんてもう完璧に笑っていて、いっそ噛み付いてやりたいと思うけど結局それもキスなわけで。
だめだ、できない。
でも、したい。
頭の中が忙しい。
敦司のことが好き。付き合う前から好きだった。
でもそれはなんとなくの好きで、嫌いじゃないっていう好きで。一緒にいて楽しくて苦にならなくて、好きか嫌いかって訊かれたら絶対好きな人で。
敦司に付き合おうと言われて嬉しかったし。素直にうんと言えたし。付き合ってもあまり普段と変わらなくて、でも一緒にいるのがほんとうに楽しくて。
付き合ってるんだから、いずれはすると思ってた。キスなんて当たり前にすると思ってた。敦司が好きだから、できると思ってた。
でも、好きすぎて、できなかった。
したかったけど、こわくてできなかった。してみたかったけど、不安だった。
今もそう。最後の最後で動けない。
唇が近くにありすぎて、お互いの吐息が混ざり合っている。ほのかに息のぬくもりを感じる。あとすこし、このまま近づけば、キスできるのに。
「……できないよ」
「して」
「敦司からして」
「綾音がして」
逃げようとしたら、頭に手をまわされてできなかった。もう、距離が近すぎて、相手の顔もなにもわからない。
かすかに、敦司が動く。でも、このままされるんじゃだめだ。そう思って、あたしも、ほんのすこしだけ、唇を寄せてみる。
思わず、目をつぶってしまう。唇の裏を、ほんのすこしかみ締める。ふるえる息を止められない。もう、場所なんてどうでもいい。
唇に、なにかが触れる。これがきっと、敦司の唇なんだ。
ほんの一瞬で、唇は離れた。表情がわかるくらいに顔を離して、敦司と目が合って、ようやく安心して息をつけた。それは敦司も同じようで、大きなため息をついたあと、なんだか恥ずかしくなってお互い笑ってしまった。
唇の、ほんの先っちょだけが触れたような、そんな淡いキスだった。
それがなんだかもどかしくて、つい、唇を噛んでしまう。両手はまだ敦司の頬にあるから、指で触って確かめることもできない。
「……もう一回、して」
あたしが消え入りそうな声で言うと、敦司はほんとうに、またしてくれた。
さっきの、触れるか触れないかのキスじゃない。ちゃんと唇と唇が重なるキスだった。
離れたと思ったら、また、キス。敦司の唇に包まれるような、深いキス。離して、角度を変えて、また、キス。
自然と、目は閉じていた。息もしていた。何度もキスをして、そのたびに敦司を感じた。やわらかさと、あたたかさと。こんな場所、自分ひとりじゃ感じられない。唇の感触は、キスじゃないとわからない。
下唇を吸われて、舌で撫でられる。中に入ってきそうになってあたしがびくりとふるえると、無理にしないでまたもとのキスに戻った。
一度キスすると離れたくなくなって、ずっとしていたくなる。敦司が唇を離したとき、だからあたしはすごく切なかった。
敦司が離れてしまう。キスが終わっちゃう。
あたしは頬に触れていた手を離して、指先で敦司の唇の端を探した。
そこをしるしにして、あたしはまた、唇を敦司に寄せた。
END