1
「――ちょ、っ、と、待って!」
とっさに、あたしは両手を前につきだした。
急いで、身体を離す。つきだした手で肩を押した。
とにかく、離れたいの一心だった。
「……綾音?」
敦司が、不思議そうにあたしの顔をのぞきこんでくる。せっかく離れたのに! と心の中で叫んで、あたしはぶんぶんと首をふった。
「待って。待って!」
近づいてくる肩をぐっと押して、あたしは敦司と腕一本の距離をとる。必死なあたしの声に、ようやく彼も接近をあきらめてくれた。
「……どした?」
頭を撫でられそうになって、びくりと身体が反応してしまう。敦司の顔を見れなくて、あたしはひたすらうつむいていた。
放課後。誰もいない教室。外から運動部の声が聞こえてくる中。夕陽がさしこむ窓にもたれかかって。二人でたわいもない話をして。
手なんかつないじゃって。お互いの肩が近くにあるわけで。
付き合ってるんだから、そういう流れにもなるわけで。
……でも。
「ほんとに、キス、するの?」
かすれる声をどうにかふりしぼって、あたしはちらりと敦司を見上げる。隣にいたはずの彼はいつの間にかあたしの真正面に立って、窓枠に手をつき完全にあたしの逃げ場を封じてしまっていた。
「……したくないの?」
「いや、別に、そうでも……」
やっぱり、顔が見れない。なにより、目を見れない。次第に近づいてくる敦司が、そんなあたしを見てくしゃりと笑った。
あ、やばい。思ったと同時に、押しのけていた肩が近づいてくる。あたしの抵抗する力なんて、彼にとってはなんの障害にもならなかった。
顔が近づいてくる。唇が近づいてくる。敦司の吐息が、あたしの鼻先をかすめる。反射的にまぶたをとじた。
キス、される。
「――い、や、だ!」
あたしは、叫んだ。
●
付き合おうと言ったのは敦司のほうだった。
高校に入学して同じクラスになって、すぐに仲良くなったのが敦司だった。一緒に話したりするのがすごく楽しくて、あたしも敦司が嫌いじゃなくて、むしろ好きだなと思ったから付き合うことにした。
ロマンチックな告白はなかった。ただ、話の流れで『付き合わない?』と言われて、あたしもあっさりと『いいよ』とうなずいた、そんな簡単なやりとりで決まったことだった。
別に付き合うっていったって、今までとあまり変わらなかったし。まわりの反応も今までと変わらなかったし。変化といえば、話す距離が近くなったり手をつなぐようになったりしたぐらいだけど、別にそれに対して抵抗なんてまったくなかったしむしろ嬉しかった。
でも、キスだけはだめだった。
結局あの時、あたしはキスする直前で、叫びながらしゃがんで床にうずくまった。右も左も逃げ場がなくて、それでもよく下を思いつけたなと我ながら感心するけど、それぐらい頭が必死だった。
あたしの全力の抵抗に敦司もさすがに身を引いたけど、ほんとうに、あの時のあたしは必死だった。あれほど敦司から離れたいと思ったことはなかった。
「……ばかだね、綾音は」
「言わないで」
直球すぎる言葉に、あたしは机につっぷした。
勢いよくいきすぎて、がたんと揺れた机の上でコーヒー牛乳のパックがぱたりと倒れる。ほとんど空だったから、ストローから中身はでてこなくて。それを無言で直してくれる侑ちゃんに、あたしは昨日のキスの顛末をすべて相談したのだった。
ほんとうは、帰りに敦司に家まで送ってもらって、部屋にはいってすぐに電話で相談したかった。でも侑ちゃんにはつきあいの長い年上の彼氏がいて、放課後からデートすると聞いていたから遠慮した。登校一番に話したかったけど、侑ちゃんがものの見事な遅刻をしたので、落ち着いて話ができたのは昼休みになってからだった。
お昼ごはんはいつも、敦司と食べている。でも今日は敦司が委員会の日なので、いない。なんて素敵なタイミングと思いながら、あたしは黙々と小さなお弁当をつつく侑ちゃん相手にえんえん語り続けた。
そして言われたのが、ばか。