鈴子の微笑み
翌日、12月と思えないほど暖かい。
空は晴れ渡っていた。
昨夜の積雪が煌めいている。
聖は
午前中は薪割り仕事を頑張った。
真冬に備えて今のうちにと。
「シロ、俺気分最高」
主な目的は宴会。
ブランデーの瓶と
缶詰数個持って。
白衣の上にダウンコートを羽織って
いそいそと
シロ連れて山田動物霊園を目指した。
事務所の前で、シロは林の中へ駆けていった。
桜木の犬、アリスが居たのだろうか。
どこ?
と立ち止まっていると
聞き慣れたオートバイの音。
丁度、結月薫も来た。
同じく、酒や食料を携えて。
「見覚えあるような、ないような」
佐々木のサングラスもマスクも外した画像に
桜木は、
会ったかどうか断言できない。
「事件の、ずっと前ですよ。……夏です。えーと、買い物に行く(軽自動車で)途中で
橋で見たんです。歩いていました。似た感じの人だった」
「へっ? あの橋を、歩いてたんか」
先に動物霊園しか無い。
バス停のある県道から徒歩だと30分以上。
霊園の客は車でしか来ない。
「自殺するつもりで山に入って来たのかと。雰囲気が暗かったので」
桜木は、その男が気になり
手短に買い物を済ませ、霊園事務所に戻った。
「霊園と辺りの森を見回りました、『誰か居ませんか』と声を掛けながら」
1時間ほど探したが見付からない。
そして事務所に戻ると
男はそこに、事務所の前に居た。
アリスと一緒に。
まるで自分の帰りを待っていたかのように。
「何か、喋ったん?」
薫はメモを取る態勢。
「質問されました」
「墓地の事か? 見回りはどうとか。いや、待てよ。夏やねんな」
小山の動画が流れる前、だった。
「一番最初は、確か『君、高卒?』でした。第一声が」
「なんや、それ。いきなり学歴確認か」
「そうでした」
「ほんで悠斗、変な奴やと思って無視した?」
「いいえ。聞かれたから『はい、そうです』って自分が答え……」
悠斗は、一生懸命思い出している。
「次が、『で、何らかの資格を目指して勉強してる?』でした。
それには『いいえ』と答えました。
そしたら『知的レベルが低そうだね。君、それじゃあ見た目良くてもホストも勤まらないか。だから動物の墓守なんだ』と。笑っていました。
自分は『はい、その通りです』と答えたかな」
男は笑いながら背中を向け、去って言った。
「何、その会話。失礼にも程がある」
聖は聞いていてムカムカしていた。
「無礼通り越して、異常やで。……佐々木ではないかもな」
佐々木は温厚で真面目な男で在ったはず。
残忍な人殺しではあるが、初対面の他人を愚弄するような
イメージは無い。
「だっけど、桜木さん、よく冷静に対応したね。俺だったら無理」
「ほんまやで。悠斗は殴りたい気持ちを抑えたんやな」
「いえ、そうじゃないです。自分は、安心していたんです。
木で首吊ってるんじゃないかと、
違っていてほっとしたんです。
喋ってる顔が橋で見た時と違って生き生きしてた。
目なんかギラギラしてたし」
「情緒不安定な奴やったんかな。何を思って長い距離あるいて此処に来たか、
本人にしか分からん衝動があったんかな」
「分かりません。あ、思い出しました。感じが悪かったのは、あの人の、手、ですね」
「手?」
聖は過敏に反応する。
悠斗に<人殺しの手>が見えるとも思えないのに。
「喋りながら手が動くんです。目の前で手をゆらっと、動かすのがイラッと、しました」
「手を、ゆらっと?」
薫が身を乗り出す。
「悠斗、それ再現できる?」
「どうかな……(手を動かす)こんな感じ。あの人の癖でしょうね」
「それや、その妙な動きや」
薫の尻は椅子から浮く。
「俺が『みちよ』で見た、紫の手や。1回見たら忘れられん、奇妙な動きや。
その男は佐々木やで」
「本当に?」
聖と桜木が同時に驚きの声を発した。
「佐々木は夏に奈良に来ていた。時期的に一致する。
修学旅行の思い出に導かれ、感傷的な旅やったと。
余命短いと知った若い男が、旅の最後に自死の予定、
あり得るな」
「桜木さんの最初の見立てが当たっていたと?」
「そうや。佐々木は死に場所探して山に入った。ところが気が変わった。自殺中止や」
「あ……山で神の声を聞いたと仲間にライン送ってたんだよね。
それってこの山? だけど時期が合わない。小山の動画はまだ見ていない」
(今日、お告げがありました。
奴を殺せと。
裁くのだと。
神の声が聞こえたのです
山で言われたのです。
死にかけの俺に
声は毎日、毎日、
奴を殺せ
お前の仕事だと)
「聖、これやろ。時系列があやふや、やんか。
今日山で奴を殺せとお告げを聞いた、と解釈すれば、
声は毎日奴を殺せ、は矛盾してるやろ。
言葉を足して整理してみると……」
今日(も、頭の中に)お告げがありました。
(最初に)山で言われたのです
(人間のクズな)奴を殺せと
①佐々木は夏に山に自殺しに来た。
②神の声を聞いた、らしい。(幻聴?)
「死んではならぬ、お前には大きな仕事が残っている。人間のクズを処刑するのだ」
(小山を殺せとは言われていない)
③お告げを聞いたショックで人格に変化が起こる。
④超人になった気分で桜木に高圧的態度。
(この時、桜木をクズと判定すれば殺そうとしたかも)
⑤殺すべきクズを物色
⑥評判になっている小山の動画を見る。そして「みちよ」の提灯に目が留まる。
小山の居場所を知っているのは
偶然ではなく神の意志だと解釈する。
⑦声は毎日「殺せ」と頭の中に響く。
症状は悪化。死が近い。
動ける期限が迫っている。
⑧奈良に数日滞在する日を決める(宿を予約)
⑨SNSで知り合った同じ境遇の友人達に
自分の仕事を見て欲しいと思い、誘ってみる。
5人が待ち合わせ場所を聞いてきた。
「ここからは遠足気分やろな。ワクワクして計画立てたんやろ。
そうや、生首をどっかに晒したろか。人目に付かずにさっと置けて
すぐに見付かる場所……あ、動物霊園はどうか?
畜生のような奴にふさわしい。
これは俺の推理にすぎない。事実は不明や。
悠斗の会った男が誰か証明する手立てがない。
見物人以外の共犯者が出てくれば見逃せないが
犯行をそそのかしたのは『神の声』に違いないやろ」
「犬を放し飼いにしていたから、此処は外したんですね。
それは助かりました。墓に生首なんて……
この山が、怖い場所みたいな、マイナスイメージ付いちゃうから」
悠斗が言う。
「いやいや、今更、生首の1つや2つ、」
と薫。
「あ、五時ヤンか。悠斗勤務時間終了や。サア、飲むで」
持参のワイン、つまみをテーブルに並べる。
桜木はグラスを出して来た。
場は宴会に変わった。
薫は、赤い顔して良い気分で、
「ここは<首斬り紀一朗>の小屋やってんで、」
と、語り出す。
「赤い橋で、女の首無し一体、セイの橋でもワイヤーで首飛んだ。
ほんで、あれもあったな、河原のバラバラ死体。解体現場はこっから近かったな」
薫は山で見付かった惨殺死体を指折り数え始めた。
「カオル、やめなよ。桜木さんにわざわざ聞かせなくていいよ」
「わかってるやん。悠斗は、ほらさっき出て行ったやんか」
「そうなの? 外に居るの? なんで」
聖は入り口に背中を向けて座っているので
悠斗の静かな動きに気付かなかった。
「丁度ええ時に、来たみたいやな」
山田鈴子が入って来た。
桜木は外に居て鈴子のためにドアを開けたようだ。
鈴子は両手に大きな紙袋を提げている。
「こっちは、押し寿司、こっちは珍味セット、やで」
山田不動産に届いた歳暮のお裾分け、らしい。
「社長、どうぞ、此処に座って」
薫は尻をずらし、鈴子の為にスペースを空ける。
その時に、テーブルの上のグラスに身体のどこかが
当たった。
赤ワインが聖の膝にこぼれた。
白衣が赤く染まる。
「あ、社長、此処にどうぞ」
聖は立ち上がり、汚れた白衣を脱ぎながら言った。
鈴子は
「アカンねん。ウチ、今晩は三宮で宴会やねん。
残念やけど……」
と言いながら、視線は聖に。
聖の背後に。
「えっ?」
聖はビクン、とする。
だって、鈴子の目つきが変だ。
まるで聖の背中に何かを見つけたように。
「あの……社長、僕の背中になにか?」
聞いたときに、
まだ恐れはなかった。
「あ、いや……兄ちゃん」
鈴子は、少し考えて
聖だけに笑顔を向けた。
見た事も無いような
はにかんだような
少女のような笑顔を
「社長?」
何か説明が欲しい、
なんで俺の背中を見つめ
解釈不能な謎の微笑か?
「沢田さん(運転手)待たせてるから、行くわ」
鈴子は、桜木に(あとはお願い)と声を掛け、
出て行った。
「押し寿司、美味いわ。上等やな。セイも食べや」
「セイ、さん?」
「セイ、はよ座りいや」
聖は暫し、薫と桜木の声が聞こえなかった。
鈴子の奇妙な微笑みが、
何を意味しているか
気がついてしまった。
俺の背中に死の影をみたとか?
まさか。
なんで、まさか、なんだ。
あの人の様子から
他にどんな理由が考えられるんだ。
無い、じゃないか。
自分に死期が迫っている、
そんなワケないと。
俺の願望が導く解釈に
合理性は無い。
鈴子に死を予言する力が有るのは
自分が誰より知って居るでは無いか。
ああ、でも
黒い影は薄く
後に死を逃れた例も有ったはず。
「白衣着てないセイって、なあ、」
「まあ、そうですね。初めて見たかもしれない」
「白衣を脱ぐと面白いコトになるんやな」
「まあ、それは今日だけですから」
薫と桜木は
上機嫌で仲良く喋っている。
聖は適当に相づちを打ちながら
胸の奥に湧いた不安の塊が
次第に大きく重くなり、
やがて恐怖にかわるのを
感じていた。
「カオルさん寝ちゃいましたね。
自分がちゃんと朝ご飯食べさせますから」
桜木が自分に言っている。
コートを背中にかけてもくれる。
「スミマセン、って俺が謝るのもへんだけど」
自分が答えている。
そして、
桜木にサヨナラを言い、
………外は、三日月。
実は夢では無いか。
見慣れた世界が
ひどく遠くて
いちいち優しく美しすぎる。
「シロ、帰るよ」
呼べば、すぐに来た。
聖はふわふわのシロの身体に
触れるのが怖い。
触れて温かさを感じたなら
夢の中じゃない、リアル世界だと
確定してしまう。
鈴子に会ったのも夢じゃ無いと、
死の宣告を受けたのだと、
受け入れたくない。
今すぐは無理。
夢かも知れない。
それが唯一の希望。
いや、きっと夢だ。
だって、ほら、
こんな処に山羊が、いるぞ。
事務所の窓からの明かりに
浮かぶ
一匹の山羊のシルエットを見た。
(俺の夢に山羊が登場、有りそうだ)
聖は、家を目指して、森の中を歩き始めた。
途中で、目が覚めて、なあんだ、と。
そうなるかも。
しかし、我が家へたどり着いた時には
残念ながら夢では無いと……。
「セイ、どうしたの?……お酒飲んだのよね?
顔色……変だよ」
マユは帰りを待っていて呉れた。
そして真っ先に<心配>の言葉。
「マユ、聞いて」
恐怖に縮こまって機能していなかった
理性が考える力が蘇ったのを自覚した。
マユの顔を見ただけで
安心したのだ。
何が起きるか知らないが
もうすぐ死ぬ運命らしいけど
今は側にマユがいる。
「何かあったのね。ゆっくり話を聞くから、先に部屋を暖めましょう」
顔色の悪さは体調の悪さだと
マユは思ったようだ。
「そうだね」
聖は石油ストーブ2台に着火。(薪ストーブは時間が掛かるから)
「アルコールもいいかも」
「そだね」
温かい酒が欲しい……焼酎のお湯わりかな。
温かい部屋。
馴染んだ柔らかいソファ。
隣にマユが座っている。
シロは足下で寝ている。
「で? 何があったの?」
「ああ。さっき山田社長に死の宣告を受けたよ」
「えっ? 死の宣告、ってまさか、そんな」
マユの顔に同情は無い。
間違った話を聞いた顔つき。
「まさか、と思いたいけどね。本当なんだよ」
「話が見えないわ。一体山田社長はセイに、どう言ったの?」
「言葉にしてくれなかった」
「何、それ?」
「だから、さあ」
鈴子が聖の背中を凝視して
謎の微笑みを浮かべたのだと、
一部始終を話した。
「始まりは背中を見た、ね」
マユは、まだ哀れんでは呉れない。
鈴子の力は承知の筈なのに。
「セイ、立ってコート脱いで。もう寒くないでしょ」
「ああ」
マユに従う。
「あっち、向いて」
「えっ?」
「私が背中をチェックするから見せて、って事」
「? ……あ、はい」
マユも霊界の人だから、
死の影が見えるのか?
「ふ、ふふふ。はは」
笑ってる?
どうして。マユは笑うの?
「は、ははは……」
口開けて
中学生女子みたいに大胆に
笑ってる。
「マユ、なにがそんなに笑えるの?」
意味わかんない。
早く教えてよ。
「セイ、私。無理。笑いすぎて可笑しくなりそう。身体が爆発して砕けそう」
と。
「砕けないでよ」
「今日はもう無理。持たないわ。はは、っは。」
「だから、なんで笑うの、俺の背中見てくれたんだろ」
「セイ、自分で見てよ、鏡あるんでしょ」
マユが消えた。
どうしてだか
フフ、と笑いながら消えた。
「鏡……背中を映す鏡、か」
2階の寝室に行く。
クローゼット、扉の裏に大きな鏡が。
「お、おーーつ」
自分の後ろ側。
目に入るなり、叫んでいた。
ズボンの尻部分の縫い目が解けて
なんと、尻が見えている。
「肌色のトランクス?……いや俺の尻だ」
触って確認。
「なんで?……どうゆこと?」
適当に選んで履いた
ストレッチ素材で黒のスリムパンツ。
そいつの尻の部分が大きく開いていた。
それならば、はみ出すのはトランクス、でしょ?
トランクス、どこに消えた?
まさか、俺、履くのを忘れた?
いやいや、それはない。
今も……ちゃんとトランクスは存在する感じ。
念の為確認し、謎は解けた。
トランクスも尻が縦に破れていたのだ。
思い当たるのは今朝の薪割り。
「あの時、ズボンが突っ張って……それでも片膝立てて……」
事実が明白になったところで
<もうすぐ死ぬ>
恐怖は去り、
マユみたいに笑いたいが笑えない。
人ごとじゃ無いので笑えない。
鈴子とマユに尻を見せるなんて
なんと恥ずかしいミスか。
鈴子は(背中)とは言ってなかった。
(尻見えてるで)とは、言いにくかった。
そういえば、薫も
白衣を脱いだら面白い、
とか言ってたっけ。
恥ずかしい。
やっぱ恥ずかしすぎる。
今更どうしようも無い。
早く忘れたい。
何か考えるんだ
頭から(尻)を消去したい。
あ、そうだ。
……山羊を見たんだ。
「山羊が居るはず無い。居たのは桜木さんの犬だ。アリスだろ」
しっかし、山羊だった。
「まてよ、結局アリスに会ってないんだ」
晒してしまった尻のことより
まだ見ぬ犬の事を思おう。
聖は明日
アリスを見に行こうと決めた。
汚れた白衣を置いてきたようだし、
訪問の口実はある。
犬、に心は弾んだ。