5 荒野
すぐにネルガル祭司に知らせようとしたけれど、祭司が閉じこもった火葬場は裏口も表の入り口も全部に内側から鍵がかけられて、いくら呼びかけても返事はなかった。
右手首のマルチリストでロボンヌに通信しても無反応。
修理完了はいつになるやら。
アタシはといえば護身用のショックガンを持っていたことを今さっき思い出したばかりってゆー体たらく。
……アタシが助けに行くしかないかぁ。
リダくんにはまだ逢ったことはないけれど、若いながらも責任のある立場についてて、弟分たちの信頼も厚い。
そんな人物が怪我を押してたった一人で怪物に挑むっていう流れからして、リダくん、絶対にイケメンだもん。
巨大ニワトリを倒すのは無理でも、リダくんを連れ戻すくらいはしたいもんね。
集落を離れて。
火星の景色はアタシが地球を出る前に資料で見たのとあまり変わらなかった。
つまり最後の通信から百年近く経っても地球化は大して進まなかったのだ。
計画されていた見渡す限りの農園も湖も見当たらない。
畑があるのは城壁の中だけ。
火星本来の赤い大地で、人工大気の風だけが地球の真似事をしていた。
巨大ニワトリの巣があるのは、集落の西だと聞いている。
アタシのロケットがあるのは北西。
西へ向かうはずの足は、次第に北へと曲がっていく。
「そっちじゃないよ!」
不意に声がかけられて振り向くと、フオシンくんがアタシの後ろに勝手にこっそりついてきていた。
「えへへ」
照れくさそうにモジモジし。
「ぼくが案内するよ!」
アタシの前に立って歩き出す。
あー、これはもう逃げられないわー。
……正直アタシには、すでに死んでいる人間の腕一本のためにそこまでするなんて理解できないんだけど……
宗教なんてそんなものなのかしらね。
「もうすぐだよ。あの丘を超えた先が、ニワトリの巣」
フオシンくんが足を止め、まだ距離があるとはいえど声を潜めた。
ここまでの道にリダくんはいなかった。
怪我をしてるって話だし、どこかで倒れていたのに気づかず追い越してしまったのか。
あるいはすでにニワトリの手にかかって……
いやいやいや。いろいろ諦めてどこか遠くへ逃げてたとしても文句は言うまい。
天使アリスの名において許しましょう。イケメンならば。
っと、そういえば……
「火星に集落ってほかにもあるの?」
「ないよ。あ、じゃあ、地球には人が住んでる場所がいっぱいあるって本当なんだね!」
「まあ、ね」
「いいなあ! ぼくも早く行きたい!」
おいおい。
あんたらにとって地球は死後の世界でしょうが。
戦いを前に縁起悪いなぁ。
アタシのロケットは一人乗りだし。
「いつか、ね! ずっと先よ!」
丘の上から覗き見る。
その先には意外や意外、緑の林が広がっていた。
森というほど木々が密集しているわけではない。
だからこそむしろ暮らしやすい。
中心には小さな泉。
赤いのは空を映しているからで、水自体は澄んでいる。
そんな土地を、巨大ニワトリの群れが独占していた。
おんどりとめんどりが三羽ずつに、ひよこが十羽ほど。
緑があれば虫もいるのか、しきりに地面をつついている。
のどかな光景だった。
縮尺さえ狂っていなければ。
雨が降らなければ屋根もいらないのだろう。
木陰に組まれた枝のベッド(小枝と呼ぶには大きな枝!)の数からするに、この群れの巨大ニワトリの成鳥は、今いる六羽で全部のようだ。
人類がニワトリを家畜にしたのは、紀元前四千年という説もあれば、一万年という説もある。
卵のときに親と離される境遇を、数えるのも馬鹿らしいほどの世代で重ね、それでも受け継がれた本能で、待ち続けた人間への反逆。
目的を果たして用済みとなった本能は、生き物を奇行へ走らせる。
巨大ニワトリに持ち去られた教王の腕は、枝のベッドのうちの一つに、きれいな色の石ころや、初期の入植者の遺品と思しきプラスチック製品のかけらと一緒に、飾りとして突き立てられていた。
これは……トロフィーだ。
教王の腕を奪った理由は、人類への恨みなんかじゃない。
巨大ニワトリは、スポーツ・ハンティングの成果を仲間に自慢しているのだ。
フオシンが奥歯を噛みしめる。
「落ち着いて。まだ動いちゃダメ。夜になるのを待つのよ」
アタシは冷静を装った。
自信満々で、しっかりとした作戦が、ありそうなフリをする。
実際のところは巨大ニワトリがこんなにいっぱいいるなんて思ってなかったし、ニワトリなんだから夜になれば寝てくれるだろーとゆー淡い期待に賭けるだけ。
そうね、理想の形としては、抜き足差し足忍び足、巨大ニワトリの巣に近づいて、教王サマの腕を掴んできびすを返し、アタシたちが安全なだけの距離を取るまで巨大ニワトリは一羽も目を覚まさない。
それをありえないこととする理由なんてないわけよ。
いやむしろじゅうぶんありえる!
そうならないワケがない!
……これといったアイデアも出ずに時間だけが過ぎるうちに、だんだんとこんな気分になっていった。