「現在(いま)」を旅する
母の実家に行った時にいつも言われていた言葉は、一字違わず、音の高さまでも覚えている。
「よーぉ来たのぉー。ほれ、早よ上がりんさいや」
鋭い方言は、いつも和らかく私を迎え入れてくれていた。
私の祖父は、とにかく旅が好きな人だった。
しかし祖父は記念の物を持たない人で、話をせがむことでしか旅について知ることはできなかった。
その上祖父は、いつ、どこを旅したのかをほとんど明らかにしないまま、できごとだけを話していた。
「世界は今だけと違うてやな。
昔にも先にも広がっとって、全部観て回るにはちと大き過ぎる。
じいちゃんはやね、今の世界だけを巡るゆうて決めとんのよ」
かつて、幼心にそのことを尋ねた私にそう声をかけた祖父は、けれども過去に魅入られてしまった。
米寿を迎えてなお、時折旅行に出かけていた祖父。
「旅に生きた生涯、旅ん中で死ぬるのが良えわぃ」
とは、周りが制止する度に言っていたことだ。
そんな祖父に、何故それほど旅が好きなのかと尋ねたことがある。
「昔じいちゃんはね、世界中飛び回って建物造る仕事をしよったんやけんども、そん間はあんまり忙しゅうて、なーんも見んまんまであっちやらこっちやらへ動き回りよったんよ。
ところがやね、一遍、行くことになっとった辺りで戦争が始まって、飛行機が出られんようになってしもうてやね。
次ん行き先が決まるまで二、三日、せないけんことものうてやねぇ、そこいらをほっつきよったんよ。
ほんで、街ん人らにえーらい良うしてもろうてやね、そん時じいちゃんは『なーしてこがい良ぉしてもらえよんのやろか』ー思て訊いてみたんよ。
ほいたらやね、『良ぇ仕事してくんさったんや、そりゃ当然やわい』ゆうて返ってきてやねぇ。
そん時ゃあ『じいちゃんは仕事しよっただけやのに、そがいな事に感謝してもらえるたー思わなんだ』ーてびっくりしたんやけんどね、じいちゃんの仕事がちゃーんとありがとー思ぉてもらえとんのが嬉しゅうなってな。
前、仕事しよったところも見たなったんよ。
ほんでちぃと仕事の空いた時に、旅行するようになってやな、気ぃついたら旅のが好きんなっとった」
そう語った祖父の懐かしげで優しい顔つきを、今でも覚えている。
それがいつの事かも、どこであった事なのかも終ぞ知らない。
けれども、私はそれで良かったと思っている。
過去への旅は、私の信条に反する行為だ。
現在、祖父が生涯焦がれ続けたモノを、私は私のやり方で追い求めている。
過去を旅する祖父に、良い土産話を持って行くために。
きっとその時には、こう迎えられるはずだ。
「よーぉ来たのぉー。ほれ、早よ上がりんさいや」