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上海綺譚  作者: 古時灯葉
3/17

セーマ

セーマの生まれ故郷である遙か北の国が戦乱で焼けて早数ヶ月。


遠く遠くへ逃げるために、南に南に旅を続けて最近開けたという港町にたどり着くころには季節が変わっていた。


夜が更け、持ち出してきた路銀も少なくなり、泊まる場所にも困っていた彼が目についたのは、地平の果てまで真っ黒になった海の果てと、港に停泊している船。


船の近くには人の気配はなかった。冷たくなり、肌を刺す空気を嫌ったセーマは船に忍び込み、姿を隠すと、温い雰囲気のまま寝入ってしまった。


再び目が覚めたときは、今まで経験したことがない揺れに襲われている最中だった。


足下さえもおぼつかなく、どこが頭なのかわからないほどに揺られながらも、寝床にしていた箱の中に縮こまり、ただ時が過ぎることを待っていた。


海に揺られているのか、それとも慣れたのか、そのような感覚がなくなって、ようやく船の底から頭を出す。


人の気配に注意しながら、外に出てみると、セーマが目にしたのは見知らぬ場所だった。


忍び込んだ港ではない。むしろ、豪華だった。


多くの船が所狭しと泊まっており、目の前には、今まで見たことがないような高さ煉瓦積みの建物が視界の右から左にずっと並んでいる。


見慣れない顔立ちの人間が当然のように歩き、粗末な衣服に身を包んだ屈強な男たちが船から建物へむかって積み荷を降ろしている。


波の音と男たちの足音よりも、セーマを驚かせたのは、人だった。


陽に透かしたような金色の髪を持つ、肌の白い異人が我が物顔で歩いている。

セーマのような髪の色を持つ人間もいたが、今までに出会った人とは違ったような雰囲気をまとっていた。


がんがんに揺れる頭。セーマは足をよろめかせながらも、船着き場に降りる。


真っ青な晴天の下、眼を右に左に走らせる。


見たこともないような光景はそれだけで、毛を逆立てた猫のようにさせる。


幸いにも、男たちは己の仕事に夢中で、まるで部外者のセーマを見とがめる人間は誰もいなかった。


(どこだ? ここは?)


故郷から逃れるように南、南へと歩みを進めた。


それが一番手っ取り早いからだ。


かつての都にたどり着いたときも、かつての賑わいは失せたとはいえど、その雑多さに言葉を失い、近年外国との窓口となって開かれた宿場町にたどり着いたときも、故郷では見ることないような瀟洒な建物を目の当たりにして、圧倒された。


だというのに。


まるで巨人につまみ出されたようにたどり着いた場所は、今まで見てきたモノよりもずっと、セーマを圧倒させていた。


(ここが、西の台所、だっていうのか?)


好奇心よりも困惑が青馬を襲った。


彼の計画では、南に向かって、そして西に向かう。


噂に聞いていた関所と山を越え、霊峰を仰ぎ見て、西へと向かう算段だったからだ。


予想よりも早く、西の台所と呼ぶべき場所にたどり着いた。


とはいえ、都のはずであった場所よりもずっと発展しているとは。


(でも、逆に好都合だ。追っ手をまけた。俺はまだ生きていられる)


それを思うと、胸がかっと熱くなる。


まるで熱したての鉄のように煌々と赤く光るのだ。


思い出すたびに、仄暗い感情が胸の中に渦巻くというのに。


(『君だけでも生き延びなさい。そして生き延びた後の時代を目に焼き付けて、土産としてやってきなさい。君がやってくるまで、私は何年でも待ち続けるよ』)


そして、すぐ後に。


まるで冷や水を浴びせられたかのように思い出す。


どうして俺だけが、という念。


(わかっているよ。


それが、俺の使命なんだろう? 先生)


奥歯をかみしめることで、ほんの一瞬の激情を鎮める。どんなことがあろうと、前に進まなければならない。


でなければ、仲間たちの思いに裏切ることになる。


腰に携えた、鞘と刀の重みを感じる。


それは、セーマの分身であり、忘れ形見。


思いを飲み込み、セーマは一歩を踏み出そうとして。


そのとき、セーマの腹がぐうとなった。


船に密航として忍び込んでから今まで、何も食べていなかったのだった。

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