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カルローナ物語  作者: 波井 最中
清濁絡み合う世界
9/15

八話

 ロノウェ家の騒動から数日後。

「お久し振り、と言う程でもないですね」

「挨拶はいい。すぐに話を聞かせたまえ」

「そうよ、聞かせなさい」

 ベリグレンテの両人は以前よりやつれたように覇気がない。部屋の中の装飾もいくらか減っただろうか。使用人も減っている。流れてくる噂では、奴隷たちすら養えず、裏の奴隷商人に比較的安く買いたたかれたという。

「一つ聞かせてください。あれは一体どういう意図があったのですか」

 男は語気荒く、前のめりになる。

「あれ、とは何の事かい」

 ベリグレンテ子爵、ジャックスは骨ばった指を顎に当てる。

「私も知らないわ」カレルナ夫人。「私たちが雇っているのは貴方だけよ。これを見なさい。この私がこんな格好してまで金を工面して、やっと雇い続けられるのよ。法外な金で動く貴方たちを信用しているのに、貴方は信用しないの?」

「いいえ。我々は信用する市内の世界で生きてはいません。我々は全てを疑い、調べることまで必要とされ、それをスキルとして磨いてきました。故に、例え雇い主であろうと疑う事はおかしくありません」

「何のことか、説明を頼む。そういう契約だよね」

 落ち窪んだ眼を向けるジャックス。

「ええ、クライアントに従う項目の一つですね。畏まりました、説明しましょう」ふう、と息を吐く。「ロノウェ家に賊が入り込みました。あまりにもお粗末な人物で、金を渡してきたのはカレルナ夫人、貴女だというのです。正確には名前は言っていませんが、特徴が完全に一致しています。盗むこともせず、屋敷の中を走り回って混乱させるだけと言う不可解な行動。私に何かさせたいのかわかりませんでしたので、あまり動く事が出来ませんでした」

「なんだい。そんな人物に左右される程度なのかい、君は」

「どうですかね。この程度の事でも考えてしまう人物であることは間違いないですね」

「そんなことはどうだっていい。で、私の欲しい情報をよこしたまえ」

「そうよ。私のほうも」

 男は疲れた様子を隠すことも無く、薄汚れたソファの埃を立たせる。

「分かりました。まず、子爵のご依頼ですが、盗み出すことは難しくないでしょう。私と子爵の関係性を知られることのないように工作してあります。しかし、今回の騒動でそれも怪しくはなりました。確認は勧めますが、疑われることくらいは覚悟しておいてください。そして、御婦人のご依頼ですが、最近も相変わらず人との関りが非常に少ないですね。ですが、例の人物との密会は進んでいるようです。メイドたちから仕入れた話では、チューレリア様のもとに運ぶ食事量が増え、洗濯物が増えたようです。滞在時間も増えているようで。果たして、どのような関係性になっっているかははっきりしません。予測は可能ですが確信は得られないので、ここでは報告しません」

 ジャックスは何かを考えるため目を瞑りながら立ち上がり、壁に手を付き、瞼越しに入ってきたランプの灯りに見入る。

「そろそろ、手元に置きたくなってきたよ。ああ、君に会いたい。触れたい。君の香りを感じたい」

「ねえ、私のチューレリア様はどうなの。連れてこれそうなの?」

「それは分かりません。近寄るのが難しいんです。近付こうとすると、必ず邪魔が入るんですよね。私の動きが全て予測されているのではないかと言う程にね」

「それでも貴方はあの組織の人間? 高い金払っているのよ」

 汗なのか唾液なのか何なのか。よくわからない飛沫を飛ばし、男に迫る。

「私のほうも全力は尽くしています。結果は出す予定ですが、それでも計画的にいかないのが世の理」

「じゃあ、何、失敗しても仕方ないって言いたいわけ?」

「いいえ、そうではありません」

 男は蛇のように笑う。

「世の理すら利用する、それが我々です。ご安心ください。これからも引き続き、私の邪魔だけはしないようにお願いしますね。成功率に関わってきますので」

「貴族相手に何を生意気な」

 カレルナ夫人は苛立たし気に鼻息を鳴らす。

「金に見合う仕事をしなさい」

 カレルナは汚い麻袋を男に放る。

「今回も随分を支払いますね。良いでしょう。金に見合う仕事はしますよ。それが我々ですから」

 そのまま男は中身を確認せずに麻袋をポケットに乱雑にしまう。

 来る時と同じ裏道を通り、ベリグレンテ子爵の屋敷を出た男は、ニ三度左右を見てから、ごく自然な通行人に変わる。雪は降っていない。代わりに珍しく、お天道様が大地に温もりを降らせている。日の真ん中は綺麗に雪かきされている。周囲の店の店子がやったのだろう。まだ奴隷が数名残って、後片付けをしているのが視界に入る。

 男はふらふらと目的もなく歩きながら、先ほど雇い主に報告した内容について、改めて考え始める。

 確かにおかしいのだ。この自分の計画がばれるわけがない。あの屋敷で分かりそうな人物は、執事か衛兵長くらいか。他は普通の人。平々凡々な中に居れば、余程自分がへまをしなければ失敗しないという自負がある。しかし、実際はうまくいっていない。いや、正確に言えば思うように進んでいないと言ったところだろうか。自分に直接的な不利益はなく、やろうとしていることは問題なく遂行できる。

 男は自負と不安の坩堝の中で光を失いかける。そこで蜘蛛の糸を垂らすのは、彼の所属する組織だ。その組織に所属している事、自分のこれまでの実績が彼を掬う。

 腐った牛乳を嗅ぎ、前の頭蓋の裏側がなぞられるような気持ち悪さを誤魔化すように、背を向けるように酒場に入ろうとするが、えも知れぬ手の震えが扉に手をかけさせない。何かやり残しているような、それこそ外出の際に鍵を閉め忘れたような、よくありそうで、それでも膨らむそれは、酒で忘れられそうもない。彼は素直に屋敷に変えることを選んだ。今日の所は休んでおこうと、固く決意して。


 少し先に背の高い壁が見える。灰色の壁は街を囲む物で、それより奥に王城の頭が覗いており、それよりさらに奥にはカルロッテ山脈のモンテアルフィノがそびえている。モンテアルフィノの山頂は分厚い雲がかかりよく見えない。遠目にもわかる規模の雪崩が起きている。

 王都オーラスに、ほど近い所にあるこの村は、王都に暮らせなくなってしまった者達が集まって作り上げたもので、十数年前に領主が就くことが決定し、正式に国の管理する村となった。それまでは荒くれ者の集まりと言ってもいいくらいの暗々しい村で、もうあと何年かしたら念の為と言う理由で潰されていたかもしれない。

 この納屋は使われていない。まだ新しく、小汚い感じも見られない。持ち主はなぜ建てたのか。

「本日はどういった御用でしょうか」

 使われていない納屋に人物が二人。明かりは、ない。

 先に口を開いた人物は禿頭の男。眼球は黒目が潰れている。それでも瞼を開いている姿は異様だ。

「完遂まで合わない約束では?」

「邪魔が出た」

「ほう。貴方様ともあろう方が、邪魔が出た程度で私を呼びますか。暇じゃないんですよ」

 引き笑いをする男は酷く気持ち悪い。不快感を与える天才と言っても過言ではなさそうだ。

「邪魔と言いますと、敵、ですか」

「違う。同業だ」

「ほうほうほう」

 男は背負っていた荷物から、組み立て式の木椅子を取り出し座る。

「それを消してほしいという事でしょうか。いや、でもあなたは最初に言いましたね。この仕事は一人でやると。まあ、それにしては既に人を使っているみたいですが」

「必要だった。修正には」

「失望しましたよ。私の知っている貴方は絶対的な存在だった」

「こいつを調べろ」

 男の足元にひらりと落ちてきたのは、小さな布切れ。そこに書いてあるのはある人物の名前。

「畏まりました。御心のままに」

「任せた、狂信者」


 場面は戻って、ロノウェ子爵邸に。今日も門番は若者とベテラン。

「暇ですね、ワルトロ先輩」

 ランドはポリポリと襟足を掻きながら、片手で握っている長槍に体重を預ける。

「そう、だが。昨日の侵入者の件もある。気を抜いているところを見られると小言を食らうぞ」

「およ。先輩は意外と優しいです?」

「さぼれる時はさぼる。人と時を見てやるのがうまく生きるコツだよ」

「へえ。まあ、そうですね」鼻をすする。「先輩は休みの日は何やるんすか」

「休みの日か。酒飲んで寝るくらいか」

 うえ、とランドは顔を顰める。

「娼館は? 行かないんすか」

「行かねえな。別に差別するわけじゃねえが、娼婦は好きになれねえ」

「あういう所は気持ち良くなるために行くんじゃないですか。すっきりして、明日の糧にするんですよ」

「女を抱くときは愛するとき。愛の無えそれは、獣のそれだって思っちまう」

「そんな極端な。そこまで難しく考えない方が楽しめますよ。それこそうまく生きるコツですよ」

「俺はここからかなり離れた村の出身でな」

 ワルトロは薄ら雲のような息を吐く。

「農村、というか牧畜が盛んでな。農耕用の馬、牛を育てては売り捌いてた。より頑丈で力がある様に種を厳選して、強い種馬を長く生かしては、産ませるための雌を世話する。仕事だからな。仕方ないとは思っても、子供ながらにショックではあったよな。田舎の方だと若い男も女も少ないからな。よりいい村関係の為に使われる現実は嫌だった。だからこんなところにまで出てきているんだな」

「へえ。大変ですね」けらけら。「でもいいじゃないですか、気持ちいいなら」

「ランド、お前にとって一番気持ちいいってなんだ?」

「一番、ですか。簡単ですよ。初心な女の子に都会の味を教えてあげるんです。最高じゃないですか。ほら、真っ白な雪原って無性に汚したくなりません? 踏み込んでぐしゃぐしゃにしたいです」

 下品な顔で妄想に耽るランド。

「逆に先輩は何です?」

「俺か? 俺はそうだな。女が甘えてくるのが良いかな。この年になると甘えるって言うより甘えられることが多いけどな、そういうの悪くないって思うんだ。人間的でいいんだ」

「ああ、まあそういうのも良いですよね。何人かそういう子いただいてきましたけど、ほとんどが素直な子で後腐れなくて楽でしたよ。でも、中にはずーっと甘えてきて、だんだんめんどくさくなる子がいて、そういうのはお断りでしたね」

「そうか。おっと、少し口閉じろ。人が来た」

「およ? お客ですか」

 近付いてきた紳士はロノウェ家の門の前を通り過ぎていった。何人か用心棒なような男を引き連れていた。

「なんだ、違うじゃないですか」

「いやいや、違う。ここは貴族の屋敷ばかりだ。こんなところを通る人は何かしら偉いんだよ。それっぽくしてないと後で怒られるんだよ。何回かエルガーに小言を言われたんだ」

「ほえー。面倒ですね」

 ふう、と息を吐く。

「そう思うんだったら何故この仕事を選んだんだよ」

「なんででしょうね。楽に稼げると思ったんですけどね」

 ランドは壁に寄り掛かりながら天を見上げる。

「元々伯父の紹介で来たんですよ。伯父は商売人で、執事長と知り合いでして。貴族の屋敷なら余程の事がない限り面倒な事は無いって聞いていたんですよ。それなのに昨日は問題起きましたし、その所為で走り回るし、連日で寒い門番をやらせられるし。散々ですよ、全く」

「何というか。世の中を舐めているかと言うか。金も貰えて、屋根のある暖かいところで眠れる職場に入れるだけでも儲けもんじゃないか」

「いやあ、俺は元々そこから始まったんで。あんまりお得感が無いっていうか。もっとなんか欲しいんですけど」

 ワルトロは引いた目でランドを見る。

「なんだかな。まあ、それはそうと、そろそろ交代の時間だろう。最後気を抜くなよ」

「うわ、なんか今更そんな真面目っぽい事言われると違和感たっぷりですね」

 ランドはうげっと顔を顰めさせながらも、多少姿勢を正す。

「いいんだよ。交代の時くらい、ちゃんとやってる所を見せんと面倒だ。この時期歩いてる奴は少ない。昼間だというのに、さっきの奴らだけだろう?」

「うわあ、違和感消えました」

「何ふざけたこと言ってる。こういうのを処世術って言うんだ」

「何と言いますか、女の子たちが読んでる小説とかだと真っ先に死にそうですね、先輩」

「馬鹿にしてんのか。まあ、死ぬまで楽して生きられれば、後はどうでもいいだろう。拷問されて変に生き延びるより、パッと死んじまうほうが、かえって楽だ」

 屋敷の方から交代の衛兵がやって来る。二人とも冴えない若者と言った感じだ。

「どうも、ワルトロさん。お疲れ様です」

「交代です。ほら、もういいぞランド。さっさと中は入れ」

「あ、はいっす。じゃ、遠慮なく」

「おう、後はよろしくな」

 交代の衛兵が思い出したようにワルトロを呼び止める。

「なんかありました?」

「とくにはない。強いて言えば、一人身なりの良い男が何人か引き連れて、あっちの方に行ったな」

「別におかしい行動とかはないですよね。ほら、昨日の事もありますし、エルガーさんにきつく言われてるんで」

「まあ、そうだな。普通に歩いていった」

「了解です。呼び止めちゃってすみません」

「いや、仕事の内だ。後は頼む」

 そう言って挨拶をしてから、ワルトロは少し先に行っているランドの後を追う。

「なんだ、いつから先輩を置いていける身分になったんだ」

「いや、寒くてつい。体が勝手に、ね」

「このまま食堂に行こう。まだできてないとは思うが、簡単なのは貰えるだろう」

「そうっすね。最低でもスープは欲しいっす」

 兵舎の方へ向かっていった足を、兵舎と屋敷の間にある建物に向けた。

 兵舎と屋敷は繋がっている。その繋がっている場所に使用人や衛兵用の食堂とキッチンが併設されている。ここから屋敷の主人たちに出される食事も運んでいるのだ。

「おや、誰も居ない」

 まだ食事時ではない。奥の方から、木のまな板を包丁が叩く音が響いてくる。鉄鍋のガチャガチャした音も。

「声かければ誰かいるんじゃないですか」

「じゃあ、お前いってこい」

「しかたないっすね。いってきますよ」

 渋々といった様子でカウンターへと向かっていくランド。カウンターに腕を乗せ、乗り越えるように厨房を除き、誰か来るように声を張る。

 少ししてやって来たのは、小汚い前掛けをつけた少女の面影残る女性だった。

「ランドさんですか」

「おや、キニちゃんじゃないか。いやあ、嬉しいな」

 ランドはキニに出来るだけ近付くように、カウンターへ乗り上げる。

「今日もお仕事かい。お疲れ様」

「はあ、どうも。で、何の用ですか」

 キニはそっけないもので、その目は冷めている。

「ふふ、相変わらず冷たいな」気障に目を細める。「君の作ったものが食べたいな」

「仕事上がりですか。分かりました。料理長に言ってきます」

「待ってくれ。君の作ったものが食べたいんだ。他の誰でもない、君の」

 ランドは気障なセリフも恥ずかしげなく言いのけ、その顔は真顔だ。

「そ、そういうこと、いろんな人に言ってるんですよね。知ってますよ」

 キニは少し頬を染めながらも、口調はまだ固い。

「そんなことないさ。こんなことを言うのは君だけだよ」

「先輩たちが言ってますよ。あなたは女性にルーズな人だって」

「噂は噂、と言いたいところだけど、全部は否定できないな。確かに色んな女性と仲良くしてるよ。それでも、皆に真剣さ。特に、君は、キニは特別なんだ」

「そ、そんなこと言われても困ります」

「いいんだ。でも、俺の気持ちは分かってくれたかい」

「でも、本当に忙しいんです」

「分かったよ。困らせてごめんね」

 ランドはもじもじしているキニの手を取り。「今度、個人的に作ってくれないかな」と、まっすぐ目を見ながら言う。

「そ、それは」

「キニ。何してるの」

 厨房の方から声が聞こえてくる。

「また、今度」

 ランドの残した言葉から逃げるように、木には厨房の方へ小走りに戻っていく。

 ランドは満足げに顎に手を当てる。キニの後姿を見ながら、楽しそうに笑みを浮かべ、そしてワルトロの元に戻る。

「随分長かったな」

「いやはや、会いたかった人に会えたもので」

「よくもまあ、あんだけぺらぺらと嘘が付けるものだ。転職した方がいいんじゃないか。詐欺師とか」

「嘘なんか一つも付いてないですよ。全て本心です」

「あれだろ。君は特別だ、とか言いながら結局皆、特別なんだろ。あの娘の作ったものが食べたいってのも、近付くための方便。物は言いようってやつだな」

 呆れたように鼻を鳴らすワルトロ。

「いや、ほんと冗談じゃないですって。あの子に関しては本気ですよ。確かに、先輩の言う通り、他の子たちにも似たようなことは言ってきましたけど、キニに対しては本気なんです」

「それにしては滲み出る嘘の香りがしたがな」

「先輩に嘘ついてもしょうがないですよ。他の子は、まあ、遊びと言いますか、本気にはなってませんよ。喜びそうなこと言って盛り上げてあげるのも楽しいってだけでした。でも、本当に本気なんですよ」

「だったら、相手を選べよ。俺でも知ってるぞ。あの新人の子、もう好きな奴いるんだってよ」

「え、それ初耳なんですけど」

「嘘だろ。ほら、お前の先輩だよ」

「フィロ先輩っすか。うわあ、最悪だ。勝てねえよ。いや、でも待てよ。先輩は既婚者だし、その線で攻めればあるいは?」

 ランドは考え始めて、ワルトロの存在を忘れてしまったようだった。

 ワルトロは考える。もしも、本当に知らなかったのであれば本気なのかもしれない。それだけ本気になっているのだから、と。

「いや、それでも分が悪いぞ」

「分かってますよ。でも、あの手この手、考えれば尽きませんよ。今までいくらでもやって来たんですから」

 ランドは時折厭らしい表情を浮かべながら、口の中でぶつぶつと独り言を繰り返し始める。

 ワルトロはそんな彼をじっと見つめている。料理が来るまでもう少しかかりそうだ。何がある訳でもないのに時間がかかるのは、目の前の青年のせいではないかと考えながら、近くの椅子に座る。

 ワルトロは、彼自身がかったような人物で概ね間違いない。これと言った欲が無く、最低限不自由なく、面倒な気苦労も無く生きていければそれ以上を望まない。無欲と言えば聞こえが良いのかもしれないが、一方で変に達観した変わり者であるという評価を受ける。それだけに、目の前に居る若者に対して眩しいものを感じているようだった。自分が彼と同じくらいの年頃でさえも、ここまで何かを成したいと思う事も無く、ましてやそれをここまで大いっぴらに表現する事なんて無かった。良くも悪くも、自分にないものを持っている青年に感じるものがあるのだろう。

「そうやってあれこれ考えずにすりゃあ、な」

 ぼそっと、思わず出た言葉。だが、それをランドは聞き逃さない。そして、ワルトロの正面の席に着く。

「どういう事です?」

「ん、あ、ああ。いや何でもない。好きにやりゃいいさ」

「なんですか。教えてくださいよ。俺、馬鹿ですからね。言ってくれないと分からないんすよ」

 ワルトロは鼻から深く息を吐く。眉には皺。

「俺には関係ないだろ。勝手にやってくれ」

 急にそっけなくなったワルトロに、ランドは一息おく。

「わかりました。じゃあ、自分勝手に聞かせてもらいます。これならいいでしょ?」

「屁理屈にもなってねえもん、こねやがって」

 へへ、と笑うランドは甘えた少年のよう。

「あのなあ、俺はお前みたいに経験豊富ってわけじゃないんだよ。今までやってたようにすりゃいいじゃないのか」

「それじゃうまくいかないような気がするんですよね。もうできる事の大概はやってるのに、キニちゃんからの好感度は少し気になる人、程度止まりなんですよ。普通の、あれくらいの子ならとっくに落ちてるってのに」

「別に顔が良いってわけでもないのに女に事欠かないのはそういう事か」

「どういう事です?」

 ランドが更に尋ねようと、ずい、とワルトロに顔を寄せる。

 空気を読まない料理人がやって来る。

「話を邪魔して悪いが、飯だ」

 荒々しく出されたものは、パンとスープ。スープには親指の先程度の大きさの肉がいくつかと野菜が入っている。スープの皿の縁から少し中身が垂れている。

「ランド、とか言ったな。あんまりおいたするようなら、てめえのペニスをぶった切って肉詰めにして、レアで食わせてやる。分かったか?」

 無精ひげ蓄えた料理人の凄みはすさまじいものだ。ランドは思わず怯み、三度頷く。

 料理人はのしのしと去っていく。

「なんだよ。黙って飯よこせよな」

「そういう所だ」

「へ?」

 ワルトロは心底から出るものを吐き出す。

「分からないか。お前がどういう人間か、こんなところの人間にまで伝わってる。この屋敷ではあんまり悪さしてないみたいだが、外での事だって、女どもの情報は早い」

 スープの具を一口。

「いいか? お前の信用、信頼は底辺と言っても違いはない。若くて純朴なあの子だから、まだお前を相手してくれてると思った方がいい」

「じゃあ、どうすればいいんですか」

「俺だってな。別にお利口さんってわけじゃない。面倒なことが嫌いな人間だ。だからこそ思うんだ」

 すっと、フォークをランドに向ける。

「お前は気の良い男で、気さくで、一見何も考えていない軽い男に見える」

「中々手厳しいお言葉で」

 ランドの声が少し硬くなる。

「だがな、俺から言わせれば、お前は頭悪い癖にあれこれ考えまくって、計算で動こうとする。だからぺらっぺらに見えるんだ。はあ、最早説明するのも面倒だ。簡潔に、結論言うとな。何も考えるな」

 パンを食いちぎる。

「俺らみたいな馬鹿が考えたところで、騙せるのは俺ら以下の馬鹿だけだよ。もっと楽に生きようぜ」

 ランドは顔を歪ませ呆れを表現する。

「でも、それじゃ」

「自信ないからだろ」

「え」

「自分に自信が無いから考えて行動するんだろ。意外とな、そういうの嫌われるらしいぞ」

「そ、うなんすか」

「なんも考えず、アタックしてみろ。それでも駄目なら、酒くらいなら付き合ってやる」

「ワルトロさん」

 二人は気付いていなかった。ここは食堂であることを。壁に耳あり障子に目あり、とは異国の言葉だっただろうか。若干取り戻しがたい何かをころころ落としながら話を進めているのが、彼ららしさなのかもしれない。女たちは呆れていた。

 この後二人は食べ終わるまで、くだらない話を挟みながら食事を進める。何と言って気を引くのか、どういった格好で話しかけるか、誘うならば何処に行くのか。その光景はやんちゃな友人同士の様で、今まであった他人の壁は、いつの間にやら消え去っていたようだった。



 ロノウェ家本館。この屋敷の中庭は広い方ではない。所詮は子爵家。大した財産を持たぬ男爵よりは爵位が上とは言え、数の多い子爵家に与えられる報酬は特別高いとは言えない。加えて、ロノウェ子爵家は代々文官を輩出してきた。文官は安定した収入と、比較的安全であるというメリットがあるが、武官のように大きな功績をあげることが難しい。それこそ、国の危機的な状況を打破する案を出す、外交において自国に圧倒的に有利な条件を取り付ける等々こなしていかなくてはならない。更に、武官を出す貴族家に対し、昇爵も難しい。功績をあげることが難しい事は説明したのでこれ以上は蛇足だろう。さて、脱線したが、今ロノウェ家の中庭には奴隷が数人ほど働いている。いつもよりも少ないように思える。

 先日の騒ぎの後、エルガーは奴隷の中でも従順で優秀な者たちに衛兵の手伝いをさせることを提案した。単純に監視の目が増えることで、不審者などに対して牽制にもなり、この冬で暇を持て余している奴隷を満遍なく使えると考えたケラニスコはすぐに許可を出した。それにより、普段より中庭で作業する奴隷が少ないのだ。全体的に幼いか痩せ細っているかという雰囲気だ。彼らは優秀であるとは判断されなかったという事になる。これが後々どのような影響があるか、二重の硝子窓の内側から眺める者達には想像できない。

 中庭が覗ける背丈よりも高い二重の硝子窓がずらりと並んでいる横広の廊下。壁に何枚か絵画が飾られ、花瓶には季節の花が活けられている。センスは特別良いとは言えないだろうが悪いとも言えない。ここの主人があまり頓着しないことが表れている。

 男が廊下を歩いている。格好は比較的ラフな物だ。仕事ではないのだろう。

 男が廊下を歩いている。もう一人とは逆方向から歩いてきており、その恰好は衛兵の物だ。

 そのまま、二人がすれ違う。

「貴方は何者だ」

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