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カルローナ物語  作者: 波井 最中
清濁絡み合う世界
7/15

六話

 ロノウェの屋敷の空気が変わってきた。それは誰しもが感じている事。だが、言葉にできるほどにはっきりしたものではなく、できたとしてもしたくないのが心情だろう。季節的に変わるのであれば、春の訪れに戸惑う者はいない。しかし、まだまだ屋敷も震える寒さの中。休み時間に当たっている暖炉の火の光を見て、使用人たちは僅かな不安感を癒している。

 不安感を感じているのは誰よりもロノウェ自身かもしれない。今のロノウェはケラニスコだ。誰も入らないようにと言付けをし、あらかじめ食事を部屋の中に運び込ませたうえで、陽が昇る以前から執務室で落ち着かない様子で本を弄ったり、体を伸ばしたり。机の上の書類は、彼にしては珍しく進んでいない。庶民にとっては高い白紙も、国から支給される彼にとってはどうでも良いのか、はたまたそうでないのかは計り知れないが、ペン先が暗闇で迷っているかのような走り書きが幾線もある。

「旦那様、少し落ち着かれた方がよろしいかと思います」

 執事のシャルトは朝からケラニスコの様子を見ている。ケラニスコとの関係は、年数的には浅いのかもしれない。しかし、中身は濃密で信頼を得ている。そんなシャルトであっても、こんな主人の様子は初めてである。

「落ち着けるものならば落ち着きたいものだ。だが無理な相談だよ」

「何がそこまで貴方を追い詰めているのでしょうか」

「これを見たまえ」

 そう言ってケラニスコが差し出したのは一通の手紙。特別上質ではないが、庶民であったり裏の人間が使うようなものでもなさそうな紙に書かれているのは短い文章。

 ――奪われた一輪花 花粉は我が手 盗人には過ぎた一輪花 薔薇の泉を捧げる 時は来たれり――

「これは、随分詩的な予告文ですね」

「詩的だろうが何だろうが関係ない。私の物が狙われているのだ。既に何かしら手を付けられているかもしれん。私の可愛いルノ。愛しいルノを狙うのは誰だ。どう思う」

「ルノの存在を知るのはブルネロ子爵閣下と、ルノが旦那様の下に来るまでに落札しようとしていた人物ですかね。ルノは高級奴隷です。そこら辺の者が狙おうとするとは思えませんし、旦那様の下にいると確信しているかの予告文。他貴族が関わっているとしか思えません」

 ケラニスコは頭を掻きながら数名の貴族を思い浮かべる。

「ブルネロ子爵は無いだろう。趣味が違い過ぎるし、何より見せた時の反応が薄かった。それ以外となると分からんぞ」眉間に皺が寄る。「いや、格上の貴族であれば問答無用に奪えるはずだ。ならば同格か下。男娼一人の為に金が出せるのであれば男爵は論外。となれば子爵家か」

「やはり、あの家でしょうか」

「ベリグレンテの奇人夫婦か。あり得ない話ではないな。あそこの夫人はチューレリアをいたく気に入っているとのうわさを聞く。盗人には過ぎた一輪花とはあいつの事か」

「であれば、ルノを狙っているのはベリグレンテ子爵でしょうか。昔から敵視してきていますからね。最も有力な候補ではないかと」

「何故今脅してくるのだ。何も言わずに盗もうとする方が良いではないか。今であることに何か意味があるのか」

 疑心暗鬼になるケラニスコ。彼は色狂いになってはいるが、賢い事には変わりない。特別な事は出来ないが、普通の事を普通にこなすだけの能力を持つことは、文官としては有能の部類に入る。

「お披露目会の事を耳にしたとか」

 シャルトは思い付きでそう言う。元傭兵である彼には学はないが、有能な主人に仕えている内に少しづつ知恵が身に付いてきている。故に重宝されているのだ。

「なるほど。確かにお披露目会が済んでしまえば、名実共に私の物であることが証明される。そうなってしまえば、他の貴族の手前奪う事は難しい。今の状態は、違法奴隷を秘密裏に抱えていると言っても間違いではない。これが知られれば、城からの信用も落ちるし、場合によっては罰則を食らう。この存在していないとしなくてはならない状態でなければ動けないのだろうな」

「仮に奪えたとして、そのままお披露目会に出てしまえば、周りは何も言えませんからね」

「むう。ああ、不安だ。あの貧乏貴族でも子爵家だ。何をしてくるか分からん」

「ですが、ここには私がいます。ご安心を」

「そうだな。戦争では返り血の狼とも呼ばれたお前だ。信頼している」

「恐縮です」

 ケラニスコはやはり不安なようだ。普段はルノ以外に対して雄弁になることは無いのだが、不安と言う油が口を滑らせているのだろう。彼の焦燥感は乱れた頭髪にも現れている。机を引っ掻く爪が時々そのままでの勢いで頭皮を傷つけている。

「既に入り込んでいるんだろうな。どうだ、目星はついているか」

「そうですね。数名程絞り込めているのですが、確定要素に欠けます。その全員を辞めさせたとあれば、エルガーから陳情が来ることは間違いありませんし、屋敷の警備に穴ができます。それに外聞も良くありません」

「本心では外聞は気にしたくはない。今すぐにでも辞めさせたい。だが、ルノに良い物を買ってやれるのはその外聞のお陰だからな。ないがしろにはできない」

「もう少しだけお待ちを。これでも執事を任されている身。メイドなどから話を聞くことは容易いです。メイドの話は非常に興味深い。昔の私からは信じられない発言ですがね」

 ケラニスコの顔に少しだけ余裕が出てきたようだ。シャルトのほんの少しの冗談が頬を緩めさせている。

「ありがとう。君は確かに私の使用人だが、同時に友人でもある。頼りにしているよ」

「恐縮でございます」

 焦燥の空気が流れ、暖炉から来る温かな風を感じる余裕が生まれた。二人の会話のリズムを表現するように薪の音が弾ける。


 夜になって、ケラニスコは一人薄暗い部屋にいた。執務室でも応接室でもない、貴族なら必ずと言っていいほど持っている部屋。壁は石が剥き出しで、冷気が容赦なく巡っている。壁掛けの燭台はなく、ケラニスコが持つ手持ちの灯りだけが頼りな状態で、彼は棚に無造作に詰まれた書類を漁っている。

「確か、ここのはずだ」

 時折独り言をつぶやきながら、散らかすでもなく指先の感覚で目的の物を探す。しかしてそれは見つかった。小さな手のひら大ほどの木箱で、十字に鎖が巻かれ錠が掛けられている。

 首に掛けているペンダントのロケット部分をスライドさせ、出てきた鍵を錠に差し込み、開錠する。彼は僅かに逡巡しながらも蓋を開け、中身を確認する。そこに在ったのは数枚の書類だ。

「ふう」安堵の吐息だ。「手は付けられていないようだな」

 ケラニスコは考えていた。シャルトに見せた手紙の他にもう一通送られてきたものの内容を。

「明らかに違う。目的が違い過ぎる。確実に、我が屋敷には二つ入り込んでいる。どうすればよいのだ」

 はらりと髪の毛が書類の上に落ちる。

「何故こんなにも不幸を抱えなくてはならんのだ。私はただ、ルノと静かに暮らしたいだけだというのに」

 ぽたりと一滴落ちる。

 ロノウェはネウラモスの大雪の中に沈む。土の温かさを感じ、そして雪に冷たさに眠るだろう。

 彼は思い出しながら、書類に落ちた物を拭くこともせず、再び木箱に鎖での封印を施す。後ろで様子をうかがっている人物に気付きもせず。



 ネウラモス王国より南に位置する七つから成る小国群のうちの一国、ヌーボラネーレ王国。この地もまたカルロッテ山脈からくる寒風に身を震わせられるが、雪はそれほど降っておらず、町には人々が逞しく活気を持って生活をしている。

 カルネロの町では出店が並び、少年少女に至るまで太陽に負けず劣らずの笑顔を周囲に振りまきながら走り回っている。串焼きの店に並んで出来上がりを待つ客もいれば、たれの臭いに文句を付ける古着屋の主人など。ありふれた風景ばかりが並ぶ、そんな町だ。

 少女は両手で草編みの大きなバッグを持ち、商店街に赴いている。彼女が最初に入ったのは小さな肉屋だ。天井から様々なウインナーや太腿そのままのハムが釣り下がっている。

「おや、リアちゃん。今日は何を買っていくんだい」

 肉屋のおやじが禿頭を表情を輝かせながら、小さな客に尋ねる。

「今日はハムとウインナーが良いかな」

「いい時に来たねえ。昨日良い物を仕入れたんだ。西の方の村で作ってるアルガーっていう猪の薫製ものだよ。ついでだ、ベーコンはいるかい?」

「おいしそうだね! でもベーコンは高いよね?」

「いつも来てくれる天使の為だ。まけといてやるよ」

「でも、この前もお肉分けてくれたのに」

「ガキが要らねえ気を回すもんじゃねえよ。大人がくれてやるって言ってんだ。素直に受け取っても罰は当たらねえよ。それにな、普段リアちゃんが頑張っているのはカミさんからよく聞いてるんだ。俺んとこには子供がいねえからな。リアちゃんの事は子供みたいに思えてな。だから、しっかり食って大きくなって、美人になってほしいんだよ」

「おじさん」

「さあ、持ってけ」

 肉屋のおやじは、大きな笹の葉に肉を包んでリアに押し付けて笑いかける。顔の皺が年齢を感じさせて止まない。

「うん」リアは申し訳なさげに。「ありがと」

「また、井戸に行っておくれ。カミさんも楽しみにしてるんだ」

「うん!」

 リアは笑顔で手を振りながら肉屋をあとにする。

 重くなったバッグを持ちながら、リアが次に向かったのは同じ通りにあるミルク売りの店だ。店に入るとふわりとミルクの甘い香りが鼻をくすぐる。棚へと近づくと独特な香りを放つチーズが陳列してある。

「おや、リアちゃんかい」

 店の奥の方から客の気配を感じ取った店主の婆が、ゆっくりと出てくる。魔物かと思う程に皺だらけの婆の腰は曲がり、手は骨に皮が張り付いているようである。だが、婆がリアを見る目は孫を見るような優しい目。

「今日は何を買いに来たんだい」

「ミルクとチーズを少し」

「そうかいそうかい。どの乳がいいかね」

「いつもので!」

「リアちゃんは山羊の乳が本当に好きなんだね。わかった、取ってくるからチーズでも見てなさい」

 リアから空の瓶を受け取った婆は店の奥に戻っていった。

 リアは言われたように棚のチーズを物色しながら待っていると、自分が渡した空の瓶よりも一本多く持ってきた婆に、困った表情を向ける。

「ほら、ミルクだ。古くなったバターも付けとくよ」

「おばあちゃん、駄目だよ。商品でしょ」

「何を言ってるんだい。ツケに決まっているだろう? 将来、支払ってもらうからね」

「おばあちゃん」

 屈託のない笑い顔でリアの頭を撫でる。

「綺麗な髪だね。きっと美人さんになるよ。大事にするんだよ」

「うん」

 リアは猫が甘えるように、婆の手を取り頬に当てる。


 少女は重たくなった荷物をゆらゆらと揺らしながらも、しっかりとした足取りで商店街を抜けていき、家に着く前に井戸へ向かう事にした。

 朝にも水汲みで訪れたので特別することは無いのだが、この時間になると暇を持て余した人たちが集まり、色々な話をしており、それを楽しむためにわざわざ向かっている。

 今日もまた、数人の淑女が井戸の近くを陣取り会話に花を咲かせている。その中の一人が少女に気付く。

「あら、今日も来たの?」

 他の女性たちも少女に気付いていく。

「いらっしゃい。荷物置いてゆっくりしなさいな」

「はい。今は何の話をしてたんですか。随分と深刻そうですけど」

 一人が眉を八の字にさせて答える。

「何やら国が騒がしいって噂があるのよ」

「騒がしい?」

 別の人が続ける。

「ええ。この国の軍隊もそわそわしてるって商人から聞いてね。私の夫は鍛冶屋だけど、武器の発注が少しずつ増えてるのよ。何だか戦争が起きるんじゃないかってね」

「ヴァラナレスから来る商人たちは別にいつも通りなのよね。変わったことはないの一点張りでつまらかったわ」

「あのティフォーネ将軍が帰ってきているって話も聞くわ。もうずっとの国境南西の国境に陣取っていたのに、王都に帰ってきているらしいのよ」

「え? ブラウニーニャの雷雲が帰ってきているの? 南西はどうしているのかしら」

「副将がいるから、すぐにどうこうなる事はないらしいわよ。それよりも、サンプロブダードの方が大変らしいわよ」

「それは私も聞いたわ。教会騎士団の神聖騎士長が三人揃っているらしいわ。どんどん食料も集めているらしくて、兵器も作っているっていう噂よ」

「それはおかしいわね。私が聞いたのは、神聖騎士長がそれぞれ要所で守りについているって噂よ。それよりも、王城と教会の仲が悪くなってきているとかなんだとか」

「ネウラモスかフィラノが動いているのかしらね。とうとう始まるのかしら」

「ラガルレスタやケヅィエだって忘れられないわよ。私たちの国なんて、本格的に攻められればイチコロなのよ」

「そうね。もしも戦争になったらどうなるのかしら。男たちは連れて行かれるのだろうけど、もしかしたら女でも連れて行かれるわ」

「いやね、私たちだって槍を持たなくてなはならないかもしれないのよね」

 今日は不穏な話ばかりだった。普段であれば、どこぞの男が結婚しただとか、振られただとか、最近の流行はどこどこのあれこれだとか、ほのぼのとしたものばかりだ。少女は期待していたものが聞けず、少し残念そうにしながら帰路についたのだった。

「お兄ちゃん」

 少女が呟いた言葉は、氷のように冷えた両脇の石壁に吸い込まれるようにして消えていった。



 門番と軽い見回りの仕事を終え、衛兵の服を脱ぎに着替え室に入ったフィロ。

「お、先輩じゃないですか。もう終わりですか?」

 これから衛兵の服に着替えようとしていたのは、フィロの後輩門番のランド青年だった。

「俺はこれからですよ。嫌ですね夜勤は。寒くて寒くて」

「ワルトロさんのいう事をよく聞くんだぞ」

 フィロはあまり大きくない声で言い、私服の入っている棚の前に立った。

「ワルトロさん、苦手なんですよね。あの厳つい顔が何とも」

 ランドはへらへらと笑っている。

「今日は昼間、暇だったんで店に行ってきて一発決め込んできましたよ。いやあ、可愛い娘が入ってましたよ。おすすめです。なんでも、ブルーベリー畑がある田舎から出てきたんだそうですけど、途中で襲われて身ぐるみ剥がされたんだそうですよ。そのまま捕まって、ここに売られてきたんですって。あんまり愛想がよくないっていうんで買い手がつかないんで、大人しくさせるために俺に回ってきたんですよ」

「女に溺れる奴は女に殺される」

「なんですか、心配してるんですか。いらないですよ。俺が手を付けているのは奴隷ばかり。問題抱えて買い手がつかないのを助けてやってんですから、感謝されてもいいくらいですよ」

 フィロは私服に着替え終え、衛兵の服を丁寧に畳んでいる。武官でもないロノウェ家で支給される服は量産品で、国お抱えの仕立て屋が安く作っている物だ。ところどころほつれが目立っている。

「帰ったら奥さんと」ぐふふと笑う。「よろしくするんですか? いいですね、帰ってもできるなんて」

「お前は…」フィロは目を細める。

「なんです?」

「いや、何でもない」

「気になるじゃないですか」

 フィロは革の長靴を棚に入れ、荷物を纏める。

「あ、帰るんですか。またよろしくお願いしますね」

 お前は、害悪だ。なんて言えない。ブルーベリー畑で朗らかに過ごしてきた娘がどのような思いでいるのか、彼には想像もつかない。得体のしれない場所で、蛙のようにぬめりとした目を持つ青年に、無慈悲に処女を奪われた彼女の気持ちは、彼には分からない。

 帰り道は静かなものだ。夕方の時間を越え、ぼんやりとした明るさを残す通りはとても寒く、人はほとんどいない。風の子も限度はあるのだ。


 場面は切り替わる。ここはロノウェ家のシェフたちの戦場、調理場だ。陣頭に立って指示を出すメインシェフが、メイドたちに怒鳴り散らしている。濃厚な湯気を天井に吸い込ませている大鍋の中身を混ぜている者、盛り付けを行う者、フライパンを振るのは男の仕事だ。

 今日は客が来ているわけではない。屋敷の主人の分と、奥様の分を作れば事足りる。後は執事やメイドの分だ。奴隷の飯は奴隷頭が作ることになっており、別の厨房が用意されている。

 暇を持て余しているのか、数人の若いメイドたちが芋の皮を剥きながら話をしている。

「どう? 慣れてきた?」

 黒髪を伸ばしたメイドが、少女のようなメイドに尋ねる。

「はい。だいぶ慣れてきました」

「それは良かったわ。怖い人とかいない?」

「いえ、皆さんよくしてくれていますよ」

 少女は未だ慣れぬ芋の皮むきに苦戦しながらも、穏やかな表情で答える。

 この冬の時期、冷水で手を濡らしながら行う作業は非常に辛い。屋敷に来たては嫋やかな物だったものが、段々と傷が増え、終いには節だったものになっていく。

「でも」

「でも?」

「いえ、何でもないです!」少女は焦ったように手を振る。

「包丁危ないから落ち着きなさい」

「ご、ごめんなさい」

「何よ、言いなさいよ」

 先輩メイドは面白そうな予感に正直に、後輩を突っつき始める。

「ご飯の時になったら分かりますよぅ」

 そばかすを赤く染めている後輩に胸を締め付けられる母性を覚えながら、先輩メイドは引く。


 まず初めに、館の主である子爵の下に夕食が届けられる。子爵と子爵婦人の分が揃い、食べ終わった頃になってから、屋敷で働く者達が食べにくる食堂が開く。食堂とは言っても特段広いわけではなく、二、三のランプで十分照らせるほどの広さ。十人入って丁度いい。

 食堂では仲の良い者達がテーブルを囲む。使用人は使用人同士、衛兵や従者は同じ席になる事が多い。決められているわけではないが、外で働いているものと中で働いている者とで、若干の壁がある。食堂の置く手にカウンター席がある。三人ほどしか座れず、その内一つの席の上で食事の引き渡しが行われる為、実質二席と言えよう。庶民が使う場所とは言え、貴族の屋敷の中の一室。掃除は行き届き、目立つシミは少ない。

「ねえ、ご飯の時になったわよ」

 若いメイドはここでも働く。当番制ではあるが、作られた食事を配膳しなくてはならない。カウンターの中で作業しているのは四人ほどだ。

「まだ、来てません」

「あら、そう」

 先輩メイドは、待ち遠しいかのように入り口をちらちら見ながら手を動かす。

「あれはセドリックじゃない。相変わらずハンサムね」

「何よ、バーンズさんもいいわよ。あの渋さが堪らないのよね」

「ランドくん、来ないかな」

「何、ランドなんて良いの? やめときなさいよ」

「そうよ。なんでも、毎日のように娼館に通って、若い女の子を手にかけているんだって」

「それに、外での女遊びも激しいみたい」

「そんなあ」

 がやがやと騒がしい飯時に、小さい声でメイドたちが話している。女の高い声は、案外男の低い声の中に溶け込んでしまい聞こえないものだ。

「やあ、キニ。今日も可愛いね」

「あ、ボルテさん。どうもです」

 そんな中、順番が回ってきたのはボルテだった。もう既に風呂には入ってようで、周りが匂いを気にする素振りがない。

「なあ、今度出かけないか。良い店を知っているんだ」

「あ、あの。いえ、そんな」

「いいじゃないか、一回くらい」

「えっと、その」

「ねえ」

 先輩メイドが後輩メイド、キニに耳打ちする。「この人?」

 キニは小さく機微を横に振る。

「あんた、ボルテさんだっけ? 後ろがつっかえてんだから早くしてくんない?」

 ボルテは自分の邪魔をしたメイドを一瞬睨みつける。しかし、相手が少しひるんだかと思えば肩を竦ませ、にかりと笑う。

「悪い悪い。まぁ考えておいてくれや」

 そう言って食事を持って入り口近くの席へと向かう。

「大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 キニは小さく息を吐き、再び正面を向き仕事を再開しようとする。そして、目の前の人物と目が合い、思わず声が出る。

「フィロ、さん」

 フィロはキニが漏らした声に反応するが、すぐに視線を外し食事を催促するように右手を差し出す。

「あ、すみません」

 キニは急いで準備を済ませ、食事をフィロに渡す。

「後で返しに来る」

「え?」

「仕事なんだ。ここでは食べない」

「あ、わかりました。で、でもあまり遅くならないでくださいね」

「わかってる」

 フィロはそのままトレイに乗った食事を持ち、食堂を出て行ってしまう。

「ねえ」

 先輩メイドは思わず手を止めてしまっているようだ。

「はい」

「あなたも大変ね」

「あう」

「まあ、頑張りなさい」

「あの」

「よりによって、あの人はないでしょう」

「おい、早くくれよ」

 時折先輩と後輩の間に雑音が入る。

「いえ、その」

「ライバル多いわよ」

「何と言いますか」

「おいってば」

「でもねえ」

「分かってます。でも、はい。嘘は付けませんので」

「はあ」

「若いねえ」

 メイドと使用人の声が重なる。

「あら、ごめんなさい。いたのね」

「いや、わかってたけどさ。酷いな」

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